http://www.asyura2.com/12/asia14/msg/615.html
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※ 参照投稿
「血の粛清後に待つ2つのシナリオ:金正恩の「後見人」張成沢の処刑は権力闘争の結果か、金体制の強さの表れか」
http://www.asyura2.com/12/asia14/msg/614.html
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金正恩、自ら廷臣を政変に駆り立てかねない[ロシアの声]
アンドレイ ラニコフ 17.12.2013, 15:10
先週の北朝鮮は政治センセーション続きだった。張成沢(チャンソンテク)前国防副委員長が解任され、裁判、処刑が行われたことは、ピョンヤンの政治ゲームのルールが急変していることを物語っている。ここでは50年代末から守られてきた、つまり今の正恩氏の祖父にあたる金日成時代から守られてきた政治ゲーム上の大きな2つの規則が破られている。金日成氏は政治全体を自分の手中に収めてきた人物だった。最初の、非公開のルールとは、最高幹部の指導者らが弾圧を受けた場合、それは公開的な性格を持たない。指導者の不満を買った役人らはただ姿を消すというものだ。もうひとつのルールは、失脚した役人は普通処刑されず、流刑に処せられる。役人には命だけでなく、時間が経過すれば指導部の地位に返り咲く可能性も残される。
これはもしかしたら、60年代、最高役人の大多数が元パルチザンであり、金日成氏とともに満州で抗日戦を戦った戦友だったことと関係があるかもしれない。金日成氏は自分の元戦友を肉体的に亡き者にしてしまうことには、ある種のモラル上の禁則を感じていた。パルチザンは流刑されるか、監獄に入れられることはあっても、処刑されるというのは非常に稀なケースだった。時間とともにこの伝統はすべての大きな役人らに普及していった。
金日成、金正日時代、北朝鮮の最高レベルの役人は、仮に自分の頭上に暗雲が立ち込める事態になっても、完全に絶望することはないと知っていた。最悪の場合、職を追われ、数週間、数ヶ月、侮辱的な自己批判を我慢し、その後流刑を味わうか、どこぞの村か炭鉱で働かされることになるだろうとわかっていた。閣僚や中央委員会書記にはこうした将来性は好ましくはないが、真剣に抵抗を考え、外国へ逃亡し、密約を組織せざるを得ないほど、切迫した事態ではなかったのだ。逆に、罪を追求された役人または将軍は大人しく自分の罪を認め、修正を約束し、流刑地でしっかり働いたものだった。こうした場合、許される可能性はかなり大きかった。このようなソフトな処罰は国内政治の安定を保証するために大きな貢献を成したのだった。
だが現在、新指導部のもとでこうした規則が変化したことは明らかだ。すでに2012年の始めから、ピョンヤンでは国家の高官や軍事指導部の役人が銃殺刑に処せられたという噂が流れていた。張成沢氏の逮捕、処刑のあと、噂の信憑性はかなり高まったように思える。
金正恩氏がすえた目標のひとつは、政権の安定性の強化なのではないだろうか。だが、実践では正恩氏の採る見せしめの措置は全く逆の結果を生みかねない。閣僚や将軍らは、権力がなくなれば、自分たちにとっては、それは死を意味することを理解するようになるだろう。こうした状況は、ついこないだまでありえないと思われたような行動に彼らを駆り立てるかもしれない。たとえば、予審判事による捏造ではなく、本物の反政府クーデターを企てることだって、ありうるのだ。
http://japanese.ruvr.ru/2013_12_17/126049264/
- 北朝鮮は「文化大革命」でも「フルシチョフの雪解け」にもならない あっしら 2013/12/19 03:03:34
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