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(回答先: 火力シフトで増大する燃料輸入 労働力を使う製造業が海外に、エネルギー多用する重化学工業が国内に残った 投稿者 sci 日時 2011 年 6 月 16 日 05:32:23)
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「電力自由化は良いこと」は本当か
最先端の自由化が進む英国の実情
2011年6月16日 木曜日
吉田 健一郎
日本政府は、電力会社の地域独占の見直しや発電部門と送電部門の分離といった電力事業改革を、2020年をメドに実施する方向で検討に入ったと報じられている。そこで、本稿では、自由化や市場競争において先を行っていると言われる、英国の過去と現状について簡単に紹介していきたい。
電力自由化は「脱英国病」政策の柱
英国の電力産業自由化は、1988年にサッチャー政権が発表した電力民営化白書から始まった。「英国病」とも言われた景気後退にオイルショックが追い打ちをかけ、経済的な苦しみの中で誕生した同政権は、市場メカニズムを重視した効率的な経済体制を構築することで不況から脱しようと試みた。
その重要な政策の1つとして、国営企業の民営化推進があった。英国の民営化と言えば炭鉱労働者のストライキなどが有名だが、高い国内炭価格は石炭を利用する電力価格をも押し上げていた。こうした状況を改善すべく、電力の民営化・自由化によって価格を下げ、経済厚生の改善、つまり消費者の暮らしを良くすることを目的としたものだった。
このような自由化の流れは主として、欧州における競争政策の進展と、英サッチャー、米レーガンに代表されるような市場重視主義の流れに沿ったものである。これは、80年代の日米構造協議のような形で日本にも波及し、最終的には2000年代初頭の電力業界の部分自由化につながる動きの源泉ともなった。
20年前に発送電分離を実現
話を英国の電力自由化に戻すと、89年に電気法が施行され、電力業界の分割民営化が正式に決まった。90年には、これまで国営の独占企業だった「中央電力公社(CEGB)」は3つの発電会社「パワー・ゲン」「ナショナル・パワー」「ニュークリア・エレクトリック」と、地区別に12の配電会社、そして送電の運営管理を行う「ナショナル・グリッド」という、合計16の会社に分割された。
また、電力取引には当初、強制プール制と呼ばれる仕組みが導入された。それは、発電されたすべての電力を強制的にプール市場(卸電力市場)に集め、それを各企業の小売部門が購入し、それぞれ需要家に配電していくという方式だった。この仕組みは2002年に、NETA(New Electricity Trading Arrangements)と呼ばれる個別相対取引システムへと移行し、2005年にはBETTA(British Electricity Trading Arrangements)へと発展した。
英国の発電は外資が支える
その後、発電会社の顔ぶれはだいぶ変わり、エーオンUK(ドイツ)、RWEエヌパワー(ドイツ)、EDFエナジー(フランス)、スコティッシュパワー(スペイン)、スコティッシュ・アンド・サザン・エナジー(英国)にブリティッシュ・ガス(英国)を加えた6社が「BIG6」と呼ばれ、現在約95%のシェアを占めている。英国らしく、公益産業にもかかわらず、大陸欧州国籍の企業が多いのが特徴だ。
送電については、スコットランドも対象に含めたBETTAが始動したことで、ナショナル・グリッドが英国全土をカバーする送電システムオペレーター(National Electricity Transmission System Operator)として、全英の送電・管理と需給マッチングの役割を担っている。
1990〜2000年代に入り、急速に合従連衡が欧州の電力業界では広まったが、この背景には、競争自由化という欧州全体の流れの中で、各社が本格的に生き残りをかけて動き出さざるを得なかったという事情があった。欧州各社の生き残りの戦略は、例えば新興国への進出、あるいは域内での合従連衡による規模の経済性の追求などがあったと思われる。
さらに英国は、ちょうど今の金融規制での流れと同じように、欧州連合(EU)の競争自由化の先頭を走る形で国営企業の売却を実施した。当時、買い手として名前が挙がった企業には、エンロンなど米国の新興企業も含まれ、伸び悩んでいたエネルギー各社にとって、新しい成長の種として大いに注目を集めた。英国も、そうした国外の企業を積極的に受け入れたようにも見える。
電力卸売価格は2002年までに40%下落
