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(回答先: 『OroYs4k5mE』の精神構造の解析 投稿者 元伊勢80社 日時 2012 年 2 月 09 日 09:07:15)
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日本人の美徳とは『恥を知る』ことであり、ある意味において『恥の文化』でもあった。
少なくとも、江戸時代以前においては道徳としての恥の文化が生きていた。
武士は名誉のために切腹した。(卑怯・未練などと言われたら家名に傷がつくし、召し抱える大名家の恥にもなったのだ。反対に潔く切腹すれば『武士の鑑』と評価されて子孫が家督を相続することが出来たし、罪は一代限りとして不問にされた)。
だが、何よりも恥を第一に考えて、恥をかかない生活をした。(よくテレビに出てくる『切り捨て御免』は嘘だ。実際の武士は大義名分がないと百姓一人切れなかったのだ)。
町人においても『暖簾(のれん)に傷がつく』などとして名誉を大切にしたし、大工は『誰々が建てた家』と評価されることを大切にして手抜き工事などは行わなかった。(職業集団としての「寄り合い」とか「株」などがあり、恥をさらすと追放され、それ以降は何処に行っても相手にされなかったのだ)。
百姓だって、村八分にはならないものの、孫子末代まで笑われたのだ。
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「恥じる」とは、「省みる」ということでもあり、人間にしかない意識構造であり、ケモノには持ち合わせない精神構造である。
省みるとは、恥じることであり、悔いることであり、覚ることであり、畏れることでもあるのだ。
恥を忘れて、不正をしてでも銭儲けをしようとする日本人。
恥を忘れて、他人を押しのけてでも得をしようとする日本人。
恥を忘れて、自己主張ばかりで他人を無視する日本人。
恥を忘れて、弱いものを虐めようとする日本人。
数え上げたらきりがない。日本人は堕ちるところまで堕ちてしまった。
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恥じる心を失ったら『ケモノ』に逆戻りするぞ。省みる精神とは『情動』に打ち勝つ理性でもあり、人間にしか出来ない特権でもある。『パブロフの犬』には条件反射や学習は出来ても反省は出来ないのだ。
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