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「”間違いを伝えることでパニックになること”を恐れた」 内閣審議官・下村健一<インタビュー「3.11」第11回>
http://getnews.jp/archives/174390
2012.03.12 11:30:00
未曾有の被害を出した東日本大震災から2012年3月11日で1年となる。この間、日本では、政府のトップである首相が交代した。一方で、福島第1原発の事故処理や被災地の復興などは遅々として進まず、問題が山積したままだ。
震災が起こった2011年3月11日の翌日、当時の菅直人首相はヘリコプターに乗って上空から被災地を視察した。「首相が現地を見なければ、あんなに早い自衛隊の10万人出動はなかったかもしれない」。菅首相の視察に付き添い、その模様を映像に収めた内閣審議官の下村健一氏はこう回想する。
下村氏は、大学時代に「市民メディア」を志し、都市型ケーブルテレビ「町田市民テレビ」のスタッフとして開設準備に携わった。また、TBS時代には、松本サリン事件の報道などで活躍し、退社後、市民メディア・アドバイザーとして活動。2010年10月、菅首相の政治任用で、広報を担当する2年契約の内閣審議官として内閣広報室に入った。
どうすれば分かりやすく情報を伝えることができるか――。下村氏の根底には一貫して市民メディアへの思いが流れている。しかし、「政府のやりたいことを国民に分かりやすく伝える」という自身の今の職務について、「まだ結果は出せていない」と語る。
「永田町に市民メディアを作りに来た」男は、東日本大震災と福島第1原発事故を官邸からどのように目撃し、その目は何を捉えたのか。また、震災から1年経っての課題は何か。下村氏に話を聞いた。
・東日本大震災 3.11 特集
http://ch.nicovideo.jp/channel/311
(聞き手:七尾功)
■3月11日、官邸が大型客船に乗っているように揺れた
――昨年3月11日、東日本大震災が発生したその時、菅直人首相(当時)は国会にいました。下村さんはその時、どこにいたのですか?
官邸です。参与の1人と話をしている時に揺れが来ました。とても頑丈な官邸が、大型客船に乗っているような感じで揺れました。大きく、ゆたー、ゆたーって。とにかく普通の地震の揺れじゃなかったので、「これは只事じゃない」と思い、すぐに総理秘書官室へ駆け上がりました。あっという間に総理が国会から戻って来て、もうそこから先は時間の感覚がないですね。3日間くらいは、ほとんどずっと起きていました。
菅さんも、枝野さんも、僕らもそうだけれど、人間ってこんなに寝なくても大丈夫なんだって驚くくらい寝る時間がなかったです。
■現地を見なければ自衛隊10万人出動の即断はなかった!?
――大震災の翌日の12日には、菅さんとヘリコプターに乗って現地に行かれています。
視察に行こうって話の時にはすでに、ヘリコプターは緊急物資搬送に使われていて、ものすごく貴重でした。だから、まず「邪魔にならない方法はあるのか?」という移動手段の検討を行いました。
その中で、非常に速くて小さいスーパーピューマというヘリコプターがあった。せいぜい10人ちょっとくらいしか乗れないヘリです。小さいがゆえに、物資搬送には使われていなかった。それで、「行くならスーパーピューマ1台で」と決まったんです。
ヘリコプターに搭乗するメンバーが、どのように決定したかは分からないです。「このメンツで行くから、下村も乗って」と言われたときに、名簿を見ました。総理が視察に行く際、ほぼ必ず随行する最小限のメンバーが普段から決まっているのですが、そこに斑目春樹原子力安全委員長の名前が加わっていました。
――現地へ行くにあたっては、どのような心理状態だったのですか?
その時点では、福島第1原発で爆発はまだ起きてない状況です。ただ既に気になっていたのは、なかなかベントが始まらないことでした。「どうなっているの?」と。でも、悠長に答えを待っている場合ではなかった。官邸にいても一向に確実な情報が来ないなら、一度現場と直接繋がるしかないという緊急時のトップの心情は、すごくよく分かりました。
僕はどちらかと言うと、まだ原発の深刻さがエスカレートしてくる前のことでもあり、宮城・岩手を上空から見ることに意味があると思っていました。
行く・行かないで議論になっていたときに、総理執務室で、菅さんと僕と2人だけになる一瞬があった。その時に、「『今は行くべきじゃない、後で政治的に批判される』と言う人もいるんだけど、君はどう思う?」と菅さんに聞かれた。僕は阪神大震災では発生初日からヘリに乗ってリポートしましたし、伊豆大島の大噴火でも雲仙普賢岳でも経験がありましたから、「大災害の現場で空から何に着目すべきかは、きっとアドバイスできます」と答えたんです。すると菅さんは「分かった」と。
――実際に、ヘリコプターから菅首相にアドバイスをできたのですか?
