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「「今こそ知ったかぶりを改めよ」:非現実的モデルによる量的予測におぼれる経済学者に対する戒め」
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「第2回危機・先人に学ぶ:キンドルバーガー(2)鋭い理論的洞察」
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民主主義や自由主義も同じだが、「自由貿易」が普遍的な利益ではなく、その国の置かれた状況によるというのは当然の理屈だが、第一次世界大戦後に世界最強の産業国家&債権国家になり、第二次世界大戦後は、世界の過半に達する生産力と貨幣的富を手に入れた米国で、経済学者がそのような論を立てるのはある種勇気がいることだっただろう。
日本の主流派経済学者は、
○ 承知のうえで、保身から「自由貿易」の普遍的な利益を説く。
○ 信じてしまって、請け売りで「自由貿易」の利益を説く。
のいずれかなのだろうが、どっちが多いのだろう?
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やさしい経済学
危機・先人に学ぶ:キンドルバーガー
(3)謙虚な研究姿勢
慶応義塾大学教授 竹森 俊平
現実の出来事の慎重な観察から結論を出すキンドルバーガーの学者としての態度が生まれたのは、彼の自伝を読むと第2次世界大戦中だったように思われる。
米コロンビア大学で博士号を取得後、米マサチューセッツ工科大学(MIT)で教職に就く前に、ニューヨーク連銀、財務省、陸軍、国務省などで豊かな実務の経歴をキンドルバーガーは積んだ。彼の自伝の序文を書いたガルブレイスは、その経歴中で、「大戦中で最も知的で権威のあった指揮官、オマー・ブラッドレー中将へ軍事情報を上げる上で彼が中心的な役割を果たした」ことを特筆している。
中将と彼との間の信頼の深さが垣間見える逸話が自伝にある。ある時ブラッドレーの率いる第12軍司令部をアイゼンハワーが訪れ、2人の将軍を前に参謀将校が意見を述べた。「そのあとにブラッドレーが議論を要約した。何を言ったか覚えていないが見事だった。次にアイゼンハワーが発言した。平凡で、会話をつなぐためだけなのが明らかだった。アイゼンハワーは外交官だが、ブラッドレーは兵士だと私には分かった」
「政治家」は嫌いなのだろう。国家の運命を左右する軍事判断には、予断を捨てて情報を確認する丹念さが必要だ。その役割を真剣に果たした態度は学者になってからも貫かれた。
キンドルバーガーが就任した1950年代当時のMITは、サミュエルソン、ソロー、モディリアーニなど逸材が加わり、数理経済学を確立していく過程だった。数式を使わない経済学者である彼が優れた同僚から尊敬されたのは、一兵卒のように真実に立ち向かう姿勢のためだろう。
例えば彼は、一時期もっとも標準的だった国際経済学の教科書の著者として知られるが、「自由貿易は利益となる」という教科書の命題を押し通さず、「自由貿易がその国にとってプラスかは状況に依存する」と主張する。その根拠として彼が挙げたのが、19世紀末に域外から安価な穀物が輸入された際、欧州5カ国が異なった反応をした事実だ。一番ポジティブな反応をしたデンマークは農業を改革し域外への輸出国に転換したのに、一番ネガティブな反応をしたイタリアでは農業が荒廃し、南部からの移民が大量発生していた。
[日経新聞11月16日朝刊P.27]
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