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試驗投稿
http://www.asyura2.com/11/test22/msg/914.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 8 月 11 日 21:57:04: yX4.ILg8Nhnko
 

(回答先: 試驗投稿 投稿者 不動明 日時 2011 年 8 月 11 日 15:36:03)

 
 
 
 
 b道祭祀の様式は物部が天皇に授けた。
 大陸と半島の國際情勢の不穏な状況から
天皇の要請に據り、物部・蘇我兩豪族共互ひの利害を乘り越え、國内を
統一して政に當たる事に據つて、此の國難を乘り切る事に同意した。
 然し唐と中大兄皇子(天智天皇)、中臣鎌足(百濟王子豊璋)の計略に
據つて乙巳の變から白村江の戰い、そして敗戰、唐傀儡政權樹立。
壬申の亂を經て藤原不比等の時代に大和政權乘つ取りの邪魔者である
蘇我氏と物部氏を抹殺し、此處に大和政權乘つ取りを達成した。
 其の物部が天皇に授けたb道祭祀の様式を藤原氏は中臣b道と云ふ
インキチb道で破壞した。
 零落した蘇我氏と物部氏の末裔達は、大和政權にまつろわぬ鬼・天狗・
物の怪となり、山岳脩驗道となつて山々に散つていつた。
 正統なる血筋にして正統なる靈統である鬼・天狗・物の怪達。

 我れ蘇れり 磐戸開きの世に

 平成(イワト)の世に御世出づる。
 出雲、物部、蘇我は蘇る。
 
 
 
 
 
 
 
 
誠に遺憾乍ら、此れから更に、多くの人が死ぬだらう
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/442.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 7 月 01 日 22:41:40: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
1999年7の月ハルマゲドン≠ニいうのがー。三次元の世界では、たいしたことがなかったんですが、霊界ではあったんです。
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/650.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2009 年 12 月 27 日 01:59:04: xsXux3woMgsl6

聯中が幣立b宮に來てゐたらしい
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/571.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 12 月 13 日 00:26:25: Gsx84HOp6wiqQ

宗教と科學、東洋と西洋は最終的には融合しなければ成らない
http://www.asyura2.com/08/bd52/msg/642.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 4 月 22 日 22:56:16: Gsx84HOp6wiqQ

「21世紀の世界は日本のキツズ(new breed)が變革してゐくだらう」
http://www.asyura2.com/08/bd53/msg/405.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 6 月 29 日 19:00:16: Gsx84HOp6wiqQ
 
 
 
 
もののけと物部
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/713.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 1 月 12 日 00:44:31: Gsx84HOp6wiqQ

「鶴と龜が統べつた」 ― 物部と出雲と越の國
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/161.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 01 日 22:12:25: Gsx84HOp6wiqQ

石上b宮(物部b宮)が放火された
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/390.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 3 月 14 日 01:08:57: Gsx84HOp6wiqQ

鶴と龜、五芒星と六芒星、物部と出雲
http://www.asyura2.com/09/bd56/msg/305.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 5 月 24 日 16:30:36: Gsx84HOp6wiqQ
 
 
 
NHK朝の聯續テレビ小説「瞳」から「だんだん」へ
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/303.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 10 月 06 日 22:16:29: Gsx84HOp6wiqQ

二月二十二日に二十二歳の雙子の茉奈・佳奈が出雲大社(縁結びのb)のb前で
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/298.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 23 日 23:55:15: Gsx84HOp6wiqQ

次のNHK朝の聯續テレビ小説は「つばさ」ださうだ
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/460.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 3 月 29 日 00:45:07: Gsx84HOp6wiqQ

いらつしやいませ出雲さん NHK朝の聯續テレビ小説は「ウエルかめ」だ
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/474.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 10 月 22 日 22:42:26: Gsx84HOp6wiqQ
 
 
 
八月二十三日日曜日 日の宮幣立b宮の五色b祭が日の曜日に執り行はれた
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/293.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 9 月 05 日 00:36:01: Gsx84HOp6wiqQ

ホピ族も「丸に違ひ鷹の羽の家紋」が大切な紋だと云ふ
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/356.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 10 月 21 日 22:10:54: Gsx84HOp6wiqQ