スーパーピューマで宮城まで行って、現地でもうちょっと武骨なヘリに乗り換えると、その機内が普通のヘリ以上にものすごくうるさくて、残念ながら僕の声は、菅さんに全く聞こえない状態でした。それで、仕方なく身振り手振りでアドバイスしました。「あそこで火の手が上がっている」とか、「あの校庭にSOSの文字がある」とかを。とても歯がゆかったですが、それをやるか、やらないかだけでも認識はかなり変わってきます。ニュースのヘリ中継も、リポーターの着眼力によって、情報量は相当変わりますから。
――ヘリコプターから見た被災地はどういう光景だったのでしょうか?
まだ、震災翌日の朝ですから、津波の水がほとんど引いていなかった。例えば、海の中に巨大な波板が浮いているなと思って見ていたら、それが仙台空港の屋根だったりとか。つまり実際には”浮いている”わけじゃなくて、周囲の滑走路などが完全に水没していて、その時まだ仙台空港の建物は、”海の中”のように見えたんですよ。
また、浅い海面を目を凝らして見てみると、住宅の土台のコンクリート部分だけが水中にズラッと並んでいたりもしました。そういう光景が、途方もなく長く、飛んでも飛んでも延々と続きました。この点が、阪神大震災の時との決定的な違いです。想像を絶する世界でした。
菅さんがずっと官邸にいて、切り取られたテレビ映像を見ているだけだったら、あのスケール感は分からなかった。報告を聞いて地図を見て頭で捉えるのと、肉眼で「災害の大きさ」と「その中にいる人間の小ささ」を同時に目撃するのとでは、絶望感に揺さぶられる度合いが全く異なります。
前者のような観念的な認識の仕方では、自衛隊10万人出動という常識破りの決断には、あんなに速やかには踏み切れなかったのでは、とも思います。阪神大震災の時ほど遅れはしなくとも、”常識的”な小幅な増員を繰り返し、その間に、孤立した人々が飢えと厳寒の中でもっと生命を落としていたかも知れません。
現地を空から見たからこそ得られた、「自衛隊を出せる限り出さなければ太刀打ちできない」という強烈な実感。国防という本来業務との間でギリギリの調整を重ねて、この日の内に「2万人→5万人→10万人」と急速に増員を決断できた結果、実に1万9千人の命を助けることが出来ました。本当に、現地を見に行って良かった。
だから、「大将は行くべきじゃなかった」と言う主張を聞くと、僕は「寝ボケるな」と言いたくなってしまう。「戦国時代の武将は本陣にデーンと構えて、ひょこひょこと出ることはなかった」という意見もありますが、もし戦国時代にヘリがあったら、絶対に大将は乗って、まず一度全体を俯瞰したと思う。だから、あのヘリ視察を批判する方々は、あの災害の”本当のスケール”とか、現地から官邸への通常の情報ルートが如何に破壊されていたかということの”本当の意味”が、未だに身体感覚としてお分かりいただけていないんだろうな、と思います。
■「報道に歪みが伴うのは普通のこと」
――当時のことを知る一つの手段としてあるのが、政府の「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」(畑村洋太郎委員長)による中間報告です。下村さんは、この委員会からはヒアリングを受けていらっしゃらないですよね?
それがないんですよ。どうしてヒアリングに来なかったんだろうって思います。僕どころか、中間報告までの時点で、菅さんの所にも来ていないし。
――この中間報告書は、ご覧になったんですか?
