http://www.asyura2.com/11/senkyo114/msg/429.html
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(回答先: 20日、高濃度の汚染水が太平洋に流れ出る/日本の秘密=21世紀になぜ8世紀の行政方式で動くのか?(uedam.com) 投稿者 五月晴郎 日時 2011 年 6 月 04 日 16:20:14)
http://www.uedam.com/interview107.html
「uedaom.com」から「律令とは何か(今も日本の政治が官僚主導になる歴史的背景)」をフォローアップ投稿として転載投稿します。
=転載開始=
○○ 今日は2010年7月18日です。
植田 これ、このとおり?
○○ ええ、このとおりにやります。
本日は植田信さんという研究者の方にお話を伺っております。
植田さんは2002年に『ワシントンの陰謀』という本を洋泉社新書から出された方で、以後も自分の会員制サイトで、日本の政治、世界の政治の思想を中心にした分野から研究を進めている方です。
今日お伺いしたいのは、植田さんがもう既に5年ほど研究されてきた律令制度の話です。律令制度と欧米の政治、ポリティカル・サイエンスの考え方の違いを浮き彫りにすることで、日本のいわゆる官僚主導政治がいかに特有な存在であるかということを浮き彫りにしていきたいと思っております。
直近の話でいいますと、やはり6月上旬に鳩山政権が崩壊しました。鳩山政権は発足する前から日米対等関係に持っていき、官僚主導政治を政治家主導政治に変えるということをマニフェスト等で公約してきましたが、細川政権とほぼ同じ8カ月、9カ月の短命政権になりました。
まず植田さんに直近にお伺いしたいのは、質問票の中にもあるんですが、民主党政権とはどういう政権なのか、そして鳩山政権が崩壊したことはどういう意味を持つのかということを少々お伺いしたいと思います。よろしくお願いします。
植田 植田です。これは最初に言っておいたほうがいいと思うんですけど、2002年に『ワシントンの陰謀』を出したときは、副島さんには非常にお世話になりました。副島隆彦さん、その節はありがとうございました。
じゃあ質問の内容に入りましょう。
○○ 今どういうことをやっているか、もう少し詳しく説明していただけると助かります。
植田 今は、生活のほうは昔は郵便局で働いていたんですけどやめて、一番のメーンは、哲学をずっと専攻していたので、それをメーンにやっているんですけど、21世紀に入ってから日本の問題に特化するようになって、そこから律令制度、律令理性の問題に取り組むようになりました。いま司会者の方からご案内があったように、律令理性の問題を集中的に固めようと思ったのは、まだそれほど前のことではなくて、現在で多分7〜8年ぐらいだと思います。
打ち明け話をすると、一番最初、副島さんが戦略研究所をインターネットの中に立ち上げられたときに、副島さんのどなたかのメンバーの方が、ひとつ私のサイトをつくってみたらどうかということで、つくっていただきました。そのときの暗証コードはマッカーサー(マック) だったかな、そういうコードをいただいて、しばらくやらせてもらいました。
その後、自分のホームページを立ち上げたわけなんですけれども、いま言ったように日本の問題をちょっと特化してやってみようかなということです。それで、結果的に煮詰まったのが、いま司会者がおっしゃったように、律令理性論ということになりました。これが完成したのは、私の考えではまだここつい最近のことで、自分の中では今年になってはっきりと人にこれはこうだということが説明できる状態に達した段階です。
○○ ・・・・ですね。
植田 うん。なので、ここでインタビューを受けるというのは、私にとっては非常にタイムリーなことではないかなと思っています。
次に質問の本論ですね。
○○ 本論に移る前に、律令理性といっているところの理性というのは結構重要なんですね。
植田 そうですね。
○○ 理性というのは欧米のreasonという言葉であるから、律令と理性がくっついているこのネーミングは、恐らく植田さんの独自の呼び名だと思うんですけれども。
植田 そうだと思います。
○○ そうですよね。そういったところも後でお伺いしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。それでは本論のほうをお願いします。
植田 最初の話題ということで、民主党政権、鳩山内閣が10カ月で終わったわけですけど、これをどう見るかということですね。
○○ はい。植田さんのご意見を。
植田 これは、私が最近読んだ副島さんと佐藤優さんの対談に出ているんですけど、これは実にすばらしいことが書いてあると思います。それは後にして、私の考えでは二つ理由があると思います。一つは、鳩山首相の自業自得。これは、『ワシントン・ポスト』の何という記者でしたか、鳩山首相……
○○ アル・カーメンですか。
植田 そうでしたか。鳩山首相にloopyというにニックネームをつけたんですけど、これは決して鳩山はばかだとかあほだとかいう意味ではなくて、現実離れしているという意味だと自分では言っていましたね。なぜ現実離れをしているかといえば、戦後の日米安保体制の中で、日本が憲法9条を持っていて、集団的安全自衛権も自分で行使できない状態において、軍事的な問題を日本国のほうからあれこれできると思うこと自体が、私は不思議だと思っていたので、当然なるべくようになってしまった。そのきっかけをつくったのが鳩山首相の場合は普天間基地の移設問題で、それを県外、国外に移転できると思った時点で、そもそもloopyではなかったかなと思っています。なので、1点目の理由としては自業自得です。
2点目は、副島さんと佐藤さんが言っているように、本の帯に出ていますけど、「官僚勢力とアメリカが仕組んだ政権打倒の"クーデター"だった!」と書いてありますが、ある程度このベースもあると思うんです。佐藤さんがこの中で具体的に言っていますけど、鳩山政権というのは、成り立ちが「脱官僚」でしたよね。
○○ はい、そうですね。
植田 脱官僚ということは、今までの日本社会の政治システムが律令システムだとすれば、このスローガンだけで、律令システムに依存している人たちにとっては激震なわけです。だから、何かしらのきっかけで鳩山由紀夫政権を倒さねばいけないということが、官僚たち、メディアの人たちに、それが意図的かそうでないかは別として、日本の伝統的な思想風土の中でわき上がったと私は思います。このことを思っていたところに、『小沢革命政権で日本を救え』の中で、佐藤優さんがまさにそのことを言っていたものですから、非常に驚きました。要するにここで官僚と政治家との間でこの国の支配者はだれかという戦闘が始まったんだと。一つのその結果として、鳩山政権が10カ月で崩壊したという側面があると思います。
なので、私の考えをまとめると、一つはloopy、もう一つは律令システムの支配層が「脱官僚」のスローガンに驚愕して、これはなくなったほうがいいと思って、これは佐藤さんが言うように多分無意識だと思うんですけど、動いた結果だろうと思います。そういうふうな様相になっています。
