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(回答先: 渡邉良明・母と語る小沢一郎論 森田実HPより 「小沢一郎氏と、救国の政治指導者チャーチル」 投稿者 てんさい(い) 日時 2010 年 1 月 16 日 18:16:22)
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/WA12.HTML
第12回(2006.12.15)
幻想を持たない理想主義者
今年一年を表現する漢字は、「命」となった。秋篠宮悠仁(ひさひと)親王ご誕生をお祝いする思いの他に、いじめによる自殺などを反映している、とテレビで報じていた。だがそれは、単に人間の「命」だけの問題だろうか?
最近のテレビを観て特に悲しく感じるのは、値崩れを起こしたキャベツなどの野菜が大量に廃棄される場面である。日々、それらを丹精込めて作られた生産者も、まさに断腸の思いであろう。キャベツは、1キロにつき27円の手数料が支払われるようであるが、それにしても、廃棄される野菜の悲鳴が聞こえるようだ。農水省の政策やJAのやることは、あまりにもマンネリで無策過ぎるのではないか。不作の時だけでなく、豊作による供給過剰に対する具体的方策が事前に、もっと有益な形で検討されていてしかるべきだと思う。 作り過ぎれば大量に廃棄し、後は、わずかなお金で農家を支援するというのでは、余りにも安直だと思う。第一、作物に対して申し訳ないと思うのだ。“自然の恵み”あっての人間ではないか。そのうち、大規模な凶作に見舞われて、痛いしっぺ返しを食らうのでは、と危惧するのは、決して私だけではないと思う。
常に農家の方々のことを案じる小沢氏も、このような農作物の大量廃棄の場面を観て、内心悲憤慷慨なさっていると思える。彼は、もっと有益なやり方で 農民や国民の立場に立った「農業政策」を展開なさると思うのだ。
ところで、かつてケネディ大統領の秘書官だったセオドア・ソレンセンによれば、ジャクリーン夫人は、ケネディを「幻想を持たない理想主義者」と評したという。一番ぴったりした表現だと、ソレンセン自身、たいへん感心している。
だが実は、「幻想を持たない理想主義者」という評は、ジャクリーン夫人のオリジナルというよりも、むしろ、ケネディ自身の自己評価だった。実際、当時の著名な歴史学者、アーサー・シュレジンガー・ジュニア博士によると、次のような次第である。ジャクリーンがある日、ケネディに尋ねた。「あなたは、ご自分のことを、どんな人間だとお思い?」と。すると彼は、即座に答えた。「幻想を持たない理想家」だと。
今日、日本の政治家の中で、「幻想を持たない理想家(あるいは、理想主義者)」と言えるのは、一体誰だろうか? 私は、小沢一郎氏ではないかと思う。
小沢氏が、よく引き合いに出される政治家が田中角栄である。小沢氏は、田中氏が幼くして亡くした長男と同年で、そんな縁もあって田中氏は、彼を殊の外、可愛がったと言われる。
私はある日、田中角栄と小沢氏との違いについて、母に訊ねた。「お母さんは、田中さんと小沢さんと、どう違うと思う?」と。すると、母が答えた。
「『日本列島改造』を唱えた田中さんは、金権政治のはしりと言われているけれど、私は、そうは思わないよ。岸さんだって同じじゃない。むしろ明治と昭和の間の大正時代に生まれた者(*田中氏は大正7年生まれ)は、過酷な試練を受けたように思う。特に若い頃、戦争に翻弄され、日本の再建のために一生懸命生きてきたように感じるね。田中さんは、その夢を実現するために熱心に勉強し、お金を最大限に利用したんだろうね。
小沢さんは、田中さんに比べ、もう少し高い地点から、どうしたら日本が良くなるか、日本人は一体どうあるべきかということを常に考えておられるような気がするよ。小沢さんの『日本改造計画』を読み直すと、13年前と今と、基本的政策のブレは、ほとんど感じられないね。本当に、一度政権を担当していただきたいと思う。リハビリで一緒になる87歳の女性が全く 同じことを言っておられたよ。とっても嬉しくなって、握手でもしたい気持ちだった」と。
田中氏も小沢氏も、真に弱く貧しき人々の“無念を知る”政治家とは言えまいか。田中氏は生前、「私は、新潟からの出稼ぎものです。新潟は、刈羽(かりわ)郡二田(ふただ)村という雪深い所の生まれです」と言って、よく番記者を笑わせたという。だが、この「出稼ぎもの」という言葉の、何と重たいことか。考えてみれば、都会のビルや、マンションその他の建造物も、この「出稼ぎもの」と言われた人々の血と涙と汗で造られたのではないだろうか。
小沢氏も、額に汗して働く人々の労苦を真に知っている政治家だと思う。彼は、このような人々の生活を守り、彼らを幸せにするために“政治がある”と考えているように思うのだ。
だが私は、田中氏と小沢氏は、“似て非なる者”だと思う。つまり、両者は、一見非常に似たイメージを与えるが、本質的にはまったく“異質な存在”だと思えるのだ。人々から「角さん」として親しまれた田中氏は、終生、金の持つ力を信じた。金こそが、彼の権力の源泉だった。脳梗塞で倒れた後でさえ、この彼の思いは変わらなかったようだ。
これに対して小沢氏は、決して金の力を信じる人ではないと思う。小沢氏にとって「金は金」、「政治は政治」であって、結局、両者は異質なものだ。彼は「政治」そのものを純粋に求め、その理想的なあり方を追求しているように思うのだ。
その意味で小沢氏は、「幻想なき、理想主義者」とは言えまいか。彼自身、田中氏について、次のように述べている。
《田中という政治家は、戦後でなければ総理にはなれなかったという意味も含めて、戦後政治の落とし子だったと思う。彼の行動力に、私も改革の夢をかきたてられたが、一方では、こうあらねばならないという理念の先行よりも、現実の利害の調整、そこに卓抜した先見性があった。その意味では、仕組みそのものを変えようとか、制度的にこれはいけないからこうあらねばならないとか、そういう意識は薄い政治家だった。
当選一、二回生の頃は、そりゃ偉い人だったから、そんなこと考えている余裕はなかったけれども、だんだんと、自分が政治の原点とする改革の意識を自分の中心に据えながら見ていくと、ああ、ここはちょっと違うなとか、そういうふうに見えるようになった》(渡辺乾介著『あの人―ひとつの小沢一郎論』より)。
この文中には、まさに「利害調整型(あるいは利益誘導型)」政治家・田中角栄氏と「理念型(あるいは理想追求型)」政治家・小沢一郎氏との本質的な違いが、如実に表われていると思う。
上の文中の“ああ、ここはちょっと違うな”という小沢氏の思いは、実に重いと思うのだ。この思いが、その後の彼の政治行動に多大の影響を与えたであろう。私には、この思いこそが、彼の“自民党離党の原点”とさえ思えるのだ。
