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投稿試驗
http://www.asyura2.com/10/test19/msg/244.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 4 月 17 日 00:25:06: xsXux3woMgsl6
 

(回答先: 投稿試驗 投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 4 月 15 日 22:25:20)

 
 
 
 
  「ユーロ早期導入に賛成派だったトゥスク首相
   (ポーランドは、大統領と首相が居る)は、
   別便で先に来たために難をのがれた。」
 
  「当初は10月に予定されていた大統領選では、
   市民プラットフォームの候補者、ブロニスワフ・コモロフスキ氏が、
   カチンスキ大統領をはじめとする他の候補者よりも有利だった。
   民主左翼連合の候補者、
   イエジ・シュマイジンスキ氏もこの事故で死亡し、
   コモロフスキ氏は、ポーランドの三大政党の候補者で唯一の生存者となった。
   政治評論家によると、故大統領に対する同情が高まれば、
   それが市民プラットフォームの勝利への唯一の大きな障害となるかもしれないが、
   それでもトゥスク首相の支配拡大を阻止するには至らないだろうという。」

  「カチンスキ大統領は、同じユーロ懐疑論者である
   スワヴォミル・スクシペク氏に中央銀行総裁を任せていたが、
   同氏も墜落事故で死亡した。
   ロンドンに拠点を置く調査分析会社、
   ユーラシア・グループのリサーチ・ディレクター、プレストン・キート氏は
   「投資家は、カチンスキ大統領とスクシペク総裁を敵対的な人物とみている。
   両氏が市場改革阻止の2大勢力だという見方は顧客との会合で出てくる」
   と述べた。」
 
 
偶然は有り得ない。
トウスクの背後にゐる聯中はどのやうな者共か?
そして其の意圖してゐるものは一體何か?
 
 
 
 
ロシア西部でポーランド大統領機が着陸失敗、87人死亡(worldtimes他:国際)
http://www.asyura2.com/10/warb4/msg/113.html#c37
投稿者 傍観者A 日時 2010 年 4 月 10 日 22:49:34: 9eOOEDmWHxEqI
 
 
37. 2010年4月14日 13:57:53: bhOd54AIbk

民族主義的で、EUに懐疑的だったカチンスキ大統領と仲間だった自国の中央銀行総裁は、死亡。

ユーロ早期導入に賛成派だったトゥスク首相(ポーランドは、大統領と首相が居る)は、 別便で先に来たために難をのがれた。

トゥスク首相は、以前ワルシャワを訪問したバローゾ欧州委員長との会談後、
「新政権は親欧路線をとる」と明言していた。

後ろには、世界統一政府が関係しているのでしょうか。
 
 
 
 
ポーランド、首相支配拡大 6月予定大統領選控え存在感 (1.2/2ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ)
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/100416/mcb1004160506023-n1.htm
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/100416/mcb1004160506023-n2.htm
  
 
ポーランド、首相支配拡大 6月予定大統領選控え存在感 (1/2ページ)
2010.4.16 05:00
 
 

親ユーロの「市民プラットフォーム」を率いるトゥスク首相。

大統領選で支配拡大が見込まれる(ブルームバーグ)   

 
 
 ポーランドのトゥスク首相率いる親ユーロ派政党「市民プラットフォーム」は、飛行機墜落事故によるカチンスキ同国大統領の死去を受けて6月に前倒しで行われる予定の大統領選で、権力を強める見込みだ。

 ロシア西部スモレンスクで起きたこの事故では大統領を含む乗客全員が死亡した。10日の墜落事故以前に行われた世論調査によると、当初は10月に予定されていた大統領選では、市民プラットフォームの候補者、ブロニスワフ・コモロフスキ氏が、カチンスキ大統領をはじめとする他の候補者よりも有利だった。

