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一『永田町 権力の興亡』 ----- 小沢氏一七年間の軌跡
1 変遷する権力闘争の目標 NHKも良い番組を作る。昨秋放映されたNHKスペシャル『証言ドキュメント ----- 永田町・権力の興亡1993〜2009』(全三回。二〇〇九年一一月一日、一一月二目、一一月三日に放送。書籍化されたものがNHK出版より二〇一〇年三月に刊行されている)は、一九九三年からの一六年間にわたる政界再編の軌跡を政治家たちへのインタヴューを中心に再構成したドキュメンタリーの力作であり、当事者の回想の断片がどの程度現実と対応しているかはともあれ、それぞれの人物の言葉と表情が実に多くのことを物語っているように思われた興趣の尽きない番組であった。個人的には、インタヴューに登場した一九九〇年代の政界再編劇の懐かしい役者たちが、それぞれ穏やかに引退後の生活を過ごしている様子が確認できたことは、純粋な喜びであった。もちろん番組から得られた収穫はそれだけではない。番組は今まさに時の人である小沢一郎氏の来し方を軸に構成されており、氏がインタヴューに答える場面では、懐旧や人間的感興とはまた別の、現在の情勢認識に直結する生々しい発見があった。
筆者は手掛けた最初の研究がサッチャー政権の研究であったことから、これまで幾度か小沢氏と新保守主義の関係について質問を受けてきた。一九九三年に小沢氏が発表した『日本改造計画』(講談社)が氏による「新保守主義」宣言の書と受け止められて以来、氏が自ら「新保守主義」のラベルを進んで引き受け、そのような理解を仕向けてきたという事実はあったが(もっとも氏の率いる自由党が民主党への合流を果たした二○○三年を境にこの語と氏を結びつける論調はピタリとやんでいる)、果たして小沢氏が新保守主義者(ないしは新自由主義者)であると言えるのか。特に筆者はくだんの『日本改造計画』を読んで、何かそう言ってはならないような違和感を感じていた。だがそのズレをうまく名状できない。氏が政権にない以上、データが不足しているということを言い訳に、この問題には触れないまま、十数年が過ぎた。しかしこの番組を見て、十数年来の謎が遂に解けた気がした。
小沢氏へのインタヴューのある下りでは筆者は文字通り膝を打った。既視感に襲われたのである。正確に言えば、既視感どころではない、小沢氏が語ったのと似たような説明を最近自分自身がロにしていたことに思い当たった。それは大学の授業で、共産主義体制の一党独裁を解説する際に、民主主義を奉じているはずの革命家たちが、何故少数の前衛集団による権力の独占を求め、またこれを合理化し得たのかを説明した際のことであった。そして膝を打ったのは、シリーズの冒頭、小沢氏が悪びれることもなく実に率直に「権力闘争」を肯定した場面である。小沢氏は、自らの過去十六年について、「きれいごとじゃなくて」権力闘争に身を投じた歳月であったことを認める。その一方で、「権力闘争の目的・目標がなんなのかが単に地位を得るためということであれば、それは権力のゲームということになろうが、ちゃんとした目標を持ち国民のため、国の将来のため、ということであれば別だ」と述べる。彼が目指した「政権を代えるということ自体が、権力闘争であり政局」であり、従ってこれも目的や使命感がなければ単なる権力のゲームということになるのであろうが、自分の場合は「ちゃんとした目標」があったから違うと(『永田町』、一三 - 一四頁)。
実際、シリーズ全編を通して浮き彫りにされているのが、氏の目的のためならあらゆる手段を用いてみせようという姿勢である。小沢氏自身が何度も「目標」、「目的意識」、「使命感」、「理念」といった言葉を口にしている。それも「権力闘争」という生々しい概念や氏が手を染めたアクロバティックな政界工作に言及する際には必ずであり、目的意識や使命感によって自らの行動を正当化し、さらには自らを他の政治家に対して差別化しようとしていることが窺える。あたかも氏においては目的をもつことこそ政治家の価値の証しであり、すべての手段を免罪し得ることが固く信じられているかのように。
ところが小沢氏は、これまで氏が手段として遂行してきたという「権力闘争」の肝心の目標に関して、いっこうに一義的な定義を与えようとしないのだ。番組はこれを「政権交代可能な政治システム」の実現であったとしている。番組の解釈に近いところで小沢氏の発言を拾うならば、最近の発言ではよりシンプルに「政権を代える」ことが、一七年前の時点ではよりニュアンスに富んだ、従って解釈によっては随分間口が広くなる表現によって「二つ以上の勢力が切磋琢磨して政権を担っていく政治体制」の下「政権をとった政党は、その結果に対して責任をとる……そういう政治に移行していかなければならない」ことが言われていたという事実はあるが、せいぜいがそこまでなのである(『永田町』、一八頁)。他方、筆者にはこれらが最もストレートに小沢氏の真情を言い表した言葉のように思えるのだが、番組のインタヴューの時点で[本来の民主主義]という概念、あるいは「民主主義の機能を……発揮でき」るようにすることが言及されているのに対応して(三三頁)、これから一六年を遡る『日本改造計画』のまえがきでは「真の民主主義の確立」(五頁)が謳われている。
