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株式日記と経済展望
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映画『聯合艦隊司令長官山本五十六』は、時代考証がデタラメであり、
海軍善玉論は陸軍に戦争責任を押し付けた作家や評論家の作り話だ。
2012年2月8日 水曜日
開戦当時、白い二本線の入った第一種艦内帽を被っているが、
当時はまだ士官、下士官、兵を区別する線は存在していない。
この映画の時代考証のデタラメさが海軍善玉論を広めている。
◆(読者の声2)映画『聯合艦隊司令長官山本五十六』を観て 2月8日 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
http://melma.com/backnumber_45206_5486214/
先週末出張先で少し時間があったので、上記映画を観た。以下その感想である。
率直な感想として、従来の多くの同種の映画と同様海軍善玉論、米内光政、山本五十六、井上成美の海軍トリオ賛美論に立脚していて正直つまらない筋書きであった。半藤一利の監修だからむべなるかな。これまでに大河内伝次郎、佐分利信、藤田進、三船敏郎、山村聡といったスター俳優が山本五十六を演じてきたが、役所広司の山本五十六はまあまあの出来。柳葉敏郎扮する井上成美はよく雰囲気が出ていたが、日独伊三国同盟に反対したことばかり強調してすこし美化しすぎ。
私の岳父は井上中将が大東亜戦緒戦で司令長官をつとめた第四艦隊の水雷戦隊(駆逐艦部隊)で戦ったが、ウェーキ島攻略戦や珊瑚海海戦で見せた井上長官の拙劣な指揮を痛烈に批判していた。井上成美提督は軍政家や教育家としては一流だっただろうが、指揮官としては全く駄目だった。
命を預ける部下将兵から見て指揮官が戦上手かどうか大問題である。
またこの映画では山本五十六の愛人であった河合千代子の存在がすっかり無視されている。映画では山本五十六が恩賜の銀時計を原田美枝子扮する妻に与える場面があるが、事実は河合千代子に与えたのである。別に愛人がいたからとて本人の価値が落ちるわけでもなし。またそこに山本五十六の人間性が感じられると思うのだが。
あと映画ではおかしな場面が沢山あった。日本の戦争映画は年々ひどくなってきているとの思いである。たとえば距離を言うのに「○○海里」という台詞がありますが、あれは昔も今も「海里」ではなくて「マイル」である。
ミッドウエー海戦で、南雲長官が魚雷への換装を命令する場面があるが、事実はミッドウェー攻撃部隊を出した後残りの飛行機には次に予想される米空母攻撃用に対艦徹甲爆弾と魚雷が搭載されていたのだが、「第二次攻撃の要あり」との第一次攻撃隊からの意見具申電に陸用爆弾に換装し、そこで「敵機動部隊発見」の報で再度換装を図って貴重な時間を失い大惨敗を招いた。
しかしこれは南雲中将の判断ではなく源田實航空参謀の意見具申によるもので、ミッドウェー敗北の最大の原因は源田参謀の判断ミスであった。因みに南雲機動部隊は当時別名「源田艦隊」とさえ揶揄されていた。映画ではここがすっかり抜け落ちている。あと時代考証の間違いだが、真珠湾攻撃のときの「赤城」艦橋における南雲司令部の幕僚達が白い二本線の入った第一種艦内帽を被っているが、当時はまだ士官、下士官、兵を区別する線は存在せず、昭和17年春以降に線入りの艦内帽が制定されたのである。この点はかつての東宝映画「ハワイ・マレー沖海戦」(昭和17年)や「太平洋の嵐」(昭和35年)の描写が正確である。
空母「飛龍」が沈むとき、阿部寛扮する山口多門二航戦司令官が艦と運命をともにする感動的な場面があるが、実際には「飛龍」艦長の加来止男大佐も一緒に運命をともにしている。加来艦長のご遺族が映画を観たらどう思われるだろうか。かなりいい加減な筋書き設定と感じた。
また終戦の玉音放送の場面だが、霞ヶ関の海軍省や江田島の海軍兵学校で将兵が純白の第二種軍装姿で整列していたが、当時は皆第三種軍装(褐青色、開襟ネクタイ着用)を着用していた。その他おかしな描写が多く目についたが、以下省略する。
戦後多くの作家、評論家が山本五十六を美化する作品を書いてきたが、そろそろもっと客観的な評価をすべきときではないか。
そうでないと歴史の本当の総括がなされぬまま、後世の人間は謝った歴史観を抱いてしまう。ちなみに小生は山本五十六をそれほど評価しない。ミッドウェーの敗北やその後のソロモン大消耗戦で航空兵力をすり潰した責任は山本にあると考える。
(武蔵国杉並住人)