○○ なるほど、わかりました。
次の話で鳩山政権崩壊で、民主党代表選が6月4日に行われて、菅直人新代表が誕生しました。それで、参議院選挙に突入して惨敗したということですよね。その後、おとといだったか、『朝日新聞』は一面トップで、ほかの新聞でも比較的大きな扱いでやっていたんですが、国家戦略局を廃止するというか、位置づけを大幅に下げると言っていました。国家戦略室というのは、ある意味で政治家主導の脱官僚の象徴的なものだったはずです。戦略立案を官僚に任せないで政治家が行うということが基本だったはずなのに、これがどうもだめになったと。松井孝治官房副長官なんかのTwitterでは悔しいということを書いていました。そういったことでいうと、菅新政権というのは、官僚主導打破というテーマを引っ込めたのか、引っ込めてないのか。引っ込めてないとすればその理由は何なのか、引っ込めたとすればその理由は何なのかというのを、わかる範囲でお話しいただければと思いますが。
植田 引っ込めたかどうかという点については、まず引っ込めることはあり得ないでしょう。これを引っ込めたら政権交代にもならないですから。だから、引っ込めることはまずあり得ません。民主党の存在意味がなくなりますから。
だから、次の問題は戦略の問題になります。それでは、どうやって脱官僚を進めていくか。それでいま足踏みをしているように見えるんですけど、これは菅首相がどういう人かによりけりじゃないかなと思っています。例えば市民運動家の出身の首相なものですから、もしかしたら権力についたことで、すごろくでいえば上がりだと自分で思ってしまえばこれで終わります。これまで市民運動家出身で首相になった人はいませんから。民主党は「脱官僚」を続けると思いますけど、菅首相本人はこれからどのような戦略でそれを推進していくかにかかっていると思います。
具体的に言えばどうやってやるか。先の話題になるかもしれないんですけど、これは佐藤優さんが、外務省条約局が今現在日本の条約の解釈権を持っていると言っています。だから、もし脱官僚をやるのであれば、内閣がこれを最終的に持つといえば、それである意味では脱官僚になります。そのようにできます。なので、菅首相が例えばここをどう自分で決定するか、今までどおり外務省条約局に決定権を持たせておくか、それとも官邸によこせと言えるか。言えるかというのは権力的には言えるんですよ。問題は何で言わないかなんです。
○○ そうですね。私の意見ですが、制度的にそういうふうにつくるということで、実質的にそうなっていることとはまた別の問題ですよね。仮に国家戦略局を残して、政治家主導で権限を与えても、政治家の頭がよくなかったら、それは実質的には官僚主導になるという問題もある。
一つ最近わかったことで非常に重要なことがありまして、これはインタビュアーの口から言うのもあれなんですけれども、小泉政権の時代、あと自民党政権の時代に、日米規制改革委員会という、いわゆる年次改革要望書をアメリカから受け取って各省庁に割り振る委員会があったんですけど、それが鳩山政権になって日米規制改革委員会は廃止されたそうなんです。あと、亀井静香さんが記者会見で言った話では、いわゆる年次改革要望書はおれのところでとめてあると。だから、USDRのサイトに出ないんだということを言っていました。
あと、斎藤次郎という大蔵次官の元官僚を郵政の社長にしたことに関しては、国民新党の森田高(たかし)さんという国会議員がいるんですが、その人が言っていたことでは、ゴールドマン・サックスから日本郵政に運用代理人として人間が送られてきたんだと。その運用代理人が郵政のお金の運用を決めていたんだと。要するに、日本人の度量では運用できないから、おれたちが、近代人である我々がやってあげるということで。
植田 郵政の資金は、今は自主運用になっていますよね。以前は、大蔵官僚が運用していました。
○○ 民営化では、運用権を外資に委託できるという条項がついていましたから、そのようなことが実際に起きて、ところが斎藤郵政時代になったら、民主化時代のゴールドマンの関係を、その運用代理人を全部駆逐したんだと言っていました。
その後、国民新党に対してゆうパックの問題とか、ATM、これはちょっと陰謀めいている話になるんですが、スキャンダルが多い。みんなの党の躍進がありました。ですから、そういった意味で官僚制度とは別にアメリカの攻撃があるのかなと。
年次改革要望書は、外務省、通産省が受け取って割り振っているんですけど、それを小泉政権、自民党政権では残していた。そして民主党の政権の間に廃止したそうなんですね。それはどうも、先ほど松井孝治前官房副長官にTwitterで聞いてみたら、一応そうであると。特定の国の要求だけを受け入れて政策をつくるのは好ましくないということで、廃止になったんでしょうねという意見をいただけました。
副島・佐藤の見解だと、アメリカと官僚が一種の結託関係をつくって、日本の政治を進めているというのが今までのやり方である。それに対して、恐らく鳩山政権は対抗しようとしたからつぶされたと。戦略がなかったのはもちろんそうだけど。
そういうことなので、菅新政権に関すると、いきなり消費税の問題を言ったわけです。消費税の問題は何かというと、財務省の出身で今IMFの副専務理事の篠原尚之というのがいますが、それはやっぱり15%とか10%の提言をIMFでも歓迎している。当然財務省も歓迎しているし、財界も法人税の減税とセットで消費税を上げるので歓迎しているということで、財務省、通産省系が両方、ある意味消費税の増税を歓迎して、それはどうもG20とかG7の外圧らいしのですが、そういった意味でいうと、菅新政権というのはかなり苦しい立場に置かれて、昨日なんかは菅さんが「財務大臣なんかにならなければよかった」と言ったそうなんですね。それは本音だろうと。
植田 それは言うに遅いね、タイミングのノリが。
○○ つまり消費税のことを言い始めたのは、それこそ菅さんが……
植田 あの人は財務大臣になる準備がなかったんだもんね。まさか藤井さんがやめるとは思ってもなかったんじゃないですかね。
○○ だから、いろいろなところから漏れ聞こえてくるのは、財務省のレクがあって、消費税のことに関しての情報を与えているとか。そういう逆に言うと、いま植田さんの話に戻ると、看板をもちろん引っ込めるわけにはいかないんだけれども……
植田 事実上は引っ込められている。
○○ それを事実的な看板の掲げ方ということが、非常に戦略としては、相手にどんどんどんどんイニシアチブをとられていると。佐藤さんの言うところの複合体に。
植田 それはとられているね。
○○ イニシアチブをとるのが大事で、それだったら戦わなくても勝てるわけですから。
植田 なので、問題は権力は持っているのに、なぜ押し込まれるのかなんです。どうも日本の政治の仕組みを、民主党政権は政権奪取の意欲はあっても十分に研究してなかったんです。
○○ なるほど。
植田 それでなぜ。ここは最後にしゃべろうと思ったけれど、いきなり……
○○ トップレビューで。