 民主左翼連合の候補者、イエジ・シュマイジンスキ氏もこの事故で死亡し、コモロフスキ氏は、ポーランドの三大政党の候補者で唯一の生存者となった。政治評論家によると、故大統領に対する同情が高まれば、それが市民プラットフォームの勝利への唯一の大きな障害となるかもしれないが、それでもトゥスク首相の支配拡大を阻止するには至らないだろうという。

 政権と大統領の地位を支配することで、トゥスク首相の政党は、予算抑制に必要な法案を可決し、財政状況に注目する投資家を納得させることが、より自由にできるようになるだろう。

 カチンスキ大統領は、同じユーロ懐疑論者であるスワヴォミル・スクシペク氏に中央銀行総裁を任せていたが、同氏も墜落事故で死亡した。

 ロンドンに拠点を置く調査分析会社、ユーラシア・グループのリサーチ・ディレクター、プレストン・キート氏は「投資家は、カチンスキ大統領とスクシペク総裁を敵対的な人物とみている。両氏が市場改革阻止の2大勢力だという見方は顧客との会合で出てくる」と述べた。

 ポーランドは、財政目標を達成できないことが明らかになった後、2009年7月、12年のユーロ導入を断念した。トゥスク首相は、15年が「現実的な」期日であるとみている。(ブルームバーグ David McQuaid)
 
 
 
 
 
 
 
 
カール大帝賞受賞やオーストリア學派のハイエクを崇拝してゐる邊り、
世界支配者層の紐附きのやうだな。
オーストリア學派を育成したのはロスチヤイルドだと言はれてゐる。
そして其のオーストリア學派は、
シカゴ學派のミルトン・フリードマンに繋がつてゐる。
リバタリアニズム、同じだな。
騙そうつたつてさうはゐかない。
聯中がでつち上げた經濟學なる學問は洗腦兵器だからな。
聯中の言ひたい事はよく解る。
丁度今、映畫「アリス・イン・ワンダーランド」を上映してゐる。
赤の女王つて事なんだろ。
經濟ダーヴイニズムと云ふ譯だ。
 
 
 
 

アリス・イン・ワンダーランド 予告編


 
 
 
 
次の超大國は歐州聯合だと隨分前にロスチャイルドが決めた
http://www.asyura2.com/0601/idletalk20/msg/406.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2006 年 10 月 13 日 20:09:25: Gsx84HOp6wiqQ
 
 
 
 
ドナルド・トゥスク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ドナルド・トゥスク
Donald Franciszek Tusk
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9%E3%82%AF&oldid=31529252
 
 
ポーランド
第三共和制第14代首相
任期: 2007年11月16日
元首: レフ・カチンスキ大統領
ブロニスワフ・コモロフスキ大統領代行

出生: 1957年4月22日(52歳)
ポーランド、グダニスク
政党: 市民プラットフォーム
 
 
ドナルド・フランチシェク・トゥスク(ポーランド語: Donald Franciszek Tusk, 1957年4月22日 - )はポーランド・グダニスク出身の政治家。現在、同国首相(第三共和制第14代)。所属する政党は Platforma Obywatelska(市民プラットフォーム、PO)。PO党首。

人物

ポーランド人に近いスラヴ系少数民族カシューブ人(言語がポーランド語に非常に近いためポーランド人の一部族ともみなされる)の血筋を引く。両親は既に他界しており、息子と同名の父ドナルドは大工、母エヴァは看護士であった。父母はもとポーランド系住民としてダンツィヒ自由市の市民権を持ち、第二次世界大戦中にはナチス・ドイツによりドイツ国籍を与えられていたが、戦後はポーランド国籍を取得した。

