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(回答先: 森田実『小沢一郎氏の生きる道は、菅体制と戦いつづけるしか道はない。…もし、小沢氏が弱気を起こし闘争を弱めたら、その時が、 投稿者 仁王像 日時 2010 年 6 月 14 日 20:35:39)
2010.6.11(その4) 森田実の言わねばならぬ【514】
平和・自立・調和の日本をつくるために[514]
《新・森田実の政治日誌》[一時的選挙管理内閣としての菅政権論序説(3)]大政治を論ずる力を失い、小さな仕分けのみ強い関心をもつ民主党政治の根本にあるのは、弁理士、弁護士の論理である/これは政治の論理ではない
「人間の小さなことがらに対する敏感さと大きなことがらに対する無感覚とは奇妙な入れ替わりを示している」(パスカル)
「菅・仙谷・枝野」体制は、「仕分け」政治を行おうとしているが、これは究極の「小政治」である。
「重箱の隅を楊枝で掘る」仕分けの論理の背景にあるのは「弁理士、弁護士の論理」である。鳩山内閣時代は唯一評判の良かったのが「仕分け」であった。この仕分けを推進していたのが菅直人(現首相)と仙谷由人(現内閣官房長官)と枝野幸男(現幹事長)だった。「仕分け」のリーダーの三人がポスト鳩山の政権を担うことになった。「菅・仙谷・枝野」体制は「仕分け」政治を行う体制なのである。
「仕分け」政治とは、重箱の隅を楊枝で掘るような政治である。理念も大局観もなかった鳩山内閣は、「大政治」ができず、「小政治」に逃避した。これが仕分けだった。
鳩山内閣の「仕分け」をとくに高く評価したのはマスコミだった。マスコミ人が小さな仕分けに特別に関心を抱いたのは、マスコミ人が大局的な政治すなわち「大政治」を考え論ずる力を失った結果である。マスコミ人は小さな問題にのみ興味をもつようになっているのである。
政治も同様である。政治の劣化が進み、多くの政治家が、仕分けのような小さな問題にのみ興味をもつようになった。大多数の政治家が小さな問題に強い関心をもち、大きな問題にほとんど関心をもたなくなった。小さな問題での異常な関心の強さと大きな問題への無関心は民主党の政治家とマスコミ人に共通している思考形態である。
「菅・仙谷・枝野」体制の論理は、弁理士、弁護士の「重箱の隅を楊枝で掘る」ような超ミクロの思考である。元弁理士、現弁護士の菅直人、仙谷由人、枝野幸男三氏が日本の政治権力を握ったことは何を意味するか?「大政治」が廃れ、極小問題にのみ関心をもつ仕分け政治がまかり通ることになる。
ここにおいて仕分け活動のジャンヌダルク・蓮舫氏が行政のトップに就任した。蓮舫氏は日本の科学技術について「どうして一番でなければいけないのか、二番ではいけないのか」と発言し、日本のマスコミから賞賛された政治家である。科学技術において「二番」という考え方はもともと成り立たないことなのだ。それすらもわかっていない政治家がマスコミからほめられて英雄になってしまったのである。「菅・仙谷・枝野」政治が選挙で支持されることになれば、日本全体が「小政治」への道を進むことになる。「大政治」を議論することすらできなくなった時、日本はどこへ向かうのだろうか。それでもマスコミは「小政治」を推進する菅・仙谷・枝野体制を応援するのだろうか? 愚かである。(つづく)
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