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【小沢氏強制起訴】
どうするオザワ 土俵際の苦しい持久戦 2011.2.1 00:24 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110201/stt11020100260000-n1.htm
長く政界最大の実力者として永田町に君臨してきた民主党の小沢一郎元代表がついに「刑事被告人」となった。41年以上の政治生命は最大のピンチを迎えたともいえる。党執行部は離党勧告も視野に厳しい処分を小沢氏に突きつけるだろう。困難な法廷闘争も待ちかまえる。土俵際に追いつめられた小沢氏に逆転の目はあるのか。(船津寛)
「百術(ひゃくじゅつ)は一誠(いっせい)に如(し)かず」
31日午後6時すぎ、衆院議員会館の会議室に姿を現した小沢氏は「座右の銘」を引用し、こう続けた。
「私は20年間一貫して政権交代を主張し、ついに民主党政権が誕生した。国民との約束を中途半端にすることはできません」
「無罪」への法廷闘争宣言であり、「脱小沢」を目指す菅直人首相らへの宣戦布告でもあった。
その夜、小沢氏は東京・六本木の日本料理店に向かった。待っていたのは松野頼久元官房副長官ら議員約20人。「絶対無罪になりますよ」と励まされた小沢氏は日本酒をあおりながら上機嫌でこう語った。
「いつ選挙があってもおかしくないぞ! おれは選挙が好きだ。北海道から全部回るぞ!」
「小沢被告」を軸に新たな抗争が始まろうとしている。その帰(き)趨(すう)は政界の構造を大きく変える可能性も秘めている。
昨年10月、東京第5検察審査会が2度目の起訴議決を公表後、政界は小沢氏の強制起訴を織り込みながら動いてきた。民主党執行部は衆院政治倫理審査会実現に向けて猛然と動き、「脱小沢」路線の是非をめぐる党内抗争へと発展した。
3カ月もの抗争劇で明らかになったのは小沢氏の「力」の衰退だった。執行部の攻勢に対抗し、連日のように開かれた小沢系議員の会合は決まった顔ぶればかり。ときには数人のこともあった。先の代表選で200人の議員票を獲得した小沢氏の「数の神話」はすでに崩壊していた。
強制起訴を受け、党執行部は離党勧告も視野に小沢氏の処分へと動きだした。岡田克也幹事長は31日、国会内で「民主党議員として活動を続けるという意思が示された以上は役員会を開き、議論を行わなければならない」と語った。
狭まる包囲網。小沢系議員の間で一時こんな反撃のシナリオがささやかれた。小沢氏の政治の師である故田中角栄元首相がとった「単独離党→外部支配」の構図の再現だ。田中氏は昭和51年、ロッキード事件で逮捕され自民党を離党したが、外部から自民党議員を遠隔操作し「闇将軍」の地位を守り続けた。
ただ、これは小沢氏が党内に一定の「数」を保持していることが前提となる。田中氏には100人を超える「木曜クラブ(旧田中派)」があった。小沢氏にそこまで数の優位性はない。小沢氏もこのプランは念頭にないように見える。
そこで取り沙汰されているのが党内にとどまっての「持久戦」。平成24年9月に民主党代表の任期が切れる。翌25年8月29日には衆院の任期満了を迎える。
「そのころには小沢氏の裁判にも結論が出ているはず。当然無罪だ。潔白を証明して堂々と代表選に出馬すればいい」
小沢氏側近は「復活のシナリオ」をこう描く。だが、24年5月に小沢氏は70歳となる。そんな時間的な余裕があるだろうか。
小沢氏のもう一人の政治の師、故金丸信元自民党副総裁は平成4年、東京佐川急便事件で略式起訴された後、議員辞職に追い込まれ、脱税容疑で逮捕された。そして辞職から3年半後、法廷闘争中に非業の死をとげた。
バッジを失えば丸裸にされる。金丸氏の壮絶な最期をつぶさに知る小沢氏に残された道は、戦い続けることしかない。
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