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(回答先: 裁かれるトップ:JR脱線事故/上 かすんだ真実 /中 業界かばい合い(Rを知らない社員?) 投稿者 戦争とはこういう物 日時 2012 年 1 月 13 日 21:45:05)
今回の裁判で特徴的だったのは、捜査時「カーブは危険と感じた」などの社員証言がなぜか法廷で次々否定されたこと。はたしてこれは強引な捜査による無理な証言だったためか、それともほかの理由があるのか。
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JR福知山線脱線:山崎前社長、11日判決(その1) 法廷、翻された供述
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120108ddm010040050000c.html
乗客106人が死亡し493人が負傷した兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故(05年4月)で、業務上過失致死傷罪に問われたJR西日本前社長、山崎正夫被告(68)の判決が11日、神戸地裁で言い渡される。安全対策を統括する鉄道本部長だった96〜98年当時に現場カーブの危険性を認識し、事故を予見できたかどうかが最大の争点だ。事故を巡り巨大鉄道事業者の取締役の刑事責任を問う異例の公判は、10年12月から27回にわたって開かれた。何が明らかになったのか、法廷での証言を振り返った。また、裁判に参加、あるいは傍聴した被害者24人を対象に毎日新聞はアンケートを実施。判決を前にした心境などを聞いた。【重石岳史、生野由佳、山田毅、加藤美穂子】
◆第3回公判
◇設計者「危険性認識せず」
検察官 運転士が制限速度を間違えたり失念したりする可能性があると思ったから、制限速度標識を立てたのではないですか
元社員 それはありません
検察官 なぜ
元社員 運転士がルールを守って(運転)するというのが前提なので、そういう想定は当初からしていません
検察官 ルールを守るのが前提であれば、標識は必要ないのでは
元社員 分かりません
公判は、検察側証人として出廷したJR西関係者が、検察官調書に書かれた捜査段階の供述内容を次々に覆す異例の展開で始まった。
昨年1月14日の第3回公判では、現場カーブの設計に携わった元社員(62)が出廷。96年12月のカーブ完成当時、元社員が線路脇に70キロの制限速度標識を立てた理由について、検察側、弁護側双方の質問が集中した。
元社員の供述調書には「運転士が制限速度の変更を忘れ、以前の制限速度(95キロ)のままで本件曲線に進入し、脱線などの危険があると思ったから、脱線事故などを防止する目的で速度制限標識を設置した方がよいと考えた」と記載されていた。
現場カーブの半径600メートルから304メートルへの縮小に伴い、列車が遠心力で転覆を始める速度は時速約142キロから105〜110キロ程度となった。手前直線の制限速度120キロを下回ったことから、検察側は「運転士が何らかの事情でブレーキ操作を行わなかった場合、脱線転覆事故が発生する客観的危険性が格段に高まった」と指摘。分岐器などがない「単純曲線」に制限速度標識を立てることは珍しく、標識設置は危険性を認識していたことを示す客観的事実と位置づけている。
ところが、元社員は法廷で「危険性の認識はなかった」と言い切った。理由として挙げた「訓練を受けたプロの運転士が制限速度を守るのが前提」という考えは、「被告は列車が大幅な速度超過で脱線することを予見できなかった」とする弁護側の主張に沿ったもので、その後出廷するJR西や他社の関係者も同様の趣旨を証言した。
◆第4回公判
◇社員「ダイヤにゆとり」
検察官 (事故車両が衝突した)マンションについて、列車を運転している時に何か考えたことはありませんでしたか
社員 (快速が中山寺駅で停車するようになった03年12月以降は)結構、120キロで走ることが多かったので、このまま直線上に行ったらマンションやなっていう意識は少しありました
検察官 ブレーキポイントが遅れた場合、どうなるかは考えませんでしたか
社員 曲がりきれないっていうのは思いましたので、絶対にブレーキポイントを手前手前にという意識は働いていました
検察官 運転士がブレーキポイントで遅れてしまうのは、具体的にはどういう時が考えられますか
社員 私が運転に携わって以降、考え事などがほとんどの理由に挙げられるかと思います
昨年1月20日の第4回公判では、事故前に福知山線に乗務した元運転士の男性社員(51)の証人尋問が行われた。
