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塚越健司(一橋大学大学院社会学研究科,.review編集)
2011年3月11日。日本を襲った大震災はその爪痕を深く残すと共に、先行き不安の影を日本全土に及ぼした。さらに、原発問題に端を発する放射能汚染の問題は、天災ではなく人災であるとの声が叫ばれ、東京電力と政府・大手マスコミとの癒着関係がネットを中心に批判されている。そんななか、リークサイト「ウィキリークス」は原発問題にかんする公電をリークするなど、精力的な活動をみせている。
本稿では、ウィキリークスの持つ「リーク」を「権力」の観点から考察することで、その思想的価値を追求したい。
原発にも触れるウィキリークスの外交公電
昨年世界中から注目を浴びたリークサイト「ウィキリークス」。2010年11月28日から段階的公開を開始した米外交公電事件は、日本における報道が下火になった現在でも、着々と公電を公開している。
ウィキリークスは的確なリーク戦略を展開することで、確実に世界に対するプレゼンスを獲得してきた経緯がある。2011年、チュニジア・エジプト・リビアで相次ぐ革命が生じた際にも、ウィキリークスは積極的にこれらの国家に関する公電を公開することで、世界に対してその存在をアピールしてきた。
日本ではほとんど報道されることはなかったが、東日本大震災(3月11日)直後の3月15日に、ウィキリークスは原発に関する公電を公開している。公電は2008年、東京の在米大使館から発信されたものである。それによれば、米外交関係者は原発反対派で知られる自民党河野太郎議員と会談し「電力各社はテレビ局に経済的圧力を加え、河野議員がテレビ出演出来ないよう工作している」と伝えている。
すでにネット等で盛んに議論されている、東京電力のスポンサー料を背景にした各種大手メディアの抑制報道のことを、この公電は明らかにしている。公電の内容としてはそれほど機密性の高いものではないが、ウィキリークスが積極的に各国の問題に介入しようと欲していることがうかがえる。こうした活動によって、ウィキリークスは巨大組織の不正を明るみに出そうと欲しているのである。
「支配関係」から「権力関係」へ
権力が引き起こす不正を暴露するウィキリークスだが、権力という意味では、そもそも我々は常にすでに権力関係の中に埋め込まれて生きているとも言える。冷戦期のアメリカとロシアを代表とする、国家対国家の権力関係もあれば、学校のクラス内にも見えない力関係が渦巻いており、その関係の網の目を考慮しながら我々は生きている。
しかしそのような関係軸は、ある時突然、脆くも崩れ去ることがある。ベルリンの壁は取り払われた。クラスにケンカの強い生徒が転校してくれば、それだけでクラス内のヒエラルキーが更新されることもあるだろう。「権力」そのものは常に存在するが、権力関係もまた常に更新される事実を我々は忘れてはならない。
フランスの思想家ミシェル・フーコーは、関係性の変化可能性を含意した「権力関係」に「支配関係」という言葉を対置させる。支配関係とは、主人と奴隷の関係を代表とする、関係軸の更新が生じ得ない関係を指す。権力が支配の関係に陥ってはならない。変化を許容し得ない「支配」は、関係の硬直化しか生まないのだ。
「支配関係」であれ「権力関係」であれ、人が不自由を感じるとき、我々は「批判」を実践する。しかし、「支配関係」下の批判と、「権力関係」下のそれは決定的に批判の方向性が異なる。
@「支配状態」にあって我々が望むことは、「解放」である。解放とは、「〜をされない」、あるいは「本来の〜であった状態に戻る」、ことを望むことであり、言ってみれば「否定の欠如」を求める。そして、欠如されたものが埋められれば、我々は満足してしまう。例えば、東京電力に「正しいデータを公表しろ」という、欠如されたデータが埋められれば、満足してしまうのだ。
Aそれに対して「権力関係」が求めるものは「関係の変容」である。人々が消極的な意味で「解放」を求める「支配状態」に対し、「関係の変容」を常に求めることで、新しい権力を構築し得るような批判を、フーコーは好ましいと考える。例えば、東京電力がデータを公開させるだけに留まらず、先のウィキリークスの公電を根拠に、東京電力の体制そのものへの批判、それに伴う新たな日本の電力をめぐる政策に我々が声を上げるようなものである。
このように権力関係下の批判は、先の見えない不安定な関係の中で熾烈な「闘争ないし討議」が実践されることで、よりよい権力関係を目指すのだ(もちろん、いったん成立した権力関係はすぐさま新たな権力と闘争する。「権力関係」は常に不安定であるが、ダイナミックな変化を期待できるのである)。
ウィキリークスの影響力
以上の指摘を加味したとき、ウィキリークスの「リークという名の批判」の価値が見出せる。以下簡単に整理したい。
@ウィキリークスは「〜されない」ことなど望まない。不正を表す一次情報というウィキリークスの特性を活かして、通常のメディアには現れない情報を引き出しうる。
Aウィキリークスは公開した情報をソーシャルメディアや既存メディアをフルに活用することで、世界中に拡散する。
B世界中に認知された情報を元に、世界中から情報を公開された政府・企業等に批判が集中する。そのために政策や方針を変更する等、既存の権力組織体としての力を大きくそぎ落とされた結果、組織体そのものが無くなるか、あるいは組織がより不正のない、透明性を確保するようになるなど、組織体内部ないし周辺権力体との「権力関係」が更新される可能性がある。「リーク」に端を発した、ウィキリークスの権力に対する積極的な批判可能性がここにある。
Cネットやリアルの現場で一人一人が声を上げて改革を要求するといった従来の批判活動が有する影響力と比べると、ウィキリークスの批判活動は影響力が飛躍的に高い。さらに公開される情報はかなりクリティカルなものが多い。また、ウィキリークスが「国際舞台の権力プレイヤー」としてすでに世界から認知されていることが指摘できる。国家や一部の武力テロ組織などを除けば、世界に対して影響力を行使できる組織としてのウィキリークスは貴重な存在であり、今後の国際政治を考える上でのファクターとして重要であろう。
おわりに
権力の不正に関する批判は、これまでも実践されてきた。しかし、ウィキリークスの登場は、不正の欠如を望むような批判ではなく、一次情報という武器を手に、すべての市民が関係の変化を望む批判を可能とした。加えて権力組織体は、「機密」の潜在的流出可能性のために、もはや意図的な不正を実践するに困難な環境下に置かれた。これもウィキリークスの重要な成果のひとつである。
ウィキリークスが今後どのような情報をリークするかはわからない。しかし、リークを否定的に捉えるだけでなく、リークを介して、よりよい権力関係の構築可能性を、我々は志向すべきではなかろうか。リークの利用。今後のリークは利用すべきものとして考えるべきである。
塚越健司
1984年生。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程在籍。若手の言論発信空間「.review(ドットレビュー)」の編集。はやくからウィキリークスに注目し、2010年5月頃からメディアにて積極的に発信。共著に『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)。その他「週刊エコノミスト」、「週刊 SPA!」、「宣伝会議」「ユリイカ」等様々な媒体に寄稿している。
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