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平野貞夫の「永田町漂流記」
「日本一新運動」の原点(49)── 幻の『救国非常事態対策院』の設置
http://www.the-journal.jp/contents/hirano/2011/04/49.html
■幻の『救国非常事態対策院』の設置
有史以来最大の災害となった「東日本大震災」、その対応の最高責任者であるリーダーとしての菅首相の資質、というより人間としてのあり方が問題となっている。民主党内はむろんのこと、内閣・官邸から悲鳴が聞こえてくる。内閣も国会も機能不全という事態に、私は「日本一新の会」の多くの会員から、絶叫のような叱責を受けていた。
私は衆議院事務局に33年間勤め、その間、10年ぐらい災害対策の仕事をしていた。災害対策基本法の制定にも関わり、日本の災害の特殊性や明治以来の官僚国家の中で、災害対策が国民のために行われていなかったことを熟知している。現在でも官僚制度の発想の原点に「原型復旧」という哲学が生きている。そもそもわが国で、「災害復旧基金」のようなものが始まったのは、日清戦争の賠償金であったという歴史を知ればわかろう。
平成4年に参議院議員となり、小沢一郎氏のもとで「国民の生活が第一」を目標に、新しい国づくりのために活動していた。
平成16年に参議院議員を引退後は「日本一新運動」を中心に政治評論活動をしている。
思うに、日本の災害の歴史は社会的弱者が常に被害を受けるという構造であった。社会的強者や支配層が被害を受けることは少ないという歴史であり、今回の福島原発災害の背景には、大都会の繁栄のため、過疎地と、そこに住む人々が犠牲となるという社会構造を忘れてはならない。
昨月、後期高齢者となった私は、堪え性がなくなったのか、国会・政府・政党の「非常事態」認識が不足していることに怒りを募らせ、旧知の自民党元参議院議員会長・村上正邦を、3月25日(金)に訪ねた。村上氏は原発災害でフランス大使館の支援に関わったことで、菅首相に強い不満を持っていた。私の顔を見るなり「わしに会いにきた狙いはわかっとるよ。国家非常事態で中曽根元首相に会わせろ、ということだろう」と言い当てた。
ずばりであった。私は東日本大震災は非常事態であり「国家の危機」と認識していない菅首相の対応をきわめて憂慮し、「メルマガ・日本一新」でも提言を続けてきた。笹森清内閣府顧問も私の提言を取り上げ、菅首相に直言したようだが、摘み食いに利用されただけであった。衆参両院議長も国家の危機という認識はなく、この事態に指導力を発揮できるのは中曽根元総理をおいて他にないと確信した。
ところが中曽根元総理と私は逆縁で、保守政界の中で私が指導を受けた政治家の全てが、中曽根政治と対立関係であった。その関係は中曽根さんも承知していて、私も距離を置いていた。しかし、この大惨事に対し、そんな小事にとらわれてはいかんと、村上正邦という国士に相談したわけだ。
村上さんは「よし、中曽根さんと会おう」と3月28日(月)午後4時をセットしてくれた。中曽根さんと会うことが決まったことはよかったが、どんな話をするかは考えていなかった。この非常事態で菅首相を直ちに退陣させることはできない。与野党の挙国体制をつくる必要があるが、大でも小でも連立となるとポストと利権争いとなる。国家と国民のため、真の挙国体制をどうつくるか。村上さんと私は、国会決議で内閣とは別に各党・政府・地方自治体・民間諸団体などの代表者で「救国非常事態対策院」を設け、ここの提言を菅内閣が実行するということで意見が一致した。
構想の叩き台はできたものの、村上さんと私だけではこれを動かすことはできない。どうするかというところで、村上さんから「亀井に相談しよう」とのことで、翌26日(土)に、村上・亀井・平野・南丘(月刊日本主幹)の四人で会うことになった。会談では、亀井国民新党代表のきわめて有用な提言に基づいて、次の構想をまとめた。
○救国非常事態対策院の設置(案)要旨