(宮崎正弘のコメント)当該映画を見ておりませんので、なんとも言えませんが、あの「正真正銘のバカ」の半藤一利が原作ですから、出来映えもさもありなん。
ちなみにご投稿を掲載前に若手の軍事評論家三氏に見て貰って意見を聞いたところ、次の回答がありました。
甲氏曰く。
「ご指摘のすべてについて同意です。終戦時、陸軍は3長官が会同して「今次敗戦の責任は陸軍が負おう」と合意したので陸軍は一切言い訳をしなかったのに対し、海軍は戦後「今次大戦、我が海軍はアメリカに負けてよかった、陸軍に負けなくてよかった」と放言したと伝わっています。また、阿川弘之らが礼賛論をまくしたててため海軍善玉、陸軍悪玉が定着したようです。歴史は真実を伝えなければなりません。私たちの世代で是正する義務があると思います」。
乙氏曰く。
「東京裁判をアメリカはニュルンベルク裁判のドサ回り公演と位置づけ、ドイツのナチスに相当するのは、陸軍だと決めたそうですね。陸軍悪玉論は、ここでも、でっち上げられたのです。ちなみに海軍軍令部の生き残り参謀たちも、山本を全く高く評価していません。ある参謀は不道徳なギャンブラーと評していました」。
丙氏曰く。
「我が国では、あまり知られていませんが、そもそもヒトラーが三国同盟で何を日本に期待したかというと、日本の海軍にアメリカを牽制して貰い、戦争に参戦して来ないようにすることでした。それが、真珠湾によって、アメリカに戦争に参戦する口実を与え、正反対の結果になってしまいました。三国同盟はお互い参戦義務はないのに、義理固いヒトラーは参戦に踏切ました。ヒトラーにとって、独ソ戦に参加しない時点で日本を利用するメリットは全く無くなったのです。しかし、ヒトラーは彼の政治的遺書にもある通り、最期まで、日本を高く評価しています。人種論で日本を馬鹿にしていたというのは、イギリス諜報部の日独離間謀略であって、最たるはヒトラーがシンガポール陥落時にドイツ軍を差し向け救出したいと言ったというデマです」。
(私のコメント)
「株式日記」では海軍こそ本当の悪玉だと書き続けていますが、映画の『聯合艦隊司令長官山本五十六』は相変わらずの海軍善玉論で見る気がしない。そもそもなぜ大東亜戦争で敗戦に至ったのかの検証も十分ではなく、十分な資料公開もされていない。だから史実の状況判断から分析しなければなりませんが、作家などの歴史家で無い人の小説が歴史書のようになってしまっているから誤解を招くのだ。
映画はそれよりもひどいものであり、時代考証もデタラメなものが多い。映画の最後にこれはノンフィクションですと断ってあればいいのですが気がつかない。私は米内光政こそスパイとして怪しい存在と見ていますが、東京裁判でも日中戦争を拡大させたA級戦犯として起訴されてもおかしくないのに起訴されていない。
史実として確かに日独伊三国同盟には反対しましたが、だからといって反戦平和論者であった証拠は無い。むしろ米内は上海事変を拡大させた張本人だし、山本は真珠湾を先制攻撃してアメリカを戦争の巻き込んだ。この二つがなければ戦争の流れもかなり変わっていたはずだ。しかしこのようなことになぜ至ったのかの検証が進まない。
「株式日記」戦略的な見地から大東亜戦争の記事も書いてきましたが、最終的に一番責任があるのは戦争を煽ったマスコミに一番責任がある。しかしGHQは朝日や毎日や読売といったマスコミの戦争責任を問わなかったのは、マスコミを戦後統治に利用する為に責任を問わない代わりにアメリカ占領統治に協力させることで密約を結んだのだ。読売の正力はCIAのコードネームまである。
◆三村文男(著)『米内光政と山本五十六は愚将だった』近衛、広田、杉山は死刑で、米内が無罪はおかしい。 2005年4月29日 株式日記
http://www.asyura.com/0502/bd39/msg/495.html
蒋介石の国民軍は、ドイツ軍事顧問団ファルケンハウゼン中将の指揮の下に、交通不便な華北決戦を避け、重要な上海地区に全力を注いでこれを要塞化し、日本軍を邀撃しようという計画であった。後になってわかった事だが、上海を避ける石原戦略は、その裏をかいていたのだった。海軍の米内戦略を採用した日本首脳部は、敵が全力を傾注し、万全を期して待機した地点に、正面から攻撃を強行することになった。果たせるかな、予想せぬ犠牲の続出で、攻撃は失敗した。
◆山本五十六とは、決して戦場には出撃しない、現場指揮はとらない、安全圏にいて自分の命を惜しむ、史上最低の高級軍人だった。 2008年12月13日 株式日記
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/9dc61647065a9a12f649571611e3ab50
