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株式日記と経済展望
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私が民主党の政治家にいちばん欠けていると感じるのは、「仮説」を立てる
能力である。どこを変えればよいのか、道筋と順番をつけられる力のことだ。
2011年6月18日 土曜日
◆性急な政治主導が招いた官僚たちの士気喪失/古賀茂明(経済産業省大臣官房付) 6月13日 Voice
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110613-00000001-voice-pol
◇互いに不信感を募らせる悪循環◇
なぜ菅首相は、今回「空回り」をしつづけ、「人災」といわれるような悲惨な状況を招いてしまったのか。霞が関のなかからみえたことを、本稿では論じたいと思う。
まず、菅首相が「空回り」した原因は、明らかに官僚をうまく「使いこなせなかった」ことにある。いざ有事において、官僚組織を迅速に動かすためには、現場に臨機応変に対応できるような権限を与える代わりに、責任は自分が取るという強い覚悟が、政治家には求められる。上の立場の人間が、「俺が全部責任を取る」という態度を示さねば、現場はなかなか思い切り動けない。
だが、菅首相が示した態度は、「とにかく情報を早く上げてこい。決めるのは俺だ。決めたらいったとおりにやれ。それができない無能者は承知しない」というものであったように感じる。そういわれれば、官僚としては、さまざまな情報を上げ、判断を仰ぐ。しかし、これだけの非常時に、現場の細かい情報を集中させても錯綜するだけで処理しきれるものではない。
「官邸、しかも総理本人に情報を上げ、そこでの判断を待たなければならない」となれば、どうやっても時間がかかる。官僚からみれば、「急げというくせに、官邸に上げたら時間がかかるじゃないか。われわれを信頼してやらせてくれればもっと進められるのに」という苛立ちと焦燥感が募るばかりである。それでいながら、「できなかったらおまえの責任だぞ」などといわれれば、あっという間に士気喪失である。
もともと菅首相が非常に厳しく官僚に当たり、感情を露わにするという話はよく聞いていた。そのような地合があるところに、このような混乱状況が生まれてしまったら、周りを固める人たちからすれば、「何なんだ、この人は」という不信感の悪循環が生まれるだけになってしまう。
東電福島第一原発の話でも、ベントのタイミングが遅れたのではないか、といわれている。現場の状況をよく知らないくせにという批判を承知であえて指摘すれば、菅首相が「全責任は政府が取る」と明示して「命令」すれば、事故現場の暗闇で手探りで作業せねばならなかった事情はあるにせよ、もう少し早く行なうことができたのではないか。
「絶対に放射能を外に漏らしてはいけない」といわれつづけてきた原子力事業者からすれば、放射能を撒き散らすことになるベントは、精神的にきわめてハードルの高い決断である。しかも、運よく原子炉がすぐに安定状態になったとしたら、「なぜベントなど行なったのだ」と批判される恐れもあるのだ。そういうなかで、「おまえの責任だ」といわれそうな雰囲気の下、「早くやれ」と尻だけを叩かれても、それが正式な命令ではなく、ただの言葉の指示だけでは、現場としては必要以上に慎重にならざるをえないことは目にみえている。
もちろん、以上は民主党政権の「政治主導」の姿勢そのものを批判するものではない。民主党は「官僚は国民のためよりも、省益のために動く。放っておくと、縦割りで勝手なことばかりやる」と考え、政治家が、少し緩んだたがを締め直し、手綱を引っ張っていこうと考えていたのだろう。霞が関がその弊害にまみれていることは、まさにそのとおりである。
だが、今回の震災では、死者・行方不明者3万人以上という想像を絶する被害と、福島での原発事故という大きなリスクにさらされた。これだけの有事であれば、普段は惰性で仕事をしがちな官僚たちもさすがに危機意識を抱き、政府から的確な指示さえあれば、いつでも動ける体制をとっていたはずだ。そこにおいて、むしろ性急に「政治主導」の政治ショーをみせるためにギアを入れたのは、明らかに逆効果であったように思われる。