祖父は戦中にドイツ国防軍に所属していたためドナルドがポーランド政界で頭角をあらわすにつれて政敵にの間にそれを問題視する人がいたが、鉄道線路の工事士だったこの祖父は戦争勃発の1939年に「ポーランド系」だということでナチス・ドイツによって逮捕されナチス強制収容所に入れられ、ドイツの敗色濃厚な1944年8月に補充戦力として収容所内から徴兵されたものの西部戦線に投入されポーランド人とはまったく戦っておらず、同年11月にはドイツ国防軍を脱走して西側連合国軍のポーランド亡命政府軍「自由ポーランド軍」に合流したため、国民の間でこの家族の話は特にスキャンダルとはならず、むしろこういう事実が明るみに出るにつれて祖父の受けた苦難は国民の同情と共感を得るほどであった。

ドナルド本人は出生時よりポーランド国籍であり、母語もポーランド語であるが、カシューブ語も多少は話せるといわれる。また、ドイツ語が堪能であり、英語もかなり話せる。

1980年グダニスク大学卒の文学修士。専攻は歴史学。20世紀初頭におけるポーランド最大の指導者ユゼフ・ピウスツキの研究で修士号を取得。妻マウゴジャタとの間に2人の子供がおり長男ミハウは1982年生、長女カタジナは1987年生。

学生時代からポーランド民主化運動の母体である独立自主管理労働組合「連帯」運動に参加、若手のホープとして頭角をあらわし、1981年にはフリードリッヒ・ハイエクの経済政策を紹介するパンフレットを製作して全国に配布した[1]。

1989年の民主化後に本格的に政界入りした。それ以前は民主化運動のみに明け暮れたのではなく、大学を出た後は発電所や造船所などで産業用のペンキ職人として働き[1]、のちにペンキ屋の親方として当時許可されていた程度の小規模の企業を自ら開業している。そこでは親方社長として真夏の炎天が続くなか、納期に間に合わせようと現場で毎日16時間も働くような猛烈な経験を通じてビジネスの極意と自ら汗を流して働くことの大切さを学んだという[2]。

政治

国政における経歴

1989年に行われた第二次世界大戦後初の普通選挙では独立自主管理労働組合「連帯」による選挙会派「民主行動のための市民運動(ROAD)」から国政に進出。

1990年にROADが自由主義に対する理念の違いから内部分裂すると、経済と個人の自由の追求、一方でこれら自由化における急進主義や熱狂の排除、ヨーロッパ統合への積極参加、という、いわゆる中道右派の理念を志す仲間と共にの「自由民主会議(KLD)」を結成。1991年の総選挙ではセイム(下院)に37議席を獲得した。

1994年には、より社会的にリベラルな中道政党の「民主連合(UD)」と合併して「穏健な自由主義」を目指す「自由連合(UW)」を結成。1997年にはセナト(上院)議員となった。

2001年になると自由主義をめぐる党内の政策理念の対立から、トゥスクなどの旧自民会議(KLD)系だけでなく旧民主連合(UD)系も含めた同志がUWを離脱し、「連帯」選挙行動(AWS)から離脱した中道右派系の人々と共に新政党「市民プラットフォーム(PO)」を結成。その際にトゥスクは中心的な役割を果たし、同年の下院選挙では同等が与党の「民主左翼連合(SLD)」に対し野党第一党となる。2003年に党首に就任。

2005年の総選挙で市民プラットフォーム党は政権獲得を目指したものの、大幅に議席を伸ばして新たに与党第一党となった右派政党「法と正義(PiS)」に及ばず、再び野党第一党にとどまった。トゥスクは同時に行われた大統領選挙に立候補していたが、一次投票では首位となったものの決選投票で欧州連合(EU)に対する懐疑派のレフ・カチンスキに敗れ、党首を務める市民プラットフォームも野党の地位に甘んじることになった。

2007年10月に行われた下院の任期前解散総選挙で、市民プラットフォームは上下両院で首相ヤロスワフ・カチンスキ率いる右派の前与党「法と正義」に対して勝利を収めて最大議席を獲得し、中道政党の「農民党(PSL)」と連立を組んで連立与党を構成することになり、トゥスクは同年11月16日首相に就任した。これにより兄ヤロスワフ、弟で大統領のレフのカチンスキ兄弟による「双子政権」は幕を閉じた。

