http://www.asyura2.com/11/senkyo104/msg/930.html
Tweet |
ディベート(討論)能力が著しく衰えていることを、最近強く感じる。相手の主張を十分ソシャクしたうえで、自分の説を組み立てる、という当然のことができない。
討論の主戦場である国会でも、同じ傾向が顕著だ。双方、自説を繰り返すばかりで噛み合わず、ついには不規則発言が飛び出して、閣僚更迭などという騒動にまで発展する。
言論界も例外でない。テレビでおなじみの鳥越俊太郎さんは、古くからの友人ではあるが、先日、民主党の小沢一郎元代表の〈政治とカネ〉をめぐる批判に対して、
〈きちんとした検証抜きのレッテル貼りは、言葉のファシズムではないのでしょうか〉
と書いているのを見て、唖然とした。鳥越さんが『毎日新聞』に連載している〈ニュースの匠〉というコラム(一月十日付)のなかである。
ファシズムとは極めつきのレッテル貼りではないか。私のように、新聞、雑誌、テレビで小沢さんの批判を続けてきた者にとっては、突然、ファシスト呼ばわりされたような気分で、驚き入るばかりだ。ここは一言しないわけにはいかない。
鳥越さんはベテランのジャーナリストでありながら、ディベートの原則を踏みはずしている。小沢批判側の主張をまったくソシャクしていない。〈言葉のファシズム〉と結論づける前提として、鳥越さんは、
〈私自身は二つの事件(西松建設違法献金事件と資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件)を巡る東京地検特捜部の動きとマスコミの連動を当初から検証していますが、特捜部が見立てをし、その通り捜査を行ったものの、結局はその見立ては何ら証明されず、最後は不起訴に終わった、いわば“巨大な虚構”に過ぎませんでした〉
と決めつけた。虚構とは実体がないことである。それを根拠に騒ぎ立てるのはファシズム、というのが鳥越さんの立論だ。実際に虚構なら、そういう主張もありうるのかもしれないが、果たして虚構だろうか。さらに、こう続けている。
〈“虚構”は転がる過程でマスコミを通じて大音響のこだまを生じさせ、首相から大阪のおばちゃんまで、何かといえば「政治とカネ」というようになりました。小沢氏のどこが、なぜ問題なのか?〉
私は一ジャーナリストとして、言葉のファシズム、などという恐ろしい表現は一生に一度使うことがあるかどうかと思っているが、こういう鳥越流の、検察捜査の失敗→虚構→マスコミの過熱→ファシズム、という論の組み立て方には、すかすかのスイカを外見上、おいしいスイカに見せるような危うさがある。いかにも短絡的なのだ。
不起訴イコール虚構とは
とんでもない短絡である
まず、虚構論である。小沢さんは、西松事件では、
「一点のやましさもない」
と繰り返し、陸山会事件では、
「信頼する秘書にすべて任せてきた」
と述べているが、鳥越さんはそれを信じているらしい。私は信じていない。長年、政治記者として小沢という人物を観察してきた確信である。
鳥越さんは不起訴イコール虚構と断じた。とんでもない短絡だ。これまで検察が狙いをつけ追及したが、起訴に至らなかった大物政治家は何人もいる。ほとんどは小沢さんと同様、嫌疑不十分によるものだった。潔白ではなく、虚構でもない。
小沢さんの不起訴処分が決定した日、東京地検の特捜部長は、
「検事の数ほど意見があった」
と言い、処分をめぐって内部に対立があったことをほのめかした。虚構でないことの重要な裏づけだ。
次に、鳥越さんの主張は、検察不信が小沢擁護に直結しているように読み取れる。それは明らかにおかしい。〈特捜部の見立ては何ら証明されず……〉と鳥越さんは言うが、〈何ら〉は間違いだ。疑いはいろいろあったが、起訴に至らなかった、検察内部には起訴論もあった、というのが真相である。不起訴処分の背景は、検察の捜査能力の不足によるのか、首脳陣の政治判断か、あるいは実際に違法性が乏しかったのか、ヤブのなかだ。
鳥越さんが検察不信のわりには、小沢さんの不起訴を頭から信じているのは解せない。不起訴に疑問を持ったから、検察審査会は二度も〈起訴相当〉を議決したのであって、検察不信なら検審に共感を示すほうが筋が通るのではないか。
だが、そんなことよりも、鳥越さんにぜひソシャクしていただきたいのは、いわゆる小沢問題の問題性である。〈政治とカネ〉は象徴的な断面でしかない。
小沢さんの政治感覚は古すぎる。いにしえの専制的なボス支配に近い。それを議会制民主政治に当てはめるには、(1)権力闘争に勝って、支配権を握る(2)そのために、選挙戦を制して多数派を確保しなければならない(3)選挙に勝ち抜くには、大量の資金調達が必要である−−という三段論法的な政治手法を取る以外にない、と小沢さんは信念的に考えているようだ。
この手法はほかの政治リーダーにとっても避けて通れない道のりである。だが、ほかのリーダーとの違いは、小沢さんは手段を選ばないような強引さで突っ走ってきた点だ。その一つの表れが〈政治とカネ〉の疑惑にみられる突出した金権体質であり、剛腕といわれるゆえんだ。
四十年近く前、〈田中支配〉が騒がれ、田中角栄元首相の失脚につながっていったが、それをしのぐ〈小沢支配〉を危惧する空気が、政界の内外に広がったのは当然で、戦後政治の学習効果である。私も危惧する一人だ。
虚構を転がす、というような見当はずれの呑気な話ではない。鳥越さんは〈大阪のおばちゃん〉を持ち出し、庶民レベルにも批判の目を向けているが、庶民はしばしば敏感だ。八割が小沢さんに不信の目を向けている。それはファシズムなんかであるはずがなく、素朴な不安だ。
今週のひと言
混迷NHKよ、大相撲を叱る資格があるのか。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110119-00000000-sundaym-pol
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
- 小沢排除に懸命の大新聞 、現代徒然草(米国が宗教団体に命令し、宗教団体が毎日に書かせている感じがします) 小沢内閣待望論 2011/1/19 14:56:57
(0)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK104掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。