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(回答先: 誤報? 「ビンラディン容疑者殺害:暗号名は「ジェロニモ」」 投稿者 みやした 日時 2011 年 5 月 05 日 00:55:09)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%83%A2
ウィキ「ジェロニモ」
(ココカラ)
ジェロニモ(Geronimo、本名:Goyathlay、1829年6月16日 - 1909年2月17日)はアメリカインディアン、アパッチ族のシャーマン、対白人抵抗戦である「アパッチ戦争」に身を投じた戦士。なお、部族の酋長と誤解されている例も多いが、酋長ではない。
メキシコ軍に家族が虐殺されたのを機に、アパッチ族の戦士たちとともに対白人のゲリラ戦に従事した。ちなみに戦士集団だったアパッチ族には「酋長に戦士が服従する」という義務も風習もない。戦士は結束はしてもすべて個人行動で動くものであって、戦士たちはジェロニモ個人を慕って抵抗戦をともにしたのである。ジェロニモが軍事的な指導をしたこともない。
(中略)
ジェロニモとはスペイン語を母語とするメキシコ人のつけたあだ名「ヘロニモ」の英語読みで、英語では「ジェローム」に相当する名前である。アパッチ語の本名は「あくびをする人(眠たがり)」を意味するゴヤスレイ(Goyathlay)(文献によってはゴクレイエ、ゴヤクラなど)である。
(中略)
ジェロニモは銃弾の雨の中をものともせずにナイフを片手に戦場で暴れ狂い、その様を見て畏敬に駆られた一人のメキシコ人が、守護聖人の「ジェロニモ!」の名を叫んだ。これに呼応して、人々が口々に「ジェロニモ!」と叫んだ。こうして、この日このときを境に、彼の名は「ジェロニモ」となった。
(中略)
1886年に投降して以後、ジェロニモは生涯米軍の虜囚として扱われた。生まれ故郷のメキシコ国境へ帰りたいというジェロニモの願いは叶えられず、オクラホマのシル砦でその一生を閉じた。ジェロニモの墓はシル砦にあり、インディアンたちによる墓前の供物は絶えることがない。
(ココマデ)
和暦で言うと文政12年生まれ、明治19年に投降して同42年没、仮名垣魯文なんかと同時代のひとです。
守護聖人「荒野の聖ヒエロニムス」がなまって「ジェロニモ」。ヒエロニムス自体は聖書のラテン語訳にかかわった学者で、戦士の風貌はないと思いますが、どんなもんでしょうか。
フォレスト・カーター著『ジェロニモ』の紹介文には「戦いのシャーマン」とあり。
「いなぐ(女)はいくさのさちばえ(魁)」というて、琉球では最前線に巫女が出て敵を呪詛・罵倒したといいますが、ジェロニモ本人は戦士そのものみたいで「トゥー・スピリット」的な気配は感じられない。
シャーマニズムはよくわかりません。
当時の参考に
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E9%A0%98%E5%9C%9F%E3%81%AE%E5%A4%89%E9%81%B7
ウィキ「アメリカ合衆国領土の変遷」
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