★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK77 > 686.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: 渡邉良明・母と語る小沢一郎論 森田実HPより 信頼できる“真の政治家” 真に勇気ある政治指導者 西郷隆盛の「魂」を持ち 投稿者 てんさい(い) 日時 2010 年 1 月 16 日 18:10:37)
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/WA7.HTML
第7回(2006.11.10)
糸数さん、頑張れ! 民主党、頑張れ!
――沖縄は、日本の“命”、そして世界の「宝」
大方の予想どおりとはいえ、アメリカの中間選挙は、民主党の勝利に終わった。今後、ブッシュ政権は、ますますレイムダック(死に体)化していこう。ラムズフェルド国防長官の更迭は、遅きに失したとはいえ、その端緒と言える。
周知のごとく、このアメリカの政治変動は、関係各国の今後の政治情勢に多大の影響を与えるだろう。日本も、決して例外ではない。われわれが意識しないところで、世界の「歴史」が大きく変わろうとしているのだ。
このたびのアメリカでの中間選挙の結果を耳目におさめながら、私は目下、日本国内でのある「選挙」のことが、非常に気になっている。実はそれは、「沖縄県知事選挙」である。
今月2日、『沖縄県知事選挙』が告示された。テレビのニュースで、候補者の一人、糸数慶子さん(59)を観た私の妻が、思わず叫んだ。「わぁ、笑顔がキレイ!」と。それは、日頃の妻にはめずらしい感嘆の声だった。
確かに、糸数さんの笑顔は明るく、実に健康的だ。これからの沖縄には、この“健康的な明るさ”が是非とも必要だ。
ある日、私は、母に訊ねた。「お母さんは、沖縄について、どう思う?」と。すると、母は、次のように答えた。
「沖縄の方々は、ほんとうにご苦労なさっていると思うよ。大東亜戦争の時だって、日本軍は、沖縄の人々を犠牲にしたわけでしょう。無論、戦時中、私たちだってアメリカ軍の空襲を受けたけれど、当時の沖縄県民の4割の人々が亡くなるなんて、想像を絶するね。戦後だって、『核の傘』なんて言うけれど、本土の私たちは、沖縄の方々が耐えてくださっているおかげで、戦争とは無縁の世界で、のうのうと生きてこられたわけでしょう。本当に申し訳ないことだね。先日、テレビで観たけれど、あの基地騒音、あれはヒドイね。あんな爆音のなかで生活するなら、私なんか、きっとノイローゼになるよ」と。
たしかに、日本全土の0.6%に過ぎない沖縄に、日本にあるアメリカ軍基地の75%が集中しているという現実――まさに本土のわれわれは、今も沖縄を「盾」にして、日々の生活を送っている。
「神」とは、時に“残酷な存在”だと思う。なぜなら、世界で最も貧しいアフリカの人びとに、「貧困」と恒常的な“戦争状態”という過酷な試練を与え続けているからである。それと同様に、先の大戦で筆舌に尽くし難い苦難を味わった沖縄の人びとに、今も耐え難い苦痛を与え続けているからだ。遠藤周作ではないが、「神は“沈黙”しておられるのか?」と問いたくもなる。
しかし、いかに強大なアメリカとはいえ、決して「神」ではない。いつかは消滅する、単なる被造物の一つに過ぎない。
神が「正義」そのものだとするなら、われわれは、自ら「正義」だと信じることを訴え続けるしかない。
では、沖縄の人々にとって「正義」とは、一体、何だろうか? それは、アメリカの軍事基地が、沖縄本土からすべてなくなることではあるまいか。たとえ、先の大戦で日本がアメリカに敗北し、日米軍事同盟という盟約があろうとも、そのようなものはあくまで便宜的かつ一時的なもので、決して永久に存続すべきものではない。
他方、沖縄は可能なかぎり(つまり天変地異で消滅しないかぎり)、真に平和な形で地上に存在すべきものである。そこでは、アメリカ軍基地など無用である。いや、その存在そのものが「悪」である。万が一、中国がアメリカにとって代わろうとしても同じである。
