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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2010111602000173.html
残虐さ知るほど絶句 記者傍聴記
2010年11月16日 夕刊
「望んで死刑になってはいけない。死ぬのは怖いが、そうでなければ刑を受ける意味がない」。池田容之被告の言葉を聞いて、メモを取る手が止まった。言葉を選ぶようにとつとつと話す姿と、公判前に抱いた彼のイメージとの落差に、戸惑いを覚えたからだ。
昨年六月の発覚時からこの事件の取材に携わった。生きたまま電動のこぎりで首を切るという残虐さに絶句し、担当の警察官が「これほどひどい事件は記憶にない」と漏らすのを聞いて、犯人は絶対に死刑だと思った。
だが、審理が進むにつれ、迷いが膨らんでいった。被告の犯した罪を思えば、死刑はやむを得ないと頭では判断できる。でもそのことと、目の前にいる被告に死刑を宣告することとはまったく別だ、と思い知らされた。
◇ ◇
「切断された気管が動いていた」「カニの解体を思い出して手足を切断した」。詳細に読み上げられる犯行の凄惨(せいさん)さに、胃が鉛のように重くなった。表情を変えずに聴き入る被告の姿に、不気味さを覚えた。一方、手で顔を覆い、きつく目をつぶり、時に被告を見つめる裁判員からは、懸命に事件と向き合おうとする姿勢が伝わってきた。
出廷した四人を含む遺族六人はみな極刑を求めた。「息子の体を(遺棄した)横浜港に行って取ってきなさい」。被害者の母親が、被告にやるせない思いをぶつける姿には、胸をえぐられた。「この被告を死刑にできなければ、今後死刑になる人はいるのか」。論告の言葉には、検察官の執念すら感じた。
弁護側によると、池田被告は昨年末の起訴直後から「自分は死刑、弁護は必要ない」と言い張っていた。だが、弁護人から「生きて償う方がつらいし、意味がある」と諭され、考え方に変化が表れたという。
法廷での被告の表情に変化を感じたのは、遺族の意見陳述の次回の公判だった。「生きていいのか、死ぬべきか、葛藤(かっとう)は日々あります」と、涙ながらに揺れる心情を吐露した。その姿からは、事件と真摯(しんし)に向き合おうとする意思を感じた。
死刑を選択しつつも「公判当初と比べると、内面の変化が見て取れる」と認定し、被告に控訴を勧めた判決には、裁判員らの苦悩がにじんでいるように思う。
◇ ◇
もし自分が裁判員だったら、という視点で取材しようと臨んだ公判。事件を知れば知るほど死刑しかないと思い、被告を知れば知るほどその選択にためらいを覚えた。
裁判員らは選任されてからの約半月、残酷な事件や被告の人間性、遺族の思いを精いっぱい理解しようとし、迷いながら死刑を宣告したはずだ。その決断に敬意を表しつつも、自分ならその重みに耐えられるだろうかと自問し、答えを出せないでいる。
(横浜支局・樋口薫)
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