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大津市の中学生が自殺したことで、ハラスメントの加害者とされる生徒達やその親をターゲットとしたお祭りがメディアを中心に起きた。
おいおいおい。
私は手の甲で扇を描き軽く突っ込んだ。それはイジメの問題じゃないだろうが。少年が自殺をした原因はたった一つ。鬱病である。その鬱病がそもそも起因したのがイジメであり、それが結果的に鬱病の症状を重くして自殺へ駆り立てたのである。悪いのはズバリ鬱(神経症、神経衰弱、ネクラ、ブルー、意志薄弱、水割りをください・・・・同義語満載)なのである。鬱病よ!犯人はお前だ!心しろ!
イジメはどうやったらなくなるか?性悪説で社会が成り立っている欧米人がきいたら笑いだすだろう。人間は競争をする動物であり、押し合いへしあいは、当たり前のものである。問題があるとしたら、どうやったら周囲からの圧力に耐えられないくらいに人間を追い込む鬱病が退治できるか、そこだ。問題はそこなのだ。
鬱についてあるがままの姿を浮き彫りにしてみよう。
いまだに懲りず放送されている「お昼休みはウキキキキ」などとセワシイ猿達が大量に出てくる『笑っていいとも』が当初かかえていたスローガンとはなんと「鬱を追放」だった。これっておかしくないか。鬱だってれっきとした病名であり、環境や遺伝の生んだ本人の望まざるいとましき心身の不全であるのだが、タモリはあたかもそれが一つの悪癖であるかのごとく「追放」だなどとのたまうのだ!!
『障害者のいない理想の社会!さあメクラやビッコを追放しよう』などとは誰もいわない。思ってもいえない。『部落や在日外国人のいない住みよい日本!さあエッタやチョンコを追放しよう』とは誰もいわない。いったら訴訟される。もともと良識の高い日本に、戦後サヨクの言葉狩りや、近年のアメリカ式のポリティカル・コレクトネスなどの影響が及び、簡単に特定の種類の人間を差別・疎外することができないのがいい意味においても悪い意味においても日本の現状のはずなのである。
しかし、鬱に対してはその限りではない。鬱には社会的なプロテクションもなければ、モラルのバリアも施されてはいない。責め放題、蔑み放題、侮り放題、辱め放題なのである。1980年代、国民的TV番組が大手を振って司会のタモリにいわせていたのが「鬱を追放」であったが近年さらに拍車がかかり、よって自殺者3万人。
部落民にも、障害者にも、母子家庭の奴にも、容姿の悪い奴にも、勉強のできない奴にも、運動のできない奴にも、決しておおっぴらに投げかけられることのなくなった差別意識が、鬱に向かっては公然と止まることを知らないのである。
鬱イジメはなくならない。その現実にしっかり目をやれば、自ずと答えはあらわれる。自殺したくなければハラスメントの加害者ではなく、鬱のほうを退治するしかない、ということである。
ここから本題。現行の鬱治療は本当に効くのかを論証する。
『医療』・・・鬱が心の問題とされていたのは昭和の話であり、今では頭の病気なので医者にいけ、というのがむしろ主流である。毎年、無数の健常な人間が鬱で学校・職場その他、社会環境での支障をきたし精神科、そのカモフラージュである心療内科へ通うはめになっている。
そこでは大きく分けて2種類の治療法がある。一つは向精神薬などの投薬により、脳神経を無理に活性化させる方法である。そんなことをすれば薬物依存症や肝機能障害が出るではないか、というのは尤もな意見であるが、医療側の見解とは簡単にいえば「まずは投薬でもって正常な脳神経の流動に近づけていき、その過程で、キャリアや人間関
係の弊害が解消され正常な生活サイクルへと患者を導く。そこまで改善されると今度はより強く固定化された生活の強みで、投薬を軽減、中断することも可能になる」ということで、あくまでキックスタートとしての道具が向精神薬だという解釈であるようだ。解釈というか、そういう前提を持っていないと彼らの投薬行為はただの段階的な殺人でしかない
のだが。
もう一つの治療法とは、問診・カウンセリングを用いるもので言葉を使って患者を刺激しては、停滞したり渋滞した思考や感情の暗部に自然な流動を生み出し、より正常な精神力を開発する、そういったメソッドだ。これはケミカルを使用しないぶんだけ、善良なイメージがあるが決定的な欠格があり、それは鬱を治す効果がない、ということである。カウン
