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[写真] 但野さん親子は、今後も旧騎西高校での生活を望んでいる=加須市で
2012年3月29日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20120329/CK2012032902000069.html
「段差、気を付けてね」。福島県双葉町民が集団避難する加須市の旧騎西高校。補助具に寄り掛かりながら廊下をゆっくり歩いてきた但野(ただの)恵さん(45)に顔なじみの福祉ボランティアの女性が声を掛けた。
長男祐貴君(18)と二人で、体育館の剣道場で暮らす恵さん。両脚に痛みがあり、補助具なしにはほとんど歩けない。昔から病弱で、同校に避難後も入退院を繰り返し、祐貴君や介護ヘルパー、福祉ボランティアのメンバーが交代で介助してきた。
剣道場では二十人弱が生活。ヒソヒソ声で会話するのが日常で、テレビは一部屋に一台しかなく、なかなか見ることはできない。夜中に足音が聞こえ、目覚めることも。段ボールなどで仕切りも作っているが、プライバシーはとても保てない。祐貴君は「同じ部屋の人に文句を言われて、口げんかになったこともある」と明かす。
恵さんは「周りに気を使う」というが、ヘルパーの付き添いが必要なため「アパートや仮設住宅には移れない」とつぶやく。四月から埼玉県内の自動車部品会社で働き始める祐貴君も「ここがなくなったら、母には施設に入ってもらうしかない」と声を落とした。
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現在、校舎を利用した全国で唯一の避難所となった旧騎西高。町民三百七十二人(二十三日現在)が教室や体育館で寝起きし、運動場に設置された仮設風呂やトイレは共同利用。一日三食の弁当が配られ、洗濯機や冷蔵庫、テレビは共有して使う。掃除と弁当配布は当番制で、午後十時に消灯となる。
同校で約半年間暮らし、福島県白河市の仮設住宅に移った無職志賀吉浩さん(44)は「当番をこなし、もらった弁当を食べるだけの繰り返しで、このままでは自立できなくなるという焦りがあった。何をするにも気を使うのがストレスで、仮設風呂には一度も入らなかった」と振り返る。
同校の避難者に対しては他の町民から「食費や光熱費がかからず、不公平だ」との批判も聞かれる。
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震災後、町のコミュニティー維持を目指して旧騎西高へ集団移転した井戸川克隆町長は当初、「プライバシーの問題で、今の住環境は長くもたない」と、同校近くに新たな住宅確保など生活拠点の整備を模索した。しかし、七千人余りの町民は全国四十一都道府県に散らばった。
同校に今も残る町民の約四割は六十五歳以上の高齢者。ボランティアによる編み物やミシン教室に参加する人も多く、近くのアパートから毎日同校へ通う人も。その一人、石井みゆきさん(74)は「みんなと一緒にいると安心できる」。自治会づくりも進み、話し合いに参加する無職男性(63)は「町がバラバラにならないための、最後の砦(とりで)」と話す。
井戸川町長も当面は同校に避難所を存続させる考えだ。一方、学校や職場などを備えた「仮の町」への再移転の検討も始めている。
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福島第一原発事故を受け、福島県双葉町民がさいたまスーパーアリーナ(さいたま市中央区)などを経て、加須市の旧騎西高校に役場機能ごと集団避難してから、三十日で丸一年を迎える。町から約二百キロ離れた同校には最大で千四百二十三人の町民が避難したが、現在は約四分の一に減少。再起の旅を続ける町の現状と課題を探った。
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