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(回答先: 副島隆彦の『安全宣言プロパガンダ』の刑事訴追を推奨します-c 投稿者 ペリマリ 日時 2011 年 7 月 18 日 13:20:59)
原発事故、放射能、けんか対談 副島隆彦武田邦彦のあとがきとまえがきより
まず、お断りしておくのは「科学的訓練を受けない人との対談はこうなるという良い例」という評価はアマゾンの秀逸な書評の題名から勝手ではありますが使用させていただきました。内容も的を射ています。
副島隆彦氏は今年6月下旬に2冊の本を出したときこんなことを書いた
以下抜粋して転載
昨日までまた福島の原発から21キロの地点に弟子たちと自力で作った現地の活動本部に行っていた。名を「学問道場の福島復興活動本部」という。福島の空気を思いっきり吸って、地元の野菜をガブガブ食べて、私はもっともっと元気になる。
私は、「放射能コワイ、コワイ。危険はまだ続いている。原子炉がまた爆発するかも」とアメリカに洗脳され、煽動されているために勝手に脅えているバカたちすべてと、今後も徹底的に闘い続ける気である。私の本の真の読者で、愚かにも「放射能が怖い」と思い込んでいる人はおりますまいな。私がこれほど体を張って福島の原発近くから真実の情報発信を続けたのですから。
こうなったら、お金儲けやら資産防衛もへったくれもあるものか。お金よりも日本国民の体と健康のことのほうが心配だ、と私が書くと、「お前だって放射能がコワイのか」と反論、質問されてしまう。私はこの3カ月、一体、何をそんなに勝手に苦しんで動き回ったのか。
抜粋転載終了
この副島氏の言葉は欺瞞に満ちている。
>昨日までまた福島の原発から21キロの地点に弟子たちと自力で作った現地の活動本部に行っていた。
とあるが他の阿修羅カルト版に集う賢明な諸兄がこう指摘した。
この一文を読むと、副島氏は福島活動本部が開設して依頼ずっと常駐しているように見えるが、実は、自分より若い弟子ばかりを常駐させている。しかも,現在福島事務所に常駐している吉見くんの情報発信によると、副島氏は6月28日に福島にやってきてかっぱ寿司をつまんで帰っていったそうだ。
まあ、どう解釈するかというところだな。
> 福島の空気を思いっきり吸って、地元の野菜をガブガブ食べて、私はもっともっと元気になる。
私は、「放射能コワイ、コワイ。危険はまだ続いている。原子炉がまた爆発するかも」とアメリカに洗脳され、煽動されているために勝手に脅えているバカたちすべてと、今後も徹底的に闘い続ける気である。
副島氏は放射能なんぞものともしない勇者のように自分を称える。
でもそれは間反対。実は副島氏はチキン野郎と評されるくらい放射能がコワイコワイ病のお人なのだ。
私だって副島氏の表現するところの放射能コワイコワイ病だ。
低線量放射線障害や内部被曝のことを知っていたらどうしてもそうなる。
ところで皆さんはご存知だろうか、副島氏は武田邦彦教授と5月3日に郡山市でケンカ対談という問いただしをやったが、それを商売にして印税150円を我々からくすねとろうと考えている銭ゲバ君である。
一銭も得にならず、しかも放射能が怖いため原発前で公開討論をしましょうという一般人の申し入れを断っている。
その断り方はキチガイじみている。しかも、公開討論を申し込んだ人物を自分のサイトの掲示板で公表するぞ!と脅した。
(まあ、そんなのが脅しになると思っているところが彼の器の小ささである。)
この一般人からの公開討論に関して副島氏は第一に条件をつけた。
「福島第一原発周辺まで行ってその様子を見ていくこと。」
よもや副島氏はこの人物がその条件をクリアするとは思わなかったのだろう。
でもこの心優しく正義感に燃えた人物は動物達の食料を持てるだけ持って原発周辺に行き近くのお年寄りから土の放射線量が高いとか放置された動物達の実態などを聞き出したのである。