植田 そう。本質論に入りましょう。なぜ民主党は意欲はあるのに実質的に権力を奪えないのか。これは技術論ではないんです。条約の最終的な解釈権が官邸にあるか、外務省の官僚にあるか。これは最終的には結果に出てくることなんですけど、確かに官邸に移れば脱官僚ができたとわかるんですけど、今これが踏み切れない状態ですよね。問題はなぜ踏み切れないかです。日本国憲法的には、もう政治家にあるのはわかり切っていることです。
○○ そう。条文上は書いておられますね、政治・・。
植田 ところが戦後の日本は官僚主導だった。なぜかといったら、ここで律令理性論が出てくるんです。何で、それでは政治家はそこで自分たちが主人であると言えないのか。答えは簡単で、理由はアメリカなんですよ。これはアメリカにやられたんじゃなくて、アメリカがプレゼントしてくれた。これがSWNCC(スウィンク)228。日本語で「日本の統治体制の改革」と訳されている文書です。
○○ それは何ですか。
植田 アメリカの占領中の出来事で、日本国憲法はアメリカが急造したということは、よく知られていますね。これは当時の事情によって、マッカーサーが急遽GHQの民政局に指示して、たった9日間でつくられたと言われているんですけど、実はそれは間違いで、本当はアメリカは日本を戦争中にじっくり研究して、戦後、日本をして二度とアメリカに対して軍事的に対抗できないように……
○○ 軍事的に対抗戦力にならないように。
植田 そうそう。ならないようにするためにはどうすればいいか考えたあげくに、デモクラシーを日本に導入するんです。国民主権ですよね。国民に主権を与えれば、絶対に意見が割れます。ところが、戦前の明治憲法だったら、結果的には軍部が主導しちゃったわけです。そこまで彼らは明治憲法を研究して、安全装置をつくるわけです。それが主権在民だったわけです。だけど、戦後の日本人は、ああ、自分たちに主権のある憲法が来たということで喜んでしまったわけです。
それはそれでいいんです。両方とも解釈できるんです。アメリカにとっては安全装置、日本にとっては初めて自分たちが有権者として政治家を選んで、政治家が政治の主人となる憲法ができてうれしいなとなってしまうわけです。ところが、日本人は悲しいかな律令理性人だから、ここの意味が自分では全然わからないんです。制度的には自分たちが主権在民になって、有権者として政治家を選んで、政治家主導になったはずなのに、ところが律令制度の歴史が長いから、現実的に官僚が主導しちゃってきたんです。ここは、なぜこうなったかではなくて、実際にそうなってしまったわけです。
そこで、問題はどうすれば離脱できるかです。これはいきなり司会者の提案で14番目の問題に来てしまうんですけど、律令を理解した上でどのように乗り越えていくか。これは……
○○ 後でももう一回。
植田 いいです。それじゃあこれで終わっておきましょう。じゃあ、どうぞ。
○○ それで、なぞの解き明かしのところは簡単に言っていただこうかなと思ったけど、最後にとっておいて、次に移って、日本国憲法という制度上、条文を読めばどう考えても国民主権、近代民主主義の表現であるところの日本国憲法を読んで、その与えられた日本人がなぜにして官僚主導の政治に頼ったか。それは植田さんの答えだと、日本人が律令理性人であるからであると。
植田 そうです。
○○ その律令という言葉を、テレビ朝日の「朝まで生テレビ!」で平野貞夫さんが言っていた。政権交代があったと、小沢の操作があったと。平野さんは小沢の側近ですから出ていて、「民主党の革命というのは律令制度以来の大革命である」と言った。
植田 そのとおりです。
○○ みんな周りの人間は、明治以来の革命であると言うんですよ。でも、みんなきょとんとしているわけです。律令という言葉がぱーんと出てきて、私とかはある程度植田さんの文章とかを読ませていただいたし、あれなんで、ああ、なるほどねということで、この人はわかっているよと。
植田 わかっている。701年の大宝律令以来です。
○○ 701年ですよね。
植田 1868年ではありません。そこをはっきりと押さえましょう。
○○ 1868年はマスコミが言いたがるあれで、もっと根が深いと。
植田 もっと根が深い。701年大宝律令、藤原不比等です。
○○ そうなんですよね。だから、今この項目でいうと、3番、4番をまとめていきますけれども、律令制度とは何か、そして官僚政治とは律令政治であるということの意味は何か、そして明治維新があったにもかかわらず律令政治は残ったということですよね。
植田 そうです。
○○ そのことの意味、大日本帝国は恐らく律令に基づいて運営されていた。
植田 そうです。
○○ 日本国憲法においてもそうである。それで、いまだそうである。
植田 そうです。
○○ そういったことを植田さんの5年間の研究の成果から、どういった結論が出るのか、歴史の流れから次はちょっとお伺いしたいと思うんです。
植田 それは私が言うより、さっき占領中の話をしたんですけど、ボナー・フェラーズがもう全部知っていたんです。ボナー・フェラーズというのはマッカーサーの軍事秘書で、マッカーサーがまだフィリピンにいたころに、アメリカのできたばかりの情報部から自分の手元に呼び寄せた人物です。マッカーサーがどうしてそこまでフェラーズを重宝したかというと、いま言ったように日本の社会の仕組みを全部調べていたわけです。これが19
35年のアメリカの陸軍大学だったか、何かの学校を卒業するときの卒業論文なんですね。(アメリカ指揮幕僚大学)。
○○ 卒論がそうなんですか。
植田 日本兵士の心理の研究だったかな、日本兵の心理だったかな、ちょっとその辺の具体的なことはまた後で資料を届けます。(「日本兵の心理」)。
○○ そうですね。お願いします。
植田 彼が何を言ったかというと、日本人の心理を知るには、ラフカディオ・ハーンの『神国日本』(『神国日本―解明への一試論』)1冊で十分であると言ったんです。
○○ そうなんですか。1冊で。
植田 ラフカディオ・ハーンのことを私が知ったのは、京都大学の中西輝政教授のご指導です。今はちょっと中西先生は立場が変わるようになったんですけど、たった3年前に中西先生に会ったときには、私は彼の意見に結構傾倒していたものですから、その縁があってラフカディオ・ハーンのことを知りました。そういういきさつでハーンのことを知って、その後になって、今度はフェラーズの重要性がわかったんですけど、そういった過去のいきさつは別にして、フェラーズが言ったことは何かというと、要するにそれはラフカディオ・ハーンが日本はどういう国かと言ったかということなんですけど、日本社会は祖先崇拝の国であると言ったんです。
○○ なるほど。
植田 それで祖先崇拝という信仰は、過去の地球上ではどこの国でもどこの社会でもそうだったというわけです。ただし、西洋では紀元前6世紀から7世紀ごろに、古代ギリシャ、古代ローマでは祖先崇拝は終わりました。
○○ そこで終わったんですか。
植田 終わった。ところが、ハーンが日本に来て――ラフカディオ・ハーンが日本に来たのは1890年です、彼はイギリス人の海軍のお父さんとギリシャ人のお母さんのハーフでした。それでフランス、イギリスで育って、アメリカでジャーナリストの経験を長くした後、1890年に日本に来ました。それでよく知られているように、死んだのは1904年で日露戦争が始まったときです。それで日本人の女性と結婚して、帰化しましたね。
○○ 小泉ですね。
