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(回答先: 日米共同演習: 韓国軍も参加 (毎日放送 投稿者 hou 日時 2010 年 12 月 07 日 00:45:14)
http://www.taiwanembassy.org/ct.asp?xItem=171946&ctNode=3591&mp=202
馬英九総統が「《蒋中正日記》と中華民国史研究」国際学術シンポジウムの開幕式に出席
12月2日、馬英九総統は「《蒋中正日記》と中華民国史研究」国際学術シンポジウムの開幕式に出席し、あいさつの中で「今年は台湾の地方自治実施60周年の年であり、さかのぼって1950年1月4日を顧みると、当時下野していた蒋公(蒋介石元総統)が日記の中で『政治面では、県長(知事)の直接選挙を推し進めなければならず、必ずや耳目を一新するであろう』と述べている。また同年3月1日に、蒋介石元総統は総統に復帰し、7月に省政府は台湾の地方選挙計画を始動した。続く10月22日に花蓮県で中華民族の有史以来最初の普通選挙により、楊仲鯨氏が県長に選出され、その後1年の間に、台湾の地方自治体の首長がそれぞれ選出され、台湾において60年来の地方自治が始まったのである」と述べた。
さらに、「蒋介石元総統は1920年代から70年代において、一貫して中華民国政治の主要な指導者であり続け、この時期、中華民国は真の『近代国家』としての重要な形成段階の時期となった。蒋介石元総統は、辛亥革命から北伐、抗戦、戦後の中国を経て台湾の各時期に至るまで、中華民国の歴史の発展と1つ1つ関連している。『蒋中正(蒋介石)日記』は合計55冊あり、1917年から1972年までの半世紀以上にわたる記録が含まれており、これは世界の領袖の中でもきわめて少ないものであり、驚異的な常に一定で変わらぬ正しい心と根気に感服するものである。蒋元総統は中華民国史の研究においては、さまざまな評価があるが、その歴史的な地位は、検証にも耐えうるものである」との考えを示した。
続けて、「この数十年間、台湾関連の研究はますます開放的且つ自由になってきている。近代史を例にすると、一般の人々が『大渓档案』として周知の『蒋中正総統档案(記録公文書)』の公開から、中国国民党の段階的な対外公開資料まで、多くの研究者が当時の歴史の動きを理解することができるものであり、これはわが国の歴史研究には、『非公開』の部分があることを望まず、『タブー』も無いことを表すものである」と強調した。
また、馬総統は「今年は辛亥革命100周年であり、来年は中華民国建国100年の祝賀の年である。蒋介石元総統は青年時代に辛亥革命に参加しており、20世紀に中国を再建する過程における戦役すべてに参加してきた。私は蒋介石元総統に親しく教えを受けたことはなかったが、歴史上の文献や報道の中から、蒋元総統の際立つ特徴を見出すことができる」と述べた。
さらに、「蒋介石元総統は、第二次大戦後の台湾光復(中華民国への復帰)ならびに台湾の防衛から建設まで、その貢献はきわめて大きく、それにより台湾が自由、民主主義、法治、人権を有する社会になることができた。また、長年にわたり与野党も含め多くの貢献があったが、しかし、もし60年までに地方選挙の段階的な実施が始まらなかったならば、地方から何代にもわたり政治家の育成は困難だったであろう」と評価の意を示した。
続けて、「台湾のこの数十年間の発展は、当時の革命志士が想像した状況を遥かに超えており、これは誇りとするものである。しかし、わが国の国民は自由、民主主義、人権、法に保護された生活を享受する際に、これらは多くの先賢烈士が心血を注ぎ築いた成果であることを忘れてはならず、あるべき歴史的地位を与えなければならない。いかなる歴史的人物、とりわけ政治家は、多くの功罪はあるものの、後世の人々によって真実の歴史が示され、その正確な歴史的評価を位置づけられるのである。また、たとえ評価が異なったとしても、それを同時に示すことができる。それがすなわち、自由民主主義社会および学術研究において、必ず遵守すべき鉄則なのである」と強調した。
【総統府 2010年12月2日】
写真提供;中央社
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