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(回答先: 小沢氏強制起訴裁判にも影響する石川議員による録音が証拠採用 (かっちの言い分) 投稿者 一遍上人 日時 2011 年 1 月 21 日 08:40:29)
http://dainagon-end.at.webry.info/201010/article_7.html
検察審査会「起訴議決」制度に思う
<< 作成日時 : 2010/10/15 20:48 >>
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公訴権を検察が独占し、「起訴便宜主義」により自由に容疑者を裁判にかけ或いはかけない権能を有する検察が大変な権力を握ってしまっていることに対する問題意識が基礎にあって、また、検察の「精密司法」が過度に犯罪者に対して寛大になってしまっているという「国民の不満」を背景にして、検察審査会の「強制起訴」制度(正式には「起訴議決」制度というのだろうか?)が設けられたものと僕は理解している。
小沢氏本人はかつて検察批判をしていたが、民主党代表選挙前後では、すでに検察が不起訴を決めたことから、検察の判断を恰も権威ある最終判断のように解して、自身の潔白の論拠としていた。
しかし、これが検察審査会で覆ると、小沢氏本人ではないかもしれないが、その周辺から検察審査会制度に対する不満が示され、ついには、小沢氏(弁護団)が検察審査会の「起訴議決」を違法のものとして、行政訴訟を起こすにいたった。
民主党の小沢元幹事長が国を提訴 強制起訴「無効」と差し止め求める
(サンケイ2010.10.15 12:16)
民主党の小沢一郎元代表(68)の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件で、小沢氏は15日、東京第5検察審査会が出した起訴議決は検察審査会法に違反しており無効などとして、国を相手取り、起訴議決の取り消しと、起訴手続きの差し止めなどを求める訴訟を東京地裁に起こした。
小沢氏の弁護士は「議決は行政処分にあたる」と主張しており、強制起訴に向け、検察官役となる指定弁護士を同地裁が選任する手続きを停止するよう求めている。提訴と同時に仮差し止めも申し立てた。
小沢氏は、元秘書らと共謀して、陸山会が平成16年に購入した土地代金を17年分の政治資金収支報告書に記載したとして、同法違反(虚偽記載)の罪で告発された。第5検審は4月の1回目の議決では告発内容をそのまま「犯罪事実」と認定。しかし9月の起訴議決では、土地代金の原資となった小沢氏からの4億円を収支報告書に記載しなかったことが犯罪事実に追加された。
小沢氏側は、告発事実以外を犯罪事実に加えることは、検審の審査の範囲を超えていると主張。また、原資の4億円は1度しか議決されておらず、2度の議決で強制起訴に至るという検察審査会法の手続きに違反し無効だとしている。
検察審査会法に照らして、小沢弁護団の主張が正しいものかどうかはわからない。
しかし、これについて仙谷官房長官が面白いことを述べていた。
【小沢氏「強制起訴」】議決無効求める小沢氏の行政訴訟、仙谷氏が「疑問」
(サンケイ2010.10.14 18:53)
仙谷由人官房長官は14日の記者会見で、民主党の小沢一郎元代表が国を相手取り、東京第5検察審査会が「強制起訴」とした議決の無効確認を求める行政訴訟を15日にも起こすことをについて「行政訴訟として立てるというのはどうかな。刑事公判としては成り立たないという申し立てをするのが伝統的法律家の思考方法だ」と述べて、行政訴訟提起の方針に疑問を呈した。仙谷氏は弁護士出身。
僕も、直感的には刑事司法手続きの中に行政訴訟が入るというのは違和感を感じた。
しかし、ここに、小沢弁護団の主張の是非や小沢氏やその周辺のひとたちの検察審査会に対する不満とは別に考えるべきことがあるように感じる。