植田 そうです。小泉八雲という日本名を名乗りました。それでフェラーズはその奥さんとも小泉八雲が死んだ後に会っています。それで死んだ部屋で、ハーンの慰霊の前でお線香を上げています。まあ、それはちょっとおいておいて、それで何を言ったかということなんですが。
○○ 祖先崇拝の話ですね。
植田 ハーンが明治の日本に来て何に驚いたかといったら、西洋では紀元前6世紀、7世紀に終わったことが、ここでは今現在の出来事であると。それはすばらしいと言ったわけです。
○○ すばらしいと。
植田 だから、神国日本なんです。だから、西洋の人類学者とか文化研究者が、古代の人類の社会形態がどうなっているか知りたかったら、日本に来ればいい、ここにあると言った。それは近代人になった西洋人が全然予想も想像もできない姿である、と。しかしその一方で、祖先崇拝、これは見方によっては逆転するんです。それはラフカディオ・ハーンも言っていますけど、西洋文明が日本に来ると、これが完全に壊される。そして自由競争に巻き込まれる。そして日本は絶対に劣性に置かれる。なぜなら、ここが祖先崇拝のマイナス面なんですけど、祖先崇拝は自由競争を許容しない社会だから。なぜなら祖先崇拝ということは、要するに先祖の言うことを絶対正しいものとして、自分の意見を持たせない社会なんですよ。これが日本の政体の原理。
だから、祖先を政体に置きかえれば、アマテラス神話なんです。アマテラスが『日本書紀』の中で何を言ったかといったら、この瑞穂(ミズホ)の国は我が子孫だけが統治できる国であると。天皇ですね、それでここから万世一系になるんです。祖先崇拝を信仰している律令理性人がそれを信じる限りにおいて、思想的にはこの考えが今現在まで続いてきたわけです。
だから、ここでアメリカ占領軍の天皇利用計画が生きてくるわけです。天皇さえ押さえれば、日本人はどうとでもなる、と。東京裁判のときはこれが現実だったわけです。極東委員会で天皇を死刑にすると言い出すわけです。それで、マッカーサーがこれでは天皇利用計画ができないから、それをやめるための処置として急遽日本国憲法をつくるわけです。あの時点ではつくるかどうかわからなかったわけです。天皇が生きて利用できれば、日本国憲法をつくらなくていいわけです。ところが、極東委員会が天皇を処刑せよと言うわけですよ。昭和天皇をヒトラーと同じように考えていたわけですから。ところが、アメリカは1942年の時点で、天皇利用計画をつくってしまっているわけです。マッカーサーもそれに従うわけです。アメリカは戦中から用意周到に準備していました。どちらの場合にも、天皇を利用できるように、と。
○○ たしかフェラーズが天皇助命を言ったんですよね。
植田 そうです。そういうことです。あとは、司会者さんのほうが詳しいんじゃないかと思うんですけどね。
○○ いや、私は……
植田 思想的な根幹はそういうことなんです。
○○ なるほどね。その律令というものと、律令というと何か歴史の教科書で学ぶと中国から輸入しましたみたいに書いてあるんですけど。
植田 そうです。だから、その祖先崇拝の信仰を政治形態に焼き直したのが、藤原不比等です。大宝律令と養老律令。もちろんそれ以前にも聖徳太子が、−今度は律令政治史に入っていけば、またちょっと話が横にそれるようですけれども、この話も一応必要でしょう。
○○ そうですね。
植田 律令政治史だけを見れば、取っかかりをつくったのは聖徳太子なんです。やっぱり十七条憲法とか、十二冠位制度でしたっけ。
○○ 冠位十二階。
植田 もう私の頭は疲れてきたので、頭がごちゃごちゃになってきたんですけど。
○○ 聖徳太子。
植田 うん。聖徳太子がやったことは大きいでしょう。律令制度を踏み出すための一歩を始めました。その後、天智天皇とか天武天皇とかが出て、大化の改新があったり、壬申の乱があったり、その合間に白村江の戦いで日本が敗戦したりということもあって、飛鳥浄御原令(あすかきよみがはらりょう)で、だんだんと律令法に向かって日本が準備されていったわけです。それまでは神祇制度なんです。これは司会者さんが私に教えてくれた、佐藤さんが言っている……
○○ 何か書いていましたね。
植田 うん。佐藤さんが言っていましたよ。
○○ 私もちょっと読んだんだけど、覚えていない。(権藤政卿の〈社稷の体制〉)。
植田 そのことは私はちょっと知らないんですけど、それをおくとして、私が自分でその古代史を解き明かすのに非常に重視しているのが、私がネーミングしたのですが、新京都学派という人たちがいるんです。
○○ 京都が例の京都学派の京都ですよね。
植田 そうです。京都学派というのはご存じのように、戦中に京都大学を中心に、だれでしたっけ、いましたね。
○○ 西田幾多郎とか田辺元とか、いましたね。
植田 あの人たちがつくったのと区別するために新とつけたんですけど、新とは新しいという言葉ですけど、梅原猛、上山春平、それからもう一人、誰だっけな、ちょっと名前を忘れちゃった、ごめんなさい。
○○ 梅原さんは歴史研究家で有名ですよね。
植田 有名ですね。それはおいておいて、それに私は基づいているんですけど、この新京都学派たちは、日本史の黒幕は藤原不比等だと発掘したんです。
○○ この人たちが言ったんですか。
植田 言ったんです。私の発掘ではないんです。ここははっきりしておいたほうがいいと思うんです。彼らの業績です。
○○ それは梅原さんが何か本で書かれているんですか。
植田 書いています。
○○ よろしければ後で本のタイトルを。
植田 ええ、送ります。1970年代にこの人たちが日本史を研究し始めて、藤原不比等が黒幕だということを発見しました。藤原不比等のこの辺の歴史を研究すれば、なぜ日本が律令制度になったのかわかります。だけど、さっき言ったラフカディオ・ハーンが言った、日本は祖先崇拝の神国であるというのは、梅原さんたちはまだ言っていません。
○○ ここは切れていますね。
植田 切れています。だから、そこをつなげたのは私です。さらに言えば、なぜ祖先崇拝かというのは、今度は人間の精神構造の問題になりますけど、この点についてはラフカディオ・ハーンは言っていません。これは哲学の範疇に入らないと行けません。ここはヘーゲル哲学の範疇になってくるから、そこはまた別のときにしましょう。
○○ 今日はちょっと厳しいですね。難しくなりますね。
植田 うん。だから、歴史のいきさつ、なぜ藤原不比等が大宝律令をつくって、養老律令をつくって、またあの時代になぜ平城京遷都になり、なぜ日本国という名前になって独立したかということも入ってくるんですけど、そういったことも……
○○ ちょっと話を戻してよろしいですか。
植田 一度戻してください。ゴチャゴチャしてしまいますから。
○○ 法律の律と命令の令、律令とはまず何かというのを、私も日本史の授業では何となく学んでいるはずなんですけど、植田さんの「律令とは」の以下の部分を。
植田 文字的な意味では、律と令、合わせて律令ですね。律が刑法で、令が政令、具体的には行政法なんです。なので、日本の政治は刑法と行政法で治めようと。それでこの二つの法律を使って、日本国を管理する身分が官僚なんです。
○○ これは民法はないわけですね。
植田 民法はないです。だから、明治維新で民法が初めて出るでしょう。