(目的)東日本大災害による非常事態に対処するため、挙国体制により、緊急対策本部の緊急対策と復興の基本方針、政策の立案及び実施を提言し、本部長を補佐する。(構成)各党を代表する者、政府を代表する者、地方自治体を代表する者、経済界・労働界・言論界を代表する者、その他。(設置)国会決議による。
この構想のポイントは、政治・行政機能不全となった菅首相を、大災害の中で退陣させることは総合的な判断として適切でないという認識に立って、非常事態に対処するため国会決議という方法で、救国体制をつくろうというものであった。これだと大連立とかという党利党略なしに、真に国家と国民のための対策と、新しい国づくりが可能となる。
緊急対策に見通しがついたところで、菅首相の花道として退陣してもらう。どの道、在日韓国人の違法献金問題の責任もあるという期待があったことも事実である。
この構想をどう生かすか。亀井代表の意見は「菅首相が納得することが前提だ。説得するのは仙谷副長官をおいてない。平野さん、そのことは了承してくれるのか」と、小沢--仙谷関係を心配して、私に意見を求めてくる。「いろいろあるが国難のときだ。戦略的に仙谷さんに動いてもらって結構です」と言うと、亀井代表はその場で仙谷副長官に電話をした。状況を説明し同日、亀井--仙谷、村上--仙谷会談がセットされた。
ふたつの会談で仙谷副長官は「これは戦前の枢密院だ」と叫んだとのこと。その通りだ。こんな非常事態には非常時体制で臨むべきであり、この構想は「超法規行為」を断行する腹がなくてはできない。そのため国会決議で設置し、憲法の原理に反しないようにしたのだ。仙谷副長官は賛同し、菅首相を説得することになる。村上氏は「3月28日(月)午後四時に中曽根元首相と会う予定なので、それまでに返事をもらいたい」と要望した。
結局は、中曽根元首相との会談時間までに仙谷副長官から菅首相を説得したとの返事はもらえなかった。村上氏と相談して、中曽根元首相には経過報告中心の説明となった。中曽根元首相は、「非常事態には総理が命を懸ける気になれば何でもできる。それができなければ辞めるべきだ。そのことがわかる人間が総理になっているはずだ。構想のような組織はかえって邪魔になるのではないか」との意見であった。
私たちは菅内閣が大震災発生後、機能しなくなっており、災害の国難とともに、政治がもたらす国難が発生しており、国際的にも日本国家の劣化が著しくなった状況を説明した。中曽根元首相は「菅首相が腹を決めて私にアドバイスを求めてくるなら、相談にも応じるし、指導もする」と、さすがの見識を見せてくれた。この話は村上氏から仙谷副長官に伝えられ、菅首相の対応を見ることになる。
ところが、これらの動きに刺激されたのか、菅内閣・民主党執行部内で、自民党との連立構想が出てくる。同時に自民党内部でも百鬼夜行のように民主党との連立への蠢きが始まった。菅政権側は延命策としての連立、災害復旧利権に関わろうとする自民党化石グループ、そして自民党中堅からは菅抜き、谷垣首相が条件だとか、百家争鳴の状況となった。
村上・亀井・南丘(前出)・私の4人の構想は、連立論となると利害利権の政争となるので、それを避けるために、超法規的発想による『救国非常事態対策院』による各党・各界の、真っ当な人材を活用した「枢密院」の設置であった。
右往左往の連立論は泡のように消えたが、百鬼どもは、いつ自己の利益を求めて発酵してくるかも知れない。非常事態はより深刻になっているのにである。しかし、時間の経過とともに忘れられるようになった。私たちの構想も、早咲きの桜のように散り、さらに劣化し方向性を失った菅内閣は続いていく。このままだと日本は崩壊し、取り返しが付かない事態を迎えることとなる。
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- Re: 「日本一新運動」の原点(49)─幻の『救国非常事態対策院』の設置 (平野貞夫の「永田町漂流記」)へのコメント 蔦 2011/4/09 03:22:42
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