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(回答先: 沖縄返還40年 海兵隊を問う 第1部 B/さまよう“敵”探し(しんぶん赤旗) 投稿者 gataro 日時 2012 年 1 月 11 日 20:12:21)
沖縄返還40年 海兵隊を問う 第1部 C/トモダチ作戦の真相
「しんぶん赤旗」 2012.01.06 日刊紙
「大島での作戦は海兵隊にとって理想的だった」。在日米海兵隊墓地外交政策部のエルドリッジ次長はこう振り返ります。
存在理由なし
2011年3月11日の東日本大震災発生後、在日米軍はただちに被災者救援の「トモダチ作戦」を発動。その中でも、「日米同盟の象徴」とされたのが、沖縄の第31海兵遠征隊(31MEU)による大畠(宮城県気仙沼市)への上陸作戦でした。
本土との橋はなく、港も破壊されて孤立していた大島。エルドリッジ氏は語ります。
「海兵隊は、水陸両用作戦で海岸に接近する能力を持っている。ハイチも地震で海岸線のインフラが破壊されたが、海兵隊は海岸から重機や物資を運んだ。大島も似た状況だった」
11年4月1日、強襲揚陸艦エセックスのハッチから汎用揚陸艇(LCU)で大島に上陸した31MEUは、重機やトラックを続々と持ち込んでがれきの撤去を行いました。
海兵隊は近年、イラク・アフガニスタンでの先制攻撃戦争で最前線に立つと同時に、04年12月のインドネシア・スマトラ島沖地震などの救援活動を重視してきました。
このなかで海兵隊は徹底して、水陸両用作戦にこだわりました。毎年、米議会に提出している「米海兵隊 概念と計画」2011年版では、「1990年以降、104回の水陸両用作戦を行ってきた」と強調しています。
しかし、そのほとんどは救援・人道支援です。逆にいえば、海兵隊の存在理由ともいえる、戦闘での強襲揚陸作戦を遂行する場がなかった、といえます。
過剰な気遣い
「今回のオペレーションの中でも、31MEUの運用については最も頭を悩ませた」「統合幕僚監部からも『日米同盟に関わる重要なオペレーションなので、一刻も早く内容を決めて依頼せよ』と言われ、随分と焦った」
現地で米軍との調整にあたった陸上自衛隊の廣恵次郎・西部方面通信群長は、こう証言しています。(『中央公論』11年9月号)
東日本大震災当時、31MEUは演習のため、マレーシアにいました。3月18日、ようやく強襲揚陸艦隊が秋田県沖に到着。しかし、海兵隊の支援メニューが決まらず、大島の作戦が決まったのは、3月末でした。
海兵隊の使い方を誤れば、沖縄での駐留に傷がつきかねません。前出の自衛隊幹部の発言からは、過剰な気遣いが感じられます。
結果として、孤立した島への上陸作戦という、最高の“見せ場”の提供に成功しました。しかし、震災発生から実際の対応までかかった時間は3週間近く。海兵隊が誇る「即応性」に疑問符がつきます。少なくとも、今回の経緯から、海兵隊が沖縄に駐留していることの“利点”を見いだすことはできません。
(つづく)
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