言うまでもなく、沖縄は、沖縄人固有の土地である。人は、「良心」が備わっているかぎり(つまり人間であるかぎり)、自ら「悪」と思うものは、どれほど時間がかかろうと、それを除去しなければならない。
たとえば、マハートマー・ガンディー(1869〜1948)は、大英帝国がインドを植民地支配することを「悪」(あるいは不正義)だと“実感”したがゆえに、彼は全生涯を、祖国独立のために捧げた。その間、彼は同胞だけでなく、敵対者(大英帝国)をも心から信じた。しかし、幾度となくガンディーは裏切られた。それでも彼は、敵対者を信じた。彼の言葉が残っている。
「サティヤーグラヒ(非暴力の抵抗者…つまり彼自身)は、恐怖からの決別を告げる。したがって彼は、敵対者を信頼することを恐れない。たとえ敵対者が 20回裏切ったとしても、21回信頼する覚悟ができている。人間性に対する絶対の信頼は、まさに彼の主義の本質である」と。
この思いを一貫して抱きながら、ガンディーは忍耐強くイギリスと交渉した。そのため、イギリスに対する彼の譲歩が同胞への裏切り行為だと誤解され、彼は同胞に殺されかけたことが度々あった。このように、「人間性」(とくに、人間の善性)を絶対的に信じたガンディーではあったが、それでも最後には、イギリスに対して、“クイット・インディア!(インドから出て行け!)”と叫んだのである。それゆえ、沖縄の人々も、いつの日かアメリカ軍基地が「消滅する」ことを心底信じて、今後、自らの正義の思いを保ち続けて行かれると思う。
周知のごとく、沖縄人は、世界に通用する“パワー”を持っている。それは決して、芸能・芸術やスポーツの分野だけではない。実は、政治・経済・外交・貿易の分野でも言える。
沖縄の美しさ、沖縄人の優しさ、それに沖縄の力こそは、まさに日本の“命”とさえ言えるのではあるまいか。なぜなら、沖縄は、日本人の力や生命力の“源泉”だと思えるからだ。
たとえば、本土の人々が過度の「競争」に身も心もすり減らし、価値観や道徳観さえ喪失して、ひたすら心の安らぎを求める時、沖縄の美しい海と明るい陽光、それに沖縄人の温かい人情が、人々の疲れた心を癒し、励ましてくれる。また、アメリカ軍基地の厳存という逆境の中で雄々しく生き抜く沖縄の人々の生き様が、われわれに生きる「力」さえ与えよう。
われわれは、沖縄の人々を犠牲にしているのに、かえって彼らの存在が、われわれの生きる“源泉”とさえなっている。その意味で、沖縄は、まさに日本の“命”だと思うのだ。
この事実を、われわれは、決して軽んじるべきではない。そして沖縄は、世界の「宝」でもあるのだ。それは、目に見える形でも見えない形でもそうだと思える。
換言すれば、精神的な意味でも物質的な意味でも、沖縄は世界の「宝」だと思う。その意味で私は、真に「美しい国」、それは、日本ではなく、むしろ沖縄だと思うのだ。
その沖縄を誰にも負けず愛し、かつ大切にしている人、それが、今回の県知事候補・糸数慶子さんである。彼女は真に優しく、美しく、かつ強い“沖縄そのもの”だ。そして、真に“カリスマ性”を持った政治家だ。
彼女はまた、女性や子どもたち、それに「社会的弱者」を心底愛し、大切にできる人だと思う。糸数さん自身、「沖縄の子どもたちこそ、沖縄の宝だ」と明言する。これこそ、まさに子や子孫の幸せを念じる“母の思い”だ。それにこれは、今の日本人が失いかけている心情でもある。私は彼女こそ、今後の沖縄や日本にとって欠くことのできない政治指導者だと思う。
糸数さんは、「やさしさとやすらぎのある沖縄県づくり」と「平和と共生、自治と自立の沖縄をつくる」ことを目指して、このたび立候補した。彼女によれば、「平和と共生」は沖縄県民の心を表現し、「自治と自立」は沖縄県民の願いを表現している。
この「平和と共生」「自治と自立」は、単に沖縄県だけでなく、日本全国の各都道府県でも立派に通用する政治理念だと思う。その意味で、彼女の考えはきわめて普遍的で、説得力に富む。
とりわけ糸数さんは、「親たちが必死になって引き継いでいる平和、それは『うまんちゅ(「万人」、あるいは「すべての人々」という意味)の願い』です」と語る。これは、沖縄県民の過去の悲惨な体験にもとづく、正直な“魂の叫び”とも言えよう。同時にこの思いは、小沢民主党による平和政策の最も内奥にある「共通認識」だと思う。
