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【菅前首相聴取】 再臨界ない「知っていた」 海水注入中止指示で 2012.5.28 23:36 東京電力福島原発事故調査委員会(国会事故調)に参考人として臨んだ菅直人前首相=28日午後、参院議員会館(松本健吾撮影) 菅直人前首相は28日、国会の東京電力福島原発事故調査委員会(国会事故調)に参考人として出席し、昨年3月12日の第1原発1号機への海水注入をめぐり自らが中止を指示したことはないと改めて強調し、「淡水から海水に変えても再臨界が起きることはない。それは私もよくわかっていた」と述べた。 また、第1原発に「官邸の意向」として中止を伝えたのは、官邸に連絡役として常駐していた東電の武黒一郎フェローだったと説明し「原子力のプロ中のプロがなぜ注水を止めろと言ったのか、率直に言って理解できない」と批判した。 原発事故については「事故は国策として続けられた原発によって引き起こされた。最大の責任は国にある。発生時の責任者として事故を止められなかったことを改めておわび申し上げる」と謝罪。事故後、速やかに原子力緊急事態宣言を出せなかったことについて「特に支障はなかった」と強弁した。 事故発生翌日に枝野幸男官房長官の反対を振り切って第1原発の視察を強行したことについても「現場の責任者と話すことで状況が把握できると考えた。極めて大きなことであった」と意義を強調。米国からの技術支援の申し出を断ったことについては「大きな反省材料である」と述べた。 最後に「戦前の軍部に似た原子力村を解体することが改革の第一歩だ。事故を経験して最も安全なのは、原発に依存しないこと、脱原発の実現だと確信した」と強調した。 【菅前首相聴取】 「原子力村に反省なし」 解体を主張 2012.5.28 17:06 東京電力福島原発事故調査委員会(国会事故調)に参考人として出席、質問に答える菅直人前首相=28日午後、参院議員会館(酒巻俊介撮影) 菅直人前首相は28日午後の国会の東京電力福島原発事故調査委員会(国会事故調)で「(東電と電気事業連合会を中心とした)『原子力村』は今回の事故に対する深刻な反省もしないままに、原子力行政の実権をさらに握り続けようとしている。戦前の軍部にも似た原子力村の組織的な構造、社会心理的な構造を徹底的に解明して、解体することが原子力行政の抜本改革の第一歩だ」と主張した。 「国家機能、崩壊しかねなかった」脱原発依存主張 【菅前首相聴取】 「言い訳ばかり…」 被災者は怒り心頭 2012.5.28 21:51 [菅前首相] 東京電力福島原発事故調査委員会(国会事故調)に参考人として出席、質問に答える菅直人前首相=28日午後、参院議員会館(酒巻俊介撮影) 「言い訳ばかりしている」。東京電力福島第1原発事故による避難生活が続く福島市の仮設住宅では、菅直人前首相の証言に対し、改めて憤りの声が上がった。 「菅さんは言い訳する暇があったら賠償とかを考えてもらいたい」。仮設住宅団地の集会所で知人と談笑していた福島県浪江町の浪江定美さん(80)はそう話した。 同じ仮設住宅の団地に住む大浦嘉章さん(74)は自室で事故調の録画映像を視聴。「部下から情報がなかったとか責任逃れが多い」と憤った。 菅前首相が言いよどむ場面に接すると、「本当は自分に責任があると感じているんじゃないか。人の批判ばかりで説明が長いのは自信がない証拠」。菅前首相は最後まで言い訳をしているようにしか見えなかった。 【菅前首相聴取】 「事実と違う」「なぜ嘘つく」 東電からも不満の声 2012.5.28 21:58 東京電力福島原発事故調査委員会(国会事故調)に参考人として臨んだ菅直人前首相=28日午後、参院議員会館(松本健吾撮影) 国会事故調の参考人として呼ばれた菅直人前首相は、自身の対応の問題点を指摘されると「東京電力や保安院からの情報がなかった…」と責任転嫁を繰り返した。だが、当時を知る関係者は「事実と違う」と証言。「しょせん、首相の器ではなかったということ」との声も漏れた。 「なぜあんな嘘をつくのか。あの時は誰が見ても冷静さを欠いていた」。東電幹部が“あの時”と語るのは、昨年3月15日早朝。