山本五十六とは、決して戦場には出撃しない、現場指揮はとらない、安全圏にいて自分の命を惜しむ、"卑怯"の二文字を絵に描いた、史上最低の高級軍人だった。連合艦隊司令長官でありながら、空母六隻を出撃させながら、パール・ハーバー奇襲の指揮を執らず、部下の南雲忠一・中将にそれをさせて、自分は瀬戸内海に浮かぶ「戦艦ホテル」で優雅な日々を過ごしていた。
◆『日本は勝てる戦争になぜ負けたのか 』 新野哲也(著) 真珠湾攻撃について、永野とルーズベルトのあいだに、密約があった? 2007年8月13日 株式日記
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/38e0cbfb6224a8c9c77880eff395a08d
当時、海軍内には、対米非戦派を中心に、山本五十六を海軍大臣に立てて、日米たたかわずの姿勢をはっきりとうちだすべき、という空気がつよかった。このとき、米内が、とつぜん「陸軍や右翼に狙われているので、海上勤務にする」と、山本を連合艦隊司令長官に任命、旗艦長門に送りこみ、真珠湾攻撃のプランを練らせる。
軍人である艦隊司令長官に、日米開戦の責任をおしつけるのは、筋違いである。真珠湾攻撃は、責任者が永野で、実行者が山本、陰であやつったのが、米内だった。戦後、GHQの協力者となった米内光政を、平和主義者として立てる論調が、とくに、親米保守派や文壇の大御所周辺でつよくなったため、そのことを、だれもいわなくなっただけの話である。
◆佐藤晃著 『太平洋に消えた勝機』 東京裁判のA級戦犯で帝国海軍の軍人がいないのは米国に内通していたのだろう 2005年9月21日 株式日記
http://www.asyura2.com/0505/bd41/msg/260.html
通商破壊戦にまったく無頓着な日本海軍も、輸送動脈としてのインド洋の重要性にはさすがに気づいていた。日本軍はマレー半島の西岸ペナン基地に10数隻の潜水艦を配して通商破壊戦に従事させたが、ガダルカナル戦でこれを引揚げてしまう。
一方、インド洋の独英通商破壊戦はまさに死闘であった。アフリカ東海岸を北上するイギリス大輸送船団に、ドイツがUボートをはじめシャルンホルスト級高速戦艦(28センチ主砲)を繰り出せば、イギリスは鈍足ながら38センチ主砲の戦艦で応じるという、凄まじい戦いが展開されていた。
この状況で、ドイツとイタリアが日本に有力艦隊の派遣を熱望し、わが国がそれに応じようとしたのは至極当然である。帝国海軍空前の有力艦隊による通商破壌戦が、インド洋で展開していたらどうなっていたであろうか?
7月11日、軍令部総長・永野修身は「作戦正面のインド洋転換」を上奏した。
◆帝国海軍こそが日本を敗戦に追い込んだ「A級戦犯」である。マリアナを要塞化する石原莞爾の防衛構想を無視した海軍 2006年8月8日 株式日記
http://asyura2.com/0601/bd45/msg/393.html
1944年(昭和19年)5月から6月にかけて展開された太平洋方面の戦闘を回顧すると、無念さよりも情けなさが先立つ。あの戦闘は、国防を任務とする軍人のやったものとはとても思えない。米国の対日作戦も、ここまで補給線が伸びきれば、なんとか手の打ちようもあろうというものである。
石原莞爾(1889〜1949)がつとに言っていたように、マリアナの防衛構想は、あの島々を堅固な要塞にし、長々と曳く敵の後方隘路に攻撃を加えるべきであった。くり返すが、それは戦前から決められた戦略構想である。
サイパンを例に取れば、あの島の大部分は海抜数百メートルのタポッチョ山を中心とする山岳地帯である。その島に、艦砲射撃空爆の効果を無にする地下陣地をつくり、弾薬・食糧・を溜め込んでおけば、半年や1年はもつ。平坦な硫黄島でも敵に多大な損害を与えながら1ヵ月以上ももった。
そして、後方破壊の通商破壊戦、すなわち遊撃戦を展開すべきである。潜水艦はもちろん、空母も太平洋全域に散って遊撃戦を戦うべきである。
マリアナの防衛陣地が数カ月も抵抗し、その「後方補給線」が脅かされたら、いかに第5艦隊の空母機動部隊が精強でも奔命にll疲れざるを得ないであろう。無期隈に戦闘などできるものではない。
◆GHQの老獪さはマスコミを戦犯から除外したことである。戦前・戦中、わが国を戦争に駆り立てた最大の集団は、軍部などではなくマスコミであった。 2010年4月25日 株式日記
http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/573.html
