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「保守論壇改造論」といって、保守論壇は改造するべきだが、保守論壇に対抗する「左翼論壇」は健全で、何も問題はない、というわけではない。保守論壇は左翼論壇なしには存立しない。左翼論壇が活性化すれば保守論壇も活性化する。たとえば、昭和初頭は、講座派と労農派との「資本主義論争」に象徴されるように、マルクス主義やプロレタリア文学の全盛期だったが、実は、保守論壇も、その左翼論壇の活性化に呼応するかのように、小林秀雄の登場や京都学派の台頭に代表されるように、全盛期を迎えることになるのである。再び左翼論壇が活性化するのは戦後であるが、その時も、保守論壇も、少数派ではありながら、福田恒存や三島由紀夫、江藤淳のような思想的に優れた保守思想家を輩出する。要するに、保守論壇が空洞化する時はまずそれ以前に左翼論壇が空洞化するのである。したがって現在、保守論壇が空洞化しているとすれば左翼論壇も空洞化している。そして左翼論壇は、今も空洞化しているというべきだ。具体的に言えば、三島由紀夫自決事件、それに影響を受けた連合赤軍リンチ事件、さらには「ベルリンの壁」崩壊、「ソ連の解体」に象徴される「冷戦の終焉」を経て、左翼思想家たちは「思想」や「国家論」や「革命」を語れなくなり、そのかわり、仕方なくポストモダン的な「言語ゲーム」としてのカルチュラルスタディーズやポストコロニアリズム、フェ二ミズム等のような「知的ゲーム」の世界へ逃げ込むことになり、読者大衆からも見離され、思想闘争の現場としての左翼論壇は実質的に崩壊する。つまり左翼論壇から実践的な改革論も革命論も姿を消す。今や左翼思想は「学問」か「お喋り」「娯楽」のレベルにに堕落している。したがって、最近の左翼思想には、「貧困社会」「格差社会」に苦しむ大衆の集合的無意識を読解する力もなく、またそういう大衆をデモやスト等、大衆運動に動員する力もない。この左翼論壇の空洞化を象徴する左翼思想家が、テレビや新聞、週刊誌が持て囃す「カンサンジュン」である。「カンサンジュン」こそは左翼論壇の空洞化と左翼思想の「通俗化」「大衆化」「商品化」を象徴する左翼思想家である。たとえば、戦前、戦後を通じて、左翼思想家の中で、本人は「私小説」だと勘違いしているのかもしれないが、大衆通俗小説以下の『在日』『母』というような自慰的な自伝的作品を書いた人はいない。いかに現在の左翼思想、及び左翼論壇が「低俗化」し、思想的に「脱力化」しているかを象徴している。そこで、柄谷行人が、敢えて、左翼思想と左翼論壇を再建すべく、「世界同時革命論」ともいうべき『世界史の構造』という実践的革命論の書を書くという暴挙に出ざるをえなかった所以がある。「カンサンジュン」と柄谷行人とは、その思想の位相が決定的に違うのである。さて、僕が「保守論壇批判」から「保守論壇改造論」を試みるのは、言うまでもなく左翼論壇を擁護するためでも左翼思想を賛美するためでもない。むしろ保守論壇や保守思想を強化することこそ、現在の日本には必要だと考えるからだ。「保守論壇批判」と「保守論壇改造論」こそが、日本の政治や経済の堕落、つまり日本の国家の「弱体化」を防ぎ、日本国家の思想的強化に有効だと考えるからだ。(続く)
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20110223/1298406537
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