http://www.asyura2.com/10/test19/msg/867.html
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(回答先: 投稿試驗 投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 8 月 29 日 01:34:32)
其れだけでは無く、
此の當時のソビエトの宇宙關聯の技術ノウハウは、
飛び拔けて高い水準だつたのではなからうか。
(そして今の露西亞も
極祕の部分では恐らく世界一の能力があるのではないか)
其れが現在の各種自立型自動航行システムを備へた、
無人戰鬪攻撃機等に應用されてゐるやうに感じる。
個人的に、あのソビエトの「エネルギア」と「ブラン」とは何だつたのだらうか。
そもそもあれは一體だうなつたのかと云ふのが大いなる疑問だつた。
(バイコヌール宇宙基地に野晒しに成つてゐる云々と云ふ意味では無く)
しかし、200トンひとかたまりである必要があるペイロードって、
いったいソ連は何を打ち上げようとしていたんでしょうか?
まず第一に思い浮かぶのは有人火星宇宙船です。
地球周回軌道上で200トンだと、概算で56トンのペイロードを火星 へ、
20トン強を火星周回軌道に乗せることができます。
つまり、Vulkanの3〜4回程度の打ち上げと自動ドッキングにより、
有人火星表面探査も可能となります。
あとはちょっと思い浮かばないなあ…
あるとすれば、強力な弾道ミサイル迎撃用キャノンレーザーを備えた超巨大軍事衛星とか…
なにせ、開発命令を下したのが軍事工業委員会だから、ありうる話だとは思いますが。
アメリカのスペースシャトル開発費は、アメリカのサイトによると、
1981年のコロンビア打ち上げまでに106億ドル、
1990年の貨幣価値に換算して199億ドルとされています。
当時は一ドル=120円程度なので、2.5兆円程度でしょう。
対して、エネルギアロケットおよびソ連版スペースシャトルの開発費は、
公式には、164億ルーブル、
ソ連時代の公式レート(固定相場。1ルーブル=600円)で換算すると、
9兆8400億円=約10兆円になります。
単純計算でも少なくともソ連はアメリカの4倍以上の金額を
ブランに投入したことがわかりますが、
社会主義国は物価が欧米に比べて非常に安いため、そう単純ではありません。
例えばソ連時代、ソ連の一人当たりGNPはアメリカや日本の1/4でした。
(ソ連の一人当たりGDPは2000ドル台、日本人・アメリカ人は1万ドル台)。
ソ連にとってのブランの開発費は、日本人や西側先進国の価値と対照すると、
数十兆円単位だったのではないでしょうか?
まぁとにかく、ソ連は相当無理してアメリカと張り合っていたことは間違いないでしょう。
ネット上では、エネルギアブランの膨大な開発費がソ連崩壊を早めた、
という記述も数多く見られます。
そこまでして、ソ連が有翼再使用型宇宙船・エネルギアを開発した真の目的って…
…んで、結局のところ、ソ連版スペースシャトルの存在意義って何だったのでしょうか??
有人宇宙活動なら、ミール宇宙ステーション・ソユーズ宇宙船が有るし。
ミール2宇宙ステーションへの物資補給にしても、プログレスやTKSがすでに有るんだし、
30トンもの補給物資を一度に運ぶ「必然性」も無さそうだし。
今のISSのように、大規模なトラス構造物などあるにはあるけど、
それだけのために10兆円以上もかけてブランを開発する必要ってあったのかな?
それに、元々ブランは無人自動操縦が可能なのだから、有人である必要は無いんだし。
20トン一塊で、地球に持ち帰る必然性があるペイロードも、
…どうなんでしょう?
やっぱり、軍事目的とか、秘密の目的で作られたとしか考えられないよね〜。
米スペースシャトルが初飛行に成功するや否や、
ソ連政府は「スペースシャトルは、衛星撃墜用の宇宙兵器だ。即刻中止を求める」
とコメントしましたけど、
実はソ連のシャトルも、ソレ目的で開発されたんじゃないでしょうか?
