★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評12 > 821.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
Re: 「僕のお父さんは東電の社員です」(現代書舘)を読む(2)
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/821.html
投稿者 脳天気な 日時 2012 年 4 月 10 日 16:58:06: Md.C3hMjrAb3Q
 

(回答先: 「僕のお父さんは東電の社員です」(現代書舘)を読む(1) 投稿者 脳天気な 日時 2012 年 4 月 10 日 16:55:11)

ブログ:法螺と戯言
http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51781749.html+++++「僕のお父さんは東電の社員です」(現代書舘)を読む(2)
 この本の核心は投稿者の父親が東京電力社員であることです。投稿者は、小学生児童である自らも今回の責任の一端があると健気に書きます。子供には責任はない。事故の被害者として「どうしてくれんだっ!」と叫ぶ権利を持っていると思います。しかし、抗議の相手に父親が含まれているのです。さぞかし辛かろうと思います。父親自身が苦しんでいる筈です。だからこそ「事態解決のため、父も含め大人同士で話し合ってくれ。」と子供は訴えたのです。

 前々回に引用した「通産官僚の破綻」(講談社文庫、1994年)で、著者である並木信義氏は「あれほどの危なっかしい巨大装置(原子力発電のこと)をなんとか大事故を回避して運転し続けてこれたのは奇跡に近い。これは現場の技術者の献身的努力ゆえである」(要旨、205頁)と、書いています。ゆうだい君のお父さんはその意味で危なっかしい原発をなんとかここまで大事故を起こさせぬよう献身的な努力をしてきたのだろうと思います。その意味で、お父さんを引け目に思う必要は全くありません。

 そうではあるけれども、これほどの大事故の主犯たる東京電力の一社員はどこまで、責任を問われねばならないのか?この本では、ゆうだい君の父を思う切実な訴えにも拘わらず、投稿者も、論説委員も、そして書評者たる中島氏もその訴えにまともに応えていないのです。そこで、登場するのが森氏です。「組織の中でいきる」(181-194頁)と題した一節で、悪い組織で働かねばならない一介の組織人の役割を語ります。その議論に持ち出されるのが、「ナチスドイツによるホロコースト」です。そしてナチス指導部の命令に従わざるを得なかった部下の様態解釈としてのミルグラムの実験(1963)です。「ホロコーストとミルグラム」、これは、ホロコースト議論の謂わば定番です(例えば「服従の心理学」、河出書房、2008年)。私は森氏の「ホロコースト」論が、ゆうだい君の訴えに応えるものではないことを書いておきたいと思います。

 森氏は書きます:
「第二次世界大戦が終わった時ナチスドイツによって占領されていた地域に建設された複数のユダヤ人収容所で多くの遺体が発見された。ナチスドイツによるホロコーストだ。正確な数字は分からないけれど600万近いユダヤ人が収容所に運ばれて毒ガスなどで殺された。(中略)シャワを浴びるだけだと騙されてガス室に詰め込まれ苦しみ悶えながら死んでいった。(中略)」と先ず書きます。そしてナチスやドイツ兵士はそれほどに残虐な人達であったのか?と、疑問を設定します。「そんな筈は無い」として、次のように続けます。そのくだりが、まさに東京電力で働く職員つまりゆうだい君の父親に重ね合わさるという構図です。「最も多くのユダヤ人を虐殺したとして、ホロコーストのシンボルのような存在になったアウシュビッツ収容所・所長のルドルフ・ヘスは妻と五人の子供を愛する良き夫、愛情深い父親であった。アウシュビッツに家族を呼び寄せ、ガス室の近くの官舎に住まわせ休日には家族と一緒に過ごした。」と。処刑される前のヘスのメッセ−ジ「私はナチスドイツの歯車にされた。その機械は既に壊されエンジンも停止した。だが私はそれと運命を共にせねばならない。世界がそれを望んでいるからだ」を、引用しホロコストの説明を締めくくります。

 森氏は、「ゆうだい君の父親は原子力発電所の歯車にされてしまった、いわば犠牲者である。」と、ゆうだい君に語り、ミルグラムの実験を引用しつつ、「人間というものは、組織の中で、いかようにも残虐になることがある。そうならねばと思い込んでしまうことがある」と説きます。上に紹介した森氏のホロコスト論が真実であったとしても、これがゆうだい君への「大人からの謝罪の言」になっているのか、或いは、書評した中島氏は謝罪と読み取ったのか、私には疑問です。
 
 ホロコーストについて日本のジャーナリスト・言論界が忘れてはならない日があります。それは1995年1月30日です。米国の一民間団体であるSWC( Simon Wisenthal Center)の抗議で、日本の一月刊誌「マルコポーロ」(文藝春秋社発行)が唐突に廃刊に追い込まれたのです。SWCはユダヤ人迫害監視を目的に世界に目を光らせている団体です。第二次世界大戦の最中、米国政府が在米日本人を迫害し収容所に閉じ込めたと同様、ナチス・ドイツも自国の戦争政策に抗うユダヤ人、共産主義者を拘束し収容所に拉致監禁しました。その過程で、ユダヤ人への迫害・非道な虐待がなされました。それを嫌った多くのユダヤ人が国外に脱出しています。アインシュタイン博士がそうです。又本ブログで紹介した女性放射能物理学者マイトナ博士も同僚の助けでデンマークに脱出を余儀なくされています。こうした惨劇を繰り返させてはならないとの思いからSWCが設立されたのでしょう。それにしても、そのSWCが戦後40年の時点で,依然監視活動を継続していたのです。二年ほど前に日本の歌手がナチ制服を着用して舞台に立ったとの事で、このSWCから抗議を受けていますから現在も in action なのです。

さて、その月刊誌の当月号に一日本人医師西岡昌紀氏の「ホロコスウト事件」への考察記事が掲載されました。ガス虐殺に関心を持ったその医師が独自に調査を重ねたところ、ナチスによるユダヤ人迫害、残虐行為は確認できるけれども、ガスによる大量虐殺には多くの疑点があると書いたのです。それがSWCの逆鱗に触れ、日本政府までが関わる大事件に仕立て上げられ、出版社は自らの雑誌を廃してしまったのです。この事件の四半世紀ほど前に毎日新聞の一記者が某宗教団体の本を著しました。世に出るや否や、それは店頭から消えました。程なく明治大学の教授が別の本を著そうとしたところ、時の自民党幹部の力で、その本の出版が差し止められようとした事があります。この事件では、共産党が真っ先に声をあげ、大手報道機関も「出版差し止め行為」を言論妨害として批判の論陣を張りました。

 しかし、四半世紀後の1995年当時の日本の言論界は、そして左翼陣営もですが、この西岡氏の考察を「ネトウヨ」ならぬ「ネオウヨ」(新右翼)の戯言と見なし、『「言論の自由」だからと言って何を書いても許されると、言うわけではない』と自らに言い訳し、この抗議に屈服し沈黙してしまったのです。宗教団体が起こした事件とSWCの「抗議・廃刊」にどれほどの違いがあったのでしょうか?私は、ジャーナリストを名乗る方々に検証していただきたいと思っています。

(この項つづく)  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
 重複コメントは全部削除と投稿禁止設定  ずるいアクセスアップ手法は全削除と投稿禁止設定 削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告」をお願いします。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評12掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評12掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