ともあれ小沢氏は「政権を代えるということ自体が権力闘争」と述べているわけであるが、その権力闘争が、果たして政権獲得によって政権を代えることで完結するものなのか(この意での政権交代という目標を仮にAと呼ぶ)、それともその先にある、国家を指揮する地位を獲得した暁にこの国家を用いて何かを行うことまでをも射程に入れたものなのか(このように国家を道具に用いて達成されるような目標を仮にBと呼ぼう)。権力闘争はどこまで、どのような状態がもたらされるまで(あるいはどのような状態を保つために)続けられるものなのであろうか。
仮に小沢氏の「権力闘争」について、先の衆院選に向けて民主党やメディアがそのような理解を仕向けたように、そのテーマは「政権交代」であったとしよう。それでもここで注意を要するのは、小沢氏と民主党の政権獲得を意味する政権交代(=先述のAに当たる)と、たとえば今回NHKの番組が小沢氏の目的であると規定した「政権交代可能な政治システム」が含意する政権交代 ----- 安定的慣行としての政権交代(この意での政権交代を日本にもたらすという目標を、Cと呼んでおこう)とは別物であるということである。ここしばらくの間、小沢氏が専ら勢力を傾注してきたのは確かに前者、政権獲得を意味する政権交代=A)であった。ところがこの間に巷では前者と後者はあたかもイコールで結ばれるかのような誤解が生じているのであり、番組による総括もこうした誤解の存在に対応している。これについては民主党およびその周囲の識者たちにも、誤解を敢えて広めたとは言わないまでも放置してきたこと ----- もしくは自分白身にこうした幻想ないしは虚偽意識を許してきたこと ----- の少なからぬ責を問い得るであろう。今回の政権交代の実現と政権交代のあるシステムの確立との間には、実は場合によってはそこにはまり込んで一巻の終わりともなってしまいかねない深淵が横たわっているのにもかかわらずである。
実際、あらためて一九九三年の細川連立政権樹立の時点を振り返ってみるならば、小沢氏は当時は政治改革 ----- つまりは政権交代のある二大政党制型の政治システムづくりをむしろ直接の目標として掲げていたのであり(=C)、あくまでもそのための手段として非自民八党連立政権の工作、つまりは政権交代(=A)を位置づけている。一九九九年の時点では、今度は国家を用いて何かをすることを期して(=B)自民党と連立政権を形成している。小沢氏は、このときの自民党との連立は、「政治を変える、政権を代えるということと同じになる」と考えたという。というのも、「これができるならそれで本望と思った」「政策合意を実現できる」からである(『永田町』、一三八―一三九頁)。このように小沢氏が過去においてその存在感を最も発揮した行動をたどり直してみるならば、これを正当化するべく表明された目標はその都度変わっている(C→B→A)。目標はそれ自体が純然たる目標なのか別の目標のための手段なのかを明確にされることなく、指示対象をずらしながら ----- 政権獲得(=A)か、政権交代のあるシステム(=C)か、国家の事業(=B)か ----- 言及されてきたというのが昨秋まで一六年間の軌跡であった。
それらそれぞれの行動に付された目的は、範躊として見た場合、重なり合っている部分もある一方、まったく別の行動を正当化する射程のズレを相互に有しており、まさにそのズレの部分が、小沢氏の行動について繰り返し指摘されてきた予見不能性 ----- 氏の行動の周囲をあっと言わせてきたところに対応している。小沢氏が一貫性と予測不可能性の奇妙に入り交じった印象を与えるのは、氏がその時々に掲げてきた目的同士の重なり方にこのような構造が存在することによる。それでは氏の中で、過去一七年の権力闘争に合理性、一貫性を与えてきたのは、本当のところはどの指示対象に関わる、どのような目標であったのであろうか。これまで明示的に追求されてきた目標のすべてを包含する何かが果たしてあり得るのであろうか。
2 政権の獲得から権力の集中へ
そして遂に「政権交代」という”目標”が果たされたのが二〇〇九年九月。その後今更ながら明らかになったのが、政権の奪取だけでは小沢氏の民主党にとっては不足であったらしいということである。現在社民党、国民新党との間に余儀なくされているような連立はよろしくない、単独で政権を担当できる与党となることが望ましい、与党は衆参両院で圧倒的な議席を確保しなければならない、さらに与党には鉄の規律を与えて政府を一枚岩の党組織でコントロールしなければならない……。(政権交代の慣行を定着させ二大政党制を確立するということであれば、そこで同じルールを守る競争相手として温存されていなければならないはずの自民党についても、「焼け野原にする」といつた猛々しい声が聞こえてくる。)政権交代を既に実現した民主党がさらにクリアしなければならないハードルが次々と新たに設定される。