2010年10月に予定されていたポーランド大統領選挙における最有力候補の一人と目されていた[3]が、自らが以前から主導している社会・経済・行政・司法・立法等の構造改革を一貫して続行するため首相職に留まる決断をした。彼が率いる市民プラットフォーム党は3月下旬に予備選挙を行い、セイム(下院)副議長のブロニスワフ・コモロフスキが外務相のラドスワフ・シコルスキを抑え同党の大統領選立候補者に決定した(同年4月10日にポーランド空軍Tu-154墜落事故が発生したため選挙は繰り上がる見込み)。

理念と実績

このようにトゥスク個人は政治的に一貫して穏健な保守主義かつ穏健な自由主義である中道右派のスタンスを取り、国有大企業の従業員や東部地方住民に票田を偏る社会的ないし経済的な統制主義(右派の法と正義党や左派の民主左翼連合党など)、大資本家、大企業幹部、都市部ブルジョワに票田を偏る新保守主義(中道の自由連合や、自らの党である市民プラットフォーム党内の対立派閥)のどちらとも与せずに一定の距離を置き、全国の中小零細企業の開業と成長や、それら小規模企業の労働者の待遇改善に重点を置いた政策を一貫して採っている。

実際の例として、トゥスク政権は多くの国有大企業の民営化計画を推進するという自由主義的な改革を行う一方[4]、スウェーデンの巨大小売コングロマリットの「イケア」は「法と正義(PiS)」党が政権与党時代に行った統制主義的な改革である大規模小売店舗法の改正で巨大店舗が以後ポーランドに進出できなくなった、と不満を述べている[5]ことに対し、全国の若い中小零細企業の成長を後押ししたいトゥスク政権も巨大店舗出店に関わる規制を再度緩和させようなどという動きを見せていない、といったことが挙げられるが、さらに現農民党党首かつ元首相でトゥスク内閣では副首相と経済相を務めるヴァルデマル・パヴラクを派遣し全世界のイケア・グループの経理を担当する経理部をポーランド国内に誘致するという日本円にしておよそ1800億円の対内投資案件の交渉していると言われる[6]。このように「中道右派」「穏健な自由主義」に対する理念的確信のもとで個々の政策を実行するトゥスクの政治姿勢が明らかに見て取れる。

ポーランドの週刊誌とのインタビューで自身のマクロ経済の認識について「あなたはケインズ派かそれともフリードマン派か?」と記者から問われたトゥスクは、「ケインズもフリードマンも思考の役にはたつが、実際にはたいして役に立たないよ。」と、ケインズの統制主義とフリードマンの新保守主義の双方を纏めて斬って捨て、「もし私が自分の考えを誰かのものに例えるとするならば、いまのところはフリードリッヒ・フォン・ハイエクだと答えておくよ。景気循環についての話のなかでハイエクは、銀行が信用を拡大することによって引き起こされる人工的な景気上昇はいかなるものであろうと銀行自身の損となる結果で終わる、という事実を強調しているんだ。こんにちアメリカの金融機関の経営哲学には、(恣意的に需要を創出する)成果を求めて(市場に)介入するような類のケインズ的な調整をやらかす伝統があまりに多く見て取れるけど、そういう成果というのは実際にはただ単に一時的なものに終わってしまうものだよ。」と答えている[7]。すなわちトゥスクはケインズの統制主義もフリードマンの新保守主義もどちらも結局はハイエクの用語の「設計主義的合理主義(Constructivist Rationalism)」なのだ(上のインタビューのなかの「ケインズ的」とはその意味)と認識していること、設計主義的合理主義の経済政策は役に立たないどころか(恣意的な信用拡大によって)政策目標達成は短期的で終わりかつその後にかえって悪い事態をもたらすにすぎない無理政策だと考えていること、これに対してハイエクの提唱していた「進化論的合理主義(Evolutionary Rationalism)」に賛同および立脚していること、が明らかで、彼が弁証法を用いてマクロ経済を高度に理解していることがはっきりとわかる。