そしてこの人物は副島氏に条件をクリアしたので再度討論を要求したのである。
この人物とは現在阿修羅掲示板のカルト版で鋭い論評を重ねて評判のペリマリ氏である。
このペリマリ氏の討論要求に対する副島氏の情けない対応を再現しよう。
以下転載
副島隆彦は討論は公開の場で行うべきだと主張して、
私が掲示板に書けば来訪することを固く約してくれました。
その際はみなさんも奮ってご参加ください。
以下経緯のあらまし
From: "副島隆彦"
Cc: "SNSI-ML"
Sent: Sunday, April 24, 2011 12:09 PM
副島隆彦から
私の携帯は、 090−○○5○−○○6○ です。 いつでもお電話ください。
福島の原発に私たちが近づけるところまで近づいたところで、お会いしましょう。
そこで、殴り合いをしましょう。
すべては、公開で議論すべきだ。
副島隆彦拝
拝復
副島隆彦様
> あなたも招待したい。 張り倒されるのを覚悟して来てください。それは、
> 住民とあなたが、話して、実情をあなたが知ってからです。
はい。是非お願いします。
私は前回にひきつづいてまた参りますので、住民の方と話して実情を伺います。
副島さんが私を思いきり張り倒したら、私も張り倒しますよ。
安全宣言は撤回が必要だと分ったら撤回したら良いと思います。
「しかない」と言い続けるのが真理を追究する者の取る道ではありません。
真理を追究する者は撤回す勇気を持っています。
体面よりも外聞よりも真理大切にするからです。
学問といいうものは自由の砦です。
自由の最後の砦であるのです。
弟子の方々の態度は学問道場ではなく付和雷同塾です。
ペリマリ拝
Sent: Tuesday, May 03, 2011 2:42 PM
お弟子様方へ
あなた方の師である副島氏が私から逃げ回っています。
しょうもない国家戦略研究家です。
本日13時頃私から副島氏の携帯に連絡しました。
呼び出し音が鳴っていましたが出なかったのでいったん切りました。
すると副島氏から13時24分に2回かかってきました。
2回とも0秒です。
0秒では電話に出られませんよ。
その後何回もこちらから賭け直していますが、
副島氏はずっと電源を切っています。
以下はその翌々日の電話でのやりとりです。
ペ「もしもし副島さんですか」
副「ああ・・・」
ペ「○○です」
副「・・・・・・・・・・・」
ペ「まだ福島にいますので原発の近くへ案内してください」
副「この電話であなたの主義主張を手短に言いなさい」
ペ「どうしてですか?原発の近くへ案内して討論してください。
私は約束を守りました。あなたも守ってください。」
副「私と対等な口をきくな、命令するのは私なんだ」
ペ「どうしてですか?私はあなたの弟子ではありません」
副「あなたの年齢と経歴と所属する組織名と業績を言いなさい」
ペ「私は一介の庶民です。約束通り原発の近くで討論してください」
副「お前に私の自由な時間を奪う権利はないんだ」
ペ「私はあなたに言われて福島に来たんです」
副「会員になって学問道場に書きなさい。そうしたら私も書いてあげるから」
ペ「お断りします。」
副「会員になりなさい」
ペ「絶対にいやです」
副「私は忙しいんだ」
ぺ「だったらなぜ事前に言わないんですか?」
副「お前に私の自由な時間を奪う権利はないんだ」
ペ「本も読んだし、現地の人の気持ちも聞きました」
副「何人に聞いたんだ?」
ペ「10人くらいです」
副「何人が原発を怖いと言った?」
ぺ「・・・・・(質問が奇異で即答できず)」
副「何人が怖いと言ったのだ?言え!」
ぺ「・・・・・(そんな質問はできなかった)」
副「言え、何人が原発を怖いと言ったんだ?」
ぺ「10人全員です(と言っておこう)」
副「・・・・・・・・・・・・・・・・」
ぺ「原発の近くへ案内してください」
副「だめだ。私でももう禁止区域へは入れない」
ぺ「禁止区域のすぐ外側でやりましょう」
副「だめだ。私は頭がやられて近づけないんだ!!!」
