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(回答先: 「国債暴落」にどう備えるべきか? 個人向け国債は案外悪くない 投稿者 ts 日時 2012 年 1 月 18 日 01:36:39)
http://diamond.jp/articles/-/15775
山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員]
株式投資は敗者のゲームか?
チャールズ・エリスの『敗者のゲーム』は原著・翻訳共に何度も改訂出版されている名著だ。「金融危機を超えて」という副題が付く原著第5版の翻訳を読んでみた(鹿毛雄二訳、日本経済新聞社刊)。
この本は、運用方針をしっかり定めて適切なリスクを取り、リスクに見合う報酬としての追加的リターン(「リスクプレミアム」と称する)の享受を目指せと述べている。エリスは内外の株式でリスクを取ることを推奨していて、その際の運用手法(運用商品)の選択肢としてインデックスファンドを選べと主張している。
全米50万部のベストセラーの著者であるエリスと肩を並べるつもりはさらさらないが、「内外の株式に対するインデックス投資」という個人投資家への推奨運用方針は、筆者も同じだ。だが、結論は一緒でも、資本市場、特に株式市場に対する見方はエリスと筆者には大きな相違点がある。
エリスは株式運用を、プレーヤーの失敗によって差がつく「敗者のゲーム」だという。彼は株式市場の主たる参加者が機関投資家であり、彼らは、アナリスト、ファンドマネジャーを含む多くの優秀な人材を揃え、情報収集やポートフォリオ管理のためのシステムインフラを有していることを強調する。彼らは株価に影響する情報をおおむね瞬時にとらえて正しく解釈し、取引を通じてこれを株価に反映させる。だから、彼らを継続的に出し抜くことは困難であり、これを目指すアクティブ運用は取引にかかるコストのせいもあって成功しないとエリスは考えているようだ。あえて平均に勝とうとする投資家はエラーを犯し、インデックス運用に負けるというのがエリスの市場観だ。彼は、過剰なほど機関投資家の力を強調する。
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しかし、仮にインデックスが「投資家の保有する平均的なポートフォリオ」を代表するように構成されているなら、手数料・取引コストを除いたアクティブ運用の平均はインデックス運用に一致する。アクティブ運用の平均がインデックス運用にかなわないのは自明のことだ。これは、株価の正しさや市場の成熟度合いと無関係だ。米国のような先進国市場でも新興国市場でも同じことだ。
問題は、投資家が情報を適切に解釈し「正しい株価」を形成しているか否かにある。筆者は機関投資家も含めて、投資家にそのような立派な能力はないと考えている。
プロの皆さんも含めて率直に考えてみてほしい。株価が将来の利益の割引現在価値だと考えるとして、アップルでもトヨタ自動車でもいいが、たとえば3年以上先の利益がリアルに予想できるものか。また、将来利益の予想があったとしても、これをどのような割引率で現在価値に計算したらいいか、自信を持って答えられるのか。
投資家はお互いの様子を見ながら情報に反応しているだけだ。情報を正しく解釈できてなどいない。エリスには申し訳ないが、王様は商売熱心ではあるが裸なのだ。
しかし、共に無能な王様と人民が右往左往する市場であっても、ローコストな平均ポートフォリオ(インデックス運用)はコストをかけたアクティブ運用の平均に勝つから、「敗者のゲーム」という比喩は結果的に適切だ。
機関投資家が極度に優れているから株式投資は「敗者のゲーム」なのか、あるいは彼らも含めて投資家は理想の姿から見ると甲乙つけがたいくらい無能で「敗者のゲーム」なのか。読者はどちらの見方を採るだろうか。どちらでも投資家がやることは同じだが、投資の理論には小さからぬ影響がある。
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