籠b社(眞名井b社)參拜記 間にあつたかな
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/792.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 3 月 01 日 22:16:49: xsXux3woMgsl6
 
 
 
東北新幹線全線開業  まつろわぬ者共、蝦夷(エミシ)達が動き出す
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/157.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 12 月 10 日 21:57:38: yX4.ILg8Nhnko

ヤツター!! 御隱れになつてゐた尊いお魚「國鱒」が見つかつた バンザーイ!! バンザーイ!! バンザーイ!!
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/178.html
投稿者 不動明 日時 2010 年 12 月 16 日 23:47:10: yX4.ILg8Nhnko

諏訪で「太陽柱」が出現、光のタワーが上空に
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/352.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 19 日 15:35:30: yX4.ILg8Nhnko

世相は厳しい結果 諏訪大社下社春宮で「筒粥神事」
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/353.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 19 日 15:37:49: yX4.ILg8Nhnko

三六九 新年早々出雲大社のお膝元松江に於いて今後の日本の型が示された
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/237.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 1 月 04 日 04:25:35: yX4.ILg8Nhnko

JAL:赤いツルのロゴマーク「鶴丸」 尾翼に復活 - 毎日jp(毎日新聞)
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/367.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 28 日 23:42:34: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
護衞艦「くらま」衝突炎上と鞍馬の火祭り サナート・クマラさん、御降臨あそばされましたね
http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/495.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 10 月 29 日 23:46:01: Gsx84HOp6wiqQ

羽黒山參詣記
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/345.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 10 月 18 日 23:52:48: Gsx84HOp6wiqQ

出羽の國のなぞ
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/648.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 12 月 29 日 16:33:38: Gsx84HOp6wiqQ

映畫「おくりびと」がアカデミー賞を受賞した 羽が出づる地、天翔ける狗の聖地、出羽の國
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/312.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 26 日 23:35:47: Gsx84HOp6wiqQ

クムランの人々はどこかに落ちのびて其の傳統を守り續けてゐますよ。彼等は此の世の終りの戰いには、必ず現れて何かをする筈です
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/158.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 4 月 30 日 01:04:18: xsXux3woMgsl6

7月23日はスマイル・メツセージの日
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/281.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 6 月 03 日 00:21:53: xsXux3woMgsl6 

7月23日から8月23日は「犬の日」
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/469.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 8 月 01 日 19:20:37: xsXux3woMgsl6

狗を以つて、狗を解き 狗を以つて、狗を征す
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/429.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 7 月 23 日 00:28:24: xsXux3woMgsl6

其の不思議なる御手には 他界の太陽シリアスの 下し賜える御力の 光の棒ぞ燃え盛る
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/306.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 6 月 16 日 23:24:36: xsXux3woMgsl6

鞍馬寺 ウエサク祭の謎解き 此處でも出て來るb戸
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/314.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 6 月 18 日 22:04:43: xsXux3woMgsl6
 
 
 
其れがHAARPのせいであらうが天體のせいであらうが、各地で災害が發生し、結果として其れは起こる
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/267.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 30 日 02:57:43: xsXux3woMgsl6

あくま(惡魔)で肉喰(にくじき)慘業(さんぎやう)を止めぬなら、天の磐戸開きの型として、日向の國を滅ぼすまで
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/472.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 01 日 23:22:29: yX4.ILg8Nhnko

b國日本に盜り憑いた百濟勢力藤原家と云ふ病原菌を自ら驅除しなければ、最惡のシナリオが發動する事に成る
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/362.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 27 日 02:03:15: yX4.ILg8Nhnko

b國日本の腐敗の元兇の綜本山春日大社が必死にお祓ひ
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/528.html
投稿者 不動明 日時 2011 年 4 月 25 日 18:37:32: yX4.ILg8Nhnko
 
 
 
 
 
 
 