菅氏が東電本店に乗り込み、「撤退はあり得ない」と怒鳴り散らしたとされる日だ。国会事故調で菅氏はこのことを「命がけで頑張ってもらいたい気持ちで話した。叱責のつもりはまったくない」と弁明した。 しかし、東電幹部によると、菅氏は血相を変えて本店2階の緊急時対策本部に現れると、周りにいた東電社員に対し「お前は技術屋か!」「説明するのはお前か!」と、手当たり次第に迫った。マイクを手にすると脅迫するように「撤退なんかあり得ない。撤退したら東電はつぶれる」と大声で叫んだといい、その声は部屋の外にまで響いた。 緊急時対策本部は、福島第1原発ともテレビカメラでつながっていた。この幹部は「現場は命懸けで作業していた最中。菅さんの当時の発言はあまりに失礼なものだ」と憤った。 菅氏に「情報がまったくあがってこなかった」と一刀両断された保安院の幹部も「われわれも情報を必死で集めていた。なのに、あの言い方はひどい」と悔しさをにじませた。(原子力取材班) 【菅前首相聴取】 「直感依存で判断に偏り」 東大・谷口教授 2012.5.28 18:48 谷口武俊・東京大政策ビジョン研究センター教授(リスク管理)の話 今回の事故では、法律に定めのないその場しのぎの対応がさまざまな局面で見られた。首相の仕事は本来、法の限界の対応策を官僚に洗い出させ、全体の基本方針を定めて関係者に共有させることだ。菅直人氏がチェルノブイリ事故などを念頭に思い描いた状況に合わせて、部下からの報告を解釈していることがうかがわれる。直感に強く依存して偏った判断があったのではないか。危機的な状況下でも、トップが質の高い意思決定をできるような仕組みを考えるべきだ。 【菅前首相聴取】 「当事者意識に欠ける」 やくみつる氏 2012.5.28 22:01 東京電力福島原発事故調査委員会(国会事故調)に参考人として臨んだ菅直人前首相=28日午後、参院議員会館(松本健吾撮影) 漫画家、やくみつる氏の話「当時の居丈高な様子はすっかり影を潜め、冷静に質問に答えているように見えたが、当事者意識に欠ける姿勢は相変わらずだった。原発事故は安全性の検証もないまま事なかれ主義の果てに起きたとする趣旨の発言などは、喜び勇んで首相に就任したはいいものの、運悪く原発事故に当たってしまったとも受け取れるほど、責任転嫁している」 【菅前首相聴取】 「納得のいく説明なし」 阪大・宮崎名誉教授 2012.5.28 22:03 東京電力福島原発事故調査委員会(国会事故調)に参考人として臨んだ菅直人前首相=28日午後、参院議員会館(松本健吾撮影) 宮崎慶次大阪大名誉教授(原子力工学)の話「なぜ福島第1原発を視察したかについて、『情報が上がってこないので、現状を理解するためだった』という理由は分からなくもないが、当時の現場は極限状態の真っ最中。混乱を与えたことに、納得のいく説明はなかった。また、『理系総理』として、『(原発について)何でも知っている』という気負いが、言葉の端々に感じられた」 【菅前首相聴取】 海水注入「私の発言と違う」 声あらげこぶし振る 2012.5.28 21:53 東京電力福島原発事故調査委員会(国会事故調)に参考人として出席した菅直人前首相=28日午後、参院議員会館(酒巻俊介撮影) 菅直人前首相が28日、国会の東京電力福島原発事故調査委員会の公開聴取に応じた。「レベル7」という最悪の原発事故に直面した政府首脳の対応は適切だったのか。国民が注視する中、当時の“最高指揮官”は「情報が上がってこなかった」「事故は日本の病根を照らした」などと、自己弁護や持論の展開に終始した。 会場となった東京・永田町の参議院議員会館講堂には、報道陣と一般傍聴合わせ約230人が詰めかけた。 菅氏は濃紺のスーツに白いシャツ、ストライプのネクタイ姿で開始時刻より1分早く会場に登場。一斉にフラッシュがたかれると口を真一文字に結び緊張した表情で参考人席へ。 冒頭、委員から「当時のことを聞くので『菅総理』と呼ばせていただきたい」と聞かれると、笑みを浮かべながら断る余裕の表情を浮かべた。 だが、事故直後の状況について、現地視察の是非や避難区域の設定など細部に質問が及ぶと、穏やかな表情は一変し、用意した資料に視線を落としながら説明した。 