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@ 円高の歴史
1871年(明治4年) 金本位制導入。1円を1ドルに定める。金の総量は1.5グラム。
(1円は江戸幕末の1両に相当。最後の「万延小判」の金の総量は1.87グラム程度)。
1897年(明治30年) 1円を金0.75グラムに変更。
1931年(昭和6年) 金兌換停止。金本位制の終焉。
1971年(昭和46年)8月15日まで、1ドル360円に固定。
ニクソン・ショック 1971年8月15日 変動相場制に移行。
1985年(昭和60年)9月22日までに、1ドル360円から243円程度に円高。
プラザ合意 1985年9月22日(先進5ヶ国会議)。中曽根内閣。
1985年9月22日から1988年12月31日までに、1ドル243円から125円程度に円高。
1989年1月7日の126円程度から1990年8月18日の152円程度の円安に戻して以降は、1995年5月6日の83円までの円高が続いた。
それ以降は100円から140円程度に蛇行した。
A 日米経済戦争
ニクソン・ショック以降の対米輸出は、日本の繊維産業などの基礎資材的な輸出製品が壊滅した。
(日米繊維交渉は1969(昭和44)ごろから1971年ごろまで、何回も交渉があった)。
プラザ合意以降の対米輸出は、ローテクの金属・石油・一般機械・低品位鋼製品などの一般的な輸出製品が壊滅し、ハイテクの輸出だけが生き残った。
B アメリカの傷あと
世界最大のUSスチールが日本の高品質鋼に敗れ、ピッツバーグは赤錆の廃墟と化した。
世界最大のアメリカ自動車産業が日本の省エネ高品質自動車に敗れて、デトロイトは草むらと化した。
日本のラジカセやテレビなどの家電製品がアメリカの家電産業を駆逐して、従業員はスーパーの店員などに転職させられた。
C アメリカの後を追う日本
アメリカの製造業を駆逐した日本は、今は立場を変えて駆逐される側に変わり果てた。
アメリカには軍事産業、コンピューター頭脳産業、医薬先端化学、鉱物・石油地下資源、食糧産業などが残っているが、日本には何が残されるというのか。
マネーゲームの金の奪い合いの幻覚から醒めた後に、何が残るか。
世界経済、自由貿易が崩壊したら、どうやって飯を食うつもりか。
★ 若い世代の人は、高齢者世代が陥った歴史を検証して、『国家百年の大計』を築いて、次の日本を築いてもらいたい。
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