社員は、事故を起こし死亡した運転士(当時23歳)を指導した経験もあり、事故後に当時の垣内剛社長(67)に「あそこ(現場)にマンションが建ち始め、『考え事をしてブレーキを取り忘れ、遠心力で脱線でもしたら当たってしまい怖いなあ』と思っていました。見習い運転士にも実際にそう教えました」と発言したことが記された社内資料も明らかにされた。
ただ、社員が現場カーブの危険性を感じたのは、上り線で尼崎駅の手前6駅目にある中山寺駅に快速列車が停車し始めた03年12月以降だ。
山崎被告の過失が問われている97年3月のダイヤ改正時は「ダイヤにゆとりがあった」と述べ、列車の遅れを取り戻すため速度を上げる「回復運転」はほとんど行われていなかったと証言した。
また、弁護側証人として出廷した別の元運転士の社員は伊丹−尼崎駅間で「100キロを出す必要がなかった」と証言。伊丹駅から現場カーブまでの約4キロの直線は、路線最高速度の120キロで列車を走らせることが可能だが、弁護側は「実際には90〜100キロで運転が行われた」と主張している。
◆第11回公判
◇専門家「ATS必要」
検察官 50キロの減速幅のカーブは一般的でしょうか
松本氏 相当例外的な箇所と思います
検察官 省令でさまざまな鉄道事業者に保安設備を強制的に義務付けるのは簡単ですか
松本氏 省令レベルで設置を義務付けている保安装置はそれほど多くない
検察官 ATS設置の必要性については
松本氏 当該曲線は線区の最高速度の80%を下回る例外的な急曲線であり、かつ制限速度120キロの区間に隣接している。速度を超過するリスクがあり、速度チェックができるタイプのATSを設置するのが適当だったと思います
第11回公判(昨年3月4日)では、事故鑑定人の松本陽・国土交通省運輸安全委員会鉄道部会長(62)=事故当時は交通安全環境研究所主幹研究員=が検察側証人としてATS(自動列車停止装置)設置の必要性について証言した。
ATSは運転士が制限速度を超えて運転した場合、列車の速度を落としたり、非常停止させたりして事故を防止する装置。国鉄常磐線三河島駅の衝突事故(62年)を機に、旧国鉄時代の66年に全国の路線に整備された。当時は運転士が赤信号を見落とした際に列車を非常停止するのが目的で、カーブへの整備は想定していなかった。
88年にJR京葉線に初導入された新型(ATS−P)は、線路上に設置した装置(地上子)を通過した時点で停止信号までの距離などのデータが車両上の装置(車上子)に伝送され、車両側が列車のブレーキ性能に応じて安全な速度に減速させる機能を持つ。カーブ手前の速度制御にも有効で、88年以降、鉄道各社が新型への移行を進めた。福知山線事故現場でカーブの半径が半減した96年当時、カーブのATS整備は義務付けられておらず、各鉄道事業者の自主判断に委ねられていた。事故後の国交省の調査では、整備していたのは鉄道事業者119社のうちJR東や西、東海など16社。業界に統一的な整備基準もない中、JR西は89年以降、半径450メートル未満のカーブを対象に新型を路線単位で自主整備していた。福知山線も03年9月に整備を決定していたが、完成前に事故が起きた。
証人出廷した松本鉄道部会長は、当時の鉄道技術基準省令に照らし、手前直線との制限速度差が50キロある現場カーブは「例外的」と指摘。省令について、法的拘束力はないが大幅な減速度を持つ曲線はできるだけ避けるべきだという指示との見解を示した。
一方、第16回公判(昨年4月15日)以降に弁護側証人として出廷した鉄道事業関係者は、危険なカーブ対策としてのATS設置を否定した。JR東海は事故前、制限速度差40キロのカーブにATSを整備していたが、元安全対策部長は「目的は信号冒進事故防止で、曲線に付けたのは念のため」と証言。JR四国の元鉄道事業本部長は「福知山線事故前、カーブにATS設置を指示したことはなかった」と述べた。証人は、カーブでの脱線転覆を想定していなかった理由として、福知山線事故以前に同様の事故例がほとんどなかったことを挙げた。
◆第22回公判
◇前社長、予見を全面否定
弁護人 本件曲線は他の曲線と異なる何か特別な曲線という意識はありましたか
山崎被告 大変申し訳ないですが、全くございませんでした
弁護人 どのような変更がなされたか明確な認識は
山崎被告 非常に広範囲の工事の一部だという認識でありましたので、取り立てて注目することはありませんでした
弁護人 線形変更、ダイヤ改正、そして函館線事故から、本件曲線で速度超過による脱線転覆事故が発生する危険性をあなたは認識しましたか