○○ なるほどね。
植田 「民法が出て、日本国が滅ぶ」、これを言ったのはだれでしたっけ。名前を忘れちゃった。(「民法出テテ忠孝亡フ」穂積八束)
○○ 少なくとも701年大宝律令が制定されたときは、私人間の取引を規制する民法というものはなかったんですか。
植田 ないです。だから、これはあくまでも官僚の法律全集なんです。民のことなんか一切言っていません。
○○ あ、ある意味、そういうのが「律令」なんですね。
植田 民のことなんか度外視なんです、日本の政体は。
○○ 民は度外視ね。
植田 そう、それが律令なんです。だから役人の職務規定をした点では、聖徳太子も同じなんです。もっとも17条憲法で聖徳太子は民のことを言っていますけど、律令法だけに限定すれば、官僚のことしか言っていません。身分規程なんです。なので、官僚さえ政体的に統一できれば、あとは民は適当にくっついてくるだろうというのが日本の律令システムなんです。
○○ それは中国の統治システムでもあるんですか。
植田 それはもちろんそうです。
○○ そうですよね。当時の支配国である日本は、中国の時の王朝から留学生を送って、中国の律令制度を学んだ、と。
植田 藤原不比等が参考にしているのは唐の律令ですね。それで、日本流に焼き直したわけです。その辺のいきさつは副島さんも『小沢革命政権』(『小沢革命政権で日本を救え』)の中である程度述べています。これで一番の問題は、じゃあポイントに行きましょう。唐の律令と日本の不比等の律令の違い、ポイントに行きましょう。
唐の律令は、皇帝が全部支配するんです。ところが、日本の律令では天皇は象徴になりました。権力がないんです。天皇は権威として祀りあげられます。日本の権力は太政官が持つ。太政官に誰がなるか。それで日本史では、この藤原不比等がつくった太政官をめぐる闘争史なんです。武士も太政官以上には行きません。なぜ皇族以外の他の日本人が天皇になれないか、一番はこれなんです。不比等がそこでつくってしまったわけです。だから、祖先崇拝の信仰にいる限り、日本人は絶対に律令システムを崩せない。
これを崩せたのが、さっき言ったSWNCC228だけなんです。近代人の理性でなければ、自然理性でなければ、この律令理性は崩せない。だから、この自然理性と律令理性の区別がまだ明瞭に認識されていない民主党政権では、いくら脱官僚のスローガンを掲げても、現実的にはできない。
○○ そういった意味で、これはちょっと話が飛んじゃうんですけど、今の話をまとめると、ラフカディオ・ハーンが言っている祖先崇拝の根源が万世一系と言われているところである天皇の崇拝であると、神として崇拝していて。
植田 神といっても、祖先神です。だから、フェラーズがマッカーサーにアドバイスして、天皇を処刑するなんてとんでもないというわけです。むしろ処刑なんかしたら、今後何十年、何百年にわたって、私たちアメリカ人は日本人から恨まれる。そのかわり天皇を生かして、利用したほうがいい。
○○ ある意味でアノミー(anomie)になると。天皇なんかを殺してしまったら。
植田 ベトナム戦争のゲリラ戦どころじゃなくて、それこそ日本人がすべていっしょになっての「撃って一丸」ですよ、終戦の時点の日本人なら。
○○ 中国の律令制度というか統治制度では、皇帝がトップである。先祖崇拝はない。それに対して日本は、先祖崇拝というところを行きつつ、統治形態としては太政官制度。
植田 そう、そこが藤原不比等の才能なんです。日本的な祖先崇拝の信仰、これは要するに氏神なんです。アマテラスを皇室の氏神として設定したんです。それと、中国がなぜ皇帝政治になったかといったら、これはご存じのように、あそこは王朝が変わりますよね。血が全然変わってしまうわけです。外からばーっと万里の長城を越えて攻め入ってきて、と。日本はそれがないから、だから万世一系となりうる、と。
○○ 逆に言うと、不比等戦略の律令制度でいうと、天皇は神様であって、祖先崇拝の対象であるということがまず1本目の柱、2本目の柱は太政官による統治。
植田 そうです。
○○ そうするとこれは2本の柱が両方ないとだめなんですか。
植田 両方ないとだめです。
○○ 太政官だけでもだめだし、天皇だけでもだめだと。
植田 だめですね。だから、天皇は祖先崇拝の日本の統治システムの一つの具体的な形にした姿ですね。だから、日本人が例えば祖先崇拝ではなくて自然理性、これが日本国憲法にあるように国民主権、在民主権の思想的原理というのは、自分たちの理性こそが主人なのであるという発想なんです。
○○ そうですね。
植田 この発想を本当に日本人が納得すれば、祖先崇拝をもとにした統治形態は終わるんです。だけど、これは念のために言っておきますけど、天皇陛下をおとしめることでは全然ないんです。象徴は象徴なんです。ただ、政治政体の権力はだれにあるかという問題なんです。
○○ 日本は斎川眞さんかな、『天皇がわかれば日本がわかる』。
植田 そう。私もあれは副島さんから教えていただいて読みました。あれはいい本ですね。
○○ だから、接ぎ木して接ぎ木して接ぎ木してという本でしたけど、それと同じような話なのかなと・・・なりましたが。
植田 そうです。
○○ ちょっと彼に関して、後で私のほうでインタビュアーの話したことにして加筆しておきますので。結局思い出したと言ったのは、いま小沢さんの問題があるわけですよ。この小沢革命の本にも書いてありますけれども、やっぱり特例会見問題というのがありましたよね。
植田 ええ。
○○ あれは、一般の新聞の報道、特に『産経新聞』なんかは小沢一郎は天皇陛下に対してけしからんと言っていたんですが、自然理性の立場からすると、やはり政治家が主になるわけですか。
植田 ちょっといま聞き漏らしたので確認させていただくと、今の話題は去年……
○○ 習近平の。
植田 そうそう。去年の12月の出来事ですね。
○○ 12月の出来事です。
植田 あれはまさに私も中西輝政教授の意見にぎょっとした点なんですけど、中西先生に言わせると、小沢一郎はとんでもない、自分が天皇を管理できると思っている、と言っているわけなんですけど、これが今に続く律令理性の柱なんです。
○○ そのようですね。今までの話の流れからすると。
植田 そう。小沢一郎が自然理性の立場に立てば、それは正反対。天皇は今でも象徴であって、主権者は私たち国民であり有権者であり、それに選ばれた国会議員であり、内閣であるから、天皇陛下はあくまでも主権者の意見に従ってもらうのが筋でしょうと言ったんです。
○○ だから、それで小沢さんは記者会見で憲法を読めと。
植田 だから日本国憲法にそのとおりある。具体的条文について、お互いにいろいろと言っていますけどね。
○○ だから国事行為と公的行為とか、そういう細部のほうにマスコミの話は行っちゃって。
植田 細部はいいんです。
○○ 条文のところでは。
植田 条文の内容は法学者に任せた、と。私の場合は哲学的に、思想の原理的なことを言うわけです。
○○ 原理的に言うと。
植田 原理的に言えば、小沢一郎が正しい。
○○ なるほど。
植田 日本国憲法の思想そのものです。
○○ 後で日本改造計画の話にも行きますけれども、そこのところはやっぱり非常に重要なんだろうなと思いました。