または、小HPの「ソ連有人火星旅行計画の歴史」で述べた、
「人類火星移送計画」と関連があるとか。
貨物室を客室に改造すれば、
一度に数十人の人間と火星片道分の食料・水を宇宙に運べそうだし。
ソ連 再使用型有翼宇宙船「MKS」(ブラン)開発経緯
http://homepage3.nifty.com/junji-ota/B/BUbun.htm
ソ連 再使用型有翼宇宙船「MKS」(ブラン)開発経緯
画像ネタ引用元 モルニア社公式HP
2008.5.20 ブラン緊急時安全対策 追加 (上から5分の4当たり)
2008.7.2 8章 ブラン 将来の運用計画 別ページとして追加
このページでは、有人火星旅行計画と並んで、ソ連宇宙開発のもう一つのメインテーマであった「再使用型有翼宇宙船」の開発経緯・目的・将来計画について、以下の9章に分けて記述します。
1.終戦直後からあった有翼再使用有人宇宙船構想
2.MKS開発命令下る(1970年12月)
3.MKS-エネルギアシステムの開発本格化(1974)
4.石橋を叩きまくって作られたMKS
5.エネルギアロケット打ち上げ成功(1987)
6.完全無欠に成功したブラン打ち上げ(1988)
7.ブランは、有人用ソ連スペースシャトルのための
無人自動操縦専用試験機だった
8.将来の利用計画
1.終戦直後からあった有翼再使用有人宇宙船構想
アメリカのB29戦略爆撃機編隊を恐怖のどん底に陥れた、ナチスドイツの有人ロケットエンジン有翼迎撃機「コメット」に刺激されてか、1945年中頃から、大気圏を飛行する有人ロケットエンジン飛行機がいくつか開発・試作されました。
ここでは、宇宙と地球を往復することを前提として構想・設計された、有人有翼再使用型宇宙船について、年代順に記述します。
●ブラン計画(1952〜1957)
簡単に言えば、宇宙空間の下端を通過する弾道ミサイルに、翼と一人の宇宙飛行士が乗る部分を付け加えたものです。数回の再使用を予定していました。開発は進みましたが、1957年に ブラン有人飛行計画が中止され、代わりにボストーク宇宙船の計画が浮上しました。以降は、結局ここで開発された技術はBuryaミサイルに転用されました。
1952年といえば、昭和26年。この時代から有翼有人再利用宇宙船の構想があり、しかも名前が既に「ブラン」だったとは驚きです。
●VKA計画(1957〜1960)
1957年、R7ロケットが実用化され、スプートニクが打ち上げられました。このR7ロケットで打ち上げられることを前提として構想・開発された一人乗り有人有翼再使用宇宙船が「VKA」です。VKAは、「aero-space vehicle」のロシア語の頭文字です。 形状は、日本版スペースシャトル「HOPE」(結局中止されたけど)にそっくりです。
着陸は、草原にスキー脚で行う予定だったそうです。
●PKA計画(1959〜?)
R-7ロケットで打ち上げられる、一人乗り有翼再利用型宇宙船。大気圏再突入時は翼を格納し、大気圏内飛行中は翼を広げるという、可変翼方式。大気圏内飛行では、自身のロケットエンジンを噴射して航路を制御 して既存の空港に着陸する予定だったそうです。
●スパイラル50-50計画(1962〜1969)
親亀・小亀方式の、有翼完全再利用打ち上げシステム。
マッハ5の速度が出る有人の超音速飛行機の背中に、後部にロケットを備えた有翼再使用宇宙船が乗っている形です。
その詳細は、おいらがちまちま文章で説明するよりは、「百聞は一見にしかず」、下記アドレスをクリックしてください。再現アニメがあります。
http://www.deepcold.com/deepcold/spiral_main.html
初飛行は、1977年を予定していました。この計画はかなり技術開発が進みましたが、マッハ5の超音速機の開発が難航したことと、有人月面着陸計画に全力を注ぐため、1969年に凍結されました。
2.MKS開発命令下る(1970年12月)
アメリカとの軍事バランスを保つためという名目の元
アメリカのNASAは、1970年からポストアポロ計画としてスペースシャトルの開発を決定しました。これに対して同年、ソ連軍事工業委員会(VPK)は、ソ連もアメリカのスペースシャトルと同等の性能を持つ有人有翼再利用宇宙船を開発すべきという通達を出しました。
ところで、NASAのスペーシャトル開発の(表向きの)大義名分は「外部燃料タンク以外を再利用することにより、従来の使い捨てロケットよりも打ち上げコストが十分の一以下に下げられるため、商業利用も可能である」というものでしたが、同等の性能を持つソ連版シャトルの開発命令が「軍事工業 委員会」から出ていたということは興味深い。つまり、裏を返すと、アメリカのスペースシャトルも、表向き商業目的と言いながらウラの目的は軍事的な要請からのものであるということをソ連も知っていたのだ。実際、冷戦終結まではアメリカのシャトル飛行のうちの 約1/3は軍事目的の秘密ミッションでした。 チャレンジャー事故の影響で結局は実現できませんでしたが、アメリカ内陸部の砂漠地帯(バンデンバーグ宇宙基地)に軍専用のシャトル打ち上げ基地を建設したほどでした(チャレンジャー爆発事故の影響で、建設作業は中断)。アメリカの軍事シャトルが宇宙で何を行っていたのかは、今のところ皆目わかりません。国家機密であり、アメリカ という国家が今も存続中ですから当然といえば当然ですが。
