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(回答先: Re: てすと 投稿者 陣中見舞い 日時 2011 年 5 月 12 日 00:20:34)
「せまる闇」
あ、ここまでや、『うちはいいから』。
あとは頼んだで。
あんたら、生きぃ。
ありがと、早よ、早く、行きぃ。
頼む、生きてよぉ。
頼みます。
生きてください。
大事に生かしてください。
この刹那、
黒い大波せまるこの刹那。
初めて気がつきました。
皆みな同じや、
生きることの大事に、何ひとつ違いは無いよと。
あれやこれやの、人の一生。
てんてんバラバラに見ていました。
ひとり気張って来たつもりでした。
ごめんなさい、ちょいと勘違いでした。
お願い、生きてよぉ。
お願いします。
生きてください。
大事に生かしてください。
この刹那、
黒い大波せまるこの刹那。
やっと気がつきました。
この枯れ尾花、
今のいままで、大事に生かされてたよと。
頼む、生きてよぉ。
頼みます。
生きてください。
大事に生かしてください。
お願い、生きてよぉ。
お願いします。
生きてください。
大事に生かしてください。
「瞬きの一刻、闇のあと」
濁流とぐろ巻く泥しぶき。
渦と瓦礫に、はらり花一輪。
波間で踊る花は観じました。
黒の闇の向こうに、
まばゆく微笑む、お日様の白。
闇の黒も、お日様の白も、血の赤も、
時までもが融けあった世界。
あぁ、何もかもが報われました。
身も心も、あんたもあたしも、
暖かく包む、透明な温もり。
嗚呼・・・!
きっと彼岸で息吹かせます。
此岸の命。
きっと蒼い胸に咲かせます。
蓮の花。
※今回の大震災時での、ある実話に胸が張り裂ける思いがしました。
その凜とした生き方と死に方を前に、己のいずまいを正さずにはおれませんでした。
生きることは覚悟なのだと、改めて教わりました。
本当に、ありがとうございます。
被災で命を落とされた、全ての方々のご冥福を。(合掌)
新井英一の、名はブルース・心は演歌・の、この曲を平野愛智の「ROLLS of one week」にかぶせて、今生のドラマを終えられて黄泉に旅立たれた方々に捧げると共に、一篇の詩もどきをつつ゛らせて頂きました。
ROLLS TOHOKU〜平野愛智 / 生きている内に 生かされている内に〜新井英一
以下「ROLLS of one week」からの転載
ROLLS TOHOKU 3/31-4/3
http://www.rolls7.com/
これは3/31〜4/3の被災者の目線の被災地の記録です。
私は、被災地、宮城県石巻市周辺の避難所の方々に写ルンですを配りました。
「みなさんの目で見るもの、見えるもの、撮りたいもの、記憶したいもの、記録したいもの、隣にいる人、大切な人、伝えたいことを自由に撮ってください。
そして、少しでもいいので楽しんでください。」
A4の用紙にその他注意点を幾つか添えてお渡ししました。
私が足を運んだ場所、石巻市の南浜町、渡波、南三陸町周辺では、見渡す限り瓦礫やグシャッと潰れた車の山で、本当に信じられない状態でした。
また被災者の方からは考えられない話、奇跡的な津波からの回避、多くの方から話を聞かせて頂きました。
私が思うに、避難所に居る人たちは皆、奇跡的に助かったのだろうと思います。
場所によってはライフラインが今だ回復せず、復旧のめども立たないところもありました。
車を失い、あってもガソリンが手に入らない。
また、水産業が盛んな町で漁師さんたちは船も失い、漁港も市場も壊滅。
養殖も壊滅。港の復興に1〜2年かかると言ってました。
また追い打ちのように福島原発における汚水の問題ものしかかるでしょう。
私が体感した限り、メディアは正確に伝えられてないし、眼に見えるものや、生活においてもスケールが違い過ぎておそらく伝えきれないだろうし、私においても自分が感じたものを撮りきれた気がしませんでした。
当然のことなんでしょう。
それだけの惨事なのです。
被災者の方々は3/11を境にすべてを失い、極限の状態で避難所に身を寄せ、その中で結束し、譲り合い、支え合いながら生活をしています。
離れた東京で暮らす私たちよりよっぽどお互いを想い、支え合ってます。その中で「この現実をもっとちゃんと伝えて欲しい。」
と言う声を頂いたり、その想いでこの企画自体に参加してくれた方も多数いました。
