http://www.asyura2.com/11/senkyo123/msg/908.html
Tweet |
(回答先: 朝日新聞の偽造した「慰安婦問題」 投稿者 真相の道 日時 2011 年 12 月 18 日 11:33:21)
投稿内容の中で、朝日新聞が謝罪記事を掲載した旨の記載がありますが、実際には謝罪記事はなく、これは根拠となったリンク先の記事がエイプリルフールのジョーク記事だった可能性が高いため、謝罪記事の部分だけを撤回します。
ですが、朝日新聞が慰安婦問題で捏造報道をしたこと自体は下記の通り事実です。
つまり池田信夫のブログにある「朝日新聞の植村隆記者が「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」という誤報を流した」という事実です。
真実は下記にある通り、『本人が話すとおり、「キーセン(妓生)」として売られたのであって、「女子挺身隊」として日本官憲の強制力で連行されたのではなかったのです。』
朝日の上記の捏造記事がきっかけとなって河野談話が生じたわけで、朝日新聞が慰安婦問題で捏造したことは事実なのです。
『1991(平成3)年8月11日付け朝日新聞は、「ソウル10日発植村隆」として、「 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」 の見出しのもと、次のようにつたえました。
〈 日中戦争や第2次大戦の際、「女子挺身隊」 の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、16団体約30万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は10日、女性の話を録音したテープを 朝日新聞社に公開した 。・・・〉
この女性は中国東北部(旧満州)生まれ、17歳のとき2〜300人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れていかれ、毎日3、4人の相手をさせらたといいます。数ヵ月後に逃げることができ、戦後はソウルに落ちついたということです。
この女性は朝日報道3日目の8月14日、はじめて金 学順 という実名を出してソウルでの記者会見を行いました。そのときの発言を、8月15日付け「ハンギョレ新聞」が次のようにつたえています(西岡力、「文藝春秋」1992年4月号)。
〈 生活が苦しくなった<母親によって14歳のとき平壌にあるキーセンの検番に売られていった 。3年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れられていった所が、北中国の日本軍300名余りがいる部隊の前だった 〉
本人が話すとおり、「キーセン(妓生)」として売られたのであって、「女子挺身隊」として日本官憲の強制力で連行されたのではなかったのです。また、「女子挺身隊」というのは、終戦も近い1944(昭和19)年8月の「女子挺身勤労令」により、勤労奉仕として工場など働いたもので慰安婦とはなんの関係もありません。
ですが、韓国では「従軍慰安婦=女子挺身隊(員)」と決めつけていて、子どもまでも女子挺身隊として動員された、つまり日本軍兵士の慰みものとして強制連行されたとマスコミがあおり、一層、非難に油を注いでいるのです。
「従軍慰安婦=女子挺身隊(員)」説の出所については、次項をお読みください。
こういう事実関係があるにもかかわらず、植村 隆記者は「女子挺身隊の名で連行された」と書き、「慰安婦強制連行」を強く示唆したのです。誤まりはだれにでもあるもので、訂正さえすれば問題視するにはあたらないでしょう。しかし、この場合、植村記者はキーセンとして売られたことを故意に隠して記事にした疑いが残るのです。
というのも、植村記者がこの事実を知らなかったとは考えにくく、その後、長文の署名記事を書きながらこの事実をやはりつたえていないなどからです。』
(http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/ianfu/ianfu-asahi.html)
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK123掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。