このようにトゥスクの明確で確固たる「穏健な自由主義(low-key liberal)」の理念はあらゆる意味で合理的に導かれたものであり、経済においてはハイエクの理論の本質をきちんと理解し実行に移している稀有な政治家だとしてヨーロッパでは各方面で多くの注目と期待を集めている[8][9][10][11][12]。

政治思想としては穏健ではあるが、個々の政策の実行段階においては必要に応じて大鉈を振るうことがあり、現在行っている医療制度改革と国有大企業の民営化は反対者も多く、その典型例である。また閣内においても必要に応じて断乎たる強力な指導力を見せることがある[13][14]。

トゥスクの首相としての評価の一つに人事能力が挙げられている。2008年後半から起こった世界金融危機のなか有能な人物たちを適材適所に配置、ポーランドの経済を巧みな舵取りで制御して景気後退を回避し、同時に財政規律問題、将来のユーロ導入準備、国と地方の役割分担の見直し、国内のビジネス環境と労働環境の整備、全国高速道路網の整備や巨大エネルギー備蓄施設といった大型公共事業の推進、他国へ出稼ぎに出ていた自国民の呼び戻し(大型公共事業推進と国内の新産業創出のため)、第14回気候変動枠組条約締約国会議(COP 14)主宰などといった自然環境保護、医療制度改革、教育制度改革、年金制度改革、ロシア・ドイツ・ウクライナ・ベラルーシなどといった近隣諸国との関係改善、旧ソ連諸国に対する外交政策でのスウェーデンとの協同、エネルギー政策におけるチェコ・スロバキア・ハンガリーとの協同、外国人の移民や出稼ぎといった社会問題、アメリカとの安全保障交渉、経済危機にあるアイスランドへの支援などといった重要課題に積極的に取り組むことでその政権運営の手腕は高く評価されている。またこの期間に欧州連合(EU)議会である欧州議会(EP)の議長として元首相で化学工学者のイェジ・ブゼク、国際通貨基金(IMF)の欧州局長として元財務相および元首相で経済学者のマレク・ベルカを送り出している。

ただし国内の右派や左派、そしてその票田となっている東部農村の住民や都市の低所得層の間では、トゥスクは自由主義に偏りすぎるあまりビジネスの社会を優先してわれわれ低所得者の生活を脅かすという事態にするのではないか、との懸念も根強くあり、彼らは市民プラットフォームと対立している最大野党の保守政党「法と正義(PiS)」や、第2野党の左派政党「民主左翼連合(SLD)」や「労働連合(UP)」を支持している。

トゥスクは筋金入りの賭博反対論者で、国内の賭博産業を一部非合法としようとしている。特にインターネットカジノによるギャンブルは個人情報の悪用や国内外の個人や組織による資金洗浄などといった様々な不法行為に利用されるとして完全禁止の法制化を実現したいと表明している。そのためカジノ産業関係などの賭博推進論者から「これはネット検閲だ」との強い批判を受けている[15]。

2010年2月5日、会場参加者、そしてテレビ中継の視聴者ならば誰でも(ポーランド人でなくても)フェースブック、ブリップ、ツイッターという3つのソーシャル・ネットワーキング・サービスを用いて意見を述べられるという条件で討論会を開催、オンライン賭博禁止法案の趣旨について不特定多数の国民と約2時間にわたって質疑応答をし、この法案が通信の自由や信教の自由や財産権を侵すものではないことを根気強く説明した。これは世界の政治史においてもまさに画期的な企画であった[16]。

