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(回答先: 6・19 すべての原発とめよう 怒りのフクシマ大行動 記録映画 (6) 投稿者 愚民党 日時 2011 年 6 月 23 日 02:51:50)
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その瞬間、鳥肌が立ち身体が凍った。おそらくカメラを持つ手も震えていたのだろう。最初に撮影された写真は、ブレ、ピンぼけで写真に写っていなかった。65年前の沖縄戦の現場から収集された遺骨から「脳」が出たのだ。
今年3月21日、那覇市真嘉比の開発地区の、道路工事現場から出た泥まみれの頭蓋骨を、沖縄戦遺骨収集ボランティア団体「ガマフヤー」の具志堅隆松さんと本土の女性の方が洗い清める作業を行っていた。それをビデオで撮影していた時、頭蓋骨の泥の中からポロリと土の塊か、鉄の破片のような物体が出てきた。
ジーと焦点を合わせて確認すると「まさか…」3人とも一瞬に顔を見合わせた。誰からともなく「…脳みそ…」との言葉がもれた。確かにその塊にはヒダ状のしわがはっきり見えた。はっと我に返り撮影中のビデオを置き「脳みそ」をカメラで撮影した。後で確認したところ、興奮状態で撮影された写真はブレ、ピンぼけだった。その日のうちに冷静に時間をかけて撮り直した。
さらに不思議なことは、昨年の夏頃から今年の3月までに浦添市前田、那覇市真嘉比、西原町などの激戦地から計100体余り、地中に埋まっていた日本兵の遺骨が一挙に出たのである。現在の沖縄の地上のざわめきがその骨たちを呼び起こしたのではなかろうか。
撮られた被写体や風景は現場に戻すことによってそれが「何か」が見えてくる。今回の被写体である骨たちは写真に撮られることで死者として「生きていた」ことの存在が証明できたが、居場所がないのだ。しかしその骨たちの表情は豊かで美しくさえ見えた。「脳」が出てきたとき「言葉」と「写真」の意味づけが超えられたのだと私は感じた。骨たちの思いを共有してほしいと多くの友人に写真を見せて歩くうち、「終戦記念日8月15日」「骨たちの反乱」とのメッセージがその死者たちから届いたと感じた。その言葉を引き受けるしかないと私は腹をくくり、骨たちの出た現場・沖縄 (慰霊の日) とメッセージの届け先・日本 (東京・終戦記念日) に向け行動を起こすことを決めた。8月刊行の本誌もその一つである。
今回の骨たちの写真は、私たちにさまざまなことを考えさせる。生と死の境界を彷徨 (さまよ) いながら生き延びた戦世の、オジーオバーの「死者への記憶」と、65年間土の中に取り残された悲惨で孤独な骨たちの「死者からの記憶」は生と死という対極に位置しているが、「戦争の記憶」を共有し、捨石にされたあの悲惨な沖縄戦、そして平和ボケした戦後65年日本の「今日」を問うていると思う。
比嘉豊光 (ひが・とよみつ) 写真家。1950年読谷村生まれ。1974年琉球大学法文学部美術工芸学科卒業。1976年に自主ギャラリー「あーまん」の設立に参加。1997年より故・比嘉康雄、村山友江らと共に「琉球弧を記録する会」の活動を開始。映像と写真での記録活動を行う。主な写真集に『熱き日々inキャンプハンセン』(石川真生との共著) 『'95夏沖縄・50年目のレクイエム』『光るナナムイの神々−沖縄・宮古島〜西原〜 1997〜2001』『赤いゴーヤー 1970-1972』『わった〜 「島クトゥバで語る戦世」−684−』他。
http://www.iwanami.co.jp/sekai/2010/09/gravure91msg.html
岩波書店 月刊 「世界」 8月号
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フクシマはオキナワ、ヒロシマ、ナガサキの地となった。
福島原発第一とは核戦争の基地だったのである。
日本にある54基の原発とは核戦争の基地である。
いまだには巨大米軍事基地が撤収されないで、さらに強化拡張されようとしている現実がある。世界でこれは日本だけである。
日本各地にある米軍基地の存続を「おもいやり予算」で継続してきた日本政府が、日本各地に核戦争基地としての原発を54基も建設したことは、国家戦略のガイドラインであった。
オキナワ、ヒロシマ、ナガサキから66年が経過した。
当事者当該者として日本国民ひとりひとりの主体が問われている。
原点から問われている。
フクシマの怒りは、驕(おご)る原発を糾弾し弾劾する。
日本は生存できるのか? という声がフクシマから聞こえる。
はたして日本はイタリア国民のように、原発の是非を問う、国民投票ができるのであろうか?
「日本政府と東電に、殺されてたまるか、生きさせろ」という声が、フクシマから聞こえてくる。
会津藩の大地と空と海と人から怒りの声が聞こえる。
原発が海岸近くに建設されたのは理由がある。63%の熱水量を海に放出するためである。日本列島近海の温度が上昇したのは、原発が海に放出してきた熱による。生態系と環境破壊の基地、核戦争の基地こそ日本にある原子力発電所だった。
日常的に原発は海を放射能で汚染し破壊してきたのだ。
福島原発第一の異常的事態3・11とは、40年前からの日常の「延命」と延長にあった。
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