http://www.asyura2.com/10/test21/msg/607.html
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(回答先: 試驗投稿 投稿者 不動明 日時 2011 年 2 月 19 日 15:05:48)
世相は厳しい結果 諏訪大社下社春宮で「筒粥神事」
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/266.html
投稿者 gikou89 日時 2011 年 1 月 16 日 15:14:09: xbuVR8gI6Txyk
http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20110116/CK2011011602000115.html
今年1年の世相や農作物の豊凶を占う諏訪大社の「筒粥(つつがゆ)神事」が14日夜から15日早朝にかけて下諏訪町の諏訪大社下社春宮で行われ、世相を占う「世の中」は「三分五厘」と厳しい結果が出た。
諏訪大社七不思議の一つに数えられる同神事。雪が舞う中、神職らは束にしたヨシの茎44本を小豆入りの米とともに炊き、茎に入ったかゆの状態で稲、野菜など43種類の農作物と世相を占った。
神事を終えた北島和孝権宮司は「今年は怖い1年。過去20年間の中で最も悪い結果が出た」と語った。春は早めに訪れるが途中で予想外のことが起き、足をすくわれる相だという。また、農作物の豊凶は「秋蚕(あきご)」「サトイモ」「晩稲(おくて)」の3品目が大豊作、「インゲン」「ナスビ」が不作という。
(梅村武史)
いざ,鎌倉みち紀行:諏訪春宮の筒粥神事(前編) 〜慌てず,急いで,確実に〜
http://yamataikoku.naganoblog.jp/e650494.html
2011年01月24日
諏訪春宮の筒粥神事(前編) 〜慌てず,急いで,確実に〜
高天原に神留まり坐す 皇親神漏岐神漏美の命以て
八百万神等を神集へに集へ給ひ 神議りに議り給ひて
我皇御孫命は豊葦原瑞穂国を 安国と平けく知食せと事依さし奉りき
(大祓詞より冒頭抜粋)
大変,久しぶりの更新になります。
冒頭の写真は,去る1月14日に行われた諏訪下社の春宮で執り行われた「筒粥神事」。14日の午後8時から大釜に小豆粥と葦の束を入れて炊き,翌未明に粥の出来上がり状態(葦の茎に入る粥の状態をみるらしい)を見て,今年一杯の穀物と世相の吉凶を占う,諏訪下社では重要な神事です。
ところで,下諏訪にもかつて鎌倉街道が通じていたそうで,諏訪下社の秋宮と春宮の間あたりには鎌倉街道だと伝わる古道があるらしいですね。
今回,信州の鎌倉街道沿いに伝わる伝統神事ということで,2011年1月14日の夜及び15日未明にかけて諏訪春宮の筒粥神事を見学してきましたので,写真とともに順にご紹介します。
【2011年1月14日 筒粥の炊き始め】
1月14日の午後8時前,下諏訪の春宮に至りました。気温は既に氷点下。境内には地元のマスコミと近所からと思しき人がパラパラと訪れている中,神事の始まりを告げる太鼓が響き渡りました。
ドン, ドン, ドン・・・
●社務所を出立し拝幣殿へと向かう神職の行列
太鼓の音に続いて,砂利を踏みしめる足音とともに暗がりの中から,白い浄衣の神職さんが8名ばかり。行列して石畳を辿って,春宮の拝幣殿前へ。そして整列しました。
そして,斎主が拝幣殿に上がり,一通りの神事を行うこと約30分。寒い中,ずっとその様子を眺めていました。
●拝幣殿前を横切る神職の行列
拝幣殿での神事の後,神職中はいよいよ筒粥殿へと向かいます。その手には,拝幣殿に来る前までにはなかった,三方(鏡餅などを乗せる木台のようなもの)を神職が手にしています。おそらく,ここにお粥の具材(米,小豆)と葦茎の束44本が載っていたのだと思います。
●神職が手にする三方
●筒粥殿へと入る神職中。いよいよ筒粥の炊き込みが始まります