ぺ「だったら安全宣言を撤回してください」
副「私に対等な口をきくな、命令するのは私だ」
ぺ「対等です。副島さんの本はヘボいから私より下です」
副「何だと〜」
ぺ「副島さんの太田龍宛の投稿読みました。
自分が知らないことを教えてくれたらその人は師匠だと書いてました」
副「お前が私の師匠だと言うのか?」
ぺ「あなたがそう書いていたと言ってるんです」
副「お前をキチガイだと学問道場に書いてやる」
ぺ「どうぞ書いてください」
副「私が命令するんだ」
ぺ「私が怖いんですか?」
副「勝手に電話をかけてくるんじゃない」
ぺ「怖いんですね」
副「私を訴えろ」
ぺ「・・・」
副「私を訴えてみろ、訴えなさいというんだ!」
ぺ「約束通り会って話してください」
副「2CHでもどこでも書きなさい。必ず討論しに行ってやる!」
ぺ「書いて良いんですか?」
副「ああ、書きなさい、この電話のこともメールのことも貼り付けなさい!!」
ぺ「本当に良いんですか?」
副「ああ、ああ、好きに書きなさい、必ず討論しに行ってやる!!!」
ぺ「分りました。そうします」
以上経緯の概略でした。
転載終了
要は放射能で頭がやられて原発近くでは対談できないと自分で言っている。
それで福島事務所も短期間しかいない。自分より若い将来性のある弟子を常駐させている。
そんな卑怯者が武田教授と郡山市でけんか対談をして商売しようというのだ。なんと汚いやつなのだ。まるで(天皇破壊史の)伊藤博文みたいなのだ。(分かる人にはわかるよね)
(ここまでが枕コトバになるので連載で続くようなら省略してもらって結構です)
まず本文転載
※Amazonのレビューで数値やさまざまな間違いが多く、本が真っ赤に訂正されたとコメントしている方がいらっしゃったのでそこのところ皆様ご注意を。
あとがきとまえがき
あとがきより転載
おわりに(副島隆彦)
このケンカ対談は、5月3日に、私からの希望で武田邦彦氏に福島県郡山市までわざわざ来ていただいて実現した。
私はこの本の編集者を通して「これは普通の対談ではありません。私から武田氏に問い糾したいことがあります」と申し入れた。そうしたら、武田氏から「副島隆彦となら会う」という応諾があったから実現した。さらに「武田さんに伝えてください。原子力問題の専門家なのですから、事故を起こした福島原発のある現地まで来てください。福島第一原発から真西に55キロの大きな都市である郡山までは来てください。そこでお待ちしています。東京では対談しません。そんなことをしたら、この緊迫した放射能漏れ(拡散、放出)問題の最中に、口ばっかりの“偽善知識人”になってしまう」と伝えた。
この対談本で、二人の対立点は明瞭になった。今もこの対決、すなわち「原発事故で不出された放射線量は果たしてどこまでが安全で、どこからが危険なのか」をめぐる対立を二分する大問題である。
私から武田氏への問いかけは、私の弟子たちが運営しているホームページに書いた文から始まった。それを以下に転載する。
・ ・・こら、武田邦彦。あなたは大変優れた気合のはいった反原発の学者だ。それが、あなたの仲間である 国際放射線防護委員会(ICRP)が、100ミリシーベルト年間総量100msv/yまでなら、健康に問題はない、大丈夫だ、癌の発生はないと言っているのに、あなたが、「1ミリシーベルト年間総量以上は、危険。長年この基準を私たちは守ってきた」と頑張るものだから、日本国民が困るのだ。福島の現地の避難民(避難者たち)が、地獄の苦しみを味わっているのだぞ。・・・
副島隆彦の学問道場「重たい掲示板 439番」
「ネコを飼い主に返還して、私たちは昨日も原発の正門玄関まで行ってきました。日本は大丈夫だってば。心配するな。2011年4月13日 記」から
この問題提起から原発事故、放射能をめぐる本書の大論争となった。内容は本書をお読みいただいた通りである。