ただ、各方面の情報を総合すると、どうやら、有翼という形状が、軍事ミッションにおいて有効だということらしいです。
3.MKS-エネルギアシステムの開発本格化(1974)
1974年6月23日に、ソ連版有人月面着陸計画「ソユーズL3計画」が中止され、それに伴って、超大型ロケット「N1」に関する研究開発・製造も同年8月13日の政府命令により正式にキャンセルされました。不要になったN1ロケットの巨大な打ち上げ施設・組み立て施設は、ソ連版スペースシャトルのために転用されることとなりました。これにより、エネルギア-ブランシステムの開発は本格化します。
下図:米シャトルとソ連エネルギア-ブランシステムの比較
●メインエンジンは使い捨て水素エンジンを採用
アメリカのシャトルは、エンジンをオービター下部に備え、エンジンを回収して100回程度再利用することで打ち上げコストを1/10以下に下げることが 表向きの(国民を納得させるための)大義名分でした。しかしソ連の技術陣は、液体水素エンジンに関する技術と経験が不足しており、再利用可能なエンジンの実用化は難しいと判断し、 水素エンジンを持つ使い捨てのエネルギアロケットに、エンジンを持たないオービターを運搬させる、という方式を選択しました。
このロケットエンジン使い捨て方式は、正しい判断だったと私は考えます。アメリカのシャトルは、エンジン再利用とは言ってもそのたびに膨大な点検・部品交換など各種メンテナンスを必要とし、結果的に、再利用型なのに打ち上げ1回につき600億円 以上(宇宙飛行士訓練費は除く)という世界で もずば抜けてコストが高い打ち上げシステムとなってしまいました(米シャトルの打ち上げ能力は25トンだが、打ち上げ能力20トンのロシアのプロトンロケットは80億円)。特に 固体補助ブースターは、再利用するよりも使い捨てにしたほうが安くつくといわれています。1991年末に、ソ連で最も高名な宇宙ジャーナリスト、ヤロスラブ・ゴロヴァノフ氏がイズベスチヤ紙に発表したところによると、エネルギアロケット-ブランの打ち上げコストは1.7億ルーブル=1020億円(1ルーブル=600円)ですが、これは過去2回だけ行われた打ち上げに限った事で、運用が順調に行けば大量生産効果により、打ち上げ回数を増やせば増やすほど、もっとコストは下がっていったはずです 。(プロトンロケットと同じ性能の日本のH2ロケットは、7機しか生産されていないので、180億円。プロトンは100機以上打ち上げられたので80億円)
●補助ブースターは再利用型液体燃料エンジンを採用
補助ブースターは、アメリカのシャトルは固体燃料を用いた、10回程度再利用ができるものでした。しかしソ連は、歴史的に固体燃料のノウハウが足りません。大陸間弾道弾でも、アメリカはほとんどが固体燃料でしたが、ソ連は全て液体燃料でした。よって補助ブースターは、ソ連の液体燃料エンジンに関する豊富な経験を元に、 陸上(草原)で回収して10回程度再利用できる液体燃料方式(液体酸素-ケロシン)としました。 また、この補助ブースターは、単独でも「ゼニットロケット」として、打ち上げ能力12トンのロケットとして使用できるようにしました。
米スペースシャトルの補助ブースターはパラシュートで海に着水するので、海水による腐食が問題となっていますが、エネルギアの補助ブースターは草原での陸上回収なので、米シャトルの補助ブースターよりも安全といいます。
ただし、草原に着陸した巨大な補助ブースターを、いったいどんな方法でバイコヌール宇宙基地へ輸送したのかは、まだ調査中です。
下アニメ:液体補助ブースター 陸上回収のシークェンス
●打ち上げ能力200トンのVulkanロケットへと発展可能
エネルギア-ブランシステムは、メインエンジン使い捨てのエネルギアロケットの背中に、エンジンを持たないブランが乗っかっているだけですから、当然、エネルギアロケットはブランの代わりに無人の貨物を打ち上げることができます。その場合、ペイロードの重量は100トンとなり、大型宇宙ステーションや超大型人工衛星 、有人惑星探査など、サターンロケット製造ラインを廃止したアメリカには絶対に真似ができないミッションが可能となります。
また、エネルギアロケットは補助ブースターの本数を2本〜8本に変えることにより、その打ち上げ能力を35トン〜200トンまで変更することができます。2本版は「Energia-M」、4本版は「Energia」、6本版は「Groza」、8本版は「Vulkan」と呼ばれます。
30トンの貨物を搭載可能な有人のブランを打ち上げることもできるが、有人である必要性が無く、また地球に回収する必要が無い貨物なら、無人のほうが当然コストは安上がりです。しかも、ペイロードは最大200トン。よってエネルギア-ブランシステムは、必ず有人でなければならず、ペイロードも25トンに制限されるアメリカのスペースシャトルシステムよりも 安全・安価・効率的で優秀といえます。
しかし、200トンひとかたまりである必要があるペイロードって、いったいソ連は何を打ち上げようとしていたんでしょうか?
