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(回答先: ある事実??に関して複数のメディアの報道これはおそらく二つのポイントがあると思う。 投稿者 めむめむ 日時 2010 年 10 月 09 日 13:39:04)
私は私がおかしいという事をよく理解しているが、私はまだおそらく自分の事を2,3割しか理解できていないと...何故って、残り7,8割は、これから私が成長し続ける部分を予測できないからに他ならない。
宗教の本来あるべき姿って何やろう?
さっき、宿題をいただいたので、また別ぶらさがりで投稿させていただく。
Wikipedia(ここも最近劣化が激しいというような...)によると、宗教とは、
>一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり[1]、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。
で、語源のほうが
>原語のほうの英語 Religion はラテン語のreligioから派生したものである。religioは「ふたたび」という意味の接頭辞reと「結びつける」という意味のligareの組み合わせであり、「再び結びつける」という意味で、そこから、神と人を再び結びつけること、と理解されていた[6]。
とある、これほど端的に今の宗教のかかえる現状と本来あるべき姿を我々に教えてくれているモンもそうはないだろう、そう、上の定義が今ある”似非宗教”で、下の語源こそが宗教の本来あるべき姿なんじゃないやろか。
だから、この上のぶら下がりでも述べたが宗教で生計を立てるものが絶対に排除されるべきで、群れるべきではない、と申し上げたのだ。
個人がおそらく創造主たる神と直接対話を試みることによって、個人は神との結びつきを心で感じとろうとすること、それが本来の宗教のあるべき姿ではないのだろうか、寄付などもいらない、そういう、もっと、汚れのない、崇高であるべき物、それが宗教ってもんじゃなかろうか。
だから、いまのあるべき私が思う理想形、いまある全ての寺院などは国営のその所属する宗教としての景勝地かなんかにして、僧籍にあるものは申し訳ないが全員ご転職いただくしかないだろう。
その上で、あらゆるメディアを通じてその本質的な教義だけをこれも国家が無償で希望者に提供する、あとは、宗教の本来あるべき姿に則ればいいんじゃないか、ここで当然私も承知しているが、問題となるのは”戒律”だろう、
私はおそらく戒律なども本来はもっとゆるやかだったものが強調、改ざんされて、相互不理解からくる対立を煽っている道具だったのではないか。 例えば、ここ阿修羅で見たような気がするが、イスラム教の女性の黒ずくめなんぞは、中東での女性の美しさを保つ外出用の注意だったのが、かなりでっちあげられたものなんじゃないか。だから、そういうふうに、戒律なんかも見直すべきだろうなぁ、本当は、
だから、今ある宗教は三大宗教も含めて私から言わせれば、
正しい教義を利用している偽善集団と揶揄されても仕方がないのではないか。
但し、ここで注意しなくてはいけないのは、今ある全てのジャンルをどういう順番で片付けていくかも鍵の一つやろーね。
ご意見、おまちしておます。
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- Re: 現在の宗教と、宗教のあるべき姿について真剣に考える。 metola 2010/10/11 00:07:37
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