07. 2011年9月25日 20:43:55: fpH9TUCgoE
中国人の歴史観:中国人はなぜ嘘をつくのか について書籍 「日中戦争:戦争を望んだ中国 望まなかった日本」 北村稔(立命館大学教授)・林思雲 共著 この本は基本的には先の日中戦争の原因を分析した書籍ですが、 本の最後の部分に「中国人がなぜ嘘をつくのか」 「中国になぜ科学が誕生しなかったのか」についての記述があります。 この箇所は誠に合点のいく説明で、私にとって目からウロコの内容でした。 著者はまず先の日中間の戦争について論ずる: ・侵略戦争は戦争犯罪か? 第二次大戦が終わるまでは国際法の大原則では侵略戦争は犯罪ではない。 その論拠として第一次大戦終了後のパリ不戦条約(ケロッグブリアン条約) ・ ナチスドイツの邪悪な侵略戦争は戦争犯罪である ・ ナチスドイツのとばっちりを食った日本 ・ 盧溝橋事件の勃発と日中全面戦争: 筆者は 、日本を日中戦争の主導者とみなし、日本が戦争を拡大しようと思えば拡大でき、拡大させまいと思えば拡大させぬことができたのであり、戦争の方向は日本の意思でコントロールできたという論説に対して、自発的に戦おうとした中国人の意思が軽視されている旨主張する。日中戦争が拡大した真の原因は世論に扇動された双方の民衆の仇敵意識であるとする。 事実として、日中間の大規模な戦争が開始された本当の発端は,1937年8月13日に発生した第二次上海事変である。そしてこの戦闘は正しく中国側から仕掛けたのである。この日、蒋介石は上海に駐屯していた5,000人余りの日本海軍特別陸戦隊に対する総攻撃を命令した。 (管理人意見) 蒋介石側が上海で日本側に「先制攻撃」したという事実から、軍学者、兵頭二十八氏はパリ不戦条約に違反して侵略したのは日本ではなく蒋介石であると主張。この点において筆者、北村教授も基本的に同一の立場にたつと思われる。ただし、先制攻撃は即ち侵略であると論じる兵頭氏とは北村教授は少しニュアンスが違う感じがある。 ちなみに歴史的事実として、パリ不戦条約では侵略の定義づけは各国の見解の違いのためできなかった。兵頭氏、別宮氏は先制攻撃(agressive war)は通常、日本語の「侵略」と解釈される旨、論じる。
・蒋介石の国民政府の国防計画とナチス・ドイツ
筆者は、 ドイツは日中戦争勃発以前から、ゼークト将軍に代表される軍事顧問団を国民政府に派遣していた。ドイツ側が軍事援助の見返りとして中国側に望んでいたのは、タングステンなどの希少金属の提供であった。タングステンは砲弾の強度や、工作機械のドリルに欠かせない貴重な金属であった。中国は現在でも世界生産量の80%を誇るが、ドイツでは全く産出されなかったので、両者の利害は一致したと論じる。 国民党にとって「歴史の罪人」となったナチス・ドイツの親密な関係は触れてはいけない過去であり、国民党の資料には取り上げられていない。 (管理人意見) 軍学者、兵頭二十八氏はナチスドイツの軍事支援をけん制する目的(つまり、日中戦争を長引かせる原因であるドイツの手を中国から引かせる)ために、先の昭和天皇も懸念を示されたと伝えられるドイツとの「三国同盟」を締結するに至ったと論じているーーこの点についての当時の日本の指導者による理由開陳は私も見たことはない。三国軍事同盟をなぜ日本が締結したのか、対ロシア作戦だけではどうもよく分からなかった。私の高校時代の世界史の勉強の際、長年不思議に思っていたが、その理由が兵頭氏によってようやく合点がいった次第。
ちなみに兵頭氏の「日本海軍の爆弾」によればアメリカ軍は爆弾の弾頭にタングステンを混ぜていたが、日本はニッケルはおろかタングステンも不十分で終戦まぎわでは「鋳物」で弾頭を製造したと。素材の差が戦争の優劣を左右する。 ・ 中国社会の「愚民論」