まず第一に思い浮かぶのは有人火星宇宙船です。地球周回軌道上で200トンだと、概算で56トンのペイロードを火星 へ、20トン強を火星周回軌道に乗せることができます。つまり、Vulkanの3〜4回程度の打ち上げと自動ドッキングにより、有人火星表面探査も可能となります。
あとはちょっと思い浮かばないなあ… あるとすれば、強力な弾道ミサイル迎撃用キャノンレーザーを備えた超巨大軍事衛星とか… なにせ、開発命令を下したのが軍事工業 委員会だから、ありうる話だとは思いますが。
4.石橋を叩きまくって作られたMKS
10機の再突入試験、6機のフルスケールモデル
アメリカのスペースシャトル開発にあたっては、フルスケールモデルは、鋼鉄製のシミュレーター「パスファインダー」と、ジャンボジェット機の背中に乗って空中で切り離され滑空試験を行った「エンタープライズ」だけで、耐熱タイルの性能を検証する大気圏再突入試験は皆無でした。よって米シャトルの 有人宇宙空間初飛行では、宇宙空間で4枚、大気圏突入の際には数十枚の耐熱タイルが剥がれるという、きわめて危険なものとなりました。 今でも、フライトのたびに数十枚のタイル交換を必要としています。
この件を反面教師にしたのかもしれませんが、ソ連版スペースシャトル開発に当たっては、耐熱タイルの性能検証や空力学的特性のデータを得るために、大気圏再突入試験機を合計10機打ち上げ、大気圏に突入させてデータを収集しました。
アメリカのスペースシャトル開発費は、アメリカのサイトによると、1981年のコロンビア打ち上げまでに106億ドル、1990年の貨幣価値に換算して199億ドルとされています。当時は一ドル=120円程度なので、2.5兆円程度でしょう。
対して、エネルギアロケットおよびソ連版スペースシャトルの開発費は、公式には、164億ルーブル、ソ連時代の公式レート(固定相場。1ルーブル=600円)で換算すると、9兆8400億円=約10兆円になります。
単純計算でも少なくともソ連はアメリカの4倍以上の金額をブランに投入したことがわかりますが、社会主義国は物価が欧米に比べて非常に安いため、そう単純ではありません。例えばソ連時代、ソ連の一人当たりGNPはアメリカや日本の1/4でした。(ソ連の一人当たりGDPは2000ドル台、日本人・アメリカ人は1万ドル台)。
ソ連にとってのブランの開発費は、日本人や西側先進国の価値と対照すると、数十兆円単位だったのではないでしょうか?
まぁとにかく、ソ連は相当無理してアメリカと張り合っていたことは間違いないでしょう。ネット上では、エネルギアブランの膨大な開発費がソ連崩壊を早めた、という記述も数多く見られます。そこまでして、ソ連が有翼再使用型宇宙船・エネルギアを開発した真の目的って…
●BOR-4
耐熱タイル技術検証用の大気圏再突入試験機は、スパイラル計画のオービターのスケールダウンモデルである「BOR-4」(地球周回-再突入)が4機打ち上げられました。なお、これら4機は、再利用はされませんでした。
耐熱タイルの技術検証用の大気圏再突入機「BOR-4」。スパイラル計画のオービターは可変翼の予定でしたが、それをそのまま固定翼にし、地球周回後、インド洋と黒海に着水させ、回収しました。打ち上げは以下のスケジュールで行われました。
●1982年6月3日 (インド洋着水)
●1983年3月15日 (インド洋着水)
●1983年12月27日 (黒海着水)
●1984年12月19日 (黒海着水)
●BOR-5
大気圏再突入時の空力学的特性を把握するために、ブランの1/8スケールモデル「BOR-5」を6機打ち上げ、高度120kmの弾道飛行の後に大気圏に再突入させ回収しました。ここから得たデータは、 高温プラズマの発生など、無人自動操縦に必要な空力特性データを収集しました。各機体とも再利用はされませんでした。
左写真は大気圏再突入後の回収された機体。形状は、後のブランとまったく同じ、1/8のスケールダウンモデル。打ち上げは以下のスケジュールで行われました。
左写真のモデルでは、尾翼付け根にジェットエンジンらしきものが付いていますが、ブランも当初は、大気圏内飛行の安定のために、ジェットエンジンを装着する予定だったそうです(実験を繰り返した結果、結局、ジェットエンジンは不要と判断された)。
●1983年7月4日
●1984年6月6日
●1985年4月17日
●1986年12月25日
●1987年8月27日
●1988年6月21日
●フルスケールモデル6機