ところで、実際に糸数さんが提起する14項目の「基本政策」も、それぞれ具体的で、非常に明快だ。なかでも、彼女は、普天間基地の即時閉鎖・返還を求めている。これは、今までの彼女の平和観、沖縄観の当然の帰結であり、かつほとんどの沖縄県民の切なる思いを代弁しているとも言えよう。有り体に言えば、彼女は、“われわれ沖縄県民は、アメリカ軍基地の駐留に、もうこれ以上我慢できない!”と訴えているのだと思う。
私は、この彼女たちの訴えは、先述したガンディーの「クイット・インディア!(インドから出て行け!)」に通じる思いだと感じる。
だが糸数候補は、朝日新聞「社説」(11月4日付)で書かれたような、「普天間問題」だけを焦点にしているわけではない。むしろ、彼女が掲げる基本政策の多面性と、それぞれの政策の明確さは、読む者の心を打つ。
何より大事な点は、彼女が今回の知事選を、単に4年に1度の選挙というよりも、むしろ「沖縄50年、100年後を見据える選挙」として、将来の子どもたちに“よりよい沖縄を残す”ための、きわめて重要な選挙であると位置づけていることだ。
糸数さん自身、こう述べている。「沖縄が沖縄らしくあるために、中央(=日本政府)にしっかりとものが言える県知事として、みんなと一緒に頑張っていきたい」と。
私は、民主党の小沢代表も、その実現を、誰よりも強く念願しておられると思う。この両者の強力なタッグは、今後の日本の政治状況にはかり知れない影響力をもたらすだろう。
小沢代表と糸数さんはじめ真に沖縄を愛し、日本国を愛する人々がともに手を携えて活動すれば、日本の政治は、明らかに変わると思う。「日本が変わる」ということを心から信じ、それに向かって邁進することこそ、今のわれわれに最も求められていることではないだろうか。
沖縄の人々よ、糸数さんの掲げる旗の下に集まろう。そして、沖縄をよい方向に変えていってほしい。
糸数さん、頑張れ! 民主党、頑張れ!
私は、日本の「夜明け」は、まさに沖縄から始まると確信している。そして、その“夜明けを告げる人”こそ、糸数慶子さんだと思うのである。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/WA8.HTML
第8回(2006.11.17)
沖縄の「命こそ宝」の精神を学ぼう!
自民・公明党政権による「教育基本法改正案」が11月15日、衆議院特別委員会で、与党だけによって単独採決された。安倍政権の焦りと拙速さが窺える。
そんな中、今月19日(日)の「沖縄県知事選挙」が、目前に迫っている。
与党、自民・公明党は、仲井真弘多氏(67)を推し、民主党、および共産党や新興政党「そうぞう(=創造)」までも含めた野党連合は、糸数慶子氏(59)を支援している。
仲井真氏は東大卒後、旧通産官僚から沖縄県副知事、沖縄電力会長を経て、目下地元経済団体の役員を勤めている。他方、糸数氏は、読谷(よみたん)高校を卒業後、バスガイドになり、従来の観光コースとは異なる沖縄戦の戦跡など(後年、「平和学習コース」と呼ばれた)を人々に案内した。20年間、平和の尊さを説く「平和バスガイド」として、沖縄の平和運動に尽力した彼女は退職後、自らの体験を生かし、かつ人々からの支援を受け沖縄県議となった。その後、参議院議員となり今日に至っている。彼女は、4年間の参院議員生活を残しつつも、今回まさに“やむにやまれぬ思い”で、この度の県知事選に立候補した。そこに、彼女の並々ならぬ決意が窺える。
今回の県知事選について、私は二人の経歴を説明しながら、母に正直な感想を求めた。「お母さんだったら、仲井真さんと糸数さんのどちらを応援する?」と。
すると母は、次のように答えた。「私は、糸数さんだね。仲井真さんは、いわゆる天下りの官僚政治家でしょう。日本政府と沖縄県との強いパイプ役を強調なさるのだろうけれど、結局、政府の“言いなり”だと思うよ。それに、他の官僚政治家同様、沖縄の人々の実際の“苦しみ”は理解できていないと思うね。その点、三人のお子さんたちのお母さんでもある糸数さんは一人の母親として、女性として、そして沖縄を心から愛する県民の一人として、仲井真さんよりも、はるかに県民のためになる人だと思うよ。小沢先生も、糸数さんには人一倍、期待しておられるんじゃなーい?」と。母の言葉を聴きながら、私はかつて5回ほど訪れた沖縄のことを、たいへん懐かしく思い出していた。