意外に思われるかも知れないが、私は、小沢氏の主張する政策や政治信条は、むしろ石橋湛山に近いのではないかと思う。ちょうど今から50年前の12月、湛山は首相として、東京日比谷公会堂において、全国遊説の第一声をあげた。そこで彼は、次の「五つの誓い」を表明した。つまり、(1)国会運営の正常化、(2)政界および官界の綱紀粛正、(3)雇用の増大、(4)福祉国家の建設、(5)世界平和の確立、である。
この「五つの誓い」は、今日でも通用する内容ではあるまいか。湛山も明らかに、角栄流の「利害調整型(あるいは利益誘導型)」政治ではなく、むしろ「理念型(あるいは理想追求型)」の政治だったと思う。それに、彼は何より、吉田茂や岸信介のような「アメリカ一辺倒」ではなく、あくまで主要各国との連帯やバランスを重視した外交姿勢を堅持した。その対外姿勢は、米中との関係を極端な二等辺三角形(つまり、アメリカ重視、中国軽視)ではなく、両国を同程度に重視する「正三角形型」の外交姿勢で臨みたいという小沢氏ときわめて酷似したものだったと思うのだ。
換言すれば、湛山は、単に目先の利害得失ではなく、もっと長期的な視座に立って外交を考えていたと思う。これは、小沢氏も同様である。小沢氏ほど未来を予見して日本の危機を実感し、その危機感をバネに現在の日本を変えなければならない、と考えている政治家はいないと思うのだ。それはまるで、彼だけが目覚めていて、後の政治家は、安倍氏をはじめ、まるで眠り込んでしまっているような状態だと考えればよいと思う。
今日の小沢氏の「先見性」と同じようなものを持った政治家が、一時期の田中角栄氏だったかもしれない。だが私は、田中氏以上に石橋湛山の方が、はるかに優れた政治・経済哲学と「先見性」を持っていたと思う。それに小沢氏も石橋湛山も共通して、国民の幸せを第一義に考えていると思うのだ。
上記の「五つの誓い」で見られるように、湛山の政策は、内政面では、国民を精神的・物質的に豊かにし、徳高き国民を育成することだったと思う。そのために彼は、「雇用の増大」と「福祉国家の建設」を訴えたのだ。日本が高度経済成長する以前、まだ「福祉」という概念は、それほど一般的なものではなかった。だが湛山は、その重要性を、すでに予見していた。この発想は、吉田茂や岸信介はおろか、池田勇人や佐藤栄作にもありえないものだった。
湛山はまた、経済に対する高い見識と深い洞察によって、すでにインフレの怖さではなくデフレの怖さ(つまり、この数年間におけるデフレ・スパイラルの問題)さえ予感、かつ予言していたのである。彼のような「予見性」や「先見性」を、私は小沢氏も、その歴史的洞察力によって保持していると思うのだ。
たとえば、今後、大きな問題になるであろう「日本の防衛問題」について、1968年(昭和43年)10月5日、石橋湛山は、「日本防衛論」と題する小論の結びで、次のように書いている。
《重ねていうが、わが国の独立と安全を守るために、軍備の拡張という国力を消耗するような考えでいったら、国防を全うすることができないばかりでなく、国を滅ぼす。したがって、そういう考え方をもった政治家に政治を託するわけにはいかない。政治家の諸君にのぞみたいのは、おのれ一身の利益よりも先に、党の利益を考えてもらいたい。党のことより国家国民の利益を優先して考えてもらいたいということである。 人間だれでも、私利心をもっている。私はもっていないといったらウソになる。しかし、政治家の私利心が第一に追求すべきものは、財産や私生活の楽しみではない。国民の間にわき上がる信頼であり、名声である。これこそ、政治家の私利心が、何はさておき追求すべき目標でなければならぬ。そうでないなら、政治家をやめてほかの職業にかわるがいい。もしも政治家諸君がこのような心がまえをもってくれたら、国民の政治に対する不信感は払拭され、愛国心もわき上がる。言論機関は、このような政治家を声援し、育成する努力を払ってもらいたい》。
これを読んで、小沢氏も、「僕もまったく同感だよ」と言われるような気がする。だが、今の自民・公明党政治では、この“国民の間にわき上がる信頼”が、明らかに失われつつあると思うのだ。今までのタウンミーティングに関する数々の醜聞でも、それは明らかである。
現代の政治状況を歴史的(それもマクロ=巨視的)に見れば、現代の自民・公明党の連立政権と小沢民主党政治との対峙は、かつての岸政治や佐藤政治を継承し、それを完成しようとするかに見える安倍政権と、政治・経済思想の深いところで石橋政治を継承すると思える小沢政治との対決とはとれまいか。私の正直な思いを述べれば、現在の小沢氏の台頭とその歴史的挑戦は、当時の国民に非常に期待されつつも63日間という短命政権に終わった「石橋政治」の歴史的“復活”ではないかとさえ思えるのだ。“正しい精神や思想”は、たとえそれを唱えた人が、思い半ばで鬼籍に入ろうとも、歴史的には不滅である。つまり、心ある他者が、必ずその精神や思想を受け継ぐのである。私は、今日の小沢氏の活躍が、それを如実に実証していると思うのだ。 単にアメリカ追従型の、国民無視で大企業優先の「岸政治」を継承する安倍政治を採るか、それとも米中その他に対するバランスのとれた外交を志向し、真に国民と日本国の独立を守ろうとした「石橋政治」を精神的に継承する小沢政治を選択するのか、その決断が、来年夏の参議院選挙で、日本全国民に問われるのだと思う。
私は、より多くの人々が、「幻想を持たない理想主義者」小沢一郎氏の見識と勇気、それにわが国を心底愛する「誠」を理解し、彼を支援することを、心から念じたい。
正直、私は、こう叫ばずにはいられない。「政治家(とりわけ自民党と公明党員諸君)よ、これ以上、日本国民の富をアメリカに売り渡すなかれ! 電通をはじめとする、自らエリートと自負する無知蒙昧なマスコミ諸氏よ、もうこれ以上、政府の走狗となるなかれ! 国民よ、ますます首を絞められるような無能な官僚政治の悪夢から一刻も速く目覚めよ!」と。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/WA13.HTML
第13回(2006.12.22)
世界の人々に愛され、信頼される日本の政治指導者
安倍晋三氏が日本の総理大臣になって3カ月が経った。安倍内閣初の臨時国会も、12月19日の午後、閉会した。
安倍政権の支持率は、現在46%弱である。しかし、支持率以前の問題として、このたびの政府税調会長・本間正明氏の処遇などをめぐって安倍総理の分別や指導力が問われている。彼に真に指導者らしい指導力や魅力を感じられないのは、決して私だけではないだろう。私は、安倍氏と、沖縄県知事の仲井真氏に何か “共通するもの”を感じる。
それは、両者は現在の地位を、自らの努力でがむしゃらに勝ち取ったとは、とうてい思えないのだ。換言すれば、単に自民党内や沖縄県内の打算や“空気” が、二人を指導的な立場に押し上げただけのような感じなのだ。つまり彼らは、ただ周囲の人々が用意した御輿に乗っかっているだけのような気がする。
安倍氏と小沢氏の違いについて、私はある日、母に訊ねた。「お母さんは、安倍さんと小沢さんと、どう違うと思う?」と。すると、母が答えた。