これは果たして、小沢氏と民主党にとって「権力闘争」の一つの区切りを意味すると目されてきた「政権交代」と、世間に実現を期符されたいわゆる「政権交代可能な政治システム」との問の中間地帯で、民主党がこれら二つの目標を隔てる距離をつくづく実感しながら、後者を目指して暗中手探りしながら動いているという状態を意味しているのであろうか。それにしても、この地帯で現在民主党が向かっている方向が気にかかるのだ。民主党が越えようとしている右のハードルはどれも(比較政治論的には一つ一つに「何故その必要があるのか」という問いかけが成立し得る)高い優先順位を与えられているように見え、少なくとも公に掲げられているも同然となっているにもかかわらず、そこからはどんな目的にも奉仕し得る(つまり何でもできる)手段としての権力をより十全たらしめるという意図に即した有意性しか汲み取れないのである。それによって何がどう行われることになるのかをそれ自体が明かすことがないまま高く掲げられている。ここからは民主党が政権交代可能なシステムへ向かうと見せている道筋とは、実は誰にも邪魔されない何でもできる権力を確立する道を行くことを意味しているのではないかと思えてくる。つまり、(何かの手段としての)権力の追求はやはりまだまだ続くという構えなのである。
理想は、一つの政党、さらにその中身を開けて見るならば一丸となった党首脳部ないしはひとりの指導者の下にすべての権力が集中されている ----- そういった状態であろうか、そうなってはじめて小沢氏の表現で言う「民主主義の機能を……発揮でき」るということになるという話なのであろうか。権力の集中が民主主義と果たしてどのように関係するのかについては、それは権力を一手におさめて、そうしてはじめて政権は(与党は、与党首脳部もしくは指導者は)決めたことを自らの責任において実行する存在になることができるから、国民にとって逃げも隠れもしない「私が責任者です」とわかる主体が生じることになるからと理屈づけられているようだ。つまり、権力の集中があってこそ国民にとっての明確な選択肢 ----- 国民が見て評価することができる対象となり、従って国民が選び用いることができる道具となる主体が確立されることになる。国民がこの道具を用いて何でもできるようになること、それが小沢氏の考える民主主義らしい。そこまで小沢氏は粘り続ける、つまり一つの主体の手元に(自分自身の手元に?)権力をかき集め続けるということになるのであろうか。こうして権力の追求、権力闘争はまだまだ続く。しかし、そのような権力を一手におさめた主体(=国民にとっては手に取り易い道具)を確立すること、これは筆者に言わせれば、特殊な権力観を前提とする土台 "無理" な話であり(この権力観については、論文後半部で詳しく取り上げる)、また国民の前にはっきりと責任主体が現れるようになったところで、そこにあるのが民主主義とも限らない。
3 前衛としての使命と特権
ところで、「真の民主主義」を実現するために経なければならない不可欠な過程として権力闘争がある ----- これはかつて共産主義革命を夢見、起こした人々がヒロイズムの光背を与えて持ち上げた論法である。権力はそれによって理想を実現することができる手段であり、これを先ず手に入れる。そのためには暴力による革命もやむを得ない。さらに、そこで確保されるべき権力は、いかなる困難な理想をも実現するに足りるだけの万全な権力であることが必要とされる。この権力の万全性、ある意味での全能性を期して(そういった状態がそもそもあり得ることを信じて)、権力闘争も、権力の排他的集中を目指して遂行される。プロレタリア独裁とこれを制度的に具現する共産党独裁が、少数の前衛集団ひいてはひとりの独裁的リーダーによる権力の独占が、正当化されたのはこうした論法の下にであった(社会変革も、腐敗したブルジョアの再教育も、歴史の必然を理解しないプロレタリア大衆の覚醒も、そうしていったん全能の権力が打ち立てられさえすれば、これによってやすやすと果たされるものとされる)。小沢氏の言動においても、「真の民主主義」を実現するための手段として権力闘争が位置づけられており、さらに権力をひとところに集中させ、権力を排他的に掌握する主体を創造しようという指向が認められる。このことに対応して、気のせいか、氏の周囲に立ちのぼる少数精鋭主義や秘密主義 ----- 氏白身にこれらへの意図があるかないかは別として ----- の匂い、氏自身がその「川上戦術」を形容してくだんのNHKの番組の中で用いた「国民の中に大衆の中に」(『永田町』、二三〇頁)という言葉使いが、かつての革命の人々の行動様式やレトリックと妙に響き合う。