さらにいうならば、阪神淡路大震災や新潟県中越沖地震の教訓から、官邸と官僚組織には危機管理のノウハウがそれなりに積み重ねられていた。要するに、すでに大枠のルールがあり、それに従えば、末端の組織まで動く仕組みがすでにあったはずなのだ。
しかし、民主党政府は、それらをすべて白紙に戻してしまった。自民党時代のものは何でも否定したいという動機からであろうか。一方で、震災対応に向けた会議をたくさんつくったが、組織というものはいきなりゼロから立ち上げて、思いどおりに動くものではない。むしろ、指揮系統が複雑になって現場は混乱するばかりである。
おそらく民主党の政治家は、これまで危機管理というものを真面目に勉強してこなかったのではないか。だから、「政治主導」という空虚な概念を振り回すだけで、指示や命令に一貫性がないという状況になってしまったのだ。
◇民主党の勘違い◇
震災の話から一般論に戻そう。
私が民主党の政治家にいちばん欠けていると感じるのは、「仮説」を立てる能力である。つまり、一つの問題を解決するために、どこを変えればよいのか、道筋と順番をつけられる力のことだ。
「仮説」を立てれば、結果が想定どおりにならなかった場合に、なぜそういうことになったのか、自分がとった考え方と行動がはっきり整理できるので、その原因の分析ができるはずだ。しかし、民主党はどんな仮説に立ってどう行動したのか、自分でも理解していないのではないか。それでは、いつまでも場当たり的な対応を繰り返すしかない。
そうなってしまうのは結局、民主党の政治家が政策に関する体系的な勉強をしてこなかったからであろう。野党時代の民主党は、与党の自民党の政策のアラを探して、そこを徹底的に追及していく、という政治手法を多用した。ところが、その分野について幅広い見地から勉強し、問題解決のための「仮説」を出して政策を推し進めていくのは、不慣れなようだ。
たしかに「消えた年金記録」など、民主党の粘り強い追及によって明るみに出た事実もある。これなどは、自民党の大半が気づきもしなかった問題だろう。だが、それだけで年金問題のすべてを理解したことにはならない。
自民党が、「そんなものはない」と言い続けてきた「埋蔵金」についても同様だ。民主党はマニフェスト(政権公約)で、予算の組み替えと「埋蔵金」で政策に必要な財源は十分に捻出できるとした。埋蔵金はもちろんまだあるが、民主党には全体像がみえていない。おそらく一部の予算の無駄だけをみて、単純にいくらでも財源は見つけられると勘違いしたのであろう。
一方の自民党だが、政策立案の場として、党内に「財務金融部会」「経済産業部会」「環境部会」といった専門の部会を設けてきた。これら部会は体系的に政策を学ぶことができる、若手議員の勉強の場でもあった。しかし、その先生役を務めるのは官僚だ。言い換えれば、自民党の議員は官僚に育てられて一人前の政治家になるという仕組みであった。だから、役所の枠をはみ出せない政治家になってしまう。
国民の利益よりも、省の利益の代弁者である「族議員」は、このシステムが生み出す弊害そのものであった。自民党政権時代には、こうした政官が一体となった「複合共同体」ができあがっていた。民主党政権になれば、それらは一度、ご破算になるはずであった。ところが、民主党政権には、官僚と新たな関係を構築し、政治を運営していくだけの能力はなかった。
思えばかつて民主党が自民党のアラを徹底的に追及できた背景に、自らの思惑を通したい官僚側の「リーク」があったことも、事実である。与野党ともの、このしがらみの構造を解きほぐさねば、真の改革は実現しない。(後略)
(私のコメント)
民主党政権は点々ばらばらで各自が勝手なことを言い散らかしている。もともと民主党は野党の集合体であり、政権をとったとたんにばらばらになる事は予想が出来た。政策がばらばらになって収拾がつかなくなり、どちらに進むにしても八方塞になってしまった。自民党と官僚とが一体化した政権では消費税増税で福祉切捨てで国民の反感を買った。
特に自民党政権末期には「75歳以上は早く死ね」法案や、毎年2200億円もの社会保障費カットが国民の反発を招いた。そこで小沢一郎は「国民の生活が第一」と言うスローガンを掲げて政権奪取に成功した。政権奪取に成功したのだから鳩山・小沢政権はマニフェストに掲げた政策を素早く実施することが政権維持に欠かせない事ですが、鳩山内閣はそれを躊躇してしまった。