神楽殿の脇から筒粥殿へと入る神職中を見守っていましたが,8名全員が建物の中に入るや即ち,大きなビデオカメラや機材を手にした人,一眼レフを手にした人が一斉に後を追って,筒粥殿の入り口に人垣を作りました。
「あとでいくらでも傍で見学できるようになるから。君はそのとき‘慌てず・急いで・確実に’やれるよう今のうちにフィルム替えなど準備しておきたまえ」
同行してくれていた,ある程度心得ている関東の神職氏のアドバイスにしたがって,ここは‘慌てず’待機。境内の焚き火で暖を取っていると,筒粥殿でから大祓詞を唱和する声が聞こえてきました。
必要な取材を完了したのか,地元のマスコミの人たちなどは10分ほどで人垣を解いて筒粥殿から離れていき,もともと見物する人も少なかったので(一般の人々も身体は大変寒そうに顔は満悦げな表情で早々と帰っていきました),予見されたとおり苦労せず,すぐ目の前で筒粥神事の様子を見学することができました。
冒頭の写真と下↓の写真が,大釜で粥を炊いている様子。
●粥と葦を炊く大釜を囲む神職中
写真のように8人の神職が大釜のまわりを輪になって,ひたすら大祓詞を唱えていました。
「こうやって大祓詞を始終唱える。これを10回繰り返して今宵の神事はとりあえず終了するから。後は神職が交代で翌朝5時まで火の番をするのだよ。大祓詞は君も鶴岡八幡宮での大祓式で唱えたことがあるはずだから知っているだろ?」
同行の関東の神職氏がそう教えてくれました。そして,その粥炊きの火は古式と同様の方法で火起こしされた火で炊いていることも。
「昔,私が見たある年にはなかなか火が着かなくて,かれこれ1時間以上も寒い中,皆待ち続けたよ」
年によっては粥を炊く火を起こすのに苦労することもあるそうで,今回はものの10分もしないうちに点火できたそうです。
大釜のは炎が時々ゆらめいています。その大釜の中には小豆と米,そして葦茎の束が一緒に炊かれていてます。それぞれ43種類の穀物と世相を占うため,葦茎(葦の筒)は合計44本。その筒の中に入る粥の状態で各作物と世相の吉凶を,翌早朝に判定します。
黒い釜を囲み,建物いっぱいに輪になった神職が大祓詞を何度も唱和する様子は厳粛そのもの。寒い夜,諏訪にまで出向いてきた甲斐はあったというものでした。
なお,冒頭に大文字のところにある「三角矢印」のマークをクリックして,流れる祝詞のような音声がその大祓詞(フルバージョン)です。
「雰囲気に浸るのもいいけれど,ちゃんと写真もとっておかないと。会社勤めの君にとっては,そうそう見られる代物でもないだろ」
素人ゆえに夜の撮影は失敗が多い自分のことなので,1枚シャッターを切っただけではどうしようもないのは明白。もう10回目(最後)の唱和に入っています。そこは‘急いで’‘確実に’フィルムに焼き付けることが出来ないと,撮影に失敗すれば一生に一度の機会を逃すことにもなりかねないと速やかに何枚もシャッターを切りました。
「慌てず,急いで,確実に! な。」
横から神職氏の小声が入ります。
大祓詞を終えた神職中が筒粥殿を後にしました。境内はもはや自分たちと後から見に来た人たちが数人。
「さあ,温泉が待ってる。皆も待ってる。」
午後9時半,真っ暗な春宮の境内を後にしました。
(筒粥神事後編へ続く)
いざ,鎌倉みち紀行:諏訪春宮の筒粥神事(後編) 〜粥占の結果は〜
http://yamataikoku.naganoblog.jp/e651012.html
2011年01月25日
諏訪春宮の筒粥神事(後編) 〜粥占の結果は〜
前編からの続きです。1月14日の夜から炊き始めていた筒粥は,明くる15日の午前5時に結果占いが行われました。
【2011年1月15日 筒粥のト占】
●筒粥が供えられている拝幣殿前に整列する神職
午前5時に,下社春宮の境内に到着すると,地元の報道陣を中心に十数名程度がすでに待ち構えていました。極寒の中,境内の焚き火を囲んで,その時を待ちます。
昨夜の火入れ(炊き出し)の始まりと同様,太鼓を合図に神職中が拝幣殿へと歩を進めます。
出来上がった筒粥44本は既に拝殿前に供えられているようで,お祓いや斎主の祝詞の後,3名の神職(斎主を含む)が座上にあがり,筒粥の開鍵が始まりました(下写真)。
