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(回答先: 検察の主観性の問題 (uedam.com) 投稿者 五月晴郎 日時 2010 年 10 月 16 日 15:03:17)
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「経験論」の意味
投稿者:ウエダ 投稿日:2010年10月27日(水)23時11分45秒 通報 編集済
こんばんは、皆さん、植田です。
サトウさん、今回の文章をプリントして、あらためて拝見させてもらいました。
全体の中で、経済問題とは別に、特に気になったところをまず最初に話題にしてみます。
>“自己利益の追求が善である”という命題の成立は、資本主義制度が社会的な富を蓄積するのに貢献があった事実を見て、イギリス経験論というより功利主義あるいは経済学として成立した思想が、問いの主要な構成として、主体の意志(意図)と事実の妥当性の相互検証に向かったうえで結論された、暫定的な結論であると思います。
ここの文章で、「経験論」という言葉の使い方が気になりました。
気になったのは、経験論が功利主義、経済学と並列して使われていることです。
F・ベーコンやホッブス、ジョン・ロックがやったことは、私の考えでは、イギリス人の知の動く領域の範囲と限界を設定した、ということです。トマス・クーンの用語を借りれば、「知のパラダイム」を設定した、と。
だから、イギリス人の功利主義も経済学も、その他の近代学問の一切は、すべて経験論のパラダイムの中で動いている、ということです。デビッド・ヒュームは、すでに設定された経験論パラダイムの中で思考を展開した最初の世代のイギリス人哲学者です。
資本主義も、それがいかなる形式であれ、経験論のパラダイムの領域で動いている活動です。
経験論を別の言葉で言い換えると、わかりやすいでしょう。
マルクスが使った「唯物論」です。
しかし、経験論は、私の考えでは、ジョン・ロックが『人間知性論』で定義した意味が最も慎重で、有意義です。
人間の五感で知覚できる範囲の対象だけに、真面目な知の主題を認める、と。
ロックは別の言葉で言いましたが、意味はそういうことでした。これが有名な「タブラ・ラサ」です。
人間の精神・心は生まれた時は、白紙である、と。
人間の知は、すべて、育つ過程で、五感を通しての知覚から形成されていくのだ、という思想です。
ライプニッツが即座にロックに反論しました。
では、ロックよ、その知性をあなたに与えたのは誰だ?と。
そもそもあなたの精神に備わっているものではないのか?
そして、ロックの経験論の慎重さであり、それがアングロ・サクソンだけでなく、アメリカンの知を制覇したのが、第2点です。
いかなるものごとも、自分の知性・理性を通過させることで判断を下さなければならない、と。
「理知こそ、あらゆる物事での最後の審判者であり、導き手でなければならない。」『世界の名著/人間知性論』中央公論社P.185
こんな具合に、17世紀のイギリスの哲学者の思想は、もちろん各人の思想であると同時に、以後のイギリス人の思考・知のパラダイムを設定した、という点で、後世の思想家たちとは大きく異なります。
日本人でたとえれば、律令理性による思考方法を設定した藤原不比等のようなもの、です。日本人である限り、誰もが自覚しないまま、不比等戦略の中で思考している、ということです。
それと同じように、イギリス人は、「近代」という時代を通して、経験論パラダイムの中で思考し、行動しています。
ベンサムも、ジョン・スチュアート・ミルも、スペンサーも、バートランド・ラッセルも。マーシャルも、ケインズも。
ホワイトヘッドは、ちょっと詩人の傾向がある哲学者でした。つまり経験論からちょっと抜け出ています。
以上、資本主義の話題とは直接関係ありませんが、私のホームページの「経験論をブレークしよう」の点では、重要な問題なので、この機会に整理させてもらいました。
資本主義・経済の問題は、あらためて。
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