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(回答先: 6・19 すべての原発とめよう 怒りのフクシマ大行動 記録映画 (2) 投稿者 愚民党 日時 2011 年 6 月 21 日 03:31:33)
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鎌倉には、1988(昭和63)年 『會津士魂』で第23回吉川英治文学賞を受賞した早乙女貢氏が住んでいる。会津こそが
早乙女貢氏の生涯命題である。
下野の風を受け生活する栃木県人の魂を身体の奥底からゆさぶるのが
襤褸(らんる)の旗の田中正造であった。
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NHK大河ドラマ
獅子の時代
昭和55(1980)年放送
作・脚本……山田 太一
音楽………宇崎 竜童
制作………近藤 晋
演出…清水満・中村克史・重光亨彦
出演……菅原 文太 加藤 剛
大原麗子 尾上菊五郎 大竹しのぶ 児玉清
千秋実 沢村貞子 加藤嘉 鶴田浩二
(秩父事件関係)志村喬 磯部勉 役所広司
「パリ万国博覧会」で出会った幕府使節・会津出身の平沼銑次と、薩摩出身・英国留学生の苅谷嘉顕。互いに敵味方同士であり反目しあいながらも様々な困難を乗り越え、理解しあいながら友情を築き上げていく。
幕府の解体と会津戦争。賊と官軍という立場の違いから、新しく始まった明治という時代の「陰」と「陽」をその運命に刻み込んでゆく事になる。会津の敗北と斗南遠流・家族の悲劇・樺戸投獄など悲劇に翻弄されながらも銑次は反骨精神で時代のうねりに立ち向かい、政府の役人になりながらも西南戦争で親を討った嘉顕もまた憲法草案作成に全勢力を注いでいく。そして秩父事件。銑次は「自由自治元年」の旗を押し立てて百姓町人の明治維新を目指してゆく。
幕末から明治にかけての激動の時代を民衆の視点で描き、その「陰」と「陽」を明確に描き分けた脚本家・山田太一氏による大河ドラマ初のオリジナル作品。
★ 第46回「秩父路をゆく」 から 最終回「獅子の叫び」 までが秩父事件編です
http://chichibuziken.web.infoseek.co.jp/shishi.htm
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明治維新軍は京都から関東東北の征伐をめざし行軍していった。
徳川幕府から支配権力が明治維新政府に転換したことを民衆身体に教え、明治維新政府への畏怖を形成するためであった。
江戸は上野で小戦があったが、江戸城は大合戦なしに、明治維新政府へ引き渡された。
明治維新政府軍の最大の敵は東北の会津藩であった。
明治維新政府軍は会津藩に戦争を仕掛け、敗北した会津武士の死体を葬ることを許さなかった。野に放置したのである。その野蛮な非人道的行為は、現在も糾弾されている。今だ会津若松市は長州を許していない。歴史的和解はいまだ成立していない。
生き残った会津藩士は青森の下北半島へと流された。
東京電力と日本政府の非人道的な野蛮行為、それが福島原発第一であった。
岩波書店発行の月刊誌「世界」7月号は<破局はなぜ防げなかったのか>を特集している。
近代から現代、日本政府権力は異議ある者を徹底して排除し、強権によってつぶしてきた。
1970年代を生き延びてこれたことは奇蹟だと思っている。
福島原発第一の一号機の発電運転が起動したのは1971年3月26日だった。
その頃から日本社会は「もっと明るい電気へ」「明るい電気をつかい、もっと素晴らしい都市へ、おいしい生活へ」というスローガンで変化していった。原発暴走の電気事業連合の洗脳宣伝は列島の末端まで浸透し、巨大新聞と巨大テレビはメディアによる呪縛装置を全面展開していた。
洗脳を拒否した者にとって1970年代は幕末の反復であった。
白土三平の「カムイ伝」から歴史の複合を習得したわたしは、1970年代とは、「カムイ伝」と同期化していると感じていた。
原発を推進してきた東京電力と日本政府権力は、司法は、異議ある者を排除し壊滅する方法を徳川幕府から明治政府から継承していたのであった。
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