敢えて、精読はしませんでした。なぜかと言うと、まだ最終報告じゃないからというのももちろんありますが、自分が色々な所からインタビューを受ける時に、極力、他の情報に惑わされない状態でいようと思ったんです。
1周年に向けてメディアの取材もこれから受けるだろうし、民間の事故調からのヒアリングもあるだろうし(そして実際にありました)、そういう時に、純粋に自分が見聞きしたことだけを証言できるようにしておきたい、と。もちろん、これだけ日常の報道に触れてるだけでも、100%の「純粋」状態ではいられる筈ないですけどね。
僕もずっと報道の仕事をしていて、いろんな事件の取材現場で思うけれど、一度に大量の取材者が入ると、取材対象者の人って、何の悪意も無くても、ほかの記者から聞きかじったことを自分の体験に混入させて喋っちゃったりするじゃないですか。だから、「今話した事、本当にあなた自身の体験ですか?」って確かめなければいけないことが結構あって。そういうことで、報道が歪んでくる。
だから、僕は徹底的に「自分が見て、体験したこと」だけを記者にしゃべった上で、「僕は自分の目線からしか証言できないから、『これが真実だ』ではなく、『一匹の蟻がこう言った』と受け止めて。いろんな蟻の目線を総合して、出来上がった報告や記事を、僕は待ち望んでますから」って言うんです。
■民間事故調報告「国としてどうなのかとゾッとした」の本当の意味
――もう一方の民間事故調の報告書についてなんですが、下村さんのツイートを見ると、下村さんの証言が誤解されて伝わっているとあります。「ゾッとした」という部分の解釈が報道などでは、下村さんが証言した意味が「原発のバッテリー手配など、菅首相が細部に口を出しているのを見て一国の首相としてどうなのかと」となっている。一方、下村さんとしては、菅首相にゾッとしたのではなく、「菅首相が細部にまで口を出さざるを得ない状況が国としてどうなのかと。そのような状況にゾッとした」という意味で言ったんだと。どうしてこのようなズレが生まれたのでしょうか?
古今東西、報道に歪みが伴うのは普通のことなので、僕はそんなに驚かなかったですよ。あのツイート以来、「この誤報は、誰が悪いんですか?」って、犯人捜しの問い合わせがずいぶん多く来るんですけれど、報道が歪むのはいつも同じ理由の複合です。
まず第一に、”情報発信者が舌足らずである”こと。一発で、相手に誤解を与えない完璧な説明ができる人はそうはいません。「こういう意味?」と相手に問い返されて、何回か言葉のキャッチボールをしていくうちに、説明が精度を高めていくんです。あのヒアリングの時には、そういうキャッチボールがあまりなかったから、僕の言葉の中に、どちらとも取れるニュアンスが残ってしまった。それを反省して、まずはツイッターで補足説明したんです。
――確認ですけれど、「民間事故調の報告書の書き方自体は、問題にしていない。むしろ、それを伝えた報道に問題がある」ということですか。中間報告書には、下村さんが仰ったことがきちっと書かれているという認識でよろしいんでしょうか?
はい。たしかに、カギカッコの中で紹介されている僕の言葉は、喋った通りです。「国としてどうなのかとゾッとした」と。ただ、”それが引用された前後の文脈”という問題はあります。これが、歪み発生の第2の理由です。民間事故調の報告書では、「総理のマネージメントはどうだったのか」が書かれた章に、僕の証言が置かれています。すると読者は、「国として」どうなのか(菅首相個人ではなく国の体制の問題)だと言ってるのに、「菅は」どうなのか、と頭の中で置き換えてしまう。
もしもこの下村証言が、「当時首相を支えていた体制はどうだったのか」を問うような章にあれば、「国としてどうなのかとゾッとした」の意味は、僕の本意通りに読んでくれる人が大半だったと思います。どこに配置するかは事故調が決めたことですが、そこには悪意はなかったでしょう。けれど、1字1句まで正確でも、情報は置き所によって、違った色に見えてくるんです。
そして3番目の理由が、”キャッチーな言葉にパクっと食いつく”というメディアの習性です。世論誘導の意図とか悪意とかではなく、単に見出しに立てやすいから、「ゾッとした」という5文字にメディアは反応するわけです。それで、ああいう報じ方になる。これは別に、メディアを非難してるんじゃありません。
で、最後に、読者・視聴者が「そうか、菅にゾッとしたのか」と、素直に”報道のトーンを鵜呑み”した。これが第4の理由。こうして、発信者→聴取者→メディア→読者と4回もバイアスがかかって、こういうことになったのだと思います。