たしかに、仙谷長官のいうように、刑事公判で争うのが伝統的な法律家の思考方法というのはよくわかる。しかし、刑事公判で争うとなると、起訴までの捜査、起訴後の公判開始までの期間はもとより、おそらく、この問題は、弁論がすべて終了したのち、判決の中で裁判成立の要件として論じられることになろうから、裁判所の判断が示されるまでの期間は、大変長いことになるのではなかろうか。
門外なので、検察審査会の「起訴議決」の不当違法を争う方法が現行法制度の中にあるのか全くわからないが、小沢弁護団が行政訴訟という選択をしたのはおそらく不当議決に対する有効な救済方法が他に見出し得なかったからではないかと思われ、そうだとすると、現行検察審査会法には、重大な瑕疵があったのではないかという疑念も生じるのである。
裁判の結果、無罪になればそれでよいというわけではないのは、まさに元厚生労働省児童家庭局長の村木氏が違法捜査、不当起訴の結果、マスコミ等によるそれも含めて回復しがたい人権侵害の被害にあった事件の経緯に鑑みても、容易に理解できるはずである。
実質上、公訴権を独占してきた検察の問題は問題として、検察が従来は「精密司法」を標榜し、公訴権の行使に当たっては、原則的には謙抑的な姿勢(あるいは温情的な裁量権の行使)をとってきた経緯を想起すれば、起訴方向にのみ圧力がかかる検察審査会のあり方自体の問題は問題としても、その議決の結果について、早急な防御権の行使と効果的な救済が図られうる制度をあらかじめ組み込んでおくべきだったと思う。
政界に力をもち、強力な弁護団を組織できる小沢氏にして早急な救済が必要であるぐらいであり、もし、われわれ一般国民が、検察審査会の不当議決によって、無罪(軽罪)になる見込みが高いにもかかわらず刑事裁判の過重の負担を耐えねばならない羽目に陥った場合の悲惨さは想像を超えるものがある。
場合によっては、起訴議決をするということ自体が、冤罪の温床となる可能性も指摘しうるのであり、あきらかな不当議決を排除する方法を、当該制度の中に用意しておくべき必要は明らかではなかろうか。
加えて、異様に感じるのは、小沢氏に対する起訴議決をして「国民の判断」とみなす論調が(とりわけ野党議員の中に)見出されることである。
検察審査会が、国民の司法参加の一手段であることは当然としても、個別の検察審査会の判断が「国民の判断」ではないことは、論理上明らかである。
しかし、問題のなのは、そもそも刑事司法は、制度自体が国民の法感情に基礎をおくという議論はありえたとしても、その審判が、純粋に法理的に行われず、民意によって左右されるものだとすれば、もはや、法治国家と名乗ることができないという、当たり前のことに対する、無自覚であろう。
昨日の参議院予算委の中で自民党委員の中には、執拗に検察審査会議決をふりかざして菅首相の見解を問いただす悪辣な者もいたが、検察審査会議決は刑事司法過程における単なる一ステップに過ぎず、それ自体、刑事裁判のような十分な弁論を経て、被告人の防御権が行使されたものでもない、一国家機関の見解に過ぎないものである。どう考えても、これに固有の権威を与えることは不可能であり、実は、これは冒頭で指摘した、小沢氏の検察による不起訴判断を論拠とする議論が滑稽であるのと、全く同じである。
このような幼稚な主張を、首相にぶつけて恥じない知性というのはとも思ったが、むしろ、これは承知で議論をしているのであるから品性の問題というべきであろう。(なお、自民党の品性に関する問題は、岡崎国公委員長に関する議論についてもあるが、それは他日に譲るとする。)
検察審査会の起訴議決制度に対する救済を、刑事公判手続自体にゆだねるという現行法の構えは、それが明白な不当議決であり違法なものである場合においては、あまりに悠長な、そして、過度に民衆に信頼を置いた態度であるように思われる。
きわめて扇情的な取り上げ方をされた事件について、暴力的な起訴議決権の行使とならないか、一抹の懸念を示して、とりあえず本稿をとじたい。
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