それが出来なかったのは、古賀氏の言う「一つの問題を解決するために、どこを変えればよいのか、道筋と順番をつけられる力」が不足していたことだ。農家への個別所得補償にしても、一定規模以上の農家への補償ならば国際競争力をつける上でも整合性があるが、結局は零細な兼業農家にまで広げてしまったから「ばらまき」と批判されてしまった。
民主党は政権をとっても予算を編成することが出来ず、財務省にべた折れしてしまった。財務大臣になった菅直人はまったくの無能大臣で財務官僚の言いなりにならざるを得なかった。野党でいるうちは攻撃するだけでも良かったが、内閣の大臣になれば政策の立案遂行能力がなければ務まらない。特に国際会議に出ると財務大臣は個人の力量がもろに出てしまう。
だから菅氏が総理大臣になっても上手く行かないのは、財務大臣の頃から想像できたことでしょうが、、「とにかく情報を早く上げてこい。決めるのは俺だ。決めたらいったとおりにやれ。それができない無能者は承知しない」というのでは内閣が機能しなくなるだろう。だから3ヶ月経っても瓦礫の山は15%しか片付いていない。
このようになってしまうのは官邸に権限を集中しているにも拘らず、官邸がなかなか決断が下せず、下した時点で手遅れになってしまってる。情報が集まってきても情報が何を意味しているのか官邸がわからなければ決断の下しようがない。さらに「もともと菅首相が非常に厳しく官僚に当たり、感情を露わにするという話はよく聞いていた。」と指摘していますが、これでは官僚は官邸に寄り付かなくなる。
株式日記でも菅総理は性格的に問題があると指摘してきましたが、民主党議員はこのことは誰よりも知っていたはずだ。菅総理は責任は自分でとらずに失敗すれば、「おまえの責任だ」と言われたのでは文書で指示されなければ誰も動かなくなるだろう。ベントの問題にしても放射能を大気中に放出するのだから政治的判断が求められる。
海江田大臣は何度も東電に「ベントをお願いした」と言っているが「お願いした」では、後で政治問題になったときに東京電力が独断でやったと逃げられる恐れがある。だから命令が出るまで東京電力はベントをやらなかった。同じ事は汚染水放出でも繰り返された。しかも政府が公海に放出するにも拘らず海外への通知も怠っていた。これはソ連がチェルノブイリでやっていた事だ。
つまり、政府の責任でやらなければならないことを東京電力の判断でやらせようと言うことは無理なのであり、ベントの遅れや汚染水の無断放出は政府が責任を取ろうという覚悟が無かったから起きたことなのだ。普通ならばこれだけでも政府が吹っ飛ぶような大問題なのですが、自民党もマスコミも批判の声は小さい。ソ連はこれで国際的な信用を失い崩壊した。菅政権はソ連と同じ事をしてしまったのだ。
古賀氏は民主党に対して「その分野について幅広い見地から勉強し、問題解決のための「仮説」を出して政策を推し進めていくのは、不慣れなようだ。」と批判していますが、宮崎の口蹄疫でも、農林大臣は海外に視察に行ってしまったように、問題が起きてもそれを理解する能力がなく、対策も後手後手に回る。福島原発でもそれを繰り返している。
民主党も我が「株式日記」を読んで勉強していてくれれば多少は改善するのでしょうが、消費税の問題も野田財務大臣は増税することが財政再建になると本気で考えているようだ。財政の赤字が拡大する一方なのは税収が60兆円から40兆円へと減ってしまっているからですが、公務員の給与は増える一方であり税収が落ち込んだら公民の給与もカットしないとそれだけ赤字になる。
高度成長時代の給与体系が公民にはそのまま適用されて年々昇給されてきた。民主党は公務員の給与20%カットを公約していたのにどこかに消えてしまった。税収の落ち込みと公務員給与の高騰が財政赤字の原因と言う仮説は間違っているのだろうか? 古賀氏が公務員制度改革で立役者になっているのもこの原因が分かっているからだ。
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- Re:日本には組織の中で自由にモノが言える雰囲気づくりが必要だ パルタ 2011/6/18 15:35:52
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