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河村たかしと、木田元の共通点=日本社会の底辺の体験 (uedam.com)
http://www.asyura2.com/10/senkyo97/msg/495.html
投稿者 五月晴郎 日時 2010 年 10 月 14 日 01:21:00: ulZUCBWYQe7Lk
 

(回答先: 官僚だけに「私こそが日本国家である」という意識が持て、選挙政治家に持てないのはなぜか (uedam.com) 投稿者 五月晴郎 日時 2010 年 10 月 11 日 01:55:09)

http://www.uedam.com/local.html

投稿者:ウエダ 投稿日:2010年 9月19日(日)10時36分46秒

 こんにちは、皆さん、植田です。

 名古屋市長の河村たかし氏。
 この人の『減税闘争』がいかなるものか、昨晩、私は副島隆彦氏の『学問道場』で初めて知ったのですが、それから河村なる人物に興味を覚え、ウィキペディアで検索してみました。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E6%9D%91%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%97

 実にユニークな履歴を持つ人でした。

 「名古屋市立桜丘中学校を経て、1967年愛知県立旭丘高等学校卒業。1年間の浪人を経て、1968年一橋大学商学部入学、1972年同卒業。大学1年次の途中まで一橋大学硬式野球部に所属。大学時代は第二外国語のロシア語クラスで山内進(法学者、一橋大学学長)と同級生だった。
 大学卒業後は家業の古紙回収業・卸売業の河村商事株式会社に入社(家業からは2002年に退き長男が継ぐ)。河村商事株式会社は、河村入社当時従業員5名、2009年現在従業員50名の中小企業である[4]。
 河村商事では専務を務め、営業やトラックの運転手等などを行った。ちり紙交換業者に頭を下げて回り、古紙の回収先では、古紙回収業者が弱い立場にあるため、あごで使われ雑用も行わされた。また、業界でさきがけてプレス機を導入するなど、家業の拡張を図ろうとしたが、新工場の建設を「同業者の仕事を奪うことになる」と父に反対され頓挫した。大学で学んだ労務管理などの学問は役に立たなかった。そのような中で次第に業者のギルド的体質への反発を持つようになり、検察官への転身を志すようになる[5]。 」

 なるほど。
 一橋大学を卒業後、古紙回収業者でしたか。
 河村氏の「減税闘争」の原点でしょうか。
 いわば社会の「底辺」から日本社会の欺瞞を見抜いた、と。

 これと、ちょうどタイムリーに今月の日経新聞に連載されている哲学者の木田元氏の視点が、私には良く似ているように思えます。超一流のエリート・コースを歩んだ日本の哲学者の書物が、一般受けするはずがないだろう、と。日本の読者には、自分のように闇市場で食いつないだ、底辺の生活を知る人間が語る哲学が必要だ、と。

 「その頃も、出隆(いでたかし)さんの戦前の名著と言われていた『哲学以前』とか、田辺元さんが戦後長野県の教員の集まりでおこなった講義をまとめた『哲学入門』とか、哲学への案内のために書かれた入門書はいくつかあったが、こういった本でさえ、当時の私にとっては〈高級〉すぎ、〈きれいごと〉すぎて、とても読む気にならなかった。読んでも何にも訴えてこなかったのである。・・
 しかし、考えてみれば、当時えりぬきのエリート・コースだった旧制高校から東大に入ったようなずばぬけた知性の持ち主であり、いわば学校生活しか知らない典型的な優等生だったわけだから、この人たちが猫なで声で哲学をやさしく解き明かしてくれても、戦後の混乱期に闇屋をやったり田舎の代用教員をやったりしてたっぷり世俗の垢にまみれ、ドロドロした感情生活を送っていた私などの関心に訴えてくるわけはなかったのである。」『わたしの哲学入門』P.13


 だから、底辺の生活を体験したものだけが、社会制度の欺瞞なり、知のおしゃれ性の欺瞞が見抜ける、と。
 というわけで、意外なところで河村氏と木田氏の共通点が感じられて、私には興味深い人物たちとなりました。

 しかし、ここで感心するばかりで、讃嘆のあげくに立ち止まっていては、せっかく木田氏が「入門」書を書いて私たちを哲学ワールドにいざなってくれたことのかいがありません。せめてもの恩返しのためには、私たちはそこから前に進む必要があります。

 確かに歴史を動かす原動力は諸個人の個別的な情熱ですが、ー河村、木田両氏の底辺体験ー、哲学は、そこから、時代精神を導き出す営みです。すなわち、そうした諸個人の情熱の背後に何があるか、と。時代精神は、なにゆえに、そのような諸個人をそれぞれの情熱へと駆り立てるのか?

 私たちは、東大出のエリート哲学者・出隆や、闇市場出身者のハイデッガー研究者・木田元の業績を踏まえて、先に進みましょう。ちなみに、出氏には、アリストテレスの『形而上学』を日本語に翻訳するという、日本人の思想史の中では不滅の業績があります。

 そこで、2010年を生きる私たちには、先人たちが体験し得なかった特権的なアドバンテージがあります。
 昨年の政権交代です。
 すなわち、「脱官僚」。
 これは何か。

 といえば、もちろん官僚主導が政治家主導に切り替わることですが、問題は、このことの意味は何か、です。
 今や、「哲学入門」どころか、私たちは、いきなり哲学の海に飛び込むことができるようになりました。入門編なぞで、ちまちまやってられるか、です。人生は短いんだぞ。

 そう、「脱官僚」とは、まさに日本人が実地に体験できる哲学です。
 1300年にわたる日本人の思想史の集大成であり、今、現に起きている最大のクラッシュ・ポイントです。
 日本史を通して、今を生きる私たちの世代だけが体験できるものです。
 なぜなら、ここでこそ、律令理性と自然理性が明示的に対決を始めたから、と。

 今月の8日に、副島隆彦氏の『学問道場』で私のインタビューが会員向けに公開されましたが、第一回は、日本社会がいかに今も律令制度であるか、を説いたものでした。
 次は、これを自然理性の視点から見ると、どうなるか、です。

 人間社会で起きることは、すべて、理性状況の反映です。
 日本社会が律令システムになっているのも、つまり、官僚主導になっているのも、日本人が律令理性人だからです。
 だから、日本人が自然理性人へと、えいっ、やーッ、とばかりに変身すれば、日本社会は自然理性社会へと変わります。すなわち、市民社会へと。

 哲学は、その転身を根底的に行う武器です。
 今や、日本人の時代精神は、この転身を要請する時代に入っています。
 だから昨年、政権交代が起きました。

 私たちは、これを先に進めましょう。
 この時代精神は、ときに小沢一郎を駆り立て、ときには河村たかしを駆り立てます。
 政治家は、時代精神の波頭です。
 以前は、アーチストがそうでしたが、今は波頭が入れ替わりました。  

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