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(回答先: MRHjhAy8fE(1Evh94mSaY)さんへ:尖閣諸島に対する日本の先占正当性問題について 投稿者 あっしら 日時 2013 年 6 月 20 日 01:30:05)
yUf4L2lkVoさん、レスポンスありがとうございます。
何度か書いてきましたが、私は、日中両国政府はすでに水面下で落とし所をみつけて合意に達していると思っています。
それでもなおあれこれ書いているのは、「従軍慰安婦」問題と同じで、何かをきっかけとして波風が起き嵐になるが、裏での政治工作や時間の経過で収まり、また何年かすると同じ嵐がまたやってくるという繰り返しがイヤだからです。
尖閣諸島領有権問題も、できるだけ早く、両国政府が、言葉なり文書なりでどう処理するかはっきり示し、異論の国民もいるだろうがそれを知っている状況をつくるべきだと考えています。
恐縮ですが、私には、yUf4L2lkVoさんの論で日中が向かい合っても、尖閣諸島問題は解決しないだろうと思います。
貴殿のような考え方を、人々が持つべき歴史観・価値観・思想として広めていくことに異議はあると思っていますが、そのような考え方が現実の国家間の係争を解決に向かわせる基礎になることはないと思っています。
貴殿の「「カイロ宣言」・「ポツダム宣言」を読んでみればいい。 それでなくとも、その大部分を占める、主要な被害者である中国を抜きにした取り決めは、それ自体砂上の楼閣であり、壮大な虚構と言うしかない」という歴史観を否定しませんが、敗戦国日本は、いくつかある選択肢のなかで、かたちだけであってもいちばんはやく“独立”できる道を選んだのであり、砂上の楼閣や壮大な虚構を作り上げたのは、連合国内部の問題であり責任であると言うほかありません。
「「サンフランシスコ講和条約」で露呈した「日本を組み敷き、中国を蔑ろにする」姿勢そのものの中にー開始された冷戦の論理である以上にー延命した帝国主義=列強(白人支配)の思想を私などは見出す」というお考えにも共感します。
それでも、中国には負けたという思いはないなか、侵略者として反省がないと言われようとも、当時の政治的支配層や国民のある割り合いが、こてんぱんにやっつけられ占領もされている米国に楯突いても日本の将来はないと、判断したとしてもやむを得ないと思っています。
何より、戦後68年、サ条約発効からでも61年、“虚構”であれ“砂上の楼閣”であれ、それらを契機としてつくられ紡ぎ上げられてきた戦後世界史をひっくり返そうというのは愚かな考えだと思います。
幕末期からのことをあれこれ書かれていますが、そのあたりも含め簡単に思うところを書きます。
台湾出兵、江華島事件そして琉球処分と明治維新後の日本政府がとった軍事的拡張政策は、当然のように清との軋轢が予想されるものばかりです。
右派的な言い方をすれば、明治維新政府は、前近代東アジアを覆っていた“中華冊封秩序”を打破することを企図していたと言えます。富国強兵という政策目標はそれを的にしたものと言ってもいいでしょう。
日本政府は、長い歴史のなかで培われてきた中華帝国への畏怖とアヘン戦争で敗れた清という奇妙で不安定な対中認識のなか、あるときはおそるおそる、あるときは勇猛果敢に、清の勢力下にあった周辺地域に手出しを始めました。
英国だから勝てたが、我が日本が清と戦って勝てるという確信は日清戦争でもそれほどなかったはずです。
だからこそ、そこは清の領域かどうか、ここに手を出すと清がどう反応するかなど様子をうかがいながら、あちらこちらに軍事的進出を図ったのです。
貴殿が経緯を指摘されている「明治18年の井上外務卿や西村沖縄県令の「標杭敷設」への疑義であり、延期要請」・「清国から(清国領として)抗議される恐れがあるから見合わせるべき」・「10年間も「標杭敷設の閣議決定」が延期された」なども、この時機に清との争いは避けたいという思いの反映です。
1895年の尖閣諸島領有化は、日清戦争に踏み切ったことで、いまさら“遠慮”や“ためらい”はいらないとなったわけです。
林子平の「三国通覧図説」に、中国や琉球の書物から得られた知識をベースに、尖閣諸島を清国領とみなす色分けがすてあったからといって、日本領や琉球領ではなかったことを現すとしても、それが万国公法(近代国際法)的意味での領有権を示しているとは言えません。
前回も書きましたが、「「閣議決定」のみで、後はウヤムヤにされていたとなれば、「台湾領有」でその問題は片が付いたと日本は見做したと考えるしか無いのですよ! 言うまでも無く、この事が「火事場泥棒的に盗取した」と中国側が非難する理由です 」も、ご指摘の通りですが、だからと言っても、尖閣諸島が万国公法的意味で清の領土であったとは言えません。日本領になったのですから、清が気づいた時点で、火事場泥棒的に盗取されたこの時点から清が主権を及ぼしていたというクレームが必要なのです。
(1985年3月)発行の地図で云々というのは、巧妙に(火事場泥棒的に)日本領にした経緯ですから、尖閣諸島が日本領として掲載されていなくて当然だと思いますよ。
「貴方は完全に思い違いをしておりますが、日本が「尖閣列島は下関条約の該当地域ではない」としたのが昭和46年(1971)11月12日の国会答弁からであり、現在の立場(先占による獲得)を公的に表明したのは昭和47年(1972)3月8日の外務省の記者会見からです」というのも、波風立てず巧妙に領有化したというだけで、清(中華民国・中華人民共和国)の尖閣諸島に対する先占を意味するわけでありません。
下関条約には台湾付属島嶼のリストアップはないのですから、清が尖閣諸島の日本編入に疑義を有するのなら、どういう経緯で日本領になったのか外交的に確認すべきだったのです。
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