このように小沢氏の「民主主義」へのアプローチを、かつてわれわれがよく知っていた前衛主義と似たものと捉えるならば、氏の行動がむしろ非民主主義的と分類されるような事象や反社会的(少なくとも法令尊守違反という意で)と形容され得るような事件と結びつく折にも、氏がいっこうに悪びれる気配を見せないことも途端に理解し易くなる。必要とあらば非民主主義の道を行き、ときには反社会的な手段に訴えることも"前衛”の使命であり特権である。小沢氏が中国へ大訪問団を組織して訪れ、一党独裁の共産党との親交関係を殊更に喧伝したことが、氏が年来二大政党制ないし政権交代可能なシステムの熱心な唱道者と目され、つい先だってそれを実現し得たばかりであるという事実と奇妙な矛盾をきたしているようでありながらも、むしろ何か似たもの同士を並べて見たという印象を多くの人に惹起したのも、中国共産党が前衛政党である一方で、小沢氏もまた彼自身のキャンペーンにおいて同じように前衛を自任する存在にほかならないからなのかもしれない(小沢氏が共産主義者だというわけではもちろんない)。さらに小沢氏が西松建設の違法献金事件や「陸山会」の政治資金収支報告書虚偽記載事件をめぐって、少なくともコンプライアンスに欠けているのは明らかと言える自らの政治活動の在り方に、「不正はないと信じる」と開き直り、不退転の姿勢を貫けるのも、氏の中に、こうした小事が前衛を邪魔してはいけないという怒りが、前衛に立つ者は俗な正・不正を超越し大抵の事は許される存在であるという自負が、あるいはカネを手元に蓄積し理想の実現にむけて万全の手段を調えていくのは前衛の任務だという意識があるからなのかもしれない。小沢氏の党務への専念も、「小沢独裁」と言われる党運営の路線も(その唐突で恣意的に映る決定や一枚岩への固執に党がいとも簡単に振り回される)、氏のかつての「政策本位」の強調や政党の乗り換えを繰り返してきた前歴と矛盾するものではなく、むしろ氏が今も徹底して政党を手段と見なしているからこそ起こっていることと考えられるのであり、つまり前衛に率いられる前衛政党が建設の途にあると見ればよく理解できるのである。このような党へのアプローチは、歴史上の前例に事欠かない一つの典型的な行き方である。
大目標の実現の過程では多くのことが免罪される、免罪されなければならない ----- こう信じる姿勢は、しばしば俗にいう”ピューリタン” 的 ”理想主義的”性向をもった、あるいはヒロイズムに強く感化された人物に現れる。小沢氏に何かマキャヴェリストという言葉では形容しきれないものがあるとすれば、それは氏の中にこれらのどちらかまたは両方があり、それがわれわれに志操のようなものを感じさせてきたからに違いない。
4 個人の自立と真の民主主義を結ぶ論理
さて、よしんば充分な権力が確保され得たとして、小沢氏は、そうして集中・蓄積された万全の(理想は "全能”の)手段によって、一体何をなそうというのであろうか。どのような社会(あるいは国家・社会関係)をもたらそうというのか。氏において理想とされている社会の姿がどうも伝わってこない。これは別段驚くようなことでもないのかもしれない。マルクスにおいてもその革命の先に見据えられる社会像が不明と言われたことを思い起こすのであれば。もっとも、この点に関しても、先述のNHKの番組から一つの大きな収穫が得られた。それはそうした社会のキーワードとして、小沢氏が一七年前と変わらず「個人の自立」という言葉を念頭に置いていることが確認できたことである。
二〇〇六年に民主党代表に選出されてからの小沢氏は、二〇〇七年の参院選に向けて「国民の生活が第一」のスローガンを掲げ、さらにこの標語に具体的な中身を与えるかたちで、子供手当や農家への戸別所得保障といった家計への直接給付を設ける施策を打ち出している。民主党の大勝利に終わった二〇〇七年参院選に続き、小沢氏が今度は党首を退いて党幹事長として指揮した二〇〇九年衆院選でも、党は同じスローガンを掲げ、同じ政策を目玉とし、同様に成功を手にしている。
こうした小沢氏の民主党党首になってからの動きについては、個人の自立と自己責任を訴えた一九九〇年代の主張を氏が撤回したという見方が存在した。小沢氏白身、党代表選の時点で「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない」と語り、路線転換を仄めかしている(『永田町』、二二六頁)。前述のNHKの番組に登場する亀井静香氏や山口二郎氏なども当時を振り返り、小沢氏に路線転換があったと異口同音に述べている。(もっとも、小沢氏の路線変更の決定的な ----- 実際のところほとんど唯一にも近い ----- 証しとして受け止められた個々の家計への直接給付による支援策も、氏が長年標榜してきた新保守主義ないし新自由主義の本家本元の欧米の政権が十八番とした ----- 従って”新保守主義的”という批判を浴びもしてきた ----- 政策手法をそのまま写したものであり、氏にとって決して路線転換と言えるようなものではなかった。それはむしろかつて氏が掲げていた看板が期待させる通りのレシピによる施策であったと言える。また、小沢氏が「まずわたくし自身が変わらなければなりません」と続けた右の発言も、筆者には政策上の路線変更への言及というより、氏の新しい政治手法への言及’−党首として党内各派に対して大同団結・包摂取り込み路線を積極的にはかっていくことの宣言のように聞こえた。)小泉時代がもたらした自己責任論の横溢にうんざりしていた空気の中で、「自立」路線から思いやりのある政治への転換の示唆が非常に大きな意味をもったことは間違いない。ところがこのNHKの番組では最後に小沢氏が日本人の自立心への思いを熱く語るのであり、このテーマが小沢氏の中で今なお健在であることが確認されるのである。