高い支持率

トゥスクはポーランドの現職国会議員のうち国民から最も信頼されている政治家の一人である。2010年2月の世論調査では54%の国民からの支持を得ており、これは第2位タイである(同率でセイム副議長のブロニスワフ・コモロフスキ)。第1位は外務相のラドスワフ・シコルスキで獲得支持率は59%。[17]

受賞歴

2010年にはドイツ・アーヘン市が選定するカール大帝賞を授与された。この賞は欧州統合を前進させた人物に与えられる賞であり、ポーランド人の受賞者としては1998年にイェジ・ブゼク政権で外相を務めたブロニスワフ・ゲレメクに授与されて以来12年ぶり二人目(前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世を含めればポーランド人としては三人目)の受賞となる。[18]

トリビア

英語は近年になって勉強して身に着けたものであり、コンドリーザ・ライスがアメリカ合衆国国務長官としてポーランドを訪問したとき、ワルシャワでの共同声明の最初の挨拶では訥々とした英語ながら一生懸命真摯に話そうとするトゥスクの姿は国民の目にはたどたどしくも懸命に西欧社会への回帰の努力を続けるポーランドの姿そのものと重なって映り、広く喝采を浴びることとなった。[要出典]

アメリカの元大統領ビル・クリントンが大麻遊びをしたが吸ってはないという話をしたことに対して、2008年5月にニューズウィーク誌とのインタビューでこれについてどう思うかと聞かれ、自らも若い頃に発電所で肉体労働をしていたとき興味半分からマリファナに手を出したことがあるという事実を自ら暴露した。麻薬は犯罪でありポーランド社会では大きく問題視されるが、時効がとうに過ぎていたとはいえドナルドは自身の若いときのこの過ちを素直に告白し、「麻薬の類はその青二才の冒険心でやらかした1回きりだ。クリントン氏のような偽善的な言い方はしたくないけれど、こんなことは話しても仕方ないことだし、何の自慢にもならないことだよ。」と述べた[2]。これが彼の誠実な性格をいっそう際立たせ、スキャンダルとなるどころか、若者からの人気をさらに獲得する結果となった。[要出典]

サッカーの熱狂的な大ファンで観戦もするが自らプレーもし、この事でニュースの種になる話題を提供することもしばしばある。2008年6月にはサッカーポーランド代表の試合のテレビ観戦で熱くなり、直後の首相官邸でのぶらさがり記者会見ではその試合で疑問の残るジャッジをしたイギリス人の審判について「一国の首相としてはバランスの取れた発言をしないといけないのはわかってるけど、試合を見てるときは違うことを考えてたよ−『あの審判の野郎ぶっ殺してやる!』ってね。」と過激なコメントをしたこともある[3]。2009年3月にはポーランド国会の有志でサッカーの試合に出場し夢中になってプレー、同じ時刻にあったセイムでのとある法案の採決への出席予定をすっぽかすというミスをし、神妙な面持ちで「あってはならないことで、今後はこういうことにならないようにします。」とコメントする謝罪会見を開いている[4]。のちに彼のスケジュール管理をする個人秘書が自らのミスだと認めたが、真偽は定かになっていない。

関連項目

ヤン・ヴィンツェント=ロストフスキ
イェジ・ブゼク
レシェク・バルツェロヴィチ
フリードリヒ・ハイエク

脚注

^ >FT.com (2010年1月27日). "Poland puts faith in ‘financial rigour’". 2010年1月28日 閲覧。
^ news.scotsman.com (2008年5月14日). "Polish PM smoked pot '…and, yes, I did inhale'". 2009年12月27日 閲覧。
^ ロイター (2008年1月15日). "Soccer-Euro-Webb defends Austria penalty, but Pole goal offside". 2009年12月27日 閲覧。
^ Warsaw Business Journal (2009年12月21日). "The odd news of 2009". 2009年12月27日 閲覧。

外部リンク

ポーランド首相官邸公式サイト
Posel: Donald Tusk(ポーランド議会における紹介ページ)
 
 
 
 
 

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