「安倍さんも、総理になられて、日々頑張っておられるとは思うよ。でも少し頑固で、思い込みが強い気がするね。教育基本法改正や防衛省昇格だって、なんだか有無を言わさず、がむしゃらに決めたといった感じだね。あんなやり方で、本当に日本国民のためになるのかね? 今回のことで、『日本国憲法改正』のための外堀を埋めたと思っておられるのだろうけれど、それで私たち国民を、一体どこへ導こうと考えておられるのか、私にはよく分からないよ。
でも日本は、もうどこの国とも戦争だけはしてはいけないね。その点、安倍さんに戦争を食い止めるだけの指導力が、果たしてあるかしらね? 正直言って、疑問だね。戦時中の近衛文麿さんと同じで、まったくないような気がするよ。その点、小沢さんの考えには、とても確かなものを感じるね。かつての『国連待機軍』の考えだって、小沢さん一流の深謀遠慮のような気がする。でも、安倍さんは、小沢さんのような柔軟で自由な発想はできないだろうね。
安倍さんと小沢さんの違いは、自主性や主体性の有無と発想の柔軟さかしらね。安倍さんは、単におじいさん(岸元総理)の受け売りや古い自民党の考えを踏襲しているだけで、別に新しさや自主性・主体性は、ほとんど感じられないね。小沢さんとは、ものの考え方や人間的な器量がずいぶんと違う気がするよ。若いことをとやかくは言えないだろうけれど、何だか自分を大きく見せようと、かなり無理をしておられる感じだね」と。
一国の政治指導者について論じる場合、われわれは、その人がわが国を一体どの方向に導こうとしているのか、大変気になるものである。また彼自身(もし女性であれば、彼女自身)、宰相(=総理大臣)としての力量を備えた人であるのかどうかも問題になる。だが概して、その意識は国内に留まり、彼(あるいは彼女)が、隣国や世界の人々にいかに愛され、かつ信頼される指導者かどうかを云々することはない。
しかし実際、かつて自国民だけでなく、世界の人々に愛され、かつ信頼された政治指導者がいたと思う。たとえば1960年代前半のジョン・F・ケネディや1980年代後半のミハイル・S・ゴルバチョフなどは、その好例と言えよう。
では、日本には存在しないのだろうか? 実は私は、小沢一郎氏がそのような世界的スケールを持った出色の政治指導者ではないか、と思う。
小泉前総理は、ブッシュ大統領はじめアメリカのネオコンと呼ばれる人々には好まれたかも知れない。だが、アメリカ国内の心ある人々や中国、及び韓国の多くの国民には、明らかに嫌われた。無論、他国民の「好悪の感情」だけで、国内政治が左右されてはいけないだろう。とはいえ、隣国の国民感情や国際世論を無視することはできない。
安倍総理は、中・韓両国に対して、友好的な雰囲気で交渉の口火を切ったが、前任者があのとおりだったので、中韓両首脳とも、安倍氏に一定の理解と期待を示した結果だったとは言えまいか。とりわけ、日中両国関係における創価学会・池田名誉会長の介在は、無視しえない事実であろう。だが来年の靖国参拝その他、いまだ予断が許せない状況だ。
だが、小沢氏の場合、アメリカに対しても中国に対しても、実に太いパイプを持っている。それも、単に政府レベルというよりも、むしろ市民(=民間)レベルでの、根の深い信頼関係なのである。事実、小沢氏は、日米間の民間交流団体「ジョン万次郎の会」の会長である。
小沢氏ほど、ジョン万次郎(中濱万次郎)の偉大さと、彼が二つの祖国(日本とアメリカ)のために、どれほど有益な役割を果たしたかを認識している政治家はいないであろう。
万次郎は14歳で漂流民となり、米国船ジョン・ホーランド号に救われた後、10年に及ぶアメリカ暮らしで、同国の進んだ文化・文明を吸収した。アメリカのペリー提督が日本に開国を求めた時や咸臨丸が初めて太平洋横断をした際にも、万次郎という名通訳がいたればこそ、日米両国がつつがなく交渉できたのだ。万次郎は、アメリカの人々から受けた恩義に感謝しつつも、日本側が毅然と交渉できるようにペリーの真意を内密に幕府側に伝え、日本を窮地から救ったりもした。
私は、万次郎が若くして漂流後、長いアメリカ生活を通じて両国の橋渡しの役割を担ったことを、見えざる“天の配剤”だったと感じる。ジョン万次郎なしに、日米両国の理解や交渉はありえなかったであろう。 この万次郎を小沢氏は誰よりも愛し、かつ尊敬しておられる。それゆえ、平野貞夫氏の言によれば、総理大臣職をあれほど固辞した小沢氏が、なんと「ジョン万次郎の会」会長になることだけは、自ら強く希望したという。万次郎に対する小沢氏の熱い思いが解かろうというものである。
実は私もハワイ大学留学中、この「ジョン万次郎の会」に所属していた。1994年、“国家を超えた交流”というテーマで、両国の民間親善活動のお手伝いをした。同会は日米親善や友好関係を促進する上で、実に大きな役割を果たしている。つまり小沢氏は、民間レベルでの交流の大切さを、誰よりもよく理解していると思うのだ。
次に、中国に対しても、小沢氏は、長い年月をかけて民間交流を促進している。彼の言によれば、彼は年に一回、「長城計画」と題して、一般からの参加者を募って中国首脳部と人民大会堂で会食・懇談をしたり、北京市内や万里の長城を見学する交流事業を実施している。これは『日中国交回復』を成し遂げた田中角栄元首相の「両国の友好親善のためには草の根レベルの交流が大切」という精神から、昭和61年から行ってきたものである。つまり、20年の歳月を経た地道な交流である。それを小沢氏は、人やマスコミに注目されずとも、ずっと人知れずやってこられたのである。
思うに、小沢氏は、日米間においてだけでなく、日中間においても「不戦の誓い」を肝に銘じておられるのではないだろうか。この視点は、きわめて大事だと思う。
なぜなら、安倍氏の考えを延長すると、日本がアメリカの尻馬に乗って、明らかに中国と再び戦火を交えるような危険性があるからだ。この愚だけは避けなければならない。このような誤った「選択」を未然に阻止できるのは、むしろ小沢氏の見識と確固たる“不戦の思い”なのではあるまいか。その点が、小沢氏こそ、日本が世界にアピールできる「真の指導者」だと思える所以(ゆえん)である。
ところで、アメリカの実質的な「対イラク敗戦」が現実味を帯びてきている今日、世界は今後、ますます混乱の度を深めよう。だが「国が滅ぶ」ということに関して、私には一つの信念がある。それは、「国家とは、他国からの核攻撃や侵略では決して滅びない。むしろ国は、内側から滅びる」という思いである。ちなみに、この「国は、内側から滅びる」という考えは、すでにイギリスの歴史学者アーノルド・トインビーが力説していることである。
今日、北朝鮮の核保有に伴い、北朝鮮や中国の軍事的脅威が叫ばれている。巷間、とくに国内の保守層の間では、米中冷戦から米中戦争の可能性までささやかれている。“この事態に際して日本の軍事力強化が求められている。北朝鮮や中国の軍事的脅威の高まりやアメリカの軍事的後退に備えて、わが国も「核兵器の保有」で対処しなければならない”という議論さえ、次第に現実化するであろう。
だがわが国は、他国の軍事的侵攻によって滅びるのだろうか?
