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避難民や計画避難区域に指定された地域の人達の混乱を責めるつもりはない。
問題は新たに出現した「計画避難」に対する混乱だろう。時間に余裕が与えられているので、考える時間が与えられるのであるが、考えれば考えるほど、この非常事態で何を避難させようかと混乱するのである。
政府が半径20kmの人達に対して避難命令を出したとき、放射能計測に基づく摂取量などの論理的な根拠に基づいて発動しましたか? 違うでしょ?
追加で指定した当該区域も、時期はずれたとは言え、半径20kmと同様の扱いになるとして避難命令を出せば良かっただけなのである。
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「生きがい奪われた」「計画的避難区域」福島・飯舘村の苦難
産経新聞 4月17日(日)7時56分配信
緑が芽吹き、道端にはタンポポが咲く。冬が終わり、ようやく待ち望んだ季節が来たはずだった。高校時代まで過ごした村の風景は、いつもと変わらない春。だが、いつもとは違う。記者の故郷である福島県飯舘村から報告する。(大渡美咲)
東京電力福島第1原子力発電所から北西に半径30〜50キロ圏にある村は、一部が屋内退避区域の20〜30キロ圏に入り、自主避難などを行っていたが、高い放射線量の数値が続いているため、政府が1カ月をめどに避難を要請する「計画的避難区域」に指定する方針を固めた。水道水の飲用規制、農作物の作付けの規制など、苦難が次々と襲いかかってきた。
◆深呼吸できるか
「この村で深呼吸できますか」。16日、計画的避難の説明に訪れた福山哲郎内閣官房副長官に農家の男性は問いただした。報道陣が会場からの退出を求められた時には「生の声を聞かせてやれ」と怒号が飛び、説明会は2時間半に及んだ。
農業や畜産は、豊かな土と水と空気で育まれてきた。自然とともに生きてきた村の生活が、根本から崩れ去ろうとしている。だからこそ、多くの村民が「飯舘村を離れるわけにはいかねえ」と口にする。
過疎化でも市町村合併に参加することなく、「自主自立の村作り」を掲げ、村おこしに励んできた。しかし、この未曽有の危機に、村民約6200人、それぞれが不安を抱えている。
父(60)は昨年、長年の夢だった農業に本格的に取り組みはじめた。昨年の経験から今年は、改良した作物を作ることを楽しみにしていた。それなのに田植えの準備もできず、外に出ることもままならず、家の掃除ばかりの日々を送っている。
野菜直売所「みちくさ」は収穫の時期を迎えているのに、シャッターが閉ざされたまま。運営者の一人、本田美代子さん(79)は「自分で作った野菜を自分で売る。お金ではない、楽しみ、生きがいを奪われた」。
◆外で遊びたい
佐藤優菜ちゃん(9)ら3姉妹は、「放射能があるから外に出ちゃだめなんだよ」と、家の中で絵を描いたり、かくれんぼをして遊んでいる。学校も始まらず、友達とも会えない。快晴の空を見て「外で遊びたいな」と寂しそうな顔をする。
100歳を超えた男性は計画的避難が発表された日、「長生きはするもんじゃない」と家族に告げ、足手まといになると思い詰めた末に自ら命を絶った。村の幹部は「冷害、大火災、村の危機はたくさんあったが、今度ばかりは乗り切れる気がしない」と弱音を吐く。
1年でも手入れをしなければ、田畑は荒れる。見た目には何ら変わりない、普段通りの景色がよけいむなしさを募らせる。「10年、20年」となれば、元の美しい田園風景に戻すのは難しい。
「こんな小さな村なくなっても誰も気にしねぇよ。国の人もみんなそう思ってんだべ」と男性はつぶやいた。
店は少ない。夜は暗い。コンビニも1軒だけ。電車も走っていない。子供のころは不便に感じていたが、広い空が近く、穏やかな空気が流れている村に、毎年夏は帰郷していた。今年の夏も帰れるだろうか。
■東日本大震災の被害
死者 13705
行方不明者 14175
負傷者 4917
(16日午後6時現在、警察庁まとめ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110417-00000080-san-soci
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