ここでの多くの写真はきっとどのメディアより、正確に被災地の想いや、現実を伝える物だと信じてます。現地は復旧・復興に向けて動いてる中、この未曾有の大震災を各メディアが取り上げてますが、世の中に次々と発生する事件などで恐らく時間とともに情報が風化してしまうでしょう。
復興までには、私たちが思うよりずっと永い時間がかかるはずです。
ここでの写真をみて現地に対して何かしたいと思う方がいましたら、是非行動してください。自分の信じられる方法、信じられる機構を利用して、どうか被災地により多く、より永く支援を届けてください。
少しでも長くの間、少しでも多くの人に現状のそのままの記録を伝え続けることが出来るものになれればと考えてます。
また、大量の写ルンですを提供してくれた「ROLLS of one week vol.1」の参加メンバーに感謝します。
※参加してくれた方々から、ネットや展示等での公開の許可を頂いてます。
平野愛智
※「ROLLS of one week」今では写真はデジタル主流になり、間違いや失敗を簡単に消去できてしまいますが、あえてアナログであり、大きく技術に差のでない「写ルンです」を使って、時系列上の連続であるフィルムと言う一本の記録を、複数の参加者が一定期間の間に撮った写真を使い、一同に展示するという企画。
転載ここまで
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「絆」
今こそ、70億になんなんとする人の量の膨大な経験と感性は、
今、地と海と空の怒りと悲しみを、歓びに昇華せしむる起点と同期したように想います。
それぞれの生の、量から質への転換は、
知だけの凡庸な科学者が、言うに及ばず。
ましてや、知も血も無き為政者が思う枠の外。
不可視の檻を突き抜ける為の答えは、この者たちの論外にアリ。
人ならず者達のこさえた論の、遥か彼方にアリ。
未来は、われら市井の民の手中にアリ、と言ったら笑われるでしょうか。
明と無明とを遮るのは血でなく、血を濁らせる「我」が因であるに違いない。
知に日を加えて智にするのは、血を識る民の業だと思います。
いや、倒錯を糺します。
逆です。
誰が、智慧(一体不可分の行為)を智(考え抜く事実)と慧(体験し抜く事実)に分離し、
何が、累々の思索の集積と累々の体験の集積を迷信と、サイエンスの根拠無し、と切って捨てたのか。
?
そのサイエンスなる神の前で、民は思索さえも止めた。
教わった事を、オウム返しにする事を学と言います、ここに問いは無い。
知と日の分離完成!
体験はマネーの為の手段に貶められ、労役と命名された。
その神なるマネーの前で、体験の意味は換骨奪胎された。
慧の概念抹消!
経済繁栄の為に、人が汗と涙と血を流す事を余儀なくされてるとの批判がありますが、
事態はもっと深刻です。
人は労役の外で、純粋に汗をかいて、涙流して、出血する為に、企業の商品を買っているのです。
その為だけに、体験から歓びを搔爬された労役に服する。
歓びを剥ぎ取られてぽっかり空いた傷口を、手にいれた癒しという商品で埋める為に。
この歌の歌詞にもある、「犠牲」、サクリファイスの正体とは、一体何者でしょうか。
どこから来た概念でしょうか。
己の汗と涙と血を御膳に捧げる事によって、反対給付を受け取るシステムの事でしょうか。
「我」の充足という幻の反対給付を。
?
この汗とこの涙、それにこの血は、別バラ。
あっちは手段で、こっちは本心から。
手段の分は勤め先に納品し、
さ、本心の分は、どこ買いに行こか?
これぞ、リアルお笑いの世界!
吉本新喜劇より、よっぽどリアルや。
ああ、嬉々として奴隷に向かうシステムを拡大再生産する教育に万歳!
「悲」と「怒」の感情を、劣情と切って捨てるポジティブシンキングに万歳!
サイエンス万歳!
マネー万歳!
・・・・・・・やりなおせるに決まってる。
『生きている内に』
『生かされてる内に』
この今生でトコトン命を燃やすのみ。
それが「月を指す指」と、揶揄されようとも。
生きて生ききり、生かして生かしきり、生かされて生かされきる、他に何がある。
その行為だけが、執着を切る結果を呼ぶ。
目的でも手段でもない・・・ただの結果。
「悲」と「怒」は、その道程への機縁。
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- Re: てすと 陣中見舞い 2011/5/13 22:47:37 (10)
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