前述したごとく、国家は、外国勢力やその軍事的侵略によって滅びるのではなく、むしろ内側から瓦解するものだと思う。周知のように、古今東西、幾多の国家が興り、そして滅んだ。しかし、他国から侵略される前に、その国は、すでに亡国の兆しを見せ始めている。つまり、そこに住む人々が自国を蔑(ないがし)ろにし、その法や伝統を軽んじ、他者(ひと)や社会への関心を失う時、亡国への胎動が沸き起こる。
たとえば、古代ローマ帝国の場合はどうだろう。アウグストゥス帝(前63〜後14)の治世以来、人々は、平時は農作業に勤しみ、いったん急あらば、百人隊の重装歩兵として武器を執った。彼らは、質素な生活の中に心の安らぎを得、肉体労働を愛した。だが、帝国の興隆とともに、人々は次第に軍事を外国の傭兵たちに一任し、自ら奢侈な生活に身を任せた。度重なる外国遠征のため戦費が嵩み、それが国民への重い税としてのしかかった。数々の重税にあえぐ国民は貧民と化し、「パンとサーカス」という最低限の快楽のみを与えられ、自ら明日に希望をつなぐことができなくなった。
他方、戦意を喪失した上層階級の若者たちは美酒に酔い、刹那の享楽にうつつを抜かした。そこでは、“目に見えぬもの”への畏敬、他者への尊敬心や信頼感は失われ、ただカネやモノだけが信じられた。人は国家や社会がどうなろうと、自分だけ満たされていれば、それでよいと考えた。
歴史上、ローマ帝国はゲルマン民族によって滅ぼされたと言われる。だが、すでに根の腐った大木同様、国家の中枢や基盤が腐敗していたのだ。他国からの侵入は、二次的なものでしかなかった。まさに、”国は、内側から滅びる”のである。
日本は、北朝鮮によるノドンやテポドンなどの核攻撃によって滅ぼされたりはしないと思う。むしろ、政治家や官僚の腐敗や堕落、それに国民の政治不信や自暴自棄などから滅びると思うのだ。
今日、「富める者」と「貧しい者」との二極化がますます進み、後者の絶望感が日増しに高まるなか、その“格差是正”が、真剣に模索かつ実施されなければならない。だが現実は、今日の日本でそれを急務と考える心ある人は決して多くはない。しかし、このまま「格差」が放置されれば、社会不安がますます募り、人々の“絶望感”が国内に充満していくだろう。
国内に生きる若者や子ども、それに高齢者や障害を背負う人々が“希望”を持って生きる社会をつくることこそ、真に「国家を守る」ことになると思うのだ。つまり、そのような方々を心底、大事にすることこそが、まさに“国家を守ること”なのではあるまいか。
人が他者や社会(あるいは世間)を心から愛しく感じ、相互に連帯感を感じられる限り、国家はそう簡単に滅びるものではない。反対に、どれほど軍備を拡張・拡大したとしても、そこに生きる人々の間に相互信頼もなく、連帯感も感じられないならば、そのような国家はまさに“砂上の楼閣”である。「国は、内側から滅びる」とは、まさにそのような“もろい社会”のことを言うのである。
小沢氏は、このような“もろい社会”ではなく、むしろ、それと対峙する相互信頼ができ、互いに愛しく感じられる国づくりを目指していると思う。彼の掲げる「(黙々と働く人、努力する人、正直者が報われる)公正な社会や国」づくりというのが、まさにそのような社会であり国家であろう。
事実、小沢氏は、日本における「モラルの崩壊」こそが、わが国の最大の問題だと位置づけている。彼にとって、モラル(道義心)を真に回復することこそが、現代日本の急務である。また、そのようなモラルと相互信頼を回復した国家であればこそ、他国からも信頼され、かつ愛されると思う。私は、小沢氏自身が、まさにそのような指導者であると思うのだ。
小沢氏がジョン万次郎をこよなく愛し、中国の人々を心底敬愛する思いを、われわれも真剣に学ぶべきではないかと思う。それであればこそ、日本にとって大切なアメリカとも中国とも、民間レベルでの信頼関係が構築できると思うのだ。これこそ、今後の三国関係にとってきわめて大事なことだと思える。
そこで、われわれ日本人は、いかなる国とも再び戦火を交えないという「不戦の誓い」を、改めて再認識すべきなのではあるまいか。この思いを最も強く抱いている政治家こそ、私は小沢一郎氏であると思うのだ。私が、彼を「世界の人々に愛され、信頼される日本の政治指導者」と考える理由も、まさにそこにあるのだ。
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第14回(2006.12.29)
神仏を畏敬する政治指導者
今年(2006年)も、あと3日で終わり、新しい年となる。新年を前に、いろいろな思いがよぎる。反省することや思いを新たにして決意することなど、さまざまである。年末を控え、大掃除に余念のない方々も多いと思う。
テレビのニュースでは、先日の本間政府税制調査会長に続いて、佐田玄一郎行政改革担当相の辞任が報じられた。安倍首相の「任命責任」や指導力が問われている。安倍総理の恣意的で、短慮、かつ一面的な税制調査会長の人選や、安倍内閣誕生の「論功行賞」による閣僚登用に対する国民の目は厳しい。とにかく、 “器”でない人物を政府の要職に据える安倍総理の、その日本国指導者としての“器”そのものが問われている。
ところで、今年を振り返って、私が一番気になった言葉は、「ワーキングプア(働く貧困層)」という言葉だ。どんなに懸命に働いても、生活保護水準並みかそれ以下の収入しか得られない人々のことをいう。日本の労働人口の4人に1人が「ワーキングプア」という悲惨な現実を、20年前、いや10年前の日本人は想像できただろうか? 日本における貧困層の増大は、自民党政治の“貧困の証(あかし)”だと言えよう。
正直なところ、私には、自民党政治はすでに破綻していると思える。自民党政治だけでなく、彼らが依って立つ「官僚政治」が破綻していると思うのだ。とりわけ、自民党内では、参議院議員と衆議院議員間、大都市議員と地方議員間、加えて官邸(政府)と自民党間の亀裂が、今後、ますます深刻化するだろう。
この両者間の亀裂は、かつての自民党では、したたかに克服されてきた。だが、今の自民党では、その克服は容易ではない。自民党は、明らかに末期的な“動脈硬化”症状を引き起こしている。私は、自民党自体が、すでにレームダック(死に体)だと思うのだ。
私は先日、母に訊ねた。「お母さん、今年一年を振り返って、どうだった?」と。すると、母が答えた。 「今年を象徴する言葉は『命』だったけれど、カンサンジュンさん(東京大学大学院教授)が、『虚の一年だった』と、新聞(熊本日日新聞、12月17日付朝刊)に書いておられたね。私も、まったく同感だったよ。お言葉にもあったけれど、高校の必修単位登録の『偽装』や“神の声”を『偽装』した官製談合、それにタウンミーティングでの『やらせ』など、まったくの『虚』だったよね。それに、イラク戦争の大義だって、結局『虚』だったね。私は、カン先生のおっしゃるとおりだと思うよ。
小泉さんの政治だって、たいへんなブームを呼んだけれど、結局は、実質のない『虚』だったんじゃないのかな。とくに、私は、最近の自民党はまったく『虚の政党』に変わり果ててしまったように思うよ。昔は、私も自民党に一票を投じたけれど、今はもう、そんな気にはなれないね。病院でのお仲間も、そういう意見の方が多いよ。自民党も本当に変わってしまったね。私たち老人は、今の自民党には失望させられたけれども、私はまだ、小沢さんには希望を持っているよ。小沢さんのお蔭で希望を抱ける私は、幸せ者だと思う。
来年の参議院選挙に備えて、日本各地を飛び回っていらっしゃるけれど、お身体には十分気をつけて頑張っていただきたいね。私は、小沢さんが健康でご活躍なさることだけが望みだね。小沢さんは、まさに“日本の宝”なのだから」と。
ところで、最近の日本を振り返って、今、私たち日本人に最も欠けているものは、一体何だろうか? それは、“感謝の心”ではないだろうか。
古来より、「豊葦原の瑞穂の国」と呼ばれるわが国は、四季折々の美しい自然、豊富な水、輸入物とはいえ、潤沢な食糧に恵まれている。さまざまな「技術革新」による便利さも、目を見張るものがある。私たちは、進んだ電化製品や携帯電話といったIT機器など、10年前には予想できなかった便利な品々にとり囲まれている。文明の進歩自体、決して悪いことだとは思わない。
しかし、あまりの便利さに慣れ過ぎると、それが結局当たり前のこととなり、却って使うべき脳や身体が退化するという問題が生じる。実際、われわれの周りでは、それに伴うさまざまな精神障害や肉体的な疾患が起こっている。それらは総じて、「現代病」と呼ばれる。
しかし、もっと大事な点は、現代の日本人に“感謝の心”が希薄になったことではあるまいか。「ありがとう」という言葉さえ、今日、あまり使われなくなったように感じる。その「感謝」の思いのなかでも、とりわけ、われわれの御先祖や先達に対する感謝・報恩の思いこそ、最も大事なものだと思う。私は、人間の心の中で最も大事な思念は、他者や天地万物に対する“感謝の心”だと思う。この心が欠落しつつあることを真に認識することこそ、今の日本人に最も求められることではないだろうか。
そして、この感謝の思いは、“見えざるもの”(それは「神や仏」、あるいは「道や真理」、または「永遠の命」とさえ呼べるだろうけれども)、そのような“存在”への畏敬の念なしには生じない。この思いこそ、人間にとって最も大事な思念ではあるまいか。
私は、政治指導者も、決して例外ではないと思う。「神仏を畏敬する政治指導者」こそ、真の政治指導者だと思うのだ。なぜなら、神仏への畏敬の思いにこそ、真の謙遜と感謝の念が宿るからである。反対に、人々に対して、自分への個人崇拝を求めるような指導者は、真の指導者とは言えないと思う。それは、明らかに“贋物の指導者”だと思うのだ。
その点、小沢氏はどうだろう? 実は、彼は、真に「神仏を畏敬する」政治指導者だと思う。彼はよく「人間が悪さをするから、自然の神様が怒っている」(『剛腕維新』より)と周囲に話すらしい。だが、これは特定の信仰がどうのこうのということではなく、人間を超える“存在”への畏敬心なしには言えない言葉だと思う。このような心情の人である限り、自分を絶対視するようなことはまずないであろう。だが、この視点は、たいへん大切だと思うのだ。私は、ガンディーもケネディも、そしてゴルバチョフも、この種の政治指導者であったと思う。無論、石橋湛山も同様である。
私は、小沢氏自身の具体的信仰については知らない。だが、彼の言動に、以上の人々に通じる深い宗教性や精神性を感じる。実際の政治とはまったく無縁に見える“宗教性”――私はこれこそ、政治指導者にとって、思いのほか大事な要因だと思う。なぜなら、この精神性は、感謝と謙遜につながり、真に国民の立場に立つ政治姿勢となるからである。私は、小沢氏は、そのような“宗教性や精神性”を、充分備えている政治指導者だと思うのだ。
その表面的な“こわもて”だけで、人を評価してはならないと思う。むしろ、その“内面的精神性”にこそ、注目すべきである。言うまでもなく、人は「宗教」を論じるから、“宗教的・精神的”なのではない。たとえ俗世にいても、また住まいなき貧しき人々であっても、宗教的・精神的な人々はいる。
反対に、宗教界でも、また自ら宗教を名乗る団体にいても、箸にも棒にもかからないような俗物がいるのが世の常である。その多くの人々が、「感謝」と「謙遜」の心をなくしているのである。信仰生活の当座は、たいへん恐縮していても、自分に対する周りの賞賛と畏れの高まりとともに、いつのまにか非常に傲慢になり、人間の本質を見失ってしまう。そのような人々に他者を率いる精神的指導者の資格はないと思う。
だが、前述したごとく、私は、小沢氏には、常に感謝と謙遜の心を忘れない“宗教的・精神的な徳性”が十分あると思う。この小沢氏の本質を、私たちは見誤ってはならない。彼の本質を見誤ることは、単に私たちの損失であるばかりでなく、日本国全体の損失である。それゆえ、われわれは、「本物と贋物とを識別する眼力」を持たなければならない。
なぜなら、現代は贋物(=虚)の時代だからである。“本物”を見定めることこそ現代日本人に求められることだと、私は確信している。それができてはじめて、われわれは、「明るく公正な」新しい日本を築くことができると思うのだ。
最後に、次の詩を書き、今年の拙稿の結びの言葉としたい。
同胞(はらから)よ、小沢氏を平成の「平将門」にする勿れ!