こんな風に、当事者のくせに第三者的・評論家的に解説するのは、まるで他人事みたいで、本当はイヤですよ。だけど、何かあるたびにこうやって「犯人捜し」に熱中するこの社会の空気を、もう本当に、一掃したいんです。この世の中は、「あいつが悪い」と単純に絞り込めるほど、単純には出来てない。原発事故も、その一つ。僕の一連のツイートも、「そうか、じゃあ悪いのは菅さんじゃなくて、当時官邸に詰めてた専門家たちだったんだ」と別の悪者を仕立てて欲しいんじゃない。菅さんの問題は問題として、同時にあの専門家達が機能できなかった構造にまで解明を進める為の第一歩として、事実を提示してるんです。
誰かのせいにまとめてしまうのは、なぜいけないか。別に、「その人が気の毒だから」じゃありません。全然違う。「そいつさえ去れば、もう大丈夫」という大いなる誤解を世間がして、真の再発防止から遠のくことが、怖いんです。
松本サリン事件の時が、まさにそうでした。第一通報者の河野義行さんが犯人視され、正義感あふれる世間の人々から糾弾され、他の見方を提示しようとしたごく一部の報道は「なぜ河野をかばうんだ、被害者の気持ちも考えろ」と非難され、かくて真犯人は見逃され、地下鉄サリン事件というもっと大きな第2の惨事を防げなかった・・・。もう、このパターンは繰り返しちゃいけない。第2の原発事故なんて、絶対に阻止しなくちゃいけない。だから僕は、こういう取材にも応じることにしたんです。
■「原発関係者自身が”原発安全神話”を信じ切っていた」
――民間事故調の報告書の中で、「菅首相の強い自己主張は、危機対応において物事を決断し実行するための効果という正の面と、関係者を萎縮させる心理的抑制効果という負の面の両面の影響があった」とあります。これについて、下村さんは「同感だ」とツイートされています。ただ気になったのは、想像するに、総理はあの時にテンションがものすごく高くて怒鳴ったこともあっただろうし、様々いろんなことがあったと思うんですね。その総理ご自身が、怒鳴った後に、その怒鳴られた人を懐柔するのは難しいと思うのです。だから、下村さんのツイートには「リーダーの勤め」とありましたけれど、むしろ周りの方が「総理はああいうこと言うけれど」と、怒鳴られ委縮した人をフォローすることが必要だったと思うのですが・・・。
うーん・・・。僕のツイッターでは、優しくするのが「リーダーの勤め」ってつぶやいた直後に、「ただ俺も出来ない」って書いたんですけど。あれはすごくメッセージを込めたつもりで、つまり「そこまで優しくされないとダメな専門家って、今後どうすりゃいいのよ?」ってことを、本当は僕は言いたかったわけです。
あと、お尋ねの”周りのフォロー”ですけど、実際あの時、周りは一生懸命、なんとかフォローしようとはしてました。つまり、その萎縮してしまっている東電やら原子力保安院やら安全委員会の人たちに対して、もっと優しい言い方で、同じことを質問し直したりとか。僕もしましたよ。でも、やっぱり反応が同じなんです。
――同じとはどういうことでしょうか?
とにかく、思考が固まってしまってて、反応が異様に鈍いんですよ。その時に僕は「この人たちは、試験範囲内の出題なら100点とれるけれど、試験範囲以外の質問が出たら、いきなり0点になっちゃうんだな」と感じ、それこそゾッとしました。この構造を、何とかしなくちゃなりません。
――それはまさに、事故当初に言われていた「想定外だったから」ということなのでしょうか?
「原発安全神話」っていうのは、周辺住民の反対を抑えるための方便として使っていたんじゃなくて、この人たち自身が信じ切っていたんだということが、あの時の機能停止ぶりで本当によく分かりました。
最後は、人間力に頼るしかない。だから、「原子炉のストレステスト」について色々言われてるけど、僕は、原子力に携わる専門家や技術者などの”人間”こそが全員ストレステストを受けるべきだ、と思っています。突然、想定外の難問をぽんと与えて、「今から5分以内にどうしたらいいか答えろ」という、文字通りのストレステスト。これは、NASA(米航空宇宙局)がスペースシャトルの訓練で、実際にやっていたことです。まったく予告なく、乗組員たちに過酷な状況設定を与えて、「これを乗り切れ。そうしないと君たち全員死ぬ」と。こうした訓練を積まないと、またみんな本番で機能停止に陥りますよ。
■官邸内での情報伝達に問題はなかったか
――いわゆる「東電の撤退」についてですが、政府事故調の中間報告では「東京電力の清水正孝社長(当時)の説明が舌足らずのまま伝聞されたために、政府に『全面撤退』と捉えられた」となっています。逆に、民間事故調の北沢宏一委員長は「(全面撤退を検討していたとされる)東電を現場に残留させたことが菅氏の最大の功績」と評価しています。下村さんの目から見て、東電の「全面撤退」は政府の共通認識だったんですか?