山崎被告 全くありませんし、認識しておれば何らかの対応を取るのが安全を担う人間の最低限の役割だと思います
弁護人 今までと異なるような整備をすれば経費増大につながるから困るという考えを巡らせた事実はありますか
山崎被告 安全のために経費増大もやむを得なければ当然やります。わずかな金が惜しいからやらないなんて、そんなばかなことを考える人間ではございません
4回にわたって行われた被告人質問は、弁護側の尋問から始まった。山崎被告が鉄道本部長在任中の96〜97年の間に起きた現場カーブの変更、ダイヤ改正、そして函館線事故。これら三つの事情から事故を予見できたとする検察側主張を、山崎被告は第22回公判(昨年5月27日)で全面否定し無罪を訴えた。
現場カーブの変更は、尼崎駅構内で福知山線と東海道線を立体交差させる工事の一環として91年3月の取締役会で投資決定され、同年11月に国の認可が下りた。尼崎−京橋駅間を地下鉄道で結ぶ東西線事業に合わせ、輸送力増強を図る目的だった。
山崎被告がこの事業に関わったのは安全対策室長に着任した93年4月以降で、「既に安全のチェックは行われていた。(危険性を指摘する)社内での議論は私の耳には一切入っていない」と説明。東西線開業に伴い列車本数が増発された福知山線のダイヤ改正も、「この程度の増加は過去にもあった」と述べた。
96年12月4日、制限速度60キロのカーブ(半径300メートル)に貨物列車が100キロ超の速度オーバーで進入し脱線した函館線事故。JR西は同月25日の鉄道本部内の会議で「新型ATSなら防げた事故例」と記載した資料を出席者に配布していたが、山崎被告は「見た覚えはない。貨物列車の事故で旅客会社には縁が薄いという観点から、ほとんど説明はなかったと思う」と述べた。
函館線事故は運転士の居眠りが原因だったため、証人出廷した他の鉄道会社の関係者も、カーブにATSを整備する対策を事故後に講じなかったことを証言している。
◇歴代3社長、公判に影響
尼崎脱線事故を巡っては、遺族が告訴したものの不起訴となった歴代3社長が、神戸第1検察審査会の議決により業務上過失致死傷罪で強制起訴されており、山崎被告の判決後に公判が始まる見通しだ。
今回の公判では、歴代3社長の一人、井手正敬元会長(76)について、山崎被告は「JR西の生みの親」と表現。鉄道本部長時代の安全対策について「信号機関係は私がほとんど蚊帳の外という状態で、井手さんと担当者の間でどんどん進められたケースもあった」と語った。国交省航空・鉄道事故調査委員会(当時)の山口浩一元委員は第12回公判(昨年3月14日)で井手元会長について「自分の言うことを聞かない部下は排除する」と述べ、影響力の大きさを証言した。
歴代3社長の起訴状によると、3人が問われているのは、それぞれの社長在任中の刑事責任だが、カーブの変更、ダイヤ改正、函館線事故の3点を予見可能性の根拠としており、山崎被告の判決が公判の行方を大きく左右するとみられる。
◇尼崎脱線事故
兵庫県尼崎市のJR福知山線塚口−尼崎駅間で05年4月25日午前9時18分、宝塚発同志社前行き快速(7両編成)が制限速度70キロの右カーブに約115キロで進入し、1〜5両目が脱線。一部は線路脇のマンションに激突し大破した。国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(当時)は07年6月の最終報告書で、死亡した運転士(当時23歳)のブレーキのかけ遅れが主因と断定した。兵庫県警は運転士や山崎被告ら計10人を書類送検し、神戸地検は09年7月、山崎被告だけを起訴した。
起訴状によると、山崎被告は96年6月〜98年6月、JR西の安全対策を一任された鉄道本部長を務め、▽現場カーブを半径600メートルから304メートルに半減させる工事(96年12月)▽JR函館線の貨物列車脱線事故(同)▽ダイヤ改正に伴う快速列車の増発(97年3月)−−により、現場カーブで脱線事故が起きる危険性を認識したが、ATSを現場カーブに優先的に設置するよう指示すべき業務上の注意義務を怠り、脱線事故を起こさせた、とされる。
検察側は論告(昨年7月29日)で、「職責上、事故を容易に予見できた。現場カーブのATS整備を指示できたのは社内で被告しかいない」「いわば怠慢型の過失」と断じ、禁錮3年を求刑した。これに対し、弁護側は最終弁論(同9月30日)で「鉄道業界では当時、カーブでの脱線を想定してATSを整備する観念はなく、個別に整備した例もなかった」と指摘した。
毎日新聞 2012年1月8日 東京朝刊
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