 
はじめに

 歴史に関心がない方ならば、「物部氏」と聞いても、
「蘇我氏と仏教導入をめぐって争った一族のこと?」
 としか、興味を示されないかもしれない。
 だが極論すれば、物部一族の正体を明かすことは、古代史の多くの謎を解き明かす
ことに通じている。それほど、重要な一族なのである。
 だいたい、『日本書紀』には、
「物部氏は天皇家よりも先にヤマトに舞い降り、ヤマトを統治していた」
 と記されているのだ。天皇家以前のヤマトの王家が物部氏の一族なのであり、彼ら
の存在を無視して、古代史を語ることは不可能なのである。
 けれども、天皇家同様、物部氏の正体が杳(よう)としてつかめない。原因ははっきりとし
ている。『日本書紀』が物部氏の正体を抹殺してしまったからだ。
 八世紀に編纂(へんさん)された正史『日本書紀』は歴史を改鼠(かいざん)し、真実を隠蔽(いんぺい)するために記さ
れた。
 そう断言してしまうのは、これが「正史」の本質だからである。歴史の勝者が自ら
の正当性、正統性を証明するために記すのが「正史」にほかならない。
 したがってわれわれは、八世紀の朝廷がどのような秘密を握っていて、どのような
史実を隠匿(いんとく)してしまったのかを追い求めていかなければならない。
『日本書紀』編纂の最大の目的はなんだったのか。それは、『日本書紀』編纂直前、
古代最大の豪族が没落していることと無関係ではない。それが、今回お話しする物部
氏なのである。
 和銅三年(七一〇)三月十日、平城京遷都(せんと)に際し、石上(いそのかみ)(物部)麻呂は、藤原京の
留守役に任命され、旧都に残された。問題は、石上麻呂がこのとき、下級役人ではな
かったことだ。それどころかこの人物は左大臣であり、現代風にいえば、総理大臣な
のである。
 一国の宰相でありながら、旧都の留守役を天皇から命じられたのは、平城京遷都そ
のものが、静かなクーデターだったことを意味する。もちろん、石上=物部潰しの陰
謀にほかならない。仕掛けたのは、当時急速に力をつけつつあった藤原不比等であろ
う。
 これ以降、二度と物部氏は朝堂のトップに躍り出るようなことはなかった。『日本
書紀』が書かれたのは、石上麻呂が藤原京に取り残されてから十年後のことであり、
このタイミングから考えて、古代最大の豪族物部氏の活躍と素性が、すっかり抹殺さ
れてしまった疑いは強い。『日本書紀』編纂の目的のひとつが、物部氏の正体を抹殺
することでもあったろう。
 それでは、物部氏の歴史の、何が、どのように湮滅(いんめつ)されてしまったというのだろう。
 筆者はかつて、物部氏を「出雲」という視点から見つめてきた。それは、出雲神と
物部氏との間に、かすかなつながりを見出してきたからである。
 しかしここにきて、物部氏は、
「出雲は出雲でも出雲ではないのではあるまいか」
 と思うようになってきた。出雲神話の「出雲」は、旧国名の「出雲」を指している
のではなく、もっと広い地域の話をひとつにまとめたのであって、「物部」は、「神話
の世界では出雲であったとしても、実際の地図の出雲ではない地域」からやってきた
一族ではないかと思えてきた。それが具体的にどこかといえば、吉備(きび)である。
 これまで筆者は、あえて「吉備」に関して沈黙を守ってきた。ヤマトの三世紀の纏
向(まきむく)遺跡の発掘が進み、ヤマト建国に果たした吉備の重要性がはつきりしてきたとはい
え、それでは吉備の正体を言い当てられるかというと、自信はなかったのだ。ただ漠
然と、
「ひょっとして吉備の正体は物部ではないのか」
 と勘ぐってきたのである。だから、「吉備」について、多くを語らずにしまってお
いたのだ。
 だが今回、物部氏の正体を追い、ついに吉備と物部のつながりを確信したのである。
 では、なぜ『日本書紀』は、物部氏と吉備の関係を抹殺してしまったのだろう。
 もちろんそれは、物部氏の正体がばれてしまっては、せっかく『日本書紀』の構築
した「虚構」が、すべて台無しになってしまうからだろう。
 謎に満ちた物部氏の正体を、いよいよ明らかにするときが来たのである。
 
 
 