植田 私も『小沢革命政権』を読んで一番気になったのは、何で小沢一郎という人物が律令理性の日本社会の中に出てきたのかという点なんです。突然変異なのか。それで副島さんの説明が3点挙げてありますけど、ああ、なるほどそういうことか、アメリカに育てられた。早い話がね。
○○ その1。
植田 うん。その1はそうですよ。二つ目もそうです。ルイーザ……
○○ ルイーザ・ルービンファイン。
植田 そうそう。
○○ ルイーザ・ルービンファインというのは、あの本のトランスレーターとして入っていますよね。
植田 それで今現在、ジェイ・ロックフェラーの後ろ盾で。この三つ。ちょっと整理すると、1番目が子供のときからアメリカの家庭教師。
○○ そうですね。
植田 それで、「改造計画」がルービンファインさん、それとジェイ・ロックフェラー、それに従っていますね。私はそれが今の実際のことかどうかわかりません。副島さんの意見として、そういうことであれば、なるほどとわかります。
私としては、もう一つの別の理由は、さっきの日本国憲法の中で政治家が生まれてくれば、それで真っ当に日本国憲法のように政治を運営しようと政治家も考えれば、どうしたって政治家主導になるというのが私の考えです。
○○ なるほど。日本人の政治家の中でも、日本国憲法の読み方がわかっている政治家というのが恐らくいない。
植田 いないというのは言い過ぎですよ。
○○ いないというのは言い過ぎだけれども。
植田 慶應大学の小林節教授はハーバード大学に留学しましたけれど、憲法と法律の違いをしっかりと押さえています。憲法学者ですけど、彼が言うには、いま司会者さんが言ったように、日本の法学者はこの違いがわかっていないと。だから両方いるんですよ。個別的にはわかっている日本人もいるんですけど、わかってない人たちが多い。
○○ 政治政体としては律令制度なので、日本国憲法の解釈権を官僚に任せてしまっているということがあるわけで。
植田 そうそう。
○○ 小沢一郎は、アメリカで何を学んだかというと、アメリカの主導者から何を教わったかというと、政治家が主君であるという政体を恐らく私は1993年の段階ではつくれよと、アメリカのだれかから言われたんだろうと。
植田 宮澤の、あの乱のときですね。
○○ そうそう。それでやったんだけど、小沢は今はそれこそ反米に近いような考え方の持ち主になっているわけですよ。
植田 あれは反米というより、私の言い方は反米ととらえるのは律令理性の側から見た視線です。あれは普通の主権国家の政治家としてごく普通なんですよ。
○○ だからこう言っている側も、ある意味律令のとらえ方にとらえられているという言い方はできると思いますね。
植田 それはもちろん。見方が二つの側からがありますから、だから律令側からいわせれば、私が言っていることは当然そうなります。
○○ 鳩山政権もある意味、非常に当たり前のことを言っていたんですね。
植田 そうですよ。
○○ それすら挫折してしまったというのは、それだけやっぱり裏に何かがあるだろうというのが小沢革命の本の論旨であるわけですね。
植田 そうですね。
○○ そこで、天皇の話が出て、ラフカディオ・ハーンの話が天皇の話になって、太政官制度になりましたけれども、太政官というのは今もあるんですか。
植田 ないですよ。
○○ それはさすがにない。
植田 うん。制度的には、明治政府が復活しましたよね。明治維新をやった直後に。これも副島さんがどこかで言っていましたけど、読み方を変えましたけど、漢字としては同じ「太政官」を使っています。(不比等の時代は、太政官を「だいじょうかん」と読み、明治政府は、「だじょうかん」と読んだ)。制度的には、文字的にも復活し、職位的にも復活しました。明治政府で最初の太政大臣になったのは、例の幕末時代に「長州落ち」した公卿の三条実美でした。そのあとで、内閣ができます。内閣ができたのは1885年でしたから、それまでは太政官制度が復活していました。それで内閣は何かといったら、要するにそれまでの太政官からの直結で、今の現在の内閣は律令制度の中から見れば太政官なんです。
○○ 不勉強で申しわけない。江戸時代というのは、太政官制度はあったんですか。
植田 そこも私自身も興味を持って、新京都学派の本を何冊か調べたんですけど、梅原猛さんは、あまり江戸時代のことは述べていません。一方、上山春平さんは、明治時代まで律令制度は延長されたと言っています。それで実例も挙げています。今忘れていますので、また後で資料でご紹介します。(たとえば、江戸時代の官職名。徳川将軍が名乗る「征夷大将軍」とは、律令制度の中の職名)。
○○ そうですね。お願いします。
植田 ここのところは制度的に続きます。
○○ 今もなお太政官制度というのは内閣であると。
植田 内閣。
○○ 基本的な法制な話なんですけど、太政官というのは1人ですか、それとも2人ですか、3人ですか。
植田 明治政府がつくった太政官というのは、議政官以下7人のことを総称したようです。しかし、ちょっと細かいところまで調べてないんですよ。私の場合、輪郭を押さえることだけを優先にしているので。
○○ そうですね。もう一つ、律令時代の太政官制度というのは、右大臣、左大臣とかを含めて太政官というんでしょうか。
植田 そうですね。しかし、細かなところまでは、今はわかりかねます。
○○ じゃあちょっと後でこれも。
植田 調べます。ここは調べればすぐわかるからね。
○○ そういった太政官制度を藤原不比等がつくったと。
植田 ええ。
○○ 藤原不比等というのは、当然藤原氏ですよね。
植田 藤原氏です。
○○ 道長は出てくるけれども、あまり教科書に出てこない。
植田 いや、私の息子はいま中学2年ですけれども、ちょっと気になって中学2年の歴史の教科書を見たんですよ。藤原不比等は出ています。
○○ 出ている。
植田 ただし、本文の文脈の中には出てなくて、参考程度に添え物で出ています。だから、藤原不比等がこれほど重要であるかということは、今の中学の教科書の段階ではまだ認識されてないです。そのかわりに、私たちも司会者さんも多分習ったと思うんですけど、その父親の藤原鎌足のほうは、大化の改新の大立て者、大役者というんですか、それとして大文字で出ています。
○○ 不比等の大分後に道長というのが出てくるわけですよね。
植田 そうです。道長は不比等がつくった太政官というか、不比等戦略の中の具体形態です(道長は左大臣になった)。平安時代の藤原摂関政治というのは、見事に不比等の戦略の結果です。
○○ だから、律令制度の創業社長が不比等なのに、それが不当に黙殺されているというか。
植田 いや、不当じゃなくて、誰も知らないんでしょう。
○○ 知らないだけだと。
植田 というか、藤原不比等が自分で消したんですよ。当時はまだ藤原氏というのは、新京都学派の説では、俗にいう言葉でぽっと出なんです、成り上がり貴族。だから、自分を政界の前面に出したら、出るくぎは打たれるでつぶされてしまうんです。だから、わざわざ目立たない戦略を立てたんです。だから、彼は左大臣にならなかった。たしかそうだったかな。トップである左大臣は空白にして、その2番目の段階(右大臣)に自分が生涯最高の位としてなったんです。トップに立ったらたたかれますから、そこまで用心深く自分を前面に出さなかったんです。だから、誰も気がつかなかったんです。意図して史家たちも、権力者たちも藤原不比等を消しているんじゃないんです。