筆者は、中国は昔も今も都市と農村には大きな格差がある。それは中国文化の伝統である「愚民論」による。これは有名な思想家、孔子が説いており、知能の高低を基礎にして人間を三種類に分類した。「生まれながらに知る者」「学んで知る者」「学んでも知らぬ者」。絶対多数の民衆は「学んでも知らぬ者」であり、支配階級になる資格がないと孔子は説く。 北村教授のこの書籍の最後の第七章で論じられるのが「中国人の歴史観」 ・ 「罪は有限か?無限か?」 西洋人は、人が罪を犯しても罪は洗い清められると考える。罪を洗い清める方法は服役である。さらに、人の罪は死ねば消滅すると考える。それゆえ西洋の法廷では死者に対する法律上の責任を追及しない。これは戦犯についても同じ。ヒトラーは戦犯にならなかった。それはヒトラーは自殺していたからである。 しかし、中国人の考え方は大きく異なる。 中国人は、罪は死んでも終わらないと考えており、死者の罪を追求しようとする。中国には「千古罪人」という言い方がある。一千年の後でさえ、人の罪は洗い清めることが出来ないという意味。死んだからと言って罪を洗い清めるのは不可能なのである。従って、日本の戦犯についても執拗に追求する。 ・ 中国人の虚言を生み出す中国の儒教道徳ー「避諱(ひき)」 中国人が虚言を弄するのは単純に相手をだますということではなく、多くの場合は自分のためではなく、家族のため、国家のためなのである。 日本の江戸時代に孔子や朱子の学説は知識人の間で学ばれたが、日本では学問であった。しかし中国では宗教であった。そのため日本では儒学、中国では儒教と言う。 儒教思想の核心には日本でも知られている「忠、孝、礼、仁」という徳目の他に、もうひとつ重要な徳目として「避諱(ひき)」がある。日本語として使われる「忌避(きひ)」と同義語であるが、「避諱」のほうは隠すという意味合いが強い。 「論語」に有名な故事がある。ある人が孔子に「我々の村には正直な人がおり、父親が他人の羊を盗んだと告発しました」と話した。これを聴いた孔子は、「私は正直な人だとは思いません。父親は息子のために隠し、息子は父親のために隠す、こうであってこそ本物の正直です」と答えたのである。この故事が中国人の避諱観念はどういうものかを象徴的に示している。 孔子が編纂したと伝えらている「春秋」という古代の書物がある。孔子は編纂の際に原則を立てた。「偉大な人物のためには醜いことを隠さねばならず、高尚な人物のためには過ちを隠さねばならず、親族のためには欠点を隠さねばならない」という原則であった。 なぜ偉大な人と高尚な人のために隠すのか、これは中国では西洋の平等の観念とは別に、人と人は不平等であると考えてきた。道徳水準に基づき人物を二種類に分類。「君子」と「小人」、「小人」は「忠、孝、礼、仁」のすべてで道徳水準が低い人物。君子の中で徳の高い人が「賢人」最も徳が高いのが「偉人」 中国の歴史観によれば、歴史では二つの時期が交互に出現する。「乱世」と「治世」。「乱世」が出現するのは「小人」が政権を担当するからであり、「治世」は「君子」が政権担当するからである。儒教では偉人や賢人が国家を管理すれば長い安定が生まれる、しかし偉人や賢人も誤りを犯す。社会の安定を保つためには彼らの誤りも隠して威信を保全する必要がある。 中国人は子供のころから偉大な人物と国家のためには「避諱」して虚言を弄せと教育される。その結果人々は虚言を弄することが不道徳だと感じなくなり、虚言を弄する習慣が養われてしまう。 ・中国で科学が誕生しなかった大きな原因 西洋国家が作り上げた最も重要な学問は「科学」、その目的は真理の追究。中国人から見れば真実は決して重要ではなく、重要なのは偉大な人物と国家。このように中国で「科学」が誕生しなかった大きな原因は中国の「避諱文化」にある。 (管理人意見) 「科学」もさることながら、西洋社会で言う「小説」というものが現代中国にはない。やはり人間社会としてはいびつであると思う。ちなみに、儒教の国と言われる韓国は例えば、創業100年以上の商店などはないと思う、一方日本は創業が江戸時代の文政年間と言った商店が存在する。この違いは何であろうか。儒教とそうでない事の差か?
この本の最後に、北村教授は日本人は歴史問題にどういう態度をとるべきかを論じる。
英語に「responsible」という言葉がある。「責任を取る」と訳すが、「返答できる」「回答できる」という意味もある。責任をとるというのは「ひたすら謝る」のではない。なぜそういうことが起こったのかきちんと「申し開きをする」ことであり、そのためには正確な事実認識から出発して歴史資料を正確に読み取ることから始めなければならない。 http://teinengurashi.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-d61b.html |