このケンカ対談が終わった後で私に分かったことは、次のことだ。放射能の線量をめぐる争い・対立の根本は「危険な感覚」すなわち個々の人間のそれぞれが持つ恐怖心のことだ。年間1ミリシーベルトを超えると健康被害を起こすのか、それとも、日本は非常事態であるから年間20〜100ミリシーベルトでも大丈夫だという基準値(規制値)の上限をめぐる争いは、学問上の争いではなくて、人間の恐怖心すなわち「人間の危険の感覚」にすぎない、ということであった。基準値は「参考にすべき値」でしかない。「放射性物質はどんな微量でも危険だ、怖い怖い派」の人々は、放射線に閾値(ここまでなら大丈夫、という数値)の存在そのものを認めない、のだと分かった。だから、「元の年間総量1ミリシーベルト1msv/yに戻せ、というのなら、逆にその科学的な根拠を示してください」と問うと、それには答えないしその数値自体も尊重しないという態度に出る。このことが私にもようやく分かった。
だから武田氏は、対談の初めから、私に向かってしきりに「年間1ミリシーベルトという基準値は、自分たち原子力の専門の学者たちの間のコンセンサス(合意)である」ということを強調された。すなわち、科学的なデータに基づく根拠のある数値なのではなくて、学者たちの間のコンセンサス(合意)に過ぎないのだ」と言いたかったのである。このことを指して、ICRPが、「(その放射線量の基準値をそれぞれの国の国民すなわち)社会が容認できる限度」とするらしいのだ。
私の立場は、本書の中で繰り返し主張してきた通り、この問題での本当の専門家たちである、放射線医学、あるいは放射線防御学の医学者たちが力説する「年間総量100ミリシーベルトは、放射能を原因とするがんの発生率は見られない。200ミリシーベルトになっても(わずか)0.5パーセントのがんの発生率の増加である」というICRPを含めた世界中の放射線医学者たちは、長年、東電から多額のお金をもらってきた“原子力村の御用学者たち”ではない。
これから先も、しばらくは日本国内で、この「放射線量はどこまでが安全でどこから先が危険か」をめぐる議論が続くだろう。こんなことでは、避難(移住)問題が長引いて大災害からの復興がどんどん遅れてゆく。しかし向こうはそうは思わない。私は「放射能怖い、怖いで集団ヒステリーを起こしている人々の鎮静を待ちたい。
最後に。いろいろの苦難を乗り越えてこの対談を実現させ、迅速に出版してくださった幻冬舎常務執行役員 編集・出版本部第一編集担当の志儀保博氏と、担当編集者の相馬裕子氏に感謝申し上げます。
原発事故から3ヶ月経った2011年6月12日 副島隆彦
転載終了
色々問題のある文章が続きます。原発推進の機関で私自身個人的には信用していないICRPですがその基準をもっても副島氏の解釈の間違いが続きます。
>国際放射線防護委員会(ICRP)が、100ミリシーベルト年間送料100msv/yまでなら、健康に問題はない、大丈夫だ、癌の発生はないと言っている
副島氏間違っています。
あなたが尊敬する放射線医学の専門家である大阪大学名誉教授の中村仁信先生はICRPは「放射線と発がん」(大阪癌研究会から平成23年6月分「癌と人」より)という論文で以下のように述べています。
以下転載
ICRPは長年にわたって放射線は少しでも危険である、安全といえる線量はないと主張してきました。LNT学説です。
中略
現在ICRPは、100ミリシーベルト以下では発がんのリスクは不明であり、LNT学説は防護のための仮定であるとしています。不明なのですから、たとえば、20ミリシーベルトに達すると1000人に一人ががんになるというような計算をしてはらないのです。
転載終了
私自身は中村先生を100%信用している訳ではないがICRPの「コンセンサス」では年間総量100ミリシーベルトの被曝で「癌の発生はない」とか健康に問題はないとか明言はしていない。
明言をしていないのに勝手にICRPが人体に影響が無いなどと断言することは人間の健康をつかさどる医学の世界では間違いも同然です。医学はそんなお気楽な発言ができる程の責任の軽い学問ではありません。ぶっちゃけた話をするとそんないい加減な解釈をして断言すると訴訟の対象になるので、そんな明言は致しません。