官邸側は、確かにそうでした。あの晩のことを振り返ると、やっと1時間くらい仮眠が取れると思って、官邸内の宿直スペースで横になった途端に、電話が鳴って叩き起こされました。「東電が撤退すると言っているから、すぐ来てくれ」って。そこから先は、誰に会って話しても、そう言っていましたからね。
ただ、僕自身は東電の人から、直接はこれについて何も聞いてません。「東電が撤退する」という情報がどう始まり、広がったのかは分かりません。東電側が「撤退するとは言わなかった」と主張するのは、もし彼らが後付けの嘘じゃなくて心からそう思っているんだとしたら、ものすごく”撤退と思われるような”発信の仕方をしたということなのかもしれない。これは僕には分かりません。
真実は分からないけれど、言った・言わないを今さら突き止める犯人捜しには、あまり再発防止上の意味があるとは思えない。どっちにしろ、”これほど重要な事項の情報伝達が上手くいかなかった”ことは事実であって、それを反省して「次の時はどうするの?」ということを話しあうべきです。
■「原発関連の”確実だと分かる情報”が、なかなか来なかった」
――例えば、今まさに問題になっている議事録問題ですが、当時の判断の検証や今後の最善の対応策を検討していく上でも議事録は不可欠だと思うんです。官邸は事故当初時、議事録を作れる状況にはなかったとしても、ICレコーダーなども回していなかったのですか?
これは猛省しなければなりません。お尋ねのICレコーダーについては、まず常識的に言って、普段の打合せなどは回してないです。議事録というのは、正式な会議室で「ここから会議です」って時点から、初めて記録を取り始めるもので、1から10まで議事録を取るってもんではない。
じゃあ、なぜ当時の正式な会議まで議事録がなかったのか。僕はああいう会議体の正式メンバーではないので数回覗いた程度ですが、自分自身の感覚を思い出すと、あの当時、「議事録を取っていない」という認識すらもなかったです。
普段から会議の時に、総理や官房長官がいちいち「これは議事録を取っているよね?」なんて確認作業は行わない。会議があったら、事務方の誰かが議事録を担当しており、メモ用に非公式にICレコーダーも回しているであろうというのは、いわば常識の範疇なので。それが空白になっていたというのは、本当にお恥ずかしい話です。
――官僚との情報伝達が上手くいかなかったっていう指摘についてはいかがでしょうか?
特に「官僚との」という括り方をすることは、ピンと来ません。最初の数日間、情報伝達はどのルートであれ、上手くいっていなかった。総理執務室ではいろんなレベルのミーティングがあるから、その都度、入れる顔ぶれは替わります。時には政治家だけになって官僚が室外に出ることもあったけど、それによって、何か情報の伝達障害が起きたという具体例は、僕の記憶の中にはないです。ただ、繰り返しますが、これは”一匹の蟻”の見た世界ですから、こういう構造的な話は、断言はできません。
何しろ当初、官邸には原発関連の「これは確実だ」と分かる情報が、なかなか来ないんですから。それはもう驚くほど来なかったんです。たとえ来たとしても、それがどこから発信されたのかはっきりしなかったり、こちらが発信したことが届けたい相手に届いているかどうかすらも、よくわからないことが少なからずありました。
■「”間違いを伝えることでパニックになること”を恐れた」
――これまでのお話をうかがうと、現在のプラントの状態にまで、とりあえず持ってきたことが奇跡のような気もします。1年たった今、どういうお気持ちですか?もうダメだと思った瞬間はあったのでしょうか?