若き日に、時の絶対的権力者から可愛がられたあなたは、先輩諸兄から激しく妬まれ、かつ恐れられた。だが、たとえ、人からどんなに誤解され曲解されようとも、あなたは、一言も弁解しなかった。それゆえ、人は、あなたを生意気とも傲慢とも見た。
しかし、あなたが一度も弁解しなかった理由は簡単だった。「決して、言い訳をしない」――これが、あなたの愛するお母さんが、幼きあなたに与えた唯一の戒めだったからだ。あなたは、その戒めを、今まで完全に守り通した。きっと、これからも同じであろう。
そう、あなたは、まるであの「雨ニモ負ケズ」の宮沢賢治が理想としたまったくの“デクノボウ”なのだ。それは何より、あなたが同郷の、真に心優しい賢治や啄木の、“精神的な後継者”だからだ。
私は、現代日本の政治家として、あなたほど聡明な人を知らない。しかしあなたは、それを少しも鼻にかけない。
私は、あなたほど、法と「道義」を尊ぶ人を知らない。しかしこれは、あなたにとって、ごく当たり前のことなのだ。
私は、あなたほど質朴な人を知らない。しかしこれは、幼き日に、岩手に育ったあなたにとって、きわめて自然なことだ。
私は、あなたほど、額に汗して働く人や正直者を愛する人を知らない。しかしこれは、あなたが御両親から受け継いだ、日本人として誇るべき“美徳”そのものなのだ。
事実、あなたは、真に「仁(おもいやり)」と「義(ただしさ)」の心を持つ人だ。
わが同胞(はらから)よ、小沢一郎氏を平成の「平将門」にしてはならない。彼はむしろ、現代の源頼朝であり、徳川家康なのだ。彼を頼朝や家康にしてこそ、日本は、正しい道を歩める。また、真の「独立国」ともなろう。さらに、日本が力強く世界に貢献することもできよう。
なぜなら、小沢氏こそは、天が現代日本に与えし、真の「宰相」だからである。
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第15回(2007.1.5)
「愚直さ」も、一つの美徳なり
新しい年が明けた。元旦の日、テレビのニュースで、民主党小沢代表が自宅で開いた党所属議員との新年会の様子が報じられた。小沢代表の笑顔が印象的だった。正直、“この明るさは大事だ”と思った。苦しい中でこそ、人間は明るくありたいものだ。この新年会の席上、小沢氏は、「参院選は、本当に生きるか死ぬかの戦いだ」と述べた。小沢氏のこの乾坤一擲の決意を、われわれも肝に銘じたい。また、この度の民主党の「生活維新」のコマーシャルも出色の出来映えだ。 “民主党の脱皮は、日本の脱皮だ”と思う。皆さんが、良いと思われたことをどんどん試されたらいいと思うのだ。
新年を迎える心境として、一休宗純禅師の歌に、次のようなものがある。「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」。この和歌は、若い方々には、なかなか理解できないかもしれない。あるいは、多少、抵抗があるかとも思う。だが、中・高年層には、共感を呼ぶ歌であろう。
しかし私は、同禅師の代え歌を、次のように詠みたいと思う。つまり、「門松は 次に逝く世の一里塚 いかなる世かと 胸の弾まん」と。死を否定的に捉えずに、「来世」に対しても希望と興味を持ちたいものだ。「生死一如」、つまり「生」も「死」も、何ら変わるものではないという思いを胸に、今年も“誠”と感謝の心を忘れずに生きていきたい。何より、目に見えざるものに“生かされている”という真実に心底感謝しつつ、自分のやるべき仕事に、一所懸命専念したいと思うのだ。
私事だが、昨年末、映画「硫黄島からの手紙」を観た。正直、観てよかったと思う。渡辺謙扮する栗林忠道中将の豊かな人間性と勇気、それに祖国愛が、たいへん心に残った。
だが、やはり“戦争とは、狂気だ”と感じた。主人公の一人サイゴー(大宮でパン屋を営む一市民)が、激戦の続く塹壕の中で、一人の戦友に語った言葉が心に残った。それは、「お前は、まだ人生を本気で生きていないような気がする」という言葉だった。ただ一回の鑑賞だったので、あるいは少し違うセリフだったかも知れない。だが、だいたいそのような意味の言葉だったと思う。
“人生を本気で生きる”――大切なことだ。あの激戦地の硫黄島で、サイゴーは捕虜の一人として、奇跡的に生き残った。彼には、愛する奥さんと、生まれたばかりの娘がいた。復員後、無事に再会できるようにと願いつつ、映画館を後にした。
現実は、多くの人々が愛する夫や息子を亡くしている。私の母方の伯母も、そんな戦争未亡人の一人だった。
ところで今年は、ある東洋占星術的な星回りで言えば、「二黒(じこく)土星」というらしい。どうも大波乱、大変動の年のようだ。
かつて、キューバ危機(1962年)、ドル・ショック(1971年)、イラン・イラク戦争の勃発(1980年)、ドイツ・ベルリンの壁の崩壊、並びに日本の参議院選挙での自民党の敗北(1989年)、金融ビッグバン〔=自由化〕(1998年)など、9年毎の「二黒土星」の年には、たいへん大きな出来事が起こった。
「昭和」から「平成」に年号が替わり、また、当時の日本社会党委員長土井たか子氏が「山が動いた」と語ったのも、この「二黒土星」の年(1989年)だった。
その反面、人によっては何かのきっかけで、たいへんな金運に恵まれる年でもあるという。
まさに吉凶両極端の“波乱万丈の一年”になるようだ。年末の“今年を象徴する漢字”は、もしかして「乱」とか「変」とか「動」とか、そんな“大変化”の意味を込めた漢字が選ばれているかも知れない。
とはいえ、私は占い師ではないので、余りいい加減なことは言えない。だが正直言って、何か天変地異や一大波乱が起こるような予感はある。しかし、これは、決して私だけではなく、おそらく多くの方々が感じている予感、あるいは不安ではあるまいか。だが、たとえどんなことが起ころうとも、確固たる信念だけは保っていきたいものだ。
今年はまた「亥(い)年」でもある。まさに十二支の最後の年だ。よく言えば、ものごとの「完成の年」だとも言えよう。
小沢一郎氏はじめ民主党の政治家諸氏は思いを新たに、今年に賭けるものがあろう。
猪は「猪突猛進」――前方を真っ直ぐにしか走れない。そういう意味では“愚直”でさえある。
今日、この「愚直さ」は、余り評価されない。むしろ、どんなに汚い手段を使っても富を得ればよし、勝者として勝ち残れればよいということになる。そこでは「愚直さ」は、笑いの種とさえなろう。だが「愚直さ」も、一つの「美徳」ではあるまいか。むしろ、かつての日本人は、もっと「愚直」だったような気がする。そして、最も“愚直な政治家”と言えるのが、私は、小沢一郎氏だと思うのだ。
年始の挨拶の後、私は母との会話のなかで、小沢氏の「性格」について訊ねた。「お母さんは、小沢さんの性格について、どう思う?」と。すると、母が答えた。
「小沢さんは、是々非々をはっきりされる人だと思うよ。端的に言えば、正義を愛し、不正を憎む人ではないかしらね。平気で嘘をついたり、判らなければ、どんな悪いことでも平気でしようとするような人や政治家が多いなかで、心底、“正しいこと”を求める人だと思うよ。かといって、決して厳しいだけの冷酷な人だとも思わないね。東北の人らしい、本物の“人間的優しさ”があると思う。何より、自分に正直に、かつ常に“本気で”生きていらっしゃるような気がするよ。