 
おわりに

 今回、物部を書くにあたり、急遼、かねてより気になっていた「八尾と物部の考古
学」を現地で取材した。
 いよいよ「明日八尾へ」という晩、大阪福島の割烹(かっぽう)「きむら」で、筆者は案内をお
願いした西森忠幸氏と重岡清氏、それに、旧友田中和寛君を招き、ささやかな前夜祭
を開いた。
「どこを案内すればよいのか」
 というただ一点に、案内役のお二人は盛り上がり、考古学に対する情熱と饒舌(じょうぜつ)に、
こちらはただただ圧倒されるばかりだった。
「物部と八尾が、大好きでたまらない」
 という熱気が、まさにオーラのようにめらめらとあたりに立ちこめていたのだ。
「八尾自慢になるかもしれませんが、たっぷりご案内させてもらいますわ」
 という、頼もしいお言葉。
 当日の取材旅行は、『歴史街道』編集長・辰本清隆氏も加わり、賑やかな道中にな
った。
 おかげで、密度の濃い、そして、有益な情報をいくつも得ることができた。
 なかでも印象に残ったのは、松岳山(まつおかやま)古墳だった。
 石棺の両側に屹立(きつりつ)する不思議な石の板も謎めくが、それよりも何よりも「大和川が
眼下に見下ろせる」こと、ちょうど、ヤマトから河内に降りてきた場所に、まるで関
所を設けるかのように、五世紀に巨大な前方後円墳が造営されていたことが大切なの
だ。
 ここに眠る首長は、恐らく物部系の誰かだろう。問題は「立地」である。
 流通の要衝の展望のきく高台に墓を造る例は、いくつも報告されていて、古代の首
長層の「癖」だったようなところがある。新潟の弥彦山の山頂の天香語山命(あまのかぐやまのみこと)の墓や、
丹後半島の網野銚子山(ちょうしやま)古墳(京都府京丹後市網野町の前方後円墳)に登ってみたこと
があるが、日本海を一望のもとに見渡せるその視界の広さに、圧倒された。
 だから、松岳山古墳に立ったとき、「物部の思惑」が垣間見えたような気がしたの
である。物部はなぜ河内に陣取ったのか……、それは、物部はヤマトを河内からコン
トロールしていたということであろう。
 この古墳の位置どりから、物部氏のしたたかさを実感し、また、現地に足を延ばさ
ないとわからないことはいっぱいあると痛感した次第である。
 なお、今回の文庫化にあたっては、新潮社常務取締役・松田宏氏、新潮文庫編集
部・内田諭氏、東京書籍の寺嶋誠氏、アイブックコミュニケーションズの的場康樹氏、
歴史作家の梅澤恵美子氏のご尽力を賜りました。あらためてお礼申し上げます。

                                             合掌
 
 
 