ダメだとは思わないけど、ダメになるかもしれないっていう緊張はしょっちゅうありました。だから、僕は頼まれていないけれど、ニュース・アナをしていた頃の習性で、頭の中では、最悪の時の総理会見の原稿をどう作ろうかということも考えていました。
だって、もし仮に状況がエスカレートして東京都民も全員避難とかなったら、「どこにそんなに大勢を受け入れる場所があるの?」「どうやってそんなに大勢が動くの?」「入院中の人たちどうするの?」とか、考えなければいけないことばかりじゃないですか。いわゆる「最悪シナリオ」というペーパーが実在してたことは知りませんでしたが、それでも十分に恐かったです。
――緊急会見時の菅さんも枝野さんも、局面で表情が全然違ったんですよね。「本当に大丈夫かな?」って思ってしまうような表情のときもあった。やっぱり、そういう緊張感があったんですね。
はい。ただ、「本当の事を言ったらパニックが起きると思ったから、政府の広報は言わなかったんだろう」とよく言われるけれど、前段が間違っています。つまり「本当の事を言ったら」という部分です。なぜなら、あの時、官邸は原発の状態について”本当の事”が何なのか、分かっていなかったんです。知ってて隠せるような、コントロールされた状況じゃなかった。それどころか、本日只今をもってしても、まだ炉心を見た人はいないわけですから、その意味ではまだ”本当の事”は誰にも分かっていませんよね。
”本当の事”が分かってたら、ちゃんとお伝えしてましたよ。当時官邸の中で、菅さんも枝野さんも、何度も繰り返し我々に向かって「不都合な話でも、隠さず発表するからな!」と念押ししてました。3月14日の対策本部では、枝野さんが全閣僚に向かって「悪い情報も、正確ならキチッと表に出す方針です」とあらためて明言しました。
翌15日朝、東電に乗り込んだ菅さんは、不明瞭な発言を繰り返す東電幹部たちに対して、「正しい情報を伝える、というのが私たちの基本方針ですから!」と叱咤しました。これら全て、私が直接この耳で聞いてメモした言葉ですから、絶対に間違いありません。
ただ私たちが恐れたのは、「本当の事を伝えてパニックになること」ではなくて、「間違った事を伝えてパニックになること」だったんです。それは決して、やってはいけないことですから。僕は広報担当者として、また最近までジャーナリズムの世界の端くれにいた人間として、徹底的に「これは間違ってはいないか」という疑問をもって、1つ1つの情報を確認しようとしていました。
そして、政府として発表できるに足る確度の情報のあまりの少なさに、茫然としました。とにかく、元のデータがまず分からない。仕方なくデータを仮定しても、それが安全なのか危ないのかという評価が、科学者によってそれぞれ違う。仕方なく最も合意されている科学者たちの解釈に則ろう、と決めても、それに対する国民の受け止め方が、またそれぞれ違う。すべてがグラデーションの中だったんです。
そこに直面して痛切に感じたのは、「まだこんなによく分かっていない技術を、現代社会は使っていたんだな」ということです。それに一番愕然としました。「こんな分からないことだらけの技術を、よくもまぁ実用化に踏み切ったな」と。
■危機のコミュニケーションのあり方
――先日、文部科学省の研究チームが、東京湾北部でマグニチュード7級の地震が発生すれば、東京湾岸の広範囲で、震度7の揺れが予想されるとの研究成果を公表しました。このような大地震が発生すれば、3.11と同様のことが起こる可能性があるわけです。私たちとしては、政府は危機管理がしっかりできているのかと今、不安なんです。先ほど、本当のことが分からなかったという話がありましたけれど。その本当に正しいことが確定するまで時間が掛かる可能性がどうしてもありますよね。そうした場合、あえて、本当のことが分からないけれど可能性として公表する、という選択肢はあるのか。それと今後どうしたら、国民をより守れることができるのか。そういった問題についてはいかがでしょうか?
