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(回答先: 再起の旅1年 福島・双葉町<上>集団生活 町民たちの「最後の砦」 - 東京新聞 投稿者 千早@オーストラリア 日時 2012 年 3 月 30 日 21:00:16)
[写真] 旧騎西高校の廊下に張り出された求人票に目を通す舛倉さん。「条件の合う仕事はなかなか見つかりません」=加須市で
2012年3月30日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20120330/CK2012033002000070.html?ref=rank
「被災者優遇!」「住み込みOK」
加須市の旧騎西高校の二階、福島県双葉町の役場支所のある職員室へ続く廊下の壁を、震災被災者向けの求人票が埋め尽くす。
「これからの生活を考えると、いつまでもフラフラできない」。舛倉渚(なぎさ)さん(33)は焦る心境を抑え、求人票に目をやった。
震災前、東京電力の福島第二原発で働いていた舛倉さんだが、第一原発事故後、東電に不信感を抱き「もう原発には戻らない」と決めた。同校に避難後、一度は友人に誘われ、浜松市のNPOで半年間、契約社員として働いた。だが契約期間が終わり、「いつまでも続けるわけにはいかない」と、母(59)が借りた同校近くのアパートに戻った。
「役場には情報が集まるし、町民同士の交流もあるので、近くにいれば安心感がある」。舛倉さんはその理由を語った。
■ ■
一方、漂流する町に町民の不安は募っている。
旧騎西高内に昨年四月から就労相談窓口を開設しているハローワーク行田によると、窓口を通じて就職した町民は延べ百四十八人(二十二日現在)。うち正社員は十人にとどまっている。一方、国の基金を活用した臨時職などには、延べ百四人が就いた。
井戸川克隆町長は現在、学校や職場など生活拠点を備える「仮の町」への再移転構想を掲げ、役場機能の先行移転の検討も始めている。だが、場所や移転時期は白紙だ。これに対し、同校やその周辺に避難しながら仕事を探す町民からは「町が今後どこに移転するかが決まらない限り、定職には就きづらい」との声が上がる。
加須市のアパートに家族五人で生活し、今月中旬まで第三セクターの臨時職員をしていた男性(38)は「学校に慣れた子どものことを考えると、加須に残りたい。ただ、役場と一緒に移動することも考え、今後も臨時雇用で働きたい」と揺れる胸の内を明かす。
ハローワーク行田の清水安男所長は「町の進路が分からず、仕事に踏み出せない人が多い。数年でもいい。どこに腰を据えるのかを各自で決断することが、就職への第一歩になる」と話す。
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舛倉さんは今月十六日、福島第一原発から約三・五キロにある自宅に一時帰宅した。持参した毎時一〇マイクロシーベルトまで測れる簡易の放射能測定器は振り切れ、「かつての双葉町の生活にはもう戻れない。帰ることはあきらめた」という。
浜松から加須に戻って一カ月ほどは、「町が移動したらどうするのか」という不安が心を占めた。だが、舛倉さんは決断した。
「いつまでも役場の動きを待つより、早く安定した生活を取り戻したい。正社員として働いて、落ち着きたい」。埼玉県内で定職を求め、就職活動を続けている。
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