沖縄の海は美しい。しかし私は、沖縄の人々の心は、その海にも負けず美しいと思う。私は、沖縄県民は、日本全国民の中で、最も心優しい人々ではないかと思うのだ。これは、私の人生体験から得た、至って正直な感想である。
たとえ初対面ではあっても、必ず「〔男性に対して〕お兄(にい)さん」と呼びかけるウチナンチュー(沖縄人)ほど善良な人々は、世界でもめずらしいと思う。彼らの大らかな「精神性」は、歴史的には縄文人に通じ、地理的には太平洋のネイティブ・ハワイアンに通じると思う。
かつてハワイで、ネイティブ(原住民の子孫)の方と語り合った時、初老の彼女は、私にこう語ってくれた。「あの山も、美しい海も、そしてこの大地も、私たちの“もの”(=所有物)という発想は、私たちにはありません。むしろ、私たち人間が、山や海や大地といった大自然の“一部分”なのです」と。
たぶん、古代の琉球人にも、“万物を所有する”という発想はなかったのではあるまいか。むしろ、彼らの思いは、「人間と自然は一つ」、あるいは人間は、自然万物と“共生すべきだ”というものだったのではないだろうか。私には、この自然に対する畏敬心や人間的な謙虚さが、沖縄人の無類の“優しさ”の原点にあるように思う。
ところで今日、日本社会は、大きな混迷の中にある。特に、児童・生徒の“いじめ”を苦にしての自殺、あるいは生徒による「自殺予告」、例年3万人を超える自殺者数、生命保険加入を強制(結局、自殺を強要)した形での不当な貸金業の横行、飲酒運転による交通死亡事故の多発、余りにも理不尽な、高齢者や子どもたちに対する殺害や快楽殺人の実態など、“人命”が極度に軽視、というより無視されている。
「現代日本人は病んでいる」と言われても、決して抗弁できない現状だ。また、「日本人ほど、人命を軽んじる国民や民族は、世界でもめずらしい」と言われても、われわれは、まともに反論できないのではないだろうか。
これに対して、沖縄には、「命こそ宝(当地の言葉で、ヌチドゥタカラ)という精神がある。この精神を最もよく体現した沖縄人が、伊江島で反戦地主運動を雄々しく展開した阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう、1903〜2002)さんではないかと思う。
阿波根さんは、愛するひとり息子を沖縄戦で亡くした。1945(昭和20)年、4月21日、日米両軍の激戦後、彼がガマ(洞窟)を出たあとに見た光景は、まさに地獄だった。彼は言う。
「子ども、老人、女の人たち、もう無差別に殺されていた。死体が腐れかかって、島(伊江島)全体に散乱していたのです。一体この子どもたちに、この老人たちに何の罪があったというのか、どんな悪魔であっても戦争ほどひどいことはできない、どんな地獄であっても戦場には及ばない、そう思わずにはいられなかったのであります」と。この後半の言葉はまことに重い。まさに、「戦争=絶対悪」という思いである。
それに、小禄村(おろくそん、現在の那覇市小禄)の上原昭男氏も述べるように、「武器に亡びる国あれど、武器に栄える国はなし」なのである。これは、今日の核兵器についても言える。
そして、阿波根氏が、「沖縄返還」(*1972年5月、本土復帰)協議が行われているさなか悟ったことは、日米安保条約は、日米「危険条約」であるということだった。要するに同条約は、日本(沖縄を含めて)の安全を守る条約ではなく、むしろ世界各地で“日米がともに戦争をするための条約”だったのである。
また、本土復帰したとはいえ、阿波根さんが実感したことは、「基地がある限り生活が脅かされる」ということだった。たとえば、現地の警察は、県民のために働くのではなく、むしろアメリカ軍と一体となり、罪を犯した米兵を逮捕することもなかった。またアメリカ軍は、県民に対して証拠隠滅をはかり、デッチ上げ行為を平然と行なった。加えて、日本政府も、裁判権行使を放棄していた。まさに、治外法権といった現状だった。