○○ デビューできたのは、鎌足が革命を起こしたから、おやじがあるところ……
植田 デビューできたのは、もちろんそうです。
○○ 鎌足が偉かったから。
植田 そう。だから、鎌足は何者かという、古代史をめぐって現代の日本人の研究者たちが争って発掘調査をやっているんです。だから鎌足はだれか、百済人説あり、唐人説あり、新羅人説あり、もちろん日本人説もありますが、外国人説も。まだ決まってはいないです。
○○ 不比等研究というのは、ある意味学者の中でも、たしか朝日選書で『藤原不比等』という本が出ていて……
植田 それが上田正昭さんです。
○○ たしかそんなお名前だった。
植田 そう、出ています。
○○ 朝日選書で、これが1冊出ているだけだったかな。
植田 藤原不比等という名前だけで。
○○ ええ。
植田 多分そうですね。
○○ 私は、それを買ってまだ読んでないんですけど。
植田 上山春平さんが藤原不比等自身について書いたのは、隠された群像だったか、虚像だったか(『埋もれた巨像』)、ずばり不比等という名前を出せばいいだろうと思うんですけど、やはりこの辺もまだ早いというあれがあるんですか、1970年代の後半のものです。これも後で送りますから。
○○ この人も新京都学派の1人ですか。
植田 さっき言った1人です。私が新京都学派と名前をつけたのは3人で、梅原猛、上山春平、それでいま名前が出た上田正昭さん、この人は実家が神道のうちだったみたいですけど。
○○ 梅棹忠夫とは大分路線が違う人たちなんですね。
植田 また違いますね。
○○ あの人はどちらかというと中央アジアとか、ゴビ砂漠とかに行って。
植田 でも、あの人はあの人なりにいいことを言っていますよ。例えば西洋史の文明の流れが日本史と重なっているとか、注目すべき指摘があります。西洋史にシャルルマーニュが出てきたとき、日本では藤原不比等が出てきましたもんね。
○○ ついでにお伺いすると、京都学派と新京都学派というのは、イデオロギー的なつながりはあるんですか。
植田 新京都学派と京都学派は?
○○ 西田幾多郎とか。
植田 ああ、それは哲学の問題で、これは梅原猛も一番熱心に問題にしています。彼らと私たちはどう違うか。だけど、深みはない。それは言っちゃうとまずいか。戦前の京都学派というのは、要するに日本独自の哲学を立ち上げるにはどうしたらいいかという学派でしょう。なぜかといったら、明治時代、日本の哲学というのは西洋の輸入なんです。哲学に限らず全部の学問は。これじゃあまずいだろうと起きたのが京都大学でしょう。自分たち日本人独自の学問をつくらなくちゃいけないと。
○○ 近代の超克とか言ってますよね。
植田 そうそう。それで明治政府によってつくられたのが京都大学でしょう。そのかわり東京大学からは役人をつくるというのができているわけです。だから、その京都大学が明治政府に与えられた使命を実行に移そうとできたのが、京都学派なんです。西洋の翻訳だけじゃまずいだろうと。
それと、いま言った梅原猛さんたちの新京都学派は、大きな流れでいけば、その中から出てきたと言えます。梅原猛とか上山春平という人は、京都大学で哲学を学んだんです。それで、それぞれに哲学を勉強するわけです。ソクラテス、プラトン、アリストテレス、デカルト、ヒューム、カント、ヘーゲル、ハイデッガー、等々。ところが、中年に差しかかって自分たちの人生が半分終わったところで、西洋人について何だかんだと言ったところで、これでいいのかと、彼らはふと気がつくわけです。私たち日本人の主題は何かといったら、日本にあるだろうと。自分の足元にある。それで日本史に行くわけです。
京都学派と新京都学派では、研究する主題が異なっています。西田の場合は、たとえば善を研究しましたが、哲学の問題として行いました。それに年齢的にも、梅原猛や上山春平は、そのあとの世代です。
それで、上山春平さんの場合は、軍隊のときに潜水艦に徴集されたわけです。それで終戦を潜水船の中で迎えるわけです。それで勤務の合間に自分が持っていった『万葉集』とか『古事記』『日本書紀』を読むわけです。それで、一番引かれるのはアマテラス神話で、これは何かというわけですよ。何のためにこんなのができてきたのか。そこから読み解き始めるわけです。これは藤原氏の一番都合のいいように編成されていると。
それで、明治時代に津田左右吉が当時の西洋の最先端の学問である実証主義を輸入して、「信じているだけではだめだ、文献的に『日本書紀』を調べなくてはいけない」ということで調べ始めて、『日本書紀』は政治的につくられたと言ったわけです。これは天皇を中心にしてつくられた神話だから、あの人(津田)は戦前の人だから、皇室万歳で行きましょうと、こういう流れです。
ところが、戦後になって新京都学派になると、これがもう少し深みを持って、もっと読み込むと、そんなレベルではない。これはぽっと出の藤原氏が、自分たちが皇室に巻きついて日本国の権力を独占するために、非常に巧妙につくられた政治的文書であるというんです。このことを新京都学派が発掘したわけです。
○○ その問題意識というものは、本当にいわゆる書店で普通に手に入る新書レベルの本の……
植田 そうですよ、出ていますよ。
○○ 出ているけれども、それほど市民権が今あるというふうには私は見えない。
植田 私にはそれが不思議なんですよ。こんな重要なことを、なんでだれもがみんなほっといているのか、と。私が考えたのは、いま言ったように、そういう話とボナー・フェラーズとかマッカーサーの天皇利用計画とか、今現在の民主党の脱官僚が何でできないかということを結びつける人がまだいないんですよ。
○○ そうですね。
植田 そこまで行かないと、全部は解き明かせないんです、日本史は。
○○ テッサ・モーリス・スズキとかいうアメリカのポストコロニアリズムの女の学者が、『天皇とアメリカ』という本を集英社新書で書いた。でもそこまで肉薄しているという感じではなかったですね。
植田 そうですか。
○○ 天皇とは一神教だと、昔からいたいろいろな神様を黙殺したと。そのレベルの認識でとどまっていて、律令制度まで話は全然及んでいない。ある意味、植田さん以外に取っかかってないから、ぜひやっていただきたいなと、本も出していただきたいなと。
植田 多分私が1人目だと思います。
○○ 1人でやったら、永遠の業績に。
植田 カウントされますか。
○○ ストックになりますから。本というのはフローが多い、フローの情報で使い捨てが多い。ストックの情報をつくらなくてはいけないですよね。私の『パワーエリート』の本(『アメリカを支配するパワーエリート解体新書』)でも、これはオバマ政権が8年間、4年間は一応ストックとして持つんだけど、その後はフローとなっている部分が多いから、なかなかストックになりづらい。
でも、歴史の本というのは必ずストックになるんです。歴史に残りますから、ぜひ頑張っていただきたいと。
植田 ちょっとタイム。ちょっと疲れちゃったんですけど、この辺で今日の分は終わりにしてもらってもいいですか。
○○ どうしましょう。今カトリックの話……
植田 私はエネルギー的限度が毎日2時間なんです。今どのぐらいたちました?