そこでは国民の生活が、よくなるもわるくなるも国民次第であることが主張される。しかし小沢氏の診断によれば、その肝心の国民 ----- 日本人にはまだまだ自立心が不足している。「今、君の言ったこと ----- 『変えてほしい』じゃダメなんだよ。『私たちが変える』んだよ。ケネディの演説じゃないけど、国が何をしてくれるかじゃないから、自分たちが社会のためにどういう働きをすることによって、よりよい社会を作るのかっていうのが民主主義の基本だから。政治っていうのは、その国民の意思を、委託をうけてやるだけの話だからね。だから日本はまだまだ、日本人は自立心がない、足りないって言っているんだよ。だから、どこ行っても大衆、みんなの前でもね、あなたがた自身の責任だと。自分たちで政権を作ったり代えたりすることのできる権限をもっているのに、それを行使しないでぶつくさ文句ばっかり言っていちゃダメだと。自分たちで自分たちの生活を作るんだと。そういう意識が、今度の政権交代で芽生え定着すれば、僕の本懐。」(『永田町』、二四二−二四三頁)
国民の生活はよくなる、それは君たちがよくしてもらうのではなくて、よくしようとすることによってだ。自分たちが社会のためにどういう働きをすることによってより良い社会を作ろうとしているのかを示す、政府はその意志を受けて行動する、これが民主主義だ。そういう意識の中で政治が行われるようになれば本懐。そして政権交代もまた、自立心に関係づけられる。それは今までは未熟でそれができなかった国民が、ようやく政府を代える権限を行使できるようになることを意味するからであり、国民の自立のしるしと捉えられるからである。
さて、ここには『日本改造計画』ではあまりにも無造作に結びつけられていた観のある二つの概念の関係がさりげなく解説されている。「究極の目標は、個人の自立である。すなわち真の民主主義の確立である」と『日本改造計画』のまえがきは述べている。究極の目標として挙げられるこの二つの概念、「個人の自立」と「真の民主主義」 ----- これらがどういう関係にあるのか、煙に巻かれた読者は多かったのではないであろうか。二八年後の小沢氏の右の発言は、この二つの概念が今も小沢氏の主要なテーマであることを明かすのみならず、その関係をはらりとときほぐす。関係はこうだ、個人として自立した人々であれば、政府という道具をきちんと使いこなして、その望みを実現することができる。国家を国民が自在に用いること、これぞ真の民主主義である。
従って国民の利用に供し易いように、国家を操縦する権力は単一の主体に集中されていることが望ましく、さらに国民に自立心がまだまだ欠けている以上、この国家改造は前衛によって遂行されるほかない。併せて前衛は、国家を用い、国民の意識を自立へと導かなければならないであろう。しかし国民が自立を果たした暁には、真の民主主義がその機能を発揮し、晴れて国民は、その望む方向に国家を自由自在に動かすであろう。
小沢氏における前衛主義と自立論 ----- これら二つを確認できたことが、冒頭より言及してきたNHKの番組から得た収穫であった。それぞれが小沢氏の行ってきたこと、行おうとしていること、行ってもおかしくないことに関して重要な示唆を与えている。両方とも単にそれと確認するだけで済ませられるような性質の議論ではない。というのも、それらはともに重大な概念的誤謬が小沢氏の政治的プロジェクトを導いている可能性を意味しているからだ。
本論文の次章以下では、まずはじめに小沢氏の自立論、次いで前衛主義を取り上げ、それぞれの含意、問題点について明らかにしていきたい。
二 自立論 ----- 小沢氏は新自由主義者か
1『日本改造計画』再考 まずは小沢氏の自立論の検討から始めよう。あらためて氏が一九九三年、自民党を飛び出す直前に発表した著書『日本改造論』の、とりわけ氏の考えがストレートに表されていると言われてきたまえがきの文章を読み解いてみよう。ここには氏の「自立」をめぐる主張が凝縮されて提示されている。
まえがきはこう述べている。
「真に自由で民主的な社会を形成し、国家として自立するには、個人の自立をはからなければならない。その意味では、国民の”意識改革”こそが、現在の日本にとって最も重要な課題といえる。
そのためには、まず『グランド・キャニオン』から柵を取り払い(規制の撤廃)、個人に自己責任の自覚を求めることである。また、地方に権限を移すことによって、地方の自立をうながすことである(地方分権)。さらに、政治のリーダーシップを確立することで、政治家に政治に対する責任を求め、中央の役人には、日常の細かな許認可事務から解放することで、より創造的な、国家レベルの行政を求める(政治のリーダーシップの確立)。
これらによってはじめて、個人は組織のコマとしてではなく、自由な個人として自己を確立していく。自己の確立、民主主義の確立が進めば、さらに改革は進むであろう。」(『日本改造計画』、五−六頁。ただし丸括弧内の語句は筆者が直前の箇条書きから引用したもの。)