当然、訴訟だけでなく患者の健康に対する責任が課せられるでしょう。
こういう医学の面の倫理性を尊重するより訴訟の有無というエゴイスティックな面を前面に出した説明のほうが「副島真実暴き系」のかたがたには受け入れやすいでしょう。
ICRPは、無責任に人体に影響が無いといって、実際に影響がある明白なデータが出てきたら信用は失墜し、場合によっては訴訟されかねないのです。
だから、あいまいな言い方をしているのです。
仮に、私の見解と一致して副島氏やその一門がICRPに対して責任転嫁と言うのなら勝手にそう叫べばいいでしょう。
ICRPは放射線の人体影響が無いとは断言せず、あるとも断言しないずるい機関なのです。世の中そんなもんです。
ここが理系(副島氏が勝手に解釈しているところの)と文系(副島氏が自分で勝手に解釈しているところの)の考え方の違いというか副島氏が科学的事実を軽視して自分の都合のよい解釈をしていることが分かります。
確かに省略はしますがその後の中村先生御自身の意見では年間総量100ミリシーベルト/年なら発癌のリスクは少ないだろうという主旨の文章が続きますがそれは中村先生のご意見であり、コンセンサスではありません。
なお、
ICRPの2007年の勧告では、一般の人が年間浴びてもいい放射線量を三つの範囲で設定。緊急時は20〜100ミリシーベルト、緊急事故後の復旧時は1〜20ミリシーベルト、平常時は1ミリシーベルト以下とした。
という文章は様々な新聞雑誌などで散見しましたが、この文章のどこが副島氏のいう、
>国際放射線防護委員会(ICRP)が、100ミリシーベルト年間総量100msv/yまでなら、健康に問題はない、大丈夫だ、癌の発生はないと言っている。
という拡大解釈にまでつながるのか疑問です。
と、こんな調子だからこの対談本はICRPの基準しか出てきません。ECRRの基準で議論するなんて到底不可能な人が加わっているので、万が一小出先生のご意見を信じ、尊重している方が血迷ってこの本を読んだとしたら、そこのところをご了承ください。
(心身の影響に悪いので小出先生や肥田先生を信望する方達は、図書館で借りてでも読むことはお薦めしません。)
>基準値(規制値)の上限をめぐる争いは、学問上の争いではなくて、人間の恐怖心すなわち「人間の危険の感覚」にすぎない、ということであった。基準値は「参考にすべき値」でしかない。「放射性物質はどんな微量でも危険だ、怖い怖い派」の人々は、放射線に閾値(ここまでなら大丈夫、という数値)の存在そのものを認めない、のだと分かった。
何時の間に副島氏は山師多化してしまったのでしょう。
これについてはもっと言及したいけど、しんどいので読者の皆様にお任せします。
学問上低線量被曝障害があると言い続けた肥田舜太郎先生は無視され続けてきました。
原発推進、CO2削減、「不都合な真実」賛成という政治的な動きにきちんとした学説が潰されることは多々あります。ニコラ・テスラなんて科学者でその1例でしょう。
では、前書きを転載します。
はじめに(武田邦彦)
福島第一原発事故は、これまで日本の多くの「常識」を覆した。それは、「国民を守るために正しい情報を提供し、行動を促す“政府”というものが日本にはなかった」という現実に始まる。今は食品の安全性に関することまでに及んでいると思われる。
かつて、水俣病、四日市ぜんそく、そしてカネミ油症事件など、数々の公害を経験した日本は、公害を起こした企業の責任を徹底的に糾弾した。そうした経験を経て、企業は、保有する工場が爆発して付近住民に膨大な被害を与えたら、存続できないほどになっている。それを主導したのは新聞だった。
