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(回答先: 現在の宗教と、宗教のあるべき姿について真剣に考える。 投稿者 めむめむ 日時 2010 年 10 月 09 日 21:02:34)
宗教とは、簡単にまとめると「崇拝の方式」のことです。英英辞書なんかを確認したらわかりやすいかな。つまり誰を、どのように崇拝するかということ。ただ、崇拝というのは、形式的なものから心情的なものまで含まれますから、結局は自分の行動の基準は何かという問題に行き着くわけです。
つまり、宗教について論ずれば、主に誰に自分の行動を律することを許すのか、つまり、自分の支配者はだれであるのか、ということまで射程に入るということになります。
例えば、商人が「お客様は神様や」というのは、自分の行動はお客様の要望に縛られているという事実を述べまています。もちろん、それは「商人としての自分」に限定されていますが。自分の全てを支配させるほどのものを対象にすると、それは宗教になります。つまり、誰のために生きているのか、という問題です。
独裁者が宗教的な背景を持とうとするのも、結局は自分が支配権を握る正当性を裏打ちさせたいがためといえます。そして逆に誰が支配権を持つのかという議論には、宗教が付き纏います。これは、必然です。
日本を例に考えてみましょう。はしょって書くので多少不正確な点はご容赦ください。
日本においては、太陽崇拝の土着宗教に外来の宗教(ユダヤ教など)が結び付いた神道が千年以上前からあります。そこに仏教が伝来してきました。元来太陽崇拝の神道と、個人崇拝の仏教の間に対立があり、血みどろの戦争がおこります。なぜか。結局、二つの宗教があるということは、二つの支配体型が並列していることになるからです。どちらかの指導者が影響力の拡大を無理にしようとすれば、抗争が生じるのは当たり前です。
じゃぁ、平定はどうするのか、この場合、民が疲弊したタイミングを見計らって聖徳太子が「神仏習合」をして、お互いの宗教色を薄くしました。そして、このままだと、権力構造が弱くなってしまうので、天皇の地位を高めて天皇中心の支配権の正当性を打ち出した、という訳です。同じことは、日蓮宗等の過激派原理主義者(笑)が僧兵となったのをきっかけに乱世へと導いた戦国時代に繰り返され、結局それは、徳川家康*が仏教と神道を融合させて、宗教色を薄めることで解決します。歴史は繰り返されたのです。
文書記録が残されていないのでなんとも言えませんが、神道が「八百万」の神を持つのは、結局のところ、たくさんの小数民族と血みどろの抗争をやって和平のために併合を繰り返したということへの自戒が収められているのかもしれません。
ここで取り上げた、多神教が小数民族の宗教を取り込むというやり方は、世界中で実績のある方法です。時の権力を握ったエジプトやバビロニア、ギリシャといった強国がなぜ多神教なのか考えてみてください。実際に若い捕虜を捕まえて、なにをするかというと、ご馳走を食べさせて宗教教育をするんです。つまり、結局は被征服民に、「お宅の神さんは、わしらの神さんたちとも友達じゃ、仲良くやろうや」というのです。
では、ローマ以降はどうか。ローマは唯一神のキリスト教ではないか、と思われるでしょう。実際、ローマは特異な支配方法でした。徹底的に「寛容」だったんです**。基本は全て許す。そのかわり、皇帝崇拝だけはしなさい、と要求する。これが、パックス・ロマーナに繋がります。そして、このローマの真の後継者たちが現代の国民主権を唱導している***という流れになります。
つまり、「国民主権」というのは、国民が神様という、いわば宗教なんです。国民が国民自身で自分を縛る法律を作ることができる、というのが国民主権の実質的な内容ですからね。そして、その信仰の基盤は、人類は自ずと進歩するという、進化論に至ります。ただし、この支配体型も行き詰まり始めています。近年の環境問題を巡る国際会議の流れから、国家の在り方が決まりつつある。つまり、主権は国民にはなく、「世界」の合有物であるという傾向が表れはじめています。
先程も書きましたが、二つの支配体型が並列する状態は、そう長くはつづきません。民族自決というやりかたは、既存の宗教をうまく融合して無いものにしてしまうという効果がありましたが、さらに新しい支配形態ができると、既存の宗教は全くの邪魔物にしかなりません。
長くなりましたが、宗教とは何かという問いには、
主権はどこにあるのか、どのように支配するのか、という議論が付き纏うということを念頭に置いてください。
しかし、そもそもなぜ人類は支配者を求めるのでしょうか。
footnote-------
*徳川家康は権力構造を強化するために宗教の力を全面的に借りるのではなく、絶対的な中央集権構造を築いて、反乱を起こさせる気力を削いだという点で、世界的にも稀な統治形態を築きます。しかし、結局はこれが仇となります。当然の如く、財政難に陥り、吉宗の改革によって中央集権的な機構が崩壊すると、雪崩のように反乱分子が存在するようになりました。そして、「尊皇攘夷」の嵐に持ちこたえられず、倒幕に至ります。
**家康は、ローマの支配に倣ったのかもしれません。ちなみに、ローマ帝国は分裂したあと、劣化した支配体型の神聖ローマ帝国が起こりました。神聖ローマ帝国の成れの果てがドイツであり、そのドイツに倣って作られたのが、明治の日本です。大日本帝国というのは、西洋カブレの産んだゴミみたいなもんです。神聖ローマ帝国は、ローマの真の後継者たちであるアングロサクソン人の大英帝国が産業革命後、覆します。そして、彼等は民族自決・国民主権を唱導します。ちょうど、日本の天皇が英米に負け、「人間宣言」をするに至ったのと同じです。世界の大きな流れが、日本にも同様に反映されている点は注目に値します。
***この宗教と支配者の関係に注目してざっくり概観したのが、拙稿
西ローマ帝国とアメリカを比較した投稿があったけど、
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/380.html
reki 380 2010/7/31 14:57:05
投稿者: metola
です。今、読み返すと、ちとまずい記載もあるので修正しないとな(^-^;
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