さらに、フルスケールモデルが、合計6機も建造され、各種試験を行いました。
●OK-M
パーツフィットテスト用。左の写真は、エネルギアロケットのモックアップに乗せられた姿。その他、発射台やエネルギアロケットとのインタフェイスのチェックなど。
最後はエネルギアで打ち上げられ、分離テストを行った後、大気圏に再突入して燃え尽きる予定であった(実行されず)。
右写真を見ると、やっぱりこの当時は、尾翼の付け根にジェットエンジンを装着していますな。
●OK-GLI
大気圏内滑空テスト用。自らの機体にジェットエンジンを備え、単独で飛行します。タッチアンドゴーを繰り返し、自動操縦による着陸に必要なデータを得ました。
もちろん手動操縦も可能なので、宇宙飛行士の手動操縦訓練も兼ねていました。
●OK-MT
技術開発用のフルスケールモデル。気密システムテスト、軍事作戦マニュアルの開発・設計、メンテナンス・マニュアルおよび飛行オペレーション・マニュアルの開発に使用されました。
●OK-TVA
振動・音響テスト用フルスケールモデル。現在はモスクワのゴーリキー公園内のレストランに改造されています。
●OK-KS
電気・電子関連機器のテスト用のフルスケールモデル。
写真未発見 ●OK-TVI
熱伝導および機密性テストのためのフルスケールモデル。2500度からマイナス150度まで加熱・冷却テストが行われました。
まさに「石橋を叩いて渡る」ような、慎重極まりない開発手順ではないか!エンタープライズによる滑空試験のみで81年に初飛行を行ったものの、問題続出により80年代前半には早くもその欠陥を露呈した米シャトルを反面教師にしたのかもしれませんが、後発のソ連版シャトルは、アメリカのシャトルよりも数段高性能で信頼性の高いものを作り上げよう、という、ソ連宇宙開発技術陣の意地が感じられます。
5.エネルギアロケット打ち上げ成功(1987)
日本では、H2Aのロケットエンジン「LE-7」の燃焼試験が行われるたびにニュースで報道されますが、エネルギアロケットのエンジンは、100回以上の燃焼試験を繰り返したそうです。また、 エネルギアロケットの打ち上げ前点検・打ち上げ・制御シークェンスは、将来の省力化すなわちローコスト化を見据えてきわめて高度にオートメーション化され、各手順の自動化率は、当時のR7ロケットの7%に対し、76%に達したそうです(現在はR7ロケットも高度に自動化されており、80年代まで40人の管制官を必要としたものが、現在は管制官4人だけで打ち上げられるようになっています)。
1987年5月11日。
満を持して、エネルギアロケットの初飛行が実行されました。ペイロードは、ブランではなく「ポリウス」と呼ばれる重量100トンの衛星でした。これについては 興味深い逸話が有るので、改めて説明します。
エネルギアロケット打ち上げは、完全無欠の成功を収めました。この日ソ連は、N1ロケット以来長年の夢であった超大型ロケットをついに実用化したのです。
なお、ポリウスの存在は伏せられ、公式発表は「重量100トンのダミー衛星を打ち上げた」でした。当時中学生だった僕は「重量100トンのダミー衛星って、巨大な砂袋でも打ち上げたのかな?」と疑問に感じたものでした。
左図:ブランの代わりにポリウスを背中に乗せたエネルギアロケットおよび打ち上げ写真。
●核機雷搭載 対ICBM・衛星迎撃粒子ビーム砲衛星「ポリウス」
左:ポリウス 外観 下:ポリウス断面
1983年3月、アメリカのレーガン大統領は、宇宙空間に各種ミサイル迎撃衛星を大量に配置して、ソ連からの大陸間弾道ミサイルを全て迎撃する「戦略防衛構想」(SDI)を発表し、計画をスタートさせました。当時、これは「スターウォーズ計画」とも呼ばれ、予算が100兆円というものでした。ソ連はこれに対し、「宇宙の平和利用の原則に反するものだ」「軍事バランスを崩し、戦争の危険性をより増加させるものだ」と徹底して非難しましたが、一方でウラでは、アンドロポフ書記長は、SDIの対抗策として、アメリカのSDIと同等かそれを上回るシステムを実用化するよう、同年8月に通達を出しました。