かつて、キャラメルにわずかのホルムアルデヒドが混入していたことがあった。食品安全の法律に抵触するわけでもなく、もちろん子供の健康に影響を及ぼすものではなかったが、「本来、食品に入るべきではないものが入った」ということで、600万個のキャラメルを廃棄処分にして、社会もそれを受け入れた。それを主導したのも新聞とテレビだった。
今、数十万人の福島の人が、空から降ってきた放射性チリからの被ばくに苦しみ、宮城県から静岡県までが土壌や野菜の汚染に苦しんでいる。それなのに、政府は何もせず、東電は自分の工場(福島原発)に閉じこもって社員は片付けにも来ない。
かつてあれほど、企業の不始末をした新聞やテレビは、事故当初からこぞって「健康に影響はない」「騒ぐほうがおかしい」と言い、こともあろうに、「応援するために、放射性チリで汚染された野菜を子どもに食べさせよう」といったようなキャンペーンまで打っている。一体、どうなっているのだろうか。
私の解釈は、「人間は自分の能力で処理できないものについては思考が停止する」という原理が働いているからと考える。
すでに、震度6以上の地震で、新潟・柏崎原発、福島・福島原発、宮城女川原発、そして青森の原発が運転されているのは、技術的にはまったく考えられないことである。
医学の分野では、今まで「1年1ミリシーベルト以上はきわめて危険だ」という厳しい法制度があったのに、事故直後から「1ミリなど何の意味もない」ということが言われるようになった。1ミリ云々という話より、そのようなことが口にされること自体が私には信じられない。
半減期が30年の放射性チリのために、福島の大地は、100年は快適に住むことはできなくなった。本来は、今、直ちに徹底的な除染をしなければならないのに、「大丈夫だ」という話があるために、それも始まっていない。
しかしここで私たちは、もう一度立ち止まって考える必要がある。この原発事故が私たちの理解を超える問題であること、それに対してまったく準備をしていなかったこと、情報が混乱していることが今ハッキリとした。
このようなとき、私たちはどうすべきだろうか?
直ちに行動しなければならないことは行動するとして、同時並行的に、「異なる考え」を持っている人たちが、自分の意見にこだわらず、公然と、真正面から対決し、ケンカし、その中から一刻も早く、「秩序だった考え方」を生み出して行かなければならない。対決は、冷静であっても、紳士的であっても、また、激しい言い争いでも、時に感情的な対立であっても良い。そのぐらいしないと、この難問は解決しないだろう。
この対談を、「福島の原発付近でやりたい」と言われたとき、私は最初断った。私自身は歳を重ね、すでに被ばくによる健康問題という意味では影響はないが、自分自身で「原発付近から直ちに避難すべきである」と言っている地に自ら入ることはできなかったからである。
しかし、それを超えても、自分と異なる考えと対決する必要があり、殻に閉じこもっていてはいけないと考えた。かくして、私もまた出撃し、対決し、ケンカし、そして帰路についた。
何が得られただろうか?対決とケンカは意味ある結果を生んだのだろうか?
けれども、私は満足している。とにかく、今は、人間の知恵を感じる段階に進むために、このような支離滅裂な状態から始めなければならないからだ。
この対談というか、ケンカというか、世にも奇妙な意見交換が、読者の方にとって明日の日本をつくるための思考の一助になればと念願するところである。
2011年6月12日 武田邦彦
転載終了
>何が得られただろうか?対決とケンカは意味ある結果を生んだのだろうか?
武田先生一読者の私からみて何も得られなかったと思います。
>今は、人間の知恵を感じる段階に進むために、このような支離滅裂な状態から始めなければならないからだ。
武田先生もわかってらっしゃるのでしょう。支離滅裂な対談だったと。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
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