すなわち、国民に個人としての自己を確立させ、このことを以て民主主義を確立するという使命 ----- そのために政府に小沢氏らが乗り込み、そこで@規制の撤廃、A地方分権、B政治的リーダーシップの確立を遂行する。これらは直接にはどれも国家の改造を意味する施策であるが、これら三つの「改造」事業に共通して期待されているのが、まさに国民の個人としての自立を促すことであり、さらに彼らによる民主主義が行われやすくする(そして国家の自立を実現する)ということのようなのである。つまりここでは政府は先ず一握りの前衛が乗り込み、国家を改造する手段となる。しかしこの国家の改造は、さらにあるべき国民の姿を実現することに向けての、つまり国民の改造に向けての、必要な環境(規制の撤廃と分権)と積極的な手段(リーダーシップの確立)をととのえるための手段でしかない。そうしてあるべき姿を獲得した国民は、今度は国家という手段(右の改造を経て機動力を高めている)を縦横無尽に使いこなし、真の民主主義を実践する。こうして遂に国家も頭脳(意志)を得、自立を果たしたと言えるようになるのである。
さて右のような行路の途中では、政府は、そして国家は、国民に対して自立を ----- ディシプリン(規律)を”課す”存在として立ち現れるであろう。国民を叱咤する、あるいは突き放す場面も想定される。「真に自由で民主的な社会を形成し、国家として自立するには、個人の自立をはからなければならない。その意味では、国民の”意識改革”こそが、現在の日本にとって最も重要な課題といえる。」「まず『グランドーキャニオン』から柵を取り払い、個人に自己責任の自覚を求めることである。」1−1‐‐こうした言葉を読むと、場合によっては、獅子が我が子を崖から突き落とすように、小沢氏が国民を崖から突き落とすということもあり得るのかもしれないといった考えが頭をよぎる。国民は、鍛えられた暁に獅子となるのだ。
ここにあるのは少なからぬ人々に違和感、さらには異議申し立てを喚起せずには済まされない思想である。
まず引っ掛かるのは、個人の自立が先ずは国民の意識において果たされなければならないと考えられていることである。経済社会の実体への働きかけは、むしろ自立した後の国民白身の選択、真の民主主義の働きに委ねられるものとされる。すなわち小沢氏に社会への働きかけに関する何らかのプロジェクトがあるとすれば、それは日本人にあるべき心の持ちようをもたらすことであり、経済社会の実体への働きかけは意識への働きかけの手段として用いられることもあろうが、それ自体は主眼には置かれない。手段となれば何でもよいということなのかもしれず、小沢氏に経済社会に関するヴィジョンがまったくないとしても不思議はない。日本改造計画ならぬ日本人改造計画こそが小沢氏のプロジェクトと見受けられるのである。
この点に関しては以下の二つのことが言えるであろう。第一には、それが新保守主義または新自由主義が、専ら「自立」の経済社会的基盤に焦点を当て、諸個人に国家の手からこれを取り戻させるというポーズをとったのとは、まるで異なる自立論を意味しているということである。人々に経済活動の物質的基盤を再配分するどころか、彼らを鍛えるため、敢えてこれを取り上げるという展開も考えられなくはない。というのも経済社会に関してかくあるべしという特定のヴィジョンに縛られている様子は窺えないからである。国民を鍛えるためであれば、飴であろうが鞭であろうがその時々に必要な施策がとられ得よう。
これに対して国民の立場からは、万が一にも崖から突き落とされてはたまらないと言い得るであろう。小沢氏がここで指し示していると見られるような構想に共鳴し、政府に自立せよと突き放されることを期し(崖から突き落とされることをも覚悟し)、そうして幸運にもそれだけの強さがある個体は逞しく鍛え上げられていくというシナリオを支持できるとすれば、そこにあるのは、他人はともかく自分は強者に違いないという傲岸な自信に伴われた弱肉強食主義か、自分に降りかかる危険も含めて現実を見ないことを感情の高揚で紛らせる精神主義のいずれか 往々にしてその両方に違いない。そして小沢氏が国民の間に鼓舞ないし涵養しようとしているのも、これらのどちらかあるいは両方のように見えるのである。
また、そもそもそれ以前に、国民の意識の有り様を政治家が云々することは禁じ手とされなければならない、いやしくも彼、彼女が民主主義の政治家を自任するならば、という格律が成立するはずであり、これが適用されるべきところなのであろう。というのも、国民の意識に問題があると言い始めたら、政治家はいくらでも国民の審判の結果を退け得るからである。それでは民主主義は成り立たない。しかし小沢氏の場合、氏の中の前衛主義が「真の」民主主義を今ではなく将来の時点のものとすることで、氏らに国民の今の意識を問題にする権利を与えてしまっている。氏らは民主主義の前段階の政治家であるという自己規定をいつでも持ち出せるわけである。これによって小沢氏らは民主制下の政治家への禁じ手には縛られずに済むこととなり、選挙も国民の審判の時であるというよりも、単にテクニカルに勝ちにいくものとなる。
