http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/266.html
Tweet |
(回答先: 貞観地震(貞観11年5月26日癸未=ユリウス暦869年7月9日) 投稿者 みやした 日時 2011 年 4 月 27 日 00:39:43)
「文応元年〈太歳庚申〉之を勘ふ。正嘉に之を始めてより文応元年に勘へ畢んぬ。
去ぬる正嘉元年〈太歳丁巳〉八月二十三日戌亥の刻の大地震を見て之を勘ふ。」
『立正安国論奥書』によると、日蓮が著作を思い立ったのは正嘉元年(1257)の大地震がきっかけだったとのこと。
http://kominato-kataumi.jimdo.com/1257%E5%B9%B4-%E5%BA%B7%E5%85%832%E5%B9%B4-%E6%AD%A3%E5%98%89%E5%85%83%E5%B9%B4-36%E6%AD%B3/
『日蓮ノート』「1257年・康元2年(3月14日改元)・正嘉元年 丁巳(ひのとみ) 36歳」のページから『吾妻鏡』の記述をあげていくと
(適宜改行等・ココカラ)・・・・・・・・・・・・
8月1日 戌の刻大地震。
8月23日 戌の刻大地震。音有り。神社仏閣一宇として全きこと無し。山岳頽崩し、人屋顛倒す。
築地皆悉く破損し、所々の地裂け水湧き出る。中下馬橋の辺地裂け破れ、その中より火炎燃え出る。色青し。
今日大慈寺供養御布施の事沙汰を致すべきの由、御教書を御家人等に下さるる。
9月 小雨降る 申の刻地震。去る月二十三日の大動以後、今に至るまで小動休止せず。これに依って為親朝臣天地災変祭を奉仕す。御使は伊賀の前司朝行。
11月8日 大地震、去る八月二十三日の如し。
・・・・・・・・・・・・・(ココマデ)
8月23日(ユリウス暦1257年10月9日)の地震は鎌倉にも甚大な被害で、震源地は関東南部、マグニチュード7〜7.5だったようです。
文中「地裂け破れ、その中より火炎燃え出る。色青し。」とあるのは南関東の地下に眠る天然ガスが噴き出し、炎上したのだとか。
日蓮は当時、鎌倉で布教途上。この地震体験を経て文応元年(1260)の『立正安国論』著述・執権北条時頼への呈上につながっていきます。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。