こうして開発されたのが、1987年5月11日にエネルギアロケットによって実際に打ち上げられ、「100トンのダミー衛星」と公式発表された、重量100トン(地球周回軌道上では87トン)の超大型衛星「ポリウス」です。ポリウスは、長さ37m直径4.1m(直径はサリュート・ミールと同じ)で、敵衛星迎撃用として核機雷と無反動粒子ビーム砲を搭載していました。外観は、ステルス塗装で真っ黒でした。また、その目的を西側に知られるのを防ぐためか、地上との交信は電波ではなくレーザーで行われる仕組みとなっていました(ソ連初の試み)。カムフラージュのためか、ポリウスの 両脇には「ポリウス」とロゴが入っていましたが、正面には白く「ミール2」と書かれていました。
なお、ポリウス打ち上げにあたっては面白い逸話があります。
ポリウス打ち上げ前日、当時のゴルバチョフ書記長は「新型の超大型ロケットが打ち上げられる」ということで、打ち上げの様子をバイコヌール宇宙基地現地視察に訪れました。そこで、エネルギアロケットのペイロード「ポリウス」はキャノンレーザー砲を備えた宇宙兵器であることをはじめて聞かされました。当時ゴルバチョフ書記長はアメリカと平和外交を進めており、SDIの廃棄を強く求めていました。しかし、自国もSDIと同じシステムを実用化し、明日打ち上げられると聞いて激怒。「エネルギアロケットの打ち上げは認めるが、ポリウスの運用は認めない」と強硬に主張しました。
ポリウスのロケットエンジンは、ポリウス下部ではなく上部に搭載されていました。エネルギアロケットは、地球周回軌道に乗る速度(秒速7.8km)より秒速100mだけ遅い速度まで加速した時点でポリウスを切り離し、ポリウスはそこで180度方向転換をし、自身のロケットエンジンを吹かして地球周回軌道に乗る段取りでした。
結局ポリウスを搭載したエネルギアロケットは打ち上げられましたが、ゴルバチョフの命令に従って、ポリウスは地球周回に必要な速度に秒速100m足りない速度に達しましたが、180度ではなく360度回転し、 「逆噴射」を行って速度を減じ、太平洋に落下しました。そして世界の人々は「エネルギアロケットは重量100トンのダミー衛星の打ち上げに成功したが、第二段の不調により、ダミー衛星を軌道に乗せることには失敗した」というソ連公式発表を信用しました。
それにしても、ソ連版SDIという超巨大プロジェクトの存在を、そのソ連の国家元首であるゴルバチョフ書記長が打ち上げ前日まで知らなかった、というのも、超大国ソ連以外では絶対にありえない話だわな…
余談ですが、ソ連崩壊後、「エネルギアロケットによって打ち上げられ、重量100トンのダミー衛星と発表された衛星は、実は宇宙物質製造工場ポリウスであった」ということがロシア政府から公表されました。しかし1999年、さらにこのポリウスはキャノンレーザーを備えたソ連版SDIであったことがロシア宇宙関係者によって暴露されました。暴露した関係者は、国家機密漏洩の罪でロシアから懲役10年を受けたそうです。
国家元首にすら秘密でSDIを実用化したソ連も凄いが、そんな超国家機密があっさりリークされてしまうロシアもまた凄い…
2008.4.27 ポリウスの詳細を新コンテンツとしてアップしました。こちら
6.完全無欠に成功したブラン打ち上げ(1988)
1988年11月15日。
ついに、ソ連宇宙開発技術陣にとって長年の夢であった、有人有翼再利用宇宙船が打ち上げる日がやってきました。ソ連版スペースシャトルの名前は「ブラン」、ロシア語で「猛吹雪」です。
それまでのソ連宇宙開発は、「事前発表はまったく無く、打ち上げに成功してから初めて発表する」という方法を取ってきましたが、今回は、ソ連技術陣の自信の表れか、打ち上げ前にブラン打ち上げの日程を西側に公表しました。
結果は、無人自動操縦で地球を2周した後、バイコヌール宇宙基地の専用滑走路に着陸、しかも着陸地点は、強風にもかかわらず、予定された滑走路ラインから1mずれただけ、しかも剥がれた耐熱タイルは2枚のみ、という、完全無欠の成功を収めました。
ソ連は、このブラン無人自動操縦飛行を「オートメーション技術の真骨頂」と自画自賛し、ソ連国民は超大国国民としての心地よい誇りに酔いしれました。
アメリカの政府およびメディアは、ブランの外観が米シャトルとそっくりなことに着眼し、「ソ連のシャトルはアメリカのシャトルの技術をスパイして作ったコピー品だ」と中傷しました。これに対するソ連の反論は「理想的な形を追求した結果、似た形になっただけだ。ジャンボジェット機だって、どこの国のどこのメーカーがつくっても、ほとんど同じ形じゃないか」というものでした。確かに、オービターの形状は似ていても、そもそもシャトルの形状なんて、写真を見ればわかるのだからスパイを送る必要も無いし、第一、打ち上げシステムがまったく異なる(ロケットエンジン使い捨て)のだから、 比較対照にすること自体、ナンセンスです。よって、ソ連の言い分はもっともだと私は思います。