まさにそれが最大のテーマだと思っています。例えば今回の事故の場合、避難範囲については「ここまでやれば十分だろう」という科学の主流派の考えがまずあって、政策決定としてはその範囲より更に外に線を引いた。そして、科学が判断する避難必要範囲が拡がって来るに連れ、更にそのもっと外に線引きをし直すということを重ねていき、結果として、半径3キロ→10キロ→20キロとだんだん広がっていったわけです。
つまり、政治としては、科学の主流が考える危険範囲の先手先手を打っているつもりだったわけです。既に当時から、ネットメディアなどではもっと広範囲の避難が必要だと唱える一部科学者等の貴重な少数意見も報じ始めていましたが・・・。
やがて、「実はあのときメルトダウンしていたんじゃないか」「同心円じゃダメだったんじゃないか」といった見解が”後から”主流を占めてくる。それが、あたかも”最初から”分かっていた事のように混同され、「実は専門家の主流の見解は初めからこうだったのに、政策はそれを後手後手で追いかけていった」かのような認識にすり替えられてゆく。
だけど、実際はそうではなかったわけですよ。これまた、当時の政権をかばう為に言ってるんじゃありません。このすり替えが恐ろしいのは、前述の犯人探しの弊害と同じで、「今度の政府は、後手後手の菅政権の反省に立って、先手先手を打つことにすれば大丈夫」という誤った、効き目のまったくない”絵に描いた餅”のような再発防止策に落ち着いてしまうことです。
そんな事実経過を見誤った反省では、今回の教訓は何も活かされません。次の原発事故が起きた時の展開を、リアルに想像してみて下さい。その時の政権はきっと、菅政権の反省を踏まえたつもりで、その時の科学者たちの主流が言う「これぐらいでOK」という範囲よりも、更に外側に線引きする安全重視の政策決定をしてゆくでしょう。
ところが、これって、今回菅政権がやった事と、実はまるっきり同じなわけです。つまり、科学の主流の判断が事態の進行に遅れをとってしまえば、それを判断ベースにした政策決定も、結局後追いになってしまう、ということです。
じゃあ、どうすれば良いのか?さっきネットメディアの初動のことをチラッと言いましたけど、例えば「専門家の主流派や国際機関がこう言っている」という中でも、もっと危ないと警告する科学者も初めから点々といるわけですね。裁判所の判決文だったら、そうした裁判官の「少数意見」も併記されますが、総理や官房長官の会見とか政府の発表で、それに類することが出来るか。
先ほど七尾さんが御質問で言われたような、「現在の危険性につき、学説は大体ここからここまであって、政府はその中のここに政策決定の線を引きます。国民の皆さん、あとは自分で判断してください」と言えるかどうか。この1年、僕はずっとそれを考えているのですが、どうやればいいのか、かなり難しいです。
なぜなら、政府がそのように言った瞬間、「ここからここまで」の両端に位置する最も極端な主張にも、一種のお墨付きを与えることになりますから。それで、例えば「80キロメートルでも危ないかも知れない、と政府が言ってたぞ」というような受け止め方をされて、実際にその範囲から続々避難が始まったりしたら、多分もっと大勢の人が現実に亡くなります。
実際に今回も、入院中の避難で命を落とした人が何人もいたわけですから。そして、もっと多くの人が、日常の生活を打ち切られていたでしょう。もちろん、それが放射線被害から身を守る為に本当に必要な事であるのなら、たとえ避難自体がそうした犠牲を伴ってでも、決行せねばならない場合もありましょう。でも、もし結果的にそこまでやる必要のまったくな、大げさな学説だったとしたら?原発事故本体に上塗りしてそんな混乱と不幸を、軽々に政府が国民にもたらしてよいのか?
結局、どういう判断が正解だったのかは、もっと何年も後で、再び科学にジャッジしてもらうしかないのでしょう。その時もまた、疫学的データの解釈を巡って、四分五裂が起きるのかもしれませんが。
データも評価も受け止め方もバラバラの、この大グラデーション状態の中で、今、僕にできることは、これ以上バラバラが拡大して社会の相互不信や政府不信が深刻化しないよう、異なる見解を持つ人同士の間にまずコミュニケーションが成立するようにしていくことだと思ってます。
その為に、いわゆる”御用学者”と指弾されている人達とも、福島のお母さん達とも、話を重ねてゆきます。何しろ、事態はまだ現在進行形ですから。と同時に、1年前のあの体験を渦中でした者として、次の災害が起きた時の情報発信体制について、よりリアルに内閣広報室の仲間達と共に備えを構築していきます。それが発災2年目の、初めの一歩です。
(了)
■下村健一(しもむら・けんいち)
1960年、東京都生まれ。東京大学卒。大学時代に都市型ケーブルテレビ「町田市民テレビ」のスタッフとして開局準備に関わる。大学卒業後はTBSに入社。オウム真理教事件を取材し、1994年には松本サリン事件で当時犯人視されていた河野義行氏の潔白説などを報じた。2010年10月からは、内閣審議官として菅直人首相(当時)の広報を担当。動画サイト「KAN-FULL TV」の制作や、史上初の総理・国民インターネット対話中継などに携わる。東日本大震災では、菅首相の初動に密着したほか、被災地への情報発信で壁新聞からラジオまで様々な試みを重ね、現在に至る。
(聞き手:七尾功、写真:山下真史、書き起こし:松本圭司)
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下村 健一 (著)
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