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(回答先: 「”間違いを伝えることでパニックになること”を恐れた」内閣審議官・下村健一〈インタビュー「3.11」〉(ガジェット通信) 投稿者 虎丸花蜂 日時 2012 年 3 月 13 日 00:03:09)
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/tohokujisin/oneyear/120311-1-2.html
「菅さんに冷却水必要」とメモ 頭抱える班目さん。 固まった専門家たち
[3・11〜]内閣審議官 下村 健一さん(51)
全電源喪失と聞いた時に、菅さん(菅直人首相=当時)は官邸の誰よりも早く反応しました。よく分かってたんですね。「これは大変なことだよ」と。以後、この言葉を何度聞いたか。独り言のように言い続けていた。
当時のノートに「なぜ非常用ディーゼルエンジン(発電機)まで止まるんだ」って書いてある。これ、菅さんの発言です。「菅さんに冷却水が必要」。かなりテンションが上がってましたが、あの段階では仕方ないと思います。何も分からなかったから。
とにかく早く電源車をかき集めないといけない。首相執務室にホワイトボードを持ち込んで、秘書官たちが手分けして電話して「インター通過」とか、どんどん書き込んだ。菅さんも携帯電話でどこかに電話して「必要な発電機の重さと大きさはどれぐらいなんだ」と。何で総理にそんなこと聞かせてるんだ…と思った。でも、専門家の人たちに「これってどうなってるの」と聞いても、「はい」って返事はするけど、固まって動かない。
仕方ないから僕が近くに行って「あなたの持ってる携帯電話を左手に持って、右手でボタンを押して相手の人にかけてください」と言うと、動きだした。これ、本当の話。こういうのが頭が真っ白って言うんだと思った。
組織としての備えがないから、電源車の用意さえ官邸が判断を重ねていったんです。
二十一時十四分の電話で、東北電力からの電源車の一台目が着いたと。庶務の女の人が「よかった!」って歓声を上げた。ホッとしました。これで何とかなると思ったんだけど…。
出入りの激しい執務室で、一瞬だけ菅さんと二人きりになった時に「(震災)現場に行くなっていう人が多いんだけど、どう思う」って聞かれた。僕は原発に降りることと気づかず、津波被害の状況把握を頭に置いて「ヘリで上空から見るんだったら、僕は(テレビキャスターだった時に)阪神大震災の初日からヘリでリポートしてたから、横で着目点の助言はできます」と言った。菅さんは「そうか」と。
1号機の爆発は、テレビをつけたらあの映像です。「爆発しないって言ったじゃないですか!」って、菅さんが班目さん(班目春樹・原子力安全委員長)に言ったら、これは映画かって思うくらい頭を抱えて。人生で一番ショックなシーンでした。この人が日本の最高権威なのかと。
専門家は何を聞いても、ふにゃふにゃしか言わない。菅さんから目をそらす。そんな中で唯一、明言していたのが「爆発は起きません」だったんです。
十五日に東電へ乗り込む時は、仮眠中で午前四時台にたたき起こされた。「東電が撤退するって言っているから、今から菅さんと一緒に行って」と。僕は後続の車。着いて二階に上がったら、秘書官が真っ青な顔をして「菅さんが今すごいこと言った」と、あの「撤退した時には、東電は百パーセントつぶれます」という演説のことを知らされました。
東電で案内された小部屋にはモニター画面があって、六分割されている。本店の非常災害対策室と福島第一原発の対策本部などみんな映ってる。官邸では様子が分からなかったのに「何だ、こんなのがあるの」って。菅さんは「いいね。じゃあ細野君(細野豪志首相補佐官=当時)ずっとここにいて」って言った。
菅さんのけんまくでまわりが言いたいことを言えなかったとすれば、本人にも問題がある。ただ、誰が首相でも、あれだけ情報が少なく矢継ぎ早に物事が起きる渦中では、語気が強まるのは当然と思う。
原子力を扱う人間にストレステストを課さなきゃだめです。スペースシャトルの乗組員は、想定外の状況で抜き打ちのトレーニングを受ける。今度何かが起きたとき、今の原子力技術のトップたちはまた何もできないだろう。一年たって強調しておきたいのは、「人間」の問題は何も解決していないということです。
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