90年代に産業自由化と競争の時代に入った英国の電力市場であったが、では、当初の狙い通り、電力価格は実際に下がったのだろうか。ガス電力市場監督局(Ofgem)の発表によれば、98年以降2002年までに卸売価格は40%下落し、市場改革は一般に相応の効果があったと評価されている。
しかし、それは相対取引を導入したことが引き金になったというよりも、発電市場が設備過剰になったことや、施設払い下げに伴う新規企業参入などによる競争の拡大などが背景にあったようだ。少なくとも、発電と送電を分離したことの結果のようには見えない。
2010年の時点で発電に参加している大手は約11社で、全体の90%を占めている。従って、相対的に競争が進んでいるとはいえ、企業数がそう多いわけでもない。Ofgemも新規企業参入の促進を図ろうと改革を進め、市場流動性の拡大に努めている。
供給逼迫とガス価格上昇で電力料金は高騰
各家庭の電気代という意味で、電力消費者物価の各国別推移を比較してみても、英国ではむしろ2000年代以降に小売価格が上昇していることが分かる。
小売価格上昇の主因は、卸売価格の上昇だ。卸売価格上昇の要因としては、供給能力の逼迫や天然ガス価格上昇などが挙げられている。英国では発電利用の燃料のうち北海産など天然ガスのシェアが高く(2010年は約40%)、ガス価格の影響を受けやすい。
もっとも、2009年以降はネットマージンも緩やかに上昇している。Ofgemはマージンの短期的な見通しについて「卸売コスト上昇が見込まれる中、小売価格が据え置きならばマージンは下落傾向が予想される」としている。不当な競争には当局の介入があり得るものの、今後は競争で価格が落ちるといった状況ではなさそうだ。
「あと5年で60%上昇」の最悪シナリオも
政府とOfgemは昨年2月、“Project Discovery”と呼ばれる電力市場改革を発表し、環境面からの要請やガス輸入依存度の高まり、エネルギー安全保障の観点などから、さらなる電力市場改革を促している。新エネルギーへの投資を促すため、二酸化炭素(CO2)の排出権取引で最低価格を設定すること、企業に対する供給義務の強化、中央エネルギー購買機関の設置など5つの政策が柱となっている。
特に、中央エネルギー購買機関の設置は、最も革新的な改革と位置づけられており、同機関の設置により将来的な供給不足を避け投資促進に役立つとされている。ただし、この政策によって「電力市場の自由化が逆進するかもしれない」(英ガーディアン紙)との見方もある。
改革の裏には、市場改革を行わなければエネルギー価格が上がってしまうという危機感がある。Ofgemが発表した価格の長期見通しによれば、国内エネルギー価格の上昇幅は、最悪シナリオで2016年までに60%、緩やかな上昇シナリオでも14〜23%とされている。
自由化だけがすべての解決策ではない
この理由は主として、天然ガスなど燃料価格の上昇や、新エネルギーなどエネルギーインフラ投資の遅れによる供給能力の低下などに起因している。
英国では自由化から20年近くが経ち、エネルギー政策は供給制約と環境という枠の中で新たな局面を迎えつつある。結局のところ、価格が下がるためには、需給の緩和や新たな市場参入拡大といった制度や構造だけでなく、原油やガスなど投入価格動向にも大きく左右される。
これまで、簡単に英国における電力自由化の経緯と現状を振り返ってみたが、一言、付け加えるならば、英国のような形で積極的に外資を受け入れる形が果たして日本に当てはまるかどうかは、不透明な部分も多い。英国も2003年に大規模な停電を経験しており、電力の安定供給が大切なことも事実だろう。冷静にコスト・ベネフィットを分析した上、制度設計を含めた議論をこれから行っていく姿勢が大切だ。
このコラムについて
Money Globe ― from London
環境、会計など様々な分野で影響力を誇示する欧州の経済情勢を、現地の専門家がマクロ、為替、金融政策、M&A(合併・買収)など様々な観点から分析する。
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著者プロフィール
吉田 健一郎(よしだ・けんいちろう)
みずほ総合研究所調査本部 ロンドン事務所長
吉田 健一郎 1972年東京都生まれ。96年一橋大学商学部卒業、富士銀行(現みずほ銀行)新宿西口支店入行。98年同国際資金為替部にて対顧客為替ディーラー。2004年よりみずほ総合研究所に向し、為替・原油市場分析を担当。08年より現職。著書に『オイル&マネー』(共著、エネルギーフォーラム社)、『迷走するグローバルマネーとSWF』(共著、東洋経済新報社)など
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