確かに、人は、見かけや外見だけで判断するからね。小沢さんの本当の良さを理解する人は、今は、多くはないかもしれないけれど、だんだんと多くの人にも分かってもらえると思うよ。今年が、そのきっかけになるかもしれないね。その意味では、私は、今年に期待しているよ。愚直なまでの小沢さんの人柄、今の日本人には、なかなか理解しづらいだろうけれど、是非、分かってもらいたいね。それが、小沢ファンの一人としての、私の切なる希望だよ」、と。
小沢氏の座右の銘は、「百術不如一誠(百術は、一誠に如かず)」だという。「百の術策も一つの誠意には及ばない」という意味である(森田実著『小沢一郎入門』より)。まさに「至誠一貫」というのが、小沢氏のモットーだという。
吉田松陰は、孟子の「至誠にして動かざる者は、未だこれ有らざるなり(誠を尽しても感動しない者は、まだ一人もいない)」という言葉を愛し、この至言を終生の信念とした。小沢氏も、この松陰とまったく同じ気持ちだと思う。
ところで、小沢氏が「愚直さ」を貫いた瞬間は数々あっただろうけれども、私は、その代表的なものが、金丸信氏からの「自民党総裁選への出馬(=実質的な首相就任)」のたっての要請を固辞したことと、彼が同志とともに自民党を離党した時だったと思う。
たとえば、「金丸さんは小沢さんに対して、いきなりやれと言われたんですか」との質問に対して、小沢氏は、次のように答えている。
「そうです。朝から晩まで説得された。僕が断ると、『お前は何だ』と言って怒られた。『一日でも総理大臣になりたいというのが政治家じゃないか。それを何でお前は俺が言うのに断るのか』と言って。しかし、本当に自分はまだ総理になる準備をしていなかった。突然、出ろと言われても無理だ、というのが本当の気持ちだった。そして、心情的には、渡辺(美智雄)さんや宮沢(喜一)さんのことを考えた。おふたりに、僕が出ればやめると言われると、僕はますます出まいと思った。特に、渡辺さんがかわいそうに思えたということもあったかな」、と(『小沢一郎―政権奪取論』、朝日新聞社刊)。
小沢氏自身、西郷隆盛同様、政治や日本国のためには「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらない」人なのである。
それに彼は、古風なほど「長幼の序」を重んじた常識人だった。だが何より、「まだ総理になる準備をしていなかった」という言葉にこそ、彼の本音が垣間見られる。私はそこに彼の正直さ、言うなれば、真の「愚直さ」を感じる。反面、大した準備もなく総理になったのが、今回の安倍晋三氏ではないだろうか。
当時、確かに小沢氏は、単に金丸氏だけでなく、多くの自民党員や国民からも、総理になることを嘱望されていたように思う。だが小沢氏は、ここで自分が総理になることは自分の良心に対して不正直であり、また自分のためにも、さらには日本国のためにもならないと考えたように思うのだ。つまり、“自分に真に納得のいかないことは断じてしない”という思いを、彼は心底貫いたように思う。その行為が、たとえ人には愚かに映ろうとも、真の理性であり、かつ勇気とさえ思える。この時の小沢氏が、まさにそうだったと思うのだ。
この後、自民党の総裁選に際して、宮沢、渡辺、三塚(博)の三候補に対する「小沢氏の面接」という出来事(=事件)が生じた。当時のマスコミは、さも小沢氏が三者を自分の事務所に呼びつけて、高慢にも年長者に対して面接をしたように報じた。また多くの国民が、その偏向記事を鵜呑みにして、小沢氏を傲慢な男だとみなした。
だが実際は、小沢氏は再三再四、「自分の方からお伺いします」と懇請していたのである。だが、渡辺氏以外の二候補は、とりわけこの要請を固辞し、この出来事を小沢氏追い落としの政治手段に活用しようとした。またマスコミも、この策動に、まんまと乗せられたのである。
だがこの時も、小沢氏は一切、言い訳をしていない。実際、国民から誤解されるままに身を任せたのである。ここにも、彼の「愚直さ」が表われていると言えよう。
次に、1993年に、小沢氏が宮沢内閣に対する不信任案に賛成票を投じたのも、「政治改革をやる」と確言した宮沢総理の虚言に対する正当な批判精神にもとづいたものだった。彼にとっては、「Promise is promise.(約束は、約束)」なのである。とくに政治の世界で、総理大臣が国民の前で誓ったことは、あくまで遵守されなければならない。小沢氏にとっては、総理の虚言や嘘はまさに万死に値することなのだ。それほどに彼は、常に“真剣に生きる男”である。
その思いは、かつての宮沢氏に対しても、昨年までの小泉氏に対しても同じである。それゆえ、当時の自民党では選挙制度改革はおろか、真の政治改革などできないと観念して、彼は同志とともに自民党を離党したのである。決して金丸氏失脚後の、竹下派(経世会)会長の座をめぐって小渕氏に敗れたためなどではなかった。だが、野中氏をはじめ多くの政敵は、自分の器量や物差しでしか人を測れないものだから、単なる「負け犬」として、小沢氏を貶めたのである。
この実直な小沢氏に対して、政治(あるいは、政略)のために虚言を弄しても、屁とも思わない政治指導者が、かつての岸信介氏である。その孫の安倍氏にも、この“酷薄で無責任なDNA”が脈々と受け継がれていよう。周知のごとく、人間の気質は、先祖から継承され、親の因果が子に報いるものである。
だが小沢氏は、あくまで彼らに対峙する政治姿勢をとっている。もし、自分が約束したことを実行できなければ、“即刻、職を辞して、岩手に帰ってお百姓をしよう”と考えているのが、小沢氏である。彼ほどの潔さと「愚直さ」を備えた政治家は、現代日本において、極めて少ないと思う。
この小沢氏の「愚直さ」の背景や理由には、次の三つのことが考えられると思う。
第一に、彼があくまで「道義心」を大切にしているからである。当然、この思いが、彼による「志」の強調へとつながる。“志を持ち、それを大事にすること”こそが、彼が、現代の日本人に求めて止まないことである。
第二には、彼独自の“危機意識”がある。彼は、他のどの政治家よりも、“日本はこのままじゃいけない”と感じている。この思いを突き詰めれば、”日本はこのままでは滅んでしまう”という思い(=絶対的危機感)に到達する。それも、この二、三年の思いではなく、かなり若い時期から、この“危機感”は存在した。それがますます強まったのが、彼が政権の中枢で活躍し、アメリカや中国その他の国々の首脳と深く関わってからだと思える。1980年代後半から 1990年代前半においてである。
とりわけ彼は、現在、飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進している中国の国内状況に対して、決して楽観的ではない。同国が、政治・経済的に大混乱に陥った場合の日本のあるべき対応にまで、彼は思いを巡らしている。その点、アメリカのお先棒を担いで、単に対中国敵視政策をとろうとしている安倍政権とは、その政策的、かつ思想的深みがまったく違う。換言すれば、もはや今の自民党では、“この世界的な危機的状況に対処できない”、と小沢氏は確信しているのだ。