GHQの老獪さはマスコミを戦犯から除外したことである。戦前・戦中、わが国を戦争に駆り立てた最大の集団は、いわゆる軍部などではなくマスコミであった。満州事変[注2]も、支那事変[注3]も、軍部の独走とはいささかの乖離を覚える。満州事変も支那事変もわが軍は国民の熱烈な歓呼と声援を背に戦っている。その背後と基盤には、全マスコミの一致した煽動があった。大東亜戦争もそうであった。すなわち、マスコミこそA級戦犯の最たる存在であった。GHQはそのマスコミに免罪符を与えておのれの頤使(いし)にこき使ったのである。
わがマスコミは、この命令に忠実に、というより当のGHQが驚くほどその期待以上に犬馬の労を惜しまなかった。NHKの如きは「真相はこうだ」という捏造物語を長期にわたって放送し続けている。この「戦争贖罪周知徹底計画」がわが国に強制した史観を「東京裁判史観」と言う。
わが国が東京裁判史観という「歴史の自縛」に甘んじている間に、奇妙な現象がわが国に蔓延した。いわゆる「海軍善玉論」である。
陸軍を諸悪の根源と決めつけた「戦争贖罪周知徹底計画」に日本全部が締めつけられている間に、反省心も廉恥心もない元海軍軍人達がマスコミと共謀して創作した産物、それが「海軍善玉論」と見てよいであろう。
そもそも軍隊の目的は戦闘である。戦闘に勝利することである。だが3年8カ月にわたって戦われたあの戦争において、海軍が勝利した戦闘はおろかまともに戦った戦闘すら探し難い。要するに太平洋方面の海軍の戦闘は、目を覆わしめる惨敗の連続である。
わが国は大東亜戦争において、約300万の尊い人命を失った。戦後60年、わが国があの悲惨な戦争を想起するたびに取り上げられるのがこの300万人の犠牲である。その原因のほとんどは海軍の拙劣な戦闘によるものであるが、あの軍隊とも思えぬほど無能であった異常体質の海軍の検証はほとんど行われていない。
そして「海軍善玉論」なるものが大手を振ってのし歩くという奇妙な現象が今なお続いている。新聞が、ラジオが、TVが、もろもろの出版物が、特に惨敗を演じた当の海軍の提督や参謀達自身の手になる出版物が、海軍の善謀敢闘物語を捏造してきた。その捏造物語のなかに共通する重大な欠陥がある。
戦争物語をつくるのに「作戦」なるものをまったく念頭に置いてないのである。まるで化学関係図書を書くのに分子構造を無視したようなものである。
◆米内光政は親米ではなく親ソ派だったから日独伊三国同盟に反対したのであり、日本海軍はスターリンの意のままに南進策をとったのだ。 2008年12月6日株式日記
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八月十五日、米内大臣は、長谷川清(第三艦隊司令長官)に、長崎県大村と台湾から、海軍機(九六式陸上攻撃機、中攻)などの渡洋爆撃を命じた。台北からの「中攻」十四機は、南昌の飛行場を空爆した。大村からの「中攻」二〇機は、南京の敵飛行場を爆撃し、四機が撃墜され、六機が要修理機となった(注4)。「中攻」に関しては、渡洋爆撃の実験を兼ねていた。この爆撃は、スペインのゲルニカに対するヒットラーの無差別爆撃(四月二十六日)の直後であったため、国際的には"負のイメージ"「日本はヒツトラーのドイツと同じ」を決定的にした。
八月十四日の閣議で、米内大臣は「南京占領」を口にした。これが閣僚で最初の「南京占領」発言である。このとき、外務大臣も陸軍大臣も、これに反対した。
このように南京占領にいたる上海戦を推進した筆頭が米内光政であった。しかも米内は、渡洋爆撃に興奮したのか、総理でもないのに八月十五日午後七時半、「頑迷不戻な支那軍を鷹懲する」と、支那への宣戦布告と見做しうるラジオ演説までした(注5)。
上記の米内の行動は、張治中と打ち合わせをしながらやっているのでないかと錯覚されるほど、八月九日から十五日に至る一週間、張と米内は呼吸が一つになっていた。両名に対しソ連(スターリン)が背後で命令しないで、これほどの一体化は偶然だけで可能だろうか。
(私のコメント)
これ以外にもいろいろと大東亜戦争を検証した記事は沢山あるのですが、菅がレバ考えるほど日本帝国海軍の不可解な行動はあるのですが、親米派の文化人や小説家たちは海軍善玉論を書き続けるので、映画などでもそれが反映されて山本五十六が反戦平和を願った軍人として描かれてしまうのだろう。しかし実態は米内とともにアメリカやソ連のスパイに操られていた可能性が高い。
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