第二には、ここに窺われるのは、国家主義とは似て非なる思想であろうということである。そこでは国家はむしろ国民改造の手段としての位置づけを与えられている。この目的のためには融通無碍にその在り方を変えることが許される対象である。勿論「普通の国」であって結構。それがその時々に国民に対して必要な方向づけや試練を与えてくれることを意味するのであれば、つまりそれが国民に小沢氏の言う自己責任の感覚を促すことになるのであれば、国連中心主義、親米、親中、何でも結構(どの「親」がいつ「反」に変わってもおかしくない)、ウルトラ・ナショナリズムもよしとされよう。問題は国民=日本人(これが個人を意味するのか集合体を意味するのか判然としないのであるが)の有り様なのであるから。ただし、国家の機能性は高められていることが望ましい。どんな主人のどんな目的にも奉仕し得るように。最初は小沢氏らの、そして個人の自立が果たされ「民主主義」が確立された暁には、国民の望むままに動く装置として、国家は性能を、使い勝手の良さを高めておく必要がある。
因みに、「個人の自立がなければ、真に自由な民主主義社会は生まれない。国家として自立することもできない」、「真に自由で民主的な社会を形成し、国家として自立するには、個人の自立をはからなければならない」といった具合に、「真に自由な民主主義」とほぼ同義的に、あるいは「個人の自立」とは因果論的に結ばれて、「国家の自立」が言及されているのは、論理的に考えるならば、民主主義がそれと機能してはじめて国家は自律を達成でき、ようやく大人になる(自立する)というロジックが念頭に置かれているからと推定される。もっともそこまで論理的に詰まった話ではなく、単に福沢諭吉の名文句がなぞられているだけということなのかもしれない。いずれにしてもここで国家が擬人化され個人の延長線上に捉えられていることには、いまだ自立のできていない個人に対してと同じアプローチ ----- 試練・リスクを与えることも躊躇わないアプローチが、国家に対しても適用されていく可能性があることが示唆されているように思われてならない。
2 自由主義と逆立ちする柵の例
そしていま一つ大いに引っ掛かり、最近何がどう引っ掛かっていたのかについてある発見があったのが、小沢氏の自立論が、自由主義とはおよそかけ離れた、むしろ根本的に相容れないとさえ言えるものであるという点に関してである。この点からも、小沢氏の立場は、自由主義のリヴァイヴァルという性格をもつ新保守主義・新自由主義とは重ね難い。小沢氏が一九九〇年代を通して、日本における新保守主義者の代表と目され続け、自らもこのラベルを好んでいたという事実とは裏腹に。
というのも自由主義は、確かに個人の自立に価値を置きこれを称揚するが、政府は国民を自立させるために国民を鍛え直すのであり国民を突き放すのもそのため、というような論理は含意し得ない。政府はあくまで国民をプロテクトすること(仮にそれが最小限の”夜警”としての役回りにおいてであるにせよ)を申し出ることによって、政府に対して上位に立つ既に自立している国民に対して、積極的に正当化されなければならない存在である。国民を突き放して教化するなどという先行的、父権的な存在ではない。新保守主義・新自由主義について言えば、政府の国民に対する教導的な態度を積極的に否定し、個人をヒーロー視するジェスチャーをとったところにこそその妙があった。はじめに諸個人の自立もしくは個人は自立しているものと見なす個人へのリスペクトありき。政府はあくまでこれに対して後発的、外在的に付け加わった存在と見なされ、そう振る舞うものとされる。諸個人に彼らがまだ知らない自由を与える存在、ましてや国民の有り様を新たに作り出す主体として政府が自己規定することはない(これはむしろ大それたことと言われるであろう)。従って新保守主義政権の下では、政府が権限を手放すこと(ディヴォルーション)こそ推進されるが、政府が人々を突き放すこと ----- 少なくとも言説やジェスチャーの上で政府がそのような態度をとることはまず考えられない。国家の改造ないし国家・社会関係の改変はあっても、国民の改造はない。
この点は、まさに『日本改造計画』のまえがきの、最も奇妙に感じられる部分に関わっているのであろう。同書のまえがきでは、アメリカの観光地で崖からの転落を防止する柵や立ち入り厳禁の立て札が見当たらなかったことへの「驚き」が語られ、日本ではお馴染みの、観光地の崖に設けられる「転落を防ぐ柵」が、規制を求める日本人と過保護な当局の関係の象徴であると捉えられ問題視されている。「大の大人が、レジャーという最も私的で自由な行動についてさえ、当局に安全を守ってもらい、それを当然視している」のが日本であり、「自分の安全は自分の責任で守っている」のがアメリカである(一−二頁)。「人々はいまだに『グランド・キャニオン』の周囲に柵をつくり、立ち入り厳禁の立て札を立てるよう当局に要求する。自ら規制を求め、自由を放棄する。……真に自由で民主的な社会を形成し、国家として自立するには、個人の自立をはからなければならない。その意味では、国民の”意識改革”こそが、現在の日本にとって最も重要な課題といえる。そのためには、まず『グランド・キャニオン』から柵を取り払い、個人に自己責任の自覚を求めることである。」(五頁)
ここでは「個人の自立」があり「自己責任の原則」が貫かれている状態とは、景勝地の崖に柵のない状態に対応することが意味されている。柵がないことを各自心せよ! この下りが何とも奇妙な印象を読む者に与えるのだ(2)。最近その理由にハタと気付いた。人々が崖から落ちないように柵を作るとは、自由主義の説明に用いられてきた最も古典的な表象ではないか!