菅氏が最も声を荒らげたのが、菅氏による海水注入停止指示があったかとの質問の時だった。「私の発言とは違う。そこだけははっきりとしてほしい」と、左手でこぶしを振りながら語気を強めて気色ばんだ。 聴取は予定時間の2時間を50分も超えた。最後に発言を求められた菅氏は、「批判を封じてきた」と産官学の“原子力ムラ”を戦時中の軍部になぞらえて批判。「脱原発」を訴える一方で、多くの疑問を残したまま退席した。 【菅前首相聴取】 自己正当化、記憶にない…「人災の元凶」に反省なし 2012.5.28 23:20 (1/2ページ)[菅前首相] 東京電力福島原発事故調査委員会(国会事故調)に参考人として臨んだ菅直人前首相=28日午後、参院議員会館(松本健吾撮影) 責任転嫁、自己正当化、そして「記憶にない」。国会の東電福島原発事故調査委員会による菅直人前首相の参考人聴取は、事故対応で采配を振るった最高責任者(原子力対策本部長)の無反省さを改めて見せつけた。事故拡大を防げなかったことも、付近住民に適切な避難指示を出せなかったこともどこか人ごと。自らが「人災の元凶」だったとの自覚はない。 「私が知りうる限りのこと、考えたことについてできる限り率直に答えたい」 菅氏は冒頭こそ神妙な面持ちだったが、その後はのらりくらりと質問をかわし、2時間50分間の質疑の大半をいかに責任逃れするかに費やした。 事故調委員は、菅氏が法的根拠と責任の所在が曖昧な指示を繰り返したことを問題視したが、菅氏は「記憶にない」と強弁し、いったんは事務方に責任をなすりつけた。 「原子力事故にあたってどのような権限が首相、本部長としてあるのか、詳しい説明を聞いたことは覚えている限りない」 ところが、委員が平成22年10月に中部電力浜岡原発事故を想定した防災訓練に首相として出席したことを指摘すると豹変(ひょうへん)。「もっと早くからしっかりとした説明を受けて知っておいた方がよかった」と釈明した。 一事が万事この調子だった。菅氏は答弁用のメモを周到に準備していた。27日の国会事故調での枝野幸男官房長官(当時)の参考人聴取などをインターネット放送で視聴し、理論武装に励んだことは想像に難くない。 東京電力福島原発事故調査委員会(国会事故調)に参考人として臨んだ菅直人前首相=28日午後、参院議員会館(松本健吾撮影) だが、物事は「隠すより現る」。言葉の端々から不誠実な態度がのぞく。 緊急事態宣言発令の遅れについては「特に支障はなかった。理由があって引き延ばした気持ちはない」。第1原発1号機への海水注入に懸念を示した自らの言動が東電に「官邸の意向」として伝わっても「全く理解できない」−。 事故直後、無資格(後に内閣官房参与)で官邸に招き入れた情報処理の専門家である日比野靖氏が第1原発に電話で「極めて初歩的な質問」(委員)を行い「仕事の邪魔」をしたと追及されるとこうごまかした。 「やや抽象的なお尋ねで答えに困る。内容的にはっきりしないので答えようがない…」 もともと原発事故が起きるまで菅氏に原子力政策への定見はなかった。若いころは原発に懐疑的だったというが、昨年1月の施政方針演説では「私自らベトナムの首相に働きかけた結果、原発施設の海外進出が初めて実現します」と原発ビジネス推進の旗を振った。 事故発生直後に「自分はものすごく原子力に強い」と自慢したかと思うと、昨年8月の福島復興再生協議会では「放射能をどう考えてよいのかなかなか理解できない」と言い放った。 そして事故調では日本だけでなく世界に向かって「脱原発」を高らかに訴えた。脱原発論者さえもこう受け止めたに違いない。「お前が言うな!」と。 言っていることはブレ続けても「反省のなさ」だけは首尾一貫している。哲学者、ニーチェはそんな菅氏の人間像をずばりと言い当てている。 「『それは私がしたことだ』と私の記憶は言う。『それを私がしたはずがない』−と私の矜持(きょうじ)は言い、しかも頑として譲らない。結局−記憶が譲歩する」 自らの過ちを認めようとしない人ほどたびたび過ちを犯す。そんな菅氏を民主党最高顧問(新エネルギー政策担当)に任じた野田佳彦首相も人ごとでは済まされない。(阿比留瑠比) |