●筒粥が供えられている拝幣殿前に整列する神職
44本の筒粥は,43種類の穀物と「世の中」を占うもの。奥中央の神職が筒粥を一本ずつ割り開いて,結果を口頭で伝えます。そして,左の神職がそれを書き記し,その様子を右の斎主が見守っています。
「里芋,上の上」
「なす,下の下」
・・・
筒粥が一本一本あばかれる度,結果が読み上げられます。一同,寒い中でも,それにじっと聞き入ります。
そして,最後に出ました。
「世の中,三分五厘」
以上,全ての筒粥の結果開鍵が終わりました。おそらく30分程度。
最後に,神職が見物者に結果を記した紙を示して,全ての結果を読み上げ(下写真),今年の筒粥神事も終了となりました。
●占い結果を読み上げる神職
世の中は三分五厘。おそらく「十」が満点だろうから,いささか厳しい結果が出たといえるかも。確かに,大卒者の就職内定率が過去最低レベルだったり,数年来の景気の閉塞感,周辺諸国の日本に対する外圧,いろいろ出てくる新たな社会問題・・・
なるほど,こういった問題はちょっとや,そっとじゃ改善しそうにないですしね。それに,ここ諏訪大社の筒粥神事は,聞くところではよく的中するので,七不思議のひとつに数えられているのだとか。昼間に再び春宮を訪れて,筒粥ト占の結果一覧をいただきましたが,ざっと眺めてみると43種類の穀物も全体的に上の部類が少なく,中や下がやや多めな感が。
温暖化が進めば,全体としての穀物の収穫量は減少に向かうともいいますし・・・
不景気な話はやめておきましょう。もっとも,自分は過去のト占結果を知らないわけですし,絶対値はともかく,運気が上向きか下向きかという相対的なファクターはそれらとの比較対照がないと何とも言いかねるところでしょうから。
●開鍵が済んだ筒粥
ところで,この筒粥神事の由来なりについていくぶん調べてみました。
ここ諏訪下社の筒粥神事はいつごろから行われているものなのか定かな情報は確認できませんでしたが,かつては諏訪上社でも行われていたそうです(現在はなくなっている)。また,諏訪大社に限らず,全国各地の神社で,小正月あたりに広く行われているようです。
歴史が古い例を挙げれば,師岡熊野神社(横浜市)というところでは,西暦949年から行われているとされていますし,恩智神社(大阪八尾市)の粥占神事は千年以上前,また淡路島の伊弉諾神宮で行われる粥占祭というものは1200~1300年前に始まったとされていたりします。その他,数百年前に始まったという事例も結構あるようでした。
諏訪のように筒に入る粥の状態で占うだとか,粥を放置してカビの生え具合で占う(北九州に多い)など,いくらか方法に差異があるものの,その年の穀物の出来高の吉凶を粥を用いて占うというのが基本とする「粥占(かゆうら)」という年占いです。その目的や手法などから,明らかに農耕が始まって以降のト占なのでしょうが,いつの時代から行われていたのかは定かではありません。大陸由来の行事という情報もあったりしますが,延喜式が成立した古代末期には,神事として諏訪大社で見たような手順がほぼ確立していたそうです。
余談ですが,古代から行われていた筒粥神事(粥占)ですが,同じく古代からのト占である「太占(ふとまに)」とは,由来的には一線を画する存在だったようです。
さて,1月15日の早朝,筒粥神事が一部始終終わった頃には,空も明るみ始めていました。筒粥の歴史を調べたとて,諏訪の筒粥神事がなぜ正確なのかはわかるべくもありません。
ただ,わかるのは
大事なもの,必要なものだったから絶えることなくずっと続いてきたということ
午前6時半,春宮から来た道を再び戻って,宿泊先に戻り再び床に就いた自分でした。
(諏訪の筒粥神事 / おわり)
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- 試驗投稿 不動明 2011/2/23 22:42:01 (9)
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