 
文庫版あとがき

 幕末の長州藩は関門海峡の一番狭い場所に、砲台を築き、「攘夷(じょうい)」を決行している。
元治元年(一八六四)八月のことだ。
 狙いは良かった。川のような幅の海峡だから、狙い澄まして打ち込めば、当時最先
端の欧米の軍艦でも、相当な被害をこうむったにちがいない。だが、長州藩と異国船
の備える火器の性能差が何をもたらすのか、攘夷派の志士たちは、その意味に、早く
気付くべきであった。
 イギリス、フランス、オランダの連合艦隊は、長州藩の揃(そろ)えた大砲の射程距離を嘲
笑(あざわら)うかのように、遠方から雨あられと砲弾を打ち込んできた。当然のことながら、こ
れでは勝負にならない。けりはあっけなく付いた。長州藩の挑んだ攘夷戦は、大敗北
に終わったのである(馬関戦争)。
 余談ながら、大東亜戦争に際し、すでに時代遅れになっていた巨大戦艦に日本がこ
だわり続けたのは、ひょっとすると、馬関戦争のトラウマだったのではないかと思え
る節がある。
 射程の長い方が圧倒的に有利であることを痛いほど思い知らされた「攘夷派」たち
は、巨艦、巨砲に固執し、幻想を抱き続け、航空戦の時代に突入していたことに、気
付くことができなかったのではあるまいか。航空機の優位性を説き続けたのが、かつ
て薩長軍に抵抗した旧長岡藩出身の山本五十六だったところに、話の妙がある。
 それはともかく、馬関戦争ののち講和条約が結ばれたが、よく知られるように、奇
兵隊の高杉晋作は「攘夷を唱えたのは徳川幕府」と開き直り、賠償を免れた。また、
イギリスの提督が、彦島(ひこしま)の租借(そしゃく)を持ちかけてきたのも有名な話だが、ことの重大性に
気付いていた人物は、少なかった。
 下関の西南の一角に、小川のような海峡を挟んで、小さな島がある。これが彦島
で、このイギリス側の要求を毅然と拒絶したのも、高杉晋作である。
 もし仮に彦島が香港のように九十九年間、イギリスの領土になっていたら、日本の
発展はかなり制約されたものになっていただろう。
 彦島に巨大な軍事基地と近代要塞が構築されてしまえば、日本の流通はイギリスに
牛耳られたようなものだ。日本の水運の要衝である関門海峡は、水道でいえば蛇口で
あり、彦島はまさに、蛇口のパッキンの役目を負っている。
 軍事戦略という視点でも、彦島は重要な意味を持っていた。日本海と瀬戸内海を分
断されてしまえば、日本海軍の戦闘力は、半減する。もし幕末、彦島の租借が押し切
られていれば、昭和十六年(一九四一)十二月八日、真珠湾攻撃と同時に彦島の争奪
戦が展開されただろう。すると、チャーチルご自慢の戦艦・プリンスオブウェールズ
は、関門海峡で撃沈されていたかもしれない(実際には、真珠湾攻撃の二日後、マレ
ー沖海戦で、日本の海軍航空隊によって撃沈されている)。
 日本の急所が関門海峡であることを一瞬で見抜いたアングロサクソンの戦略眼には、
舌を巻く。そして、同じように、彦島の重要性を認識し、これを手放すまいと体をは
った高杉晋作も、やはり、一級の人物である。
 高杉晋作は最晩年「死んだら、赤間ヶ関の鬼になる」と言い放ったというが、古代
から「赤間」を牛耳ってきたのが、「鬼=モノ」の物部氏であった。長州藩の築いた
砲台の周辺は物部氏が握っていたし、その対岸には和布刈(めかり)神社が鎮座し、物部系豪
族・赤間氏が祀っていたのである。
 ようするに、物部氏はすでに千数百年前に「日本を支配するにはここをおさえれば
よい」と気づき、十九世紀になって、アングロサクソンが物部氏の慧眼(けいがん)にお墨付きを
与えた、ということでしかない。
 壇ノ浦の合戦で源義経に敗れた平家が、九州に逃れるという選択肢を捨て、この
地で滅んだのは、海を支配することで繁栄を築いた彼らが、関門海峡を失うことの意
味を、十分知っていたからだろう。
 ちなみに、佐々木小次郎と宮本武蔵が決戦に挑んだのも、彦島にほど近い巌流島だ
が、こちらは天下云々とはまったく関係がない。あしからず。
 なお、新潮文庫編集部の内田諭氏、新潮社校閲部の森本章子氏には、『藤原氏の正
体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』三冊の編集・校閲に御尽力いただきました。心
からお礼申し上げます。

   二〇一〇年三月
                                            関 裕二
 
 
 
 
 
 
 
 
物部氏の正体 (新潮文庫)
関 裕二 (著)
http://www.amazon.co.jp/物部氏の正体-新潮文庫-関-裕二/dp/4101364737/ref=pd_sim_b_2
 
 
内容(「BOOK」データベースより)

仏教導入を巡る蘇我氏との対立で知られる物部氏。古代史を代表する大豪族でありながら、正史から抹殺され、その全貌は多くの謎に包まれている。天皇家の神事と奇妙な接点を持ち、『日本書記』で「天皇家より先にヤマトを統治していた」と記される彼らは何ものか。出雲、吉備、出自に迫る論考は、やがてヤマト建国の真相へと辿り着く。既存の歴史を根底から覆す三部作、堂々の完結編。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