また、無人自動操縦だったことに関しても、アメリカは「人間を乗せる自信が無かったからだ」と中傷しましたが、ソ連は「我々は物事を慎重に進めているだけだ。無謀な冒険をすることが科学ではない」と反論しました。このソ連の言い分がまったく正しいことは、次の章で明らかになります。
7.ブランは元々、
有人用ソ連スペースシャトルのための試験機だった
1988年11月15日に完全無欠の成功を収めた「ブラン」は、窓が付いていたので、誰もが当然のように有人宇宙船と思ったでしょうが、実はブランは、1989年5月までは、1990年に完成した2号機「ピチューチカ」(ロシア語で「小鳥」の意味)と同様に、自動操縦テスト専用機の役割でした。有人の実用機は後に建造される3〜5号機の予定でした。
無人自動操縦によるテスト目的だった、1.01(ブラン)・1.02(ピチューチカ)、有人実用目的だった2.01、2.02、2.03
ブランとピチューチカは、確かに窓を持ち、乗員乗降用のハッチを持ち、座席つきのコクピットを持っていました。しかし、ブラン打ち上げの時点で生命維持装置は備えられていませんでした。また、緊急脱出装置はありませんでした。ブラン・ピチューチカは、コードネームはそれぞれ1.01、1.02といって、元々は無人自動操縦によるテストフライト専用の機体だったのです。
但し、1989年5月に行われた、エネルギア-ブラン計画に関する防衛閣僚会議(議長:ゴルバチョフ書記長)の席上、予算の制限から、運用機体を5機から3機に削減する事が決定され、同時に、ブラン・ピチューチカもテスト飛行終了後に実用機として運用されることになりました。
1990年に完成した2号機 1.02
「ピチューチカ」
建造途中の3号機 2.01 「バイカル」 「YouTube」に、「БАИКАЛ」とロゴが入った機体が搬送される動画があります。
建造途中で放棄された4号機 2.02 「タイフーン」
ソ連に台風って来るっけ??
5号機(2.03)は、建造途中で放棄され、今は解体されて写真も無いみたい。
ブラン打ち上げ時点では非常脱出装置は備えられていませんでしたが、後に、最大10人の乗組員全員を脱出させるシステムが備えられる予定でした。
米スペースシャトルは、打ち上げ30分前から着陸まで、どの段階でエンジンに不具合が起こっても乗員が脱出する手段がまったくありませんが、有人用ブランは、少なくともチャレンジャー事故のような事故は起こりえなかったわけです。また、アメリカのスペースシャトルは、補助ブースターの燃料に一度点火したら停止不可能な固体燃料を用いてますが、エネルギアロケットの補助ブースターは液体燃料であるため、異常を察知したらすぐにシャットダウンし爆発を未然に防ぐことが出来ます。
安全性こそブランの最大の特徴! 複雑で入念なブラン緊急脱出方法の特集だけでも、ひとつの独立したコンテンツになりそうなほどです。液体燃料であることと、メインエンジンを持たないことを最大限に生かした方法です。
2008.5.19追記:ブランの緊急時脱出方法を別コンテンツにまとめました。
ブラン緊急時安全対策
8.将来の利用計画
1988年11月のブラン初飛行成功直後には、1989年の秋に第二回フライト、1992年に有人飛行と公式発表されましたが、ペレストロイカの混乱と資金難に伴い、それらの計画は延期されました。結局、エリツィン大統領の命令により、1992年にはブラン-エネルギア計画は完全に中止されましたが。
1989年5月に立案されたソ連版スペースシャトルのフライト予定を、独立したコンテンツとしてまとめました。
ソ連版スペースシャトル 将来の運用計画
2008.07.02
…んで、結局のところ、ソ連版スペースシャトルの存在意義って何だったのでしょうか?? 有人宇宙活動なら、ミール宇宙ステーション・ソユーズ宇宙船が有るし。ミール2宇宙ステーションへの物資補給にしても、プログレスやTKSがすでに有るんだし、30トンもの補給物資を一度に運ぶ「必然性」も無さそうだし。今のISSのように、大規模なトラス構造物などあるにはあるけど、それだけのために10兆円以上もかけてブランを開発する必要ってあったのかな?それに、元々ブランは無人自動操縦が可能なのだから、有人である必要は無いんだし。20トン一塊で、地球に持ち帰る必然性があるペイロードも、…どうなんでしょう?