セリングで鬱は治らないのである。カウンセリングのエッセンスを簡単にいうと「意識の方向性をつけること」である。つまり、余計な障害(悩み事)を回避して現実を改善する考えの方向回路をデザインしてはめこむ、ということだ。50代、60代であればそうやって死ぬかボケるまでサバイブすればいいわけだが、もう少し若いとまだ頭の活動は活発なのであり「一つの方向性から別の次元に出てしまえばまた違う障害がでてく」るので同じテンプレートではきかなくなる。結局は認識体そのものを鬱から回復させてやらないと解決にはならないのである。精神科医や心理学者にそれができるかといえば・・・・・現実の世界を見渡しただけでその可能性が無いことが一目瞭然だろう。そんなことを彼らは教育されていないし実習していないし、ましてや自家探求で導き出すことなどできるわけがないのである。心理学・精神分析学の研究でも知られる映画監督の伊丹十三氏が「ジューゾー逝きまっす!」などといいながら投身自殺したことなど鬱治療にアカデミズムが無関係であることを示す象徴的な事件であった。
医療の役割は、今のところ、薬物を投薬することにつきるのだ。キチガイが刃物を振り回して通行人に切りつけることが薬物によって防止できるのなら、そっちが先決だ、とりあえず鬱病の治療はいいから、そっちに税金を投入してくれ・・・というのが我々の本音ではないだろうか。残念なことにキチガイではない鬱気質の多くの人々にとって医療に福音は見出せない。
それどころか、抗鬱剤・向精神薬の投薬は中毒を生み出し、患者の人格を破壊する非道な暴力的処置であることは指摘されている通りである。こんなものは常識の問題として「飲むか!」となるのが正常なのだ。甘い蜜を簡単に飲むように誘導されるような奴が鬱を克服してイジメに立ち向かうことなど到底無理な理屈である。
もっと原理的に・・・ドラッグが鬱を治さないことを、化学の知識など無くても証明できることを以下に示す。鬱のメカニズムは、負けること、である。鬱は敗北の病気なのだ。それは無論、早稲田大学の学生より相愛大学の学生のほうがより鬱だ、などという話でもなければ、横浜ベイスターズや楽天イーグルスを憐れんでやれという話でもない。一つの勝負結果や競争、比較における劣位のことを直接意味するのではない。劣位を元にして奮起すればいいのだが、鬱は劣位を漠然と受け入れその呪縛の中で勝とう、とする意志さえ消失してしまうことなのだ。鬱は敗北の病気という表現が誤解を招くなら、鬱とは負けん気を失う疾患だ、といえば定義が完結する。
生まれたばかりの赤ん坊は、泣かなくてはいけない。泣かない場合どうするか?叩いてもツネっても逆さ吊りにしても泣かさないといけない。心地のよい母体を離れ、現実に投げ出されたという敗北を受け入れさせるためである。そこから抵抗力をつけることで現実の世界に直面しても臆することなく成長することができる。産まれたことを何事もなかったように受け入れるような子供は現実には生きていけない。同じことが母親の元から離れだした子供にも起きる。学校で周囲の圧力に揉まれたときに何事もなかったように圧力に負けてしまうことが鬱の発祥である。イジメは丁度、泣かない赤ん坊をツネることと同様に機能する。ここで怒りを心頭させイジメを跳ね返すだけの気概を持つことができれば鬱は解
消され、正常な意志を育むことができるのだ。
精神科で医者の処方するクスリとは、実にこの怒りのパワー、なめられたままでたまるか!という気概を抑えるものである。ウィキから断片を失敬すると「中枢神経の信号の流れを抑制することによって、興奮を抑制する働きを持つ物質」を体内にぶちこまれるということなのだ。鬱を治すこととは正反対、全く逆効果なのが向精神薬であることは言うまでもないだろう。これだけ簡単な形で、NOがはっきりしているのにかかわらず精神科でクスリ貰うことが便宜としてまかりとおる人間社会。クスリの功罪のうち微々たる功の部分については触れることができないのは、そのあまりに多大な副作用の凄惨さのためである。詐欺師であることを私に暴かれて久しいリチャード・コシミズを認めるところがあるとすれば「精神科、抗鬱剤」を否定しており、自殺を防止するどころか誘導している精神医療に疑問を呈していることだろう。
現行の医療に鬱を治療するノウハウはないということを私が力説するまでもなく、最近他界された弁護士の遠藤誠氏が興味深い発言をしていた。
「私の鬱は東大医学部が治せなかった。それがヨガの座禅で完治したのです。それからワタシャ、仏教一筋ですよ」
この老人の場合は、他の精神疾患によって鬱がわからなくなっただけではないのか、という疑いがあるが、まあ治療法としてクスリでなく「宗教」や「体行」を選んだだけ鬱への勝利者に近くなったのである。
ここから『宗教』
や
『運動』
という項目で、抗鬱啓蒙コラムを書きつづけてもいいのだが、
時間切れなのでここで終わる。どちらも有効ではある。
鬱のメカニズムをもう一度、おさらいすると、これは「負けん気を失う」病なので、闘争心を取り戻すことが治療である。それなしに、いくら生活習慣を変えても、ダイエットをしても、ジムに通っても、深い睡眠をとっても、瞑想をしても、ポジティブ思考を取り入れても、木阿弥になってしまう。
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