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「三島さんは、自衛隊を信頼し、自衛隊に決起を促し、事、志とちがって、死し去ったのだと思っている人が多い。『檄』を一読すれば、なおさらそのように思えるのかも知れない。 しかし、『檄』を拝読すると、そうでないことがわかってくる。
こういう読み方のことを、文楽では“本読み”といっている。本読みというのは、今、演劇の方で信じられているような、単なる脚本の読み合わせではない。 行間に盛られた作者の真意を、その片言隻句のなかから、きわめて合理的、且つ、論理的に、その潜在意識における作家の精神の動きに至るまで、読みつくし、読みとろうとする行為が、文楽用語の“本読み”なのである。
人なみはずれた明敏な洞察力の持ち主が、どうしてまるまる成算のないクーデターなどを思い立つことがあろうか。クーデターの成否は、むつかしい条件がからみあって、その成功不成功の率は五分五分であるにしても、少なくとも五分、あるいはそれに近い成算は、三島さんの胸中にあったものと思う。
三島さんのクーデターが失敗し、なすことなくして死の陥穽へ陥っていったところから、三島さんの行動を、自殺のため劇的な道具立てのように言いなす風潮が言論界に強い。
体制側も、クーデターという形で不信の匕首をつきつけられたことを認めることによって、体制への批判の糸口をさそい出す愚を犯すよりも、むしろ、事件を変形的な自殺行為と印象づけて、片づけてしまうほうが、はるかに好ましいと考え、その方へ、世論を導くように努めたにちがいない。
ちょうど、私の『黒い雪』を、反米から性風俗の問題へと、主題点をすりかえたのど、同じ手口が、ここでも採用されたのである。
三島さんが十一月二十五日を選んだのは、それが臨時国会の開会日であったこと以外に、その理由を求めることはできない。その日を期して、自衛隊を率いて国会を占拠し、機動隊を排除し、総理以下の国会議員を監禁した上、天皇親政を懇請しようというのが、クーデターというものの本筋に徴して、三島さんの計画だったものと推察される。」(武智鉄二『三島由紀夫・死とその歌舞伎観』涛書房より)
あの有名な『檄』には
『もう待てぬ。自ら冒涜するものを待つわけには行かぬ。
しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために死ぬのだ』
と書かれています。
演説でも『最後の三十分に、最後の三十分に待っているんだよ・・・』
これって『何を三十分待つ』という意味だと思いますか?
情報操作によって我々はずっと
『自衛隊が決起するのをあと三十分待つ』
ってそんな風に思わされて来ました。
でも違うんです。
『三十分待って共に起つ』というのは・・・。
『要求書』を”本読み”すると答えが見えてきます。
「午前十一時三十分頃、三島は、総監室前廊下から総監室窓ガラスを破り、窓ごしに三島を説得しようとする吉松陸将補、功力一佐、第三部長川久保一佐らに対し、日本刀を示しながら、『要求書があるから、これをのめば総監の命を助けてやる』といって破れた窓ガラスのところから廊下に要求書を投げた。
総監の監禁を解き、その命を救うのを大前提とし、要求を入れるから総監に乱暴するなと吉松副長は三島に申し入れたところ、三島は「攻撃行動、妨害行動をくわえなければ、総監に危害は加えない、十二時までに隊員を集めろ、もし要求を入れなければ、総監を殺害して自決する」
要求書の内容
一、 午前十一時三十分までに全市ヶ谷駐とん地の自衛官を本館前に集合させよ。
二、 自衛官は三島の演説を清聴せよ。
(イ)檄の散布
(ロ)参加学生の名乗り
(ハ)楯の会の残余会員に対する三島の訓示
三、 本件とは無関係の楯の会会員を市ヶ谷会館に召集させる。
四、 自衛隊はこの間、午後一時十分までの二時間、
一切の攻撃を行わないこと、 当方よりも攻撃しない。
五、 右の条件が順守されて二時間を経過したときは、
総監の身柄は安全に本館正面玄関で引き渡す。
六、 右の条件が守られないとき、あるいはその恐れがあるときは、
三島はただちに総監を殺害して自決する。」
(安藤武『三島由紀夫 日録』未知谷より)
これを武智鉄二のアドヴァイスに従って“本読み”します。
◎『要求書』では自衛隊の決起を促していない。
◎『二時間の間、何事もなく待て』が要求の眼目である。
◎「当方よりも攻撃しない」の『当方』が最大のキーワード。
この『当方』とはどういう当方なのでしょうか。
私の推理では三島由紀夫たちのことではありません。
獲物といっては日本刀と短刀しか持っていない彼らです。
こんな代物でどうして戦闘のプロ集団を攻撃できますか?
恐らく『当方』というのは三島由紀夫が演説している間、
国会クーデターを起こす手筈になっている実働部隊、
及びクーデターの首謀者を演じていた政府首脳でしょう。
三島は縛り上げた益田総監に向かって、
「自衛隊を集めて演説したい。
これから私の言うことを聞いて二時間我慢すれば殺さない」
と言っています。(安藤武『三島由紀夫 日録』より)
二時間のタイムテーブル予定表(推測)
◎午前十一時
天皇臨席のもと第六十五回臨時国会が開会
三島由紀夫たちが市ヶ谷とん地で益田総監に面会
◎ 午前十一時十分
国会でクーデター勃発
◎午前十一時三十分
市ヶ谷で自衛官を集合させ三島が演説
◎午前十一時十分から午後一時十分までの二時間
クーデターが勃発した午前十一時十分から、
完遂させる午後一時十分までの二時間の間、
自衛隊に一切の攻撃を控えさせる。
◎ 戒厳令下の憲法改正
こんな感じの流れでしょうか。
しかしみなさん御存知の通り、
このタイムテーブルは実行されませんでした。
三島は同道した二人の記者に、
「何事もなく終わる場合もある。その時は私は十一時四十分に出てくる」
と前もって話して市ヶ谷会館で「楯の会」会員とともに待機してもらっています。
つまり100%自決する予定ではなかった、事の成否次第だったということです。
だから突入した五人以外に事情を知らせなかったのでしょう。
三島は何事もなく出てくることを願う気持ちがあったと思います。
知り合いにせっせと遺書を書く一方で、生きたいという気持ちと葛藤していた。
「限りある命なら永遠に生きたい」というメモを残し、
複数の知り合いに蹶起を予告する手紙を書いています。
誰かがストップをかけることを待っていたけど誰も止めなかった。
だから自衛隊と共に最後の30分を待っていた。
私はそれが偽らざる三島だと思います。
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