そして第三には、この彼の強い確信が「信念」へと成長し、彼独自の“使命感”へと発展したと考えられる。この使命感が、選挙制度改革や一連の政治改革へと具現化され、今日の「政権交代」構想へとつながっているのである。
この実現を求める過程で小沢氏が見せる彼独特の「愚直さ」は、決して、かつて小泉氏が見せたような会心の演技でもなければ、ましてやはったりなどではない。まさに彼の地(じ)であり、彼の真骨頂なのだ。だが人が何と思おうと、また何と論じようとも、自分に正直に、かつ自分の良心を裏切らない小沢氏の“本物の生き方”こそは、われわれの一つの“模範”ではあるまいか。
「愚直さも、一つの美徳なり」というのは、まさにその意味においてなのである。
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第16回(2007.1.12)
良き指導者は、良き人材を集める
今月7日、8日に、日本各地で成人式が催された。残念なことに、今年も一部の新成人が暴徒化し、出席者や主催者の顰蹙を買う出来事があった。だが、そんな中でも、実にさわやかな成人式もあった。
とりわけ印象的だったのが、7日、北海道夕張市で行われた、新成人たちによる“手作りの成人式”だ。91名の新成人が出席したが、市からの例年の補助金 60万円は全額カットされ、残ったのは繰越金の1万円だけだった。だが新成人たちは、自分たちの努力と協力で会を企画し、立派な成人式を取り仕切った。交流会もたいへん盛り上がり、明るく快活な笑顔が目立った。新成人たちにとって、生涯のいい思い出になったことだろう。
全国から、たくさんの励ましのメッセージや236万円もの寄付金が集まった。今回は20万円のみを使用し、残りは次の新成人たちのために繰り越すと言う。そのテレビ・ニュースを観ていた妻が言った。「日本も、捨てたもんじゃないね」と。私も、「まったく!」と相槌を打った。
さて、8日の「報道ステーション」(テレビ朝日)で、民主党小沢代表は、次のように語った。「(今夏の参議院選挙で)民主党が勝利の端緒をつかめなければ、日本の議会制民主主義は、永久に根づかないだろう」と。まったく、そのとおりだと思う。この言葉に、小沢代表の強い切迫感と固い決意が感じられる。われわれも重く受け止めるべきだろう。
さらに10日には、松岡農水相の不正な事務所費の「問題」が、テレビのニュースや新聞紙上で取り上げられた。松岡氏は、「なんら不正なことはない」と強弁したが、国民は釈然としていない。むしろ私は、佐田玄一郎・前行政改革担当相の場合と類似した不明朗さや不正直さを感じる。もし松岡氏の不正が発覚し、彼が責任をとって農水相を辞任するような事態にでもなれば、安倍総理の「任命責任」も問われよう。民主党・鳩山幹事長は同日、その点を明確に衝いたのである。
松岡氏の他に、伊吹文明文科大臣にも、同様の多額で不明朗な「事務費問題」があるという。これらの問題は、かなり根が深いと思われる。だが、膿(うみ)を出し切ってこそ、“健康な身体(=政党)”に戻れると思うのだ。
ところで、人の人生には、さまざまな“幸せ感”がある。たとえば、愛する人に出会えること、人から信頼されること、生き甲斐を持てること、希望や夢が実現することなど、さまざまな“幸福感”があろう。なかでも、心から信頼できる友や同志に恵まれることも、 “幸せ”の一つである。
その意味では、小沢氏は、幸せな人の一人だと思う。なぜなら、今、彼は真の友や同志に恵まれているからだ。かつては、名誉や出世、それに権力を求めて彼に群がる政治家たちが多かった。だが、今は違う。現在の民主党には、多少の考え方の違いこそあれ、ともに同志として、人々が集まっているといった感じだ。かつての“偽物の同志たち”が振り落とされ、今は“本物の同志たち”が残っていると思うのだ。
なかでも、小沢氏(64)と菅直人氏(60)との協力関係は、たいへん興味深い。一方がかつて与党・自民党のエースなら、他方は草の根の市民政治家としてのし上ってきた代表的な“時代の申し子”である。まさに政治において、「水と油」の観があった。だが現在、この二人が心から協力し合っているのだ。それだけに私は、人の「出会い(邂逅)」の 大切さや精妙さを感じる。
確かに、“この世には偶然はない”と言われる。私は、小沢、菅両氏は、単なる利益や利害で結びついたとは思えない。この両者の協力関係は、まさに“必然だった”と思うのだ。しかし、民主党が結成された当初(1995年)、一体誰が予想したであろう、鳩山・菅民主党が、小沢一郎氏と手を結ぶことになろうなどとは――
あるいは小沢氏自身も、それほど深く意識していなかったかもしれない。なぜなら、誰が考えても、両者は、まったく異質な“存在”に思えたからだ。しかし、“見えざる力”の妙手は、世人の予想をはるかに超えた人間の絆を構築した。その極みが、昨春の「小沢・民主党の誕生」だったと思うのだ。
私は先日、この両政治家の関係について、母に訊ねた。「お母さんは、小沢さんと菅さんの関係について、どう思う?」と。すると、母が答えた。
「長い人生、生きていれば、いろいろと驚くことがあるね。小沢さんと菅さんの今の関係だって、昔は、予想だにしなかったよ。私は“小沢党員”だったから、菅さんのことはよく理解していなかった。正直言って、批判的に見ていたよ。でも、今は違うね。菅さんは小沢さんのことをとてもよく理解している人の一人だと思う。そのことに私は、心から感謝しているよ。こういった人間関係があるので、政治って面白かね―(と、熊本弁)。
やはり、小沢さんの人間性の豊かさや指導力が、菅さんはじめ多くの民主党員を動かすのだろうね。また、こういった方々の協力がないと、小沢さんが描くビジョンも、絵に描いた餅になってしまうね。だから、そうならないためにも、老・壮・青の民主党員が一致団結してほしいと思うよ。小沢さんのためだけでなく、私たち日本国民のためにね」と。
母の言う「老・壮・青」という言葉がなつかしい。中国共産党を彷彿とさせる言葉であるが、私は思わず、母の言葉に納得した。確かに、この三世代間の協力や連携がとれた組織の力は大きい。その要とも言える民主党の「壮」の代表格として、前述した菅氏がいる。菅氏は、「人生は一度だけ」という高杉晋作の言葉を座右の銘にしている。だがこれは、小沢氏もまったく同感であろう。
しかし、菅氏以上に小沢氏の実質を評価し、彼を民主党と結びつけるのに功績があったのは鳩山由紀夫氏(59)だ。彼は、きわめてバランス感覚のある政治家だと思う。民主党にとって、実に力強い存在だ。彼の「地域主権」の考え方も、傾聴に値する。鳩山氏は、次のような興味深い言葉を述べている。
「明治以前の江戸時代には、武士道と循環型経済があって、地域がいきいきと個性を発揮していた政治文化があった。我々が守るべきなのは、そんな江戸時代的な伝統ではないか、と考え始めている」と(2006年12月28日付『朝日新聞』)。