柵によって人々が動き回る範囲を画するというのは、法によって、つまり国家=政治社会によって安全が保障されるその範囲において人々が自由を享受する状態を創出することを意味し、この構想こそ自由主義の核心をなしている。「われわれをただ沼沢や断崖から護るに過ぎないようなものを、拘束という名で呼ぶのは適当ではない」とロックはこれ以上なくはっきり述べている(ロック『市民政府論』鵜飼信成訳、岩波文庫、六〇頁)。しかし小沢氏はこれを拘束と断じるのである。
自由と安全は相即不離の関係にある。人が自由に行動できるとは、その行動をとってもその人の安全が保証されているということである。安全が保障されていないとき、人は不自由を感じるであろう。安全に行動できる範囲で自由がある(そうであるからこそ、九・一一テロ攻撃によって航空機での移動の安全が脅かされたとき、アメリカ人はこれをほとんど反射的に「アメリカの自由に対する脅威」と表現したのである)。これに対して、崖から落ちる危険にさらされている(右の例ではテロの危険にさらされていることに相当する)、規制のない自由はあくまで自然的自由、つまり社会状態が未然の自然状態に対応する自由でしかない。それは市民社会の自由ではない。因みに、自然状態に「万人の万人に対する闘争」という表現を与えたホッブズも、柵ではないが似たような堤防や水路の例によって自由を定義しようとしている。ホッブズは、自由とは運動を遮られないことであるとし、これを説明するのに堤防のないところで広い空間に広がっていく水の例を用いている(ホッブズ「リヴァイアサン(二)』水田洋訳、岩波文庫、八六頁)。この例は、一見堤防の存在と自由の成立が背馳関係にあることを意味しているようにとれるが、ホッブズにおいては水路を下って流れていく水についても自由が言われるのであり、そこからはむしろ堤の存在が流れる方向を制限することが水が自由であることを妨げないと捉えられていることが窺える(八八頁)。このように柵や堤は、自由主義の伝統においては、その不在こそ自然状態と対応させられ恐れられるということはあっても、その存在が自由と矛盾すると見なされることはなく、むしろ自由の空間を形成する条件を言い表す由緒正しい表象をなしてきたのである。
翻って小沢氏の場合、よりによって崖と柵の例を使っているあたりに、自由主義とのもしかしたら生理的でありさえするのかもしれない背反性を感じさせるのだ。自由の条件を可視化する存在としての柵。これは自由主義の父ロックが松明のように高く掲げたイメージである。そして自由主義のいささか論争的な祖であるホッブズも、柵や堤が自由に対してもつ含意に、どう見積もっても否定的ではなかったし、柵の不在がどのような危険をはらんだ状態を意味するかを後世に印象づけるのには大いに貢献した。ところで自由主義が柵を設けるのは、無益な衝突や紛争を生じかねない自然的自由を規制するためというばかりでもないであろう。そこには誰かガイドがピタリと人々に張りついて自分に付いて歩くように命じることの代わりに柵を設けるという意味もあるであろう。柵に画されていれば人々は安心して独力で、つまり”自由に”動き回ることができる、"自由に"、つまり誰かに四六時中監視、指図されることがなく。
ところが小沢氏の『日本改造計画』のまえがきでは、この古典的な柵のレトリックが見事に逆立ちさせられている。自由主義の定式化に真っ向から反して、そこでは一転柵は不要とされ、それどころか有害とさえされる。そして崖の縁にあって、柵によって安全な足場が示されていない状態を行く個人が自立した個人とされ、この自立を個人にもたらすのが小沢氏らの政府の役割であると考えられる。それは足を踏み外しても自業自得と個人を突き放すことを意味する一方で(しかしわれわれは現に足を踏み外してしまった人、あるいは踏み外しそうになっている人を目前に「自業自得」と言って平然としていられるわけがないのだ)、実は誰かが「自分の後ろに従え。一歩も列からはみ出るな」という鉄のディシプリンを個人に課すことでもあり得る。自由主義が構想する世界とはまったく様相を異にする世界がここには示唆されている。
というわけで、小沢氏は自由主義者ではない。本人に何か思い違いがあってのことかもしれないが、少なくとも氏の発言が指し示す個人と国家あるいは社会の関係は、むしろ自由主義の対極にある。新保守主義・新自由主義もこの点で自由主義の系譜上にあるということが言えるのであるとすれば、小沢氏は新保守主義者・新自由主義者でもないということになる。これは以上の考察を経て、筆者が至った結論である。
こうして小沢氏の自立論からは、次の気になる二つの事実が浮かび上がってくる。まず氏の主張が、精神主義と呼ぶほかないものであること(『日本改造計画』とはとりも直さず『日本人改造計画』であった)。これは氏における経済社会に関する構想の不透明さや、ときに現れる苛烈な弱肉強食主義の相貌をよく説明する。さらに氏が自由主義とは根本的に相容れない ----- 氏にそのつもりはないのかもしれず、またそう願いたいが ----- 極めて特異な「自由」概念を奉じていることが判明する。そして以上の二つの事実それぞれを通して小沢氏が新保守主義者・新自由主義者ではないことが確認される。これら二つの事実は相互によく噛み合い、また氏が前衛主義者であるとした場合のプロファイルともまったく矛盾しない。むしろ両事実ともに、前衛主義を積極的に促したとしても何の不思議もない思想・見地を含意している。
(以下次号)
(1)理想や目的のためにはいかなる犠牲や手段も厭わない志士とマキャヴェリストがいるとして、二人の違いはどこに現れるであろうか。マキャヴェリストであれば"無茶”な手段は選ばないであろうが、志士にとって"無茶”は目標の崇高性、その犠牲に値する価値を自他に向かって証すものとなるが故にむしろ好ましいとされるのかもしれない。
(2)記憶に新しいところでは、『世界』第七九九号で中島岳志氏がこの柵の話に触れ、やはり「引っ掛かる」と述べている(二二〇頁)。
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