関 裕二
1959(昭和34)年、千葉県柏市生れ。歴史作家。仏教美術に魅了されて奈良に通いつめ、独学で古代史を学ぶ。1991(平成3)年に『聖徳太子は蘇我入鹿である』でデビュー。以後精力的に執筆活動を続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
第一章 ヤマトの神にもっとも近い物部氏

仏教を拒絶した物部氏
なぜ天皇ではなく物部氏が神道に固執したのか
天皇家よりも先にヤマトに舞い降りた物部氏
身内を殺して神武に恭順した饒速日命
特別な存在物部がなぜ石見に逼塞したのか
天皇家は物部氏の祭祀を踏襲している?
なぜ元明女帝は物部を恐れたのか
蛇(出雲)とつながる物部
崇る神を招き寄せる物部氏
天皇家と物部氏の不思議な関係
天皇は物部の祭祀形態を継承することを条件にヤマト入りした?
物部こそヤマトの神にもっとも近い一族?
 
 
第二章 物部氏はどこからやってきたのか

物部氏の謎
二人の初代王の謎
纏向遺跡からわかってきたこと
ヤマト建国の考古学とぴったり重なる『日本書紀』の記述
物部氏はどこからやってきたのか
物部東遷説と邪馬台国東遷説
太田亮氏の物部東遷説
瀬戸内海を牛耳っていた物郡氏
物部氏は稲作をヤマトにもたらした?
物部王国こそ邪馬台国?
ありえない物部・葛城王朝の相剋
物部は邪馬台国の敵?
流動化する国際情勢と邪馬台国の東遷
物部=北部九州を覆した出雲説
出雲の国譲りと天孫降臨のいきさつ
なぜ朝廷は自ら作り上げた亡霊を恐れたのか
出雲がそこにあったことを訴える巨大木柱
なぜ『日本書紀』はヤマト建国史を出雲と南部九州に狭めてしまったのか
吉備はどこに消えたのか
 
 
第三章 物部と吉備の謎

なぜ物部は敵に塩を送り続けたのか
石見の物部神社の謎
出雲いじめの尖兵となった物部氏
物部は出雲であって出雲ではない
出雲にひとくくりにされたヤマト建国の要素
吉備はなぜよくわからないのか
物部と吉備にやられる出雲
本当の吉備の豪族の系譜とは?
ヤマト建国の考古学
弥生時代後期の山陰地方にあふれ出した鉄
なぜ北部九州が栄えたのか
吉備が発展する条件
特殊器台形土器の特殊な歴史
ヤマト建国の中心に立っていた吉備
ヤマトと北部九州の複雑な関係
物部氏の正体を明かすための天孫降臨と邪馬台国
北部九州は一枚岩だったのか
大分県日田市が投げかける波紋
北部九州沿岸地帯にとってのネック
 
 
第四章 「物部は吉備である」を探る

なぜ『日本書紀』は物部を天神といったのか
吉備といえば桃太郎
桃太郎のモデルになった吉備津彦
吉備は出雲を恐れていた?
吉備は出雲に進出していた
吉備の石上の謎
物部氏と中臣氏の関係と吉備のつながり
河内に陣取った物部と中臣
河内王朝の出現は王朝交替か
河内王朝論の登場
河内王朝論の主張
物部が日本海を邪魔にしたわけ
ヤマトの王は国の中心に立っていない?
河内に残された吉備の痕跡
松岳山古墳の奇妙なオブジェ
五世紀末にパイオニアが西からやってきたという話
物部氏は五世紀末にヤマトに現れた?
五世紀の吉備氏反乱伝承
吉備の反乱伝承に隠された葛城と吉備のつながり
吉備の前方後円墳の歴史
吉備の反乱の裏事情
ヤマトが吉備を潰すことは物理的に不可能
 
 
第五章 物部の秘密・蘇我の秘密

ヤマト建国時の物部の不審な行動
ヤマト建国の仕掛け人は誰か
神功皇后と邪馬台国の台与
ヤマト建国をめぐる歴史のねじれ
ヤマト王家誕生の真実の歴史
蘇我氏が物部氏を収奪していたとする説
蘇我を糾弾しない物部という謎
蛇と犬が仲良く死んだという暗号
物部氏の目指したもの
 
 
 
 
 

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