無論、鳩山氏も、江戸時代がすべてよかったと考えているわけではないと思う。だが安倍政権が地方を犠牲にするかたちで、再度、“中央集権化”を推進しようとしているのに対して、鳩山氏をはじめ民主党の「地域(=地方)主権論」は、あくまで地方の立場やその自立を重視する考えだ。その意味で、非常に先見的、かつ現実的な考え方だと思う。
小沢―菅―鳩山の協力関係は、「トロイカ体制」とでも言えよう。だが私は、むしろ「黄金のトライアングル」とでも言えるような、堅固な協調関係だと思う。安倍氏の周囲には、これほどの理想的な協力関係はないように思える。
また、民主党結党時の功労者の一人に海江田万里氏(57)がいる。彼は巷間言われるような“過去の人”では決してなく、これからひと花もふた花も咲かせてもらいたい人だ。金融、経済評論家として定評が高く、高度で複雑な「金融・経済問題」を、われわれ国民に解かり易く解説してくれる。その才能は、ひじょうに得難いと思う。とても温厚で、中庸を重んじる人柄は、民主党にあって貴重だと思うのだ。
この「壮」の同志を支援しているのが、小沢氏と最も関わりの深い「老」の同志たちである。現在は第一線を退いているが、今まで小沢氏を支え続けた政治家に藤井裕久氏(74)がいる。彼は、1976(昭和51)年、大蔵省主計官を最後に退官した政治家だ。参議院議員から衆議院議員に転進後、1993年、小沢氏が自民党を離党した際も、彼と行動を共にし、最後まで小沢氏の同志としての立場を貫いた。細川および羽田内閣では大蔵大臣に就任し、短期間とはいえ、非自民連合政権と国民のために活躍した。自由党が民主党と合流した後は、岡田克也代表(53)の下で幹事長、代表代行を務めた。まさに財政・経済政策に明るい、小沢氏の名参謀だ。
また藤井氏と同年の政治家に渡部恒三氏がいる。かつての自民党において、渡部氏は、小沢氏が幹事長その他で活躍していた時代だけでなく同党離党後も、小沢氏に理解を示し、彼に協力してきた。新進党時代、公明党が離反した時も彼は小沢氏をかばった。
藤井氏が東京出身のエリート官僚だったのに対して、渡部氏は会津出身の叩き上げ(県議出身)の政治家である。独特の会津なまりが、周囲からの親しみを呼ぶ。会津・白虎隊の悲劇やその純粋な精神が、渡部氏の深層心理にはあろう。無論それが、彼の怨念になっているなどということではない。だが、彼の先祖から学んだ不屈の勇気と、「ならぬものは、ならぬ」という“誠”を尊ぶ精神が、彼の血肉となっていよう。それが今まで小沢氏を守り、陰に陽に彼を力づけてきたと思うのだ。
その渡部氏が現在、小沢代表と一線を画しておられると聞く。だが両者間の理解と協力は、民主党の存続・発展にとって、きわめて重要だと思う。安直に、田原総一朗氏のような独善的な扇動者の口車に乗るべきではないと思うのだ。彼の挑発的な口車に乗せられて墓穴を掘った政治家が、今まで、一体どれほどいることか。とりわけ、今後、自民・公明党政権に対抗するためには、民主党は党内的にも、党外的にも、“団結”こそ肝要である。
この野党勢力の「大同団結」なくして、民主党の勝利はあり得ない。とりわけ、民主党員間の分裂は、自民党や公明党を単に利するだけである。それはまた、心ある日本国民のためにもならないと思う。
「(幕末期の)会津を思うと、日本も捨てたものじゃない」と言った司馬遼太郎氏の言葉もあるが、今は何よりも、小沢代表を“信じ抜く”ことが肝要だと考える。なぜなら、小沢氏は、「民主党」という大樹の幹であり、根幹でもあるからだ。
参議院選挙を半年後に控えたきわめて大事な今、民主党員は、枝葉末節的な差異に囚われてはいけないと思うのだ。
さらに、現在は国会議員の立場から離れているが、小沢氏を最もよく理解していると思えるのが平野貞夫氏(71)である。平野氏は、自民党や公明党の表も裏も知り尽くしている「政治通」である。彼の視点はきわめて公平、かつ厳密だと思う。何より、高知県(土佐)の出身である平野氏は、坂本竜馬の精神を継承する、真の愛国者だと思える。われわれは、彼から多くのことを学べると思うのだ。私は、小沢氏に関する平野氏の言は、非常に価値の高いものだと確信している。
この「老」と「壮」を結びつける重要な役割を果たしているのが、深い思想と高い見識を持った人物温厚な山岡賢次氏(63)である。彼は、養父・山岡荘八氏の影響もあってか、小沢氏を現代の「徳川家康」になぞらえている。
実は、私も同感だ。「人の一生は、重荷を負(おひ)て、遠き道をゆくが如し。いそぐべからず」という家康の遺訓は、そっくり小沢氏の生き方と符号する。
では、「青」と言える政治家は誰かと言えば、私は、先ず原口一博氏(47)を挙げたい。年齢的に「青」と言うべきは、20〜30歳の人々を言うのかもしれない。だが管見にして、私は、この世代の民主党政治家を知らない。それゆえ、まず、現在40歳代の政治家に注目したい。
原口氏は、小沢氏の良さを最大限に吸収していると思う。原口氏の知性と決断力、それに包容力に、私は、若き日の小沢氏に近似したものを感じる。原口氏は今後ますます、活躍の場を広げることだろう。
次に、達増拓也氏(42)の存在も重要だ。小沢氏はご自分の子息を自ら「後継ぎ」にするような俗物政治家ではない。むしろ彼は、今日まで、彼の政治的な理念を受け継ぐ“後継者”を育て上げてきた。その代表的な一人が達増拓也氏である。彼は、今年4月の岩手県知事選挙に立候補する。「小沢イズム」を体現する政治家として、達増氏は、その具体化を、岩手県で推進することになろう。
さらに私は、松野頼久氏(46)にも注目したい。昨年5月、鬼籍に入った松野頼三氏の子息である頼久氏は、本来なら「自民党政治家」として活躍する方が、自然だっただろう。とくに、非常に保守的で自民党勢力が圧倒的に強い熊本県では、この選択をし、この道を歩む方が、彼の周囲も納得し、かつ賞賛したと思われる。
だが松野頼久氏は、この広い道を選ばず、あえて「狭い道」を選んだ。具体的には、細川護熙氏の秘書を経て、結果的に細川氏の後継となった。だが当時、この選択と実行には、相当な勇気と決断力が要求されたであろう。私は、自民党ではなくあえて“火中の栗を拾う”がごとく民主党を選択した松野氏の決断と行動を賞賛したい。彼の知性と実行力は今後、民主党の大きな力となり、支えとなろう。彼のような勇気ある若き政治家たちに、私は、今後の日本の命運が託されているように思う。
私事だが、私の父方の祖父は生前、彼の祖父松野鶴平氏を支援し、私の父や伯父たちは、彼の父頼三氏を応援した。だが私は、そのような縁で以上のようなことを言うのではない。私は、個人としての松野頼久氏に、政治家としての“将来性”を非常に強く感じるのだ。
小沢一郎氏は、このような「老・壮・青」の民主党政治家たちによって支えられ、かつ力づけられている。無論、今、名前を挙げた方々の他にも、民主党内には数多くの俊才や傑物がいる。たとえれば、それはまるで、小沢代表という北極星の周りに集うキラ星のごとくである。「類は友を呼ぶ」のだ。
「良き指導者は、良き人材を集める」――小沢氏は、それほどに“磁力の強い”政治家だと思う。私は、小沢代表のことを考察すればするほど、この感を強くする。
だがこれは、一政党(=民主党)のために大事なだけではなく、日本国と日本国民の将来にとって、きわめて重要なことだと思うのである。
(つづく)