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(回答先: 2007年アーミテージ氏の発言: ダレスからアーミテージへ一直線の「米軍駐留計画」(uedam.com) 投稿者 五月晴郎 日時 2010 年 11 月 20 日 16:14:52)
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/9256
「uedam.com」より『日本の「戦後」とは、「吉田茂体制」のことである』
を転載投稿します。
=転載開始=
日本の「戦後」とは、「吉田茂体制」のことである
投稿者:ウエダ 投稿日:2010年11月20日(土)09時34分20秒
おはようございます、皆さん、植田です。
1970年代に森有正が書いた文章を見ていると、私は、2010年の今のことを述べているような錯覚にとらわれます。
たとえば、次のような文章がそうです。
「戦後は終わったなどともう10年も前から言われたが、そして事実今日、戦後に生まれ、従って戦争も敗戦もまったく知らない青年たちがどしどし社会に入り始めている。しかも私の見るところでは、日本を亡びさせた真の原因が、いわゆる民主化とか平和とかいう多分に観念的かつ感傷的な視点以外からは一切問題とされることなく今日に至り、しかも社会には、戦争、敗戦、戦後ということばがもはや何の意味もたない新しい青年が溢れ始めている。原爆問題、沖縄問題、学生問題、安保問題はその混沌とした様態において、そういう日本の現実そのものである。」『全集5』P.194
戦後が終わった、というセリフは、1956年の経済白書に出てきました。
イギリスの『エコノミスト』誌は、1962年に「日本経済の奇跡」を特集しました。
こんな具合に、経済の局面では、日本の戦後はとっくに終わっているのですが、それでいて、日本社会を全体として見る時、私たちが、まだ「戦後」に呪縛されていると感じるのはなぜなのか?
といえば、もちろん、吉田茂体制が続いているためです。
1947年の日本国憲法、そして1952年に整備された日米安保。
私は、この体制の中で生まれた世代の一人です。
だから、森が指摘した「戦争も敗戦もまったく知らない青年たち」の一人です。
で、今や、団塊の世代が現役を引退する時代が来ました。
日本社会の全体が、まるごと吉田茂体制の中で生まれ、育った世代で占められようとしています。
そこで、思うに、この吉田茂の体制を前提とすれば、1950年代世代から、2010年世代まで、すべて一括できる、と。
この期間に日本社会に生まれ、育った日本人は、すべて日本史における「対米従属」期を生きた、ということになる、と。将来の日本史の教科書の年表には、そのように区分が取られることになるでしょう。
だから、先日、若い世代の威勢のいい言論にはうんざりした、と書いたのですが、これを訂正する必要があります。
1950年代以降、現在にいたる世代の日本語言論には、うんざりだ、といいましょう。なぜなら、それらはすべて対米従属言論であるから、と。つまり、日本人の誰かが、「これは自分の自由な意見である」として述べたとしても、それは、結局のところ、しょせん、アメリカ属国言論でしかない、となります。
具体的に見てみると、こうなります。
たとえば、太田述正氏の一言プログ。
「代表権がないというので英駐留軍経費負担に反発し、自分達にとって有利な(東インド会社による支那)茶の輸入にも反発して独立戦争をおっ始めた英領北米植民地人って、まことに観念的かつ暴力的じゃらほい。 」
http://www.ohtan.net/
こういう日本語を威勢がいいというのか、なんというのか、私にはにわかに判断できませんが、日本史におけるアメリカ属国期間にいる今の時代の言論ですから、属国言論です
アメリカをいかに持ちあげようと、押し下げようと、日本語言論は、すべてアメリカ属国言論でしかない、となります。
もちろん、太田氏の場合は、一つの例です。
私の日本語も同じです。
2010年11月の今の時点で、ネットに書き散らされる日本人の日本語は、すべてそうです。
吉田茂体制の中にいる以上、全員、同じです。時代状況の平等性です。
さて、これを私たちが生きている「時代の状況のパラダイム」と呼んでみましょう。「時代状況パラダイム」です。
そこで問題です。
この吉田茂体制という時代状況パラダイムが、今も続いているのは、ー始まったのは1952年ですー、アメリカのせいなのか、日本人自身のせいなのか。
答えは、いつも書いていることですが、アメリカの「帝国主義」の要因があり、日本側の「律令制」の要因があり、です。
私たちに解決できるのは、国内要因です。
日本国が自立国になれば、そのことによってアメリカの対日政策も変わってくることでしょう。
戦後の60年は、アメリカはアメリカで、日本属国を前提として、対日政策を立案して、日本に望んできたわけです。
日本が属国なのか、自立国なのか、これが異なれば、アメリカの対日政策も当然異なってくるでしょう。
そうすると、次の問題は、どうすれば私たちは吉田茂体制を変えることが出来るか、です。
もちろん、吉田茂体制を事実として構成しているのは、憲法9条とか1条です。そして日米安保です。これらをどうするか、という問題になります。
しかし、戦後の60年、ちっとも動きませんでした。
一昨日の参院の予算委員会の質疑応答を見ると、自民党の丸川珠代・議員が実に威勢がいいです。仙谷長官が自衛隊のことを「暴力装置」と呼んだことを激しく非難しています。しかし、それだけです。威勢はいいものの、肝心な、吉田茂体制を見直す、というところまではまったく踏み込んでいません。
その意味で、今の自民党も、民主党とグルです。
だから、今や、国会は、与党・野党もまるごと茶番ショーです。
だから、どうしたらいいか。
それには、私たちは、今の「対米従属」という時代状況を永遠のものとしないで、日本史の中における特定の期間と見なすことです。特殊な時期でしかない、と。
戦前世代の森氏が、こういうところはよく見ていました。
「敗戦から日本が立ち上がるということは、言いかえれば、日本を敗戦にまだ至らしめたその原因、それが何であれ、自らの手で除くということ、明治維新から太平洋戦争に至る日本の歩みを、徹底的に是正する、ということにあったはずである。これは≪民主化≫などということばのはるか以前の、日本民族の生命それ自体にかかわるもっとも原始的な問題であった。」P.193
その通り。
で、今や、日本史の根底には、律令理性がある、ということを私たちは解明しました。
日本史の各時代は、律令理性のその時代における具体的表出形態です。
というわけで、吉田茂体制もまた、律令理性の一つの具体的表出です。
このことを森氏のセンサーが嗅ぎつけていました。
「われわれの意識さえもが、どこか我々を超えたところで冷静に計量されつくしているのだという惨烈な事実である。この状態から脱却することこそ日本の主体性の回復の条件である、ということが完全に忘れ去られている。」P.191
その通り。
吉田茂体制とは何か。
といえば、アメリカによる「天皇利用計画」の実践以外の何物でもありません。
それゆえに、戦後の日本人は、対米従属を余儀なくされています。そして、ここから一歩も抜け出せません。
=転載終了=
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