やっぱり、軍事目的とか、秘密の目的で作られたとしか考えられないよね〜。米スペースシャトルが初飛行に成功するや否や、ソ連政府は「スペースシャトルは、衛星撃墜用の宇宙兵器だ。即刻中止を求める」とコメントしましたけど、実はソ連のシャトルも、ソレ目的で開発されたんじゃないでしょうか?
または、小HPの「ソ連有人火星旅行計画の歴史」で述べた、「人類火星移送計画」と関連があるとか。貨物室を客室に改造すれば、一度に数十人の人間 と火星片道分の食料・水を宇宙に運べそうだし。
なんちゃって。謎過ぎて、つい、オカルト的発想に走ってしまいました。本当に謎ですね。
ちなみに、エネルギアロケットの表向きの利用計画は、もっとトンチンカンだ。以下、エネルギア社公式HPから原文コピペ&僕の翻訳&補足&突っ込み。
Restoration of the earth's ozone layer
地球のオゾン層修復。 30〜40機の、重量60〜80トンの超大型凹型ミラーを高度1600kmに周回させて上層大気を熱し、オゾンを発生させる。 オゾン層修復完了には30年間を予定していた。エネルギアロケット の開発がスタートした1970年代前半は、オゾン層減少は別に問題となっていなかったはずだ。
Disposal of nuclear waste outside of the solar system
太陽系の外に放射性廃棄物を放棄する。太陽系外に放棄される高レベル放射性廃棄物は 一回の打ち上げにつき7トンで、打ち上げ失敗に備えてガチガチの容器に入れられて打ち上げられる。 地盤が複雑な日本とは異なり、ロシア 平原は「盾状地」といって、安定大陸で地震も全くないのだから、地中埋設処分で十分。それに、宇宙に捨てるにしても、なにも太陽系の外にまで出さなくても…月面にぶつければいいじゃん。ちなみに月面は、太陽からの放射線がガンガン降り注ぐ放射線地獄なので、「月面が放射能で汚される」という心配は無用。
Illumination of polar cities by reflection of the sun's light
超大型ミラー衛星により、北極圏の町に太陽の光を反射させて届ける。直径240mのミラー衛星を、軌道傾斜角103度、高度1700kmに100機打ち上げて、直径16kmの円形部分の都市に太陽光を届ける。 そのミラー衛星の小型版は、ZNAMYAという名称で1998年にプログレス貨物船に搭載され、ミール宇宙ステーション近傍でミラーの展開実験を行った。地上の 照明設備を増やせばいいだけじゃねえのか?
Exploitation of lunar resources for fusion reactors on the earth
地球の核融合装置のために月の資源を持ち帰る 核融合の燃料は「ヘリウム3」という元素で、地球では天然ガス中にわずかに含まれるのみだが、月面の土壌には豊富に存在することがわかっている。 核融合発電が実用化されるのは今から約50年後と見積もられているのだが…
Space control system to assure ecological compliance and guarantee strategic stability
生態学の従順を保証し、かつ戦略の安定を保証する宇宙制御システム 抽象的すぎてわからん。俺の英語力がないせい?
2007年6月、海外在住の閲覧者から、以下のように訳せるのではないかとメールにてご提案を頂きました。
(中略)「 生態環境保護の確保と戦略的な国際社会の安定を見張るシステムと意訳できるかと思います。高性能な総合監視衛星の打ち上げを意味する一文ではないでしょうか。」
…ん〜〜〜 海外在住日本人のお方に翻訳していただいても、やっぱり抽象的… 野党政治家から提案を受けた自民党政治家のお約束答弁;
「状況をかんがみ、前向きに検討したうえで善処します」
と同様、何とでも解釈できるわな… ロシアも日本同様、中間色や玉虫色の言葉は美しいのか?
International global information communications system
国際的・全地球的・情報・コミニュケーションシステム 重量20トンの静止衛星を複数個打ち上げる。 別に20トンひとかたまりの必要性はないと思うんだけど。
Removal of space debris in geostationary orbit
静止軌道のスペースデブリ(意訳すれば「宇宙のゴミ」)を再移動する 不要になった静止衛星を15トンの衛星を使って再移動するそうです。 でも、エネルギアロケットが廃止されて十数年たった今も、似た計画は聞いたことがないし、それはそれで 、なくても間に合っているのかな?
Large space radio telescope to study galazies
遠方銀河を観測するための大型電波望遠鏡の打ち上げ これはまともだ。
最後の一つを除けば、エネルギアロケットの開発意義は無いに等しい(で、開発目的に「有人火星探査」が含まれていないのが謎…)。
やっぱりエネルギアロケットとブランの真の目的は、有人惑星間旅行と軍事目的(ソ連版SDI)と僕は考えています。
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- 投稿試驗 卍と十と六芒星 2010/8/29 07:18:30 (7)
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