○○ カトリックの話まで行っていませんね。
植田 行っていませんね。
○○ ええ。
植田 もう一回やりましょうか。
○○ そうしたら……
植田 いや、話せば全部話せるんですよ。
○○ 今度は電話とかでもいいですか。
植田 いいです。ネットでもいいですよ。ネットというか、メールでも。
○○ メールだとやっぱりやりとりができないから。
植田 そうかそうか。
○○ 電話でやっていきたいなと思うんですよね。でも、話の流れとしては非常におもしろくて、第1回の……
植田 おもしろかった?
○○ おもしろかった。非常におもしろかった。不比等の話まで出てきたわけです。
植田 いや、いま司会者さんが言われたカトリックと近世、ここから今度は西洋史の話になるんですが、ここからがまたすごくおもしろいんですよ。これはこれで改めて、また体力がフレッシュのときから始めたいですよ。
○○ お電話であれば資料を片手におうちでできると思うんですよね。
植田 いいですよ。
○○ うちの事務所にはテープどりの装置がありますので。
植田 副島さんがrational、ratio、reason、理性について、この前の佐藤さんとの対話でかなり話されていますけど、それはそれとして、私は私なりに哲学のほうから理性とは何か、これは古代ギリシャから中世、それと近代全部、この政治の問題と絡めて話したいと思っているんです。
それと、もう一つつけさせてもらうと、司会者さんが一番関心を持たれているイルミナティ、それとかフリーメーソン、インビジブル・カレッジ、スカル・アンド・ボーンズ、これもまた哲学と独立の範疇で同じぐらいの分量でやっぱりあるんです。それで、司会者さんが関心を持たれている世界権力の問題も、まさにドッキングします。
○○ そうですね。
植田 これはまた3回目の話に持ってくるだけの量があるので、とてもじゃないけれど話し切れないですよ。
○○ そうですね。じゃあ1回目の話をまとめると、今もなお律令というものが残っていると。それをつくったのが藤原氏であり、藤原氏は今は藤原氏としては勢力は残ってないけど、その呪縛が日本の官僚制度、あるいは政治政体に取りついている、それをうまく利用してきたのがアメリかであるということなんだろうと。ここら辺のちょっと結論めいたところを。
植田 だから、戦後の日本をつくったのはアメリカなんです。副島さんが言っているけれど。それはどこにあるかといったら天皇利用計画で、SWNCC228で決まりです。ただ、占領中の日本改造計画と、今現在とは分けたほうがいいです。それで私が言ったのは、今のほうに与えられた日本国憲法のほうの天皇利用計画です。ただ従来、例えばこれも私が名前をつけたんですけど、軍国少年世代の言論家たちがいましたよね。西尾幹二さんとか、渡部昇一さん、彼らが一番重要視したのは、「東京裁判とは何だったか」でしょう。早い話こんなのはどうでもいいんですよ。こんなものはアメリカの戦略にすぎないんだから、アメリカ占領軍の。冗談じゃないと、それで終わり。
○○ 終わり(笑)。
植田 だから……
○○ 今の最後の情報提供も含めて私の意見なんですけど、『ワシントン・ポスト』なんかを読んでいると、あるいは『朝日』でアメリカのマイケル・グリーンとか、そういう当局者が言うと、日本の官僚は非常に優秀だと。そればかり言うんですね。
植田 そうか、それを言いたい?
○○ それを今回の1回目の結論で。
植田 じゃあそこを言っておきましょう。
○○ ええ。
植田 アメリカは帝国主義戦略として、日本が律令制度であろうが、デモクラシーであろうがどっちみち利用するんです。だから、どっちが利用しやすいかの話で、律令理性とか、今の官僚が利用しやすいんだったら、今のままでやりますよ。それで日本が政権を交代して、脱官僚になって、政治家主導になっても、今度はマイケル・グリーンの次の世代が、どうやって新しい日本の自然理性派の連中を、―もっともそのときは日本人を「原住民」とは呼ばなくなると思うんですけど、―私たちの「同志」のデモクラシーの国を、いかにイギリス流に持っていくか、そういう発想になりますよ。
○○ なるほどね。そうすると日本の政治家のほうも、それに対応する戦略がないといけない。
植田 そうです。既にそれをやろうとして、いま思いついた推測なんですけど、小沢一郎なんてむしろ、日本をイギリスの立場に置いてアメリカと交渉しろ、とやろうとしているのではないだろうか?
○○ 確かに小沢さんはイギリスに何回か行っていますからね。
植田 そうでしょう。だから、律令理性派から見ると、戦後の日本はやられ過ぎなんです。律令理性というのは、上下関係でしか国の関係を見ないです。これも中華思想を受け入れた律令制度の残滓が根にあるんですけど。
だから明治以来、日本が巻き込まれたウエストファリア体制、これは国家対等の論理でしょう。これはやっぱり主権国家同士で対等であると。もちろん世界には国家規模の大小がありますが、一応建前は対等です、とね。実際はアメリカが権力を持っているでしょう。これはだれもが認めていることだから。だから建前と実際は違うというのは、世界だって同じなんですよ。
○○ なるほど。そういった意味で戦略が重要だと。第1回目はこのくらいにして、ありがとうございました。
植田 いえいえ、とんでもない。
○○ はい。
=転載終了=
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