そんな状況のなかで、阿波根氏は、戦争の原因を勉強する平和運動の一環として、「資料館づくり」を思い立った。多くの人々が戦争の証拠品を提供してくれた。原爆の模擬爆弾、1トン爆弾、ミサイル、パラシュート、米軍が張った有刺鉄線、それにガンガラ三味線などである。展示されたガンガラ三味線には、「戦場の苦しみを慰め、生きる力をつけてくれた」との説明書きがなされていた。
資料館の入口には、「ウチドゥタカラ(命こそ宝)の家」という看板を掲げ、壁には、阿波根氏が大事だと思う言葉が書かれていた。それは、「すべて剣をとる者は剣に亡ぶ(聖書)。基地を持つ国は基地で亡び、核を持つ国は核で亡ぶ」という言葉だった。詳しくは、阿波根氏の著『命こそ宝(沖縄反戦の心)』(岩波新書)の御一読をお薦めしたい。
ところで、私事で恐縮だが、7年前、私の父が鬼籍に入った。死後三日ほど経って、私は父の夢を見た。正直言って、父が夢枕に立ってくれたと言うべきかもしれない。
枕元で父は私に告げた。「時の移ろいは、矢よりも早し。いのちに勝る何物もなし。心して生きよ、己(おのれ)が人生を!」というものだった。文語表現が「お父さんらしい」と母は言う。父は枕辺で、私に“命の大切さ”を教えてくれたと思う。
身近に肉親や知人の死を体験した人ほど、“命の尊さ”を理解できるものだ。阿波根さんも、そんな仁者の一人だったと思う。「軍事力を強化する国は、国民を苦しめる悪い国であります。それに武器に頼って生きる人間より不幸な人間はありません」という彼の言葉を、われわれは、強く噛み締めるべきだと思う。彼の「命こそ宝(ヌチドゥタカラ)」という信念こそ、現在のわれわれが学ぶべき”沖縄の精神”ではないだろうか。
私は、阿波根さんのこの「ヌチドゥタカラ」の精神を受け継ぐ政治家こそ、糸数慶子さんだと思う。また、この精神に心からの共感を抱く政治指導者こそ、小沢一郎氏はじめ民主党内の政治家諸氏ではないかと思うのだ。
ところで、一昨年の夏、宜野湾(ぎのわん)市の沖縄国際大学の構内に、アメリカ軍の大型ヘリコプターが墜落する事件が起こった。ご記憶の方も多いと思う。これについて、小沢氏は、『剛腕維新』(角川書店)の中で、次のように述べている。
同大は在沖縄海兵隊の普天間飛行場に隣接し、周辺は住宅が密集する地域だが、奇跡的に学生や民間人に怪我人はいなかった。事故原因を調べるためにも、沖縄県警や国土交通省などの捜査・調査が必要だが、米軍は事故直後から立ち入り禁止ラインを設定して、日本の官憲には一切触れさせず、単独でヘリの残骸を搬出したという。沖縄県警が現場検証できたのは事故から6日後。すでに機体の回収は終わっており、痕跡を調べるだけだったという。
米軍は、日米合意議事録の「米軍の財産に関する捜査には米軍の同意が必要」という規定を根拠にしているらしいが、墜落現場は日本の私有地であるうえ、一つ間違えば多数の死傷者が出てもおかしくない事故だけに、少なくとも日本側と米軍が共同で捜査・調査すべきだろう。それなのに、日本政府は米国に対し、「今回のヘリ事故は大変遺憾だ。県民の不安を真剣に受け止めて対処してほしい」(川口順子外相、当時)などと、ありきたりの善処を求めただけ。小泉首相に至っては、事故を受けて沖縄県の稲嶺恵一知事が面会を求めたのに、「夏休み中なので会えない」と、当初これを拒否したという。アテネ五輪を深夜まで観戦して、金メダリストをたたえる国際電話をかける時間はあるのに、国民の生命と財産が危険にさらされたことへの対応は先送りしたのである。
以上の記述からも想像できるように、もし小沢氏が首相の立場であれば、小泉氏のような首相失格を思わせる態度・行動をとらず、むしろ自ら現地に赴いたことだろう。そして、アメリカ大統領並びに沖縄米軍基地を統括する最高司令官に厳重抗議し、共同捜査を申し入れたと思う。それだけの行動力と見識を、小沢氏は十分持ち合わせていると思うのだ。なぜなら彼自身、「命こそ宝」や「日本の独立」、それにわが国の「国家としての品格」を、誰よりも大事にする政治指導者であるからだ。
それゆえに、今一度、改めて言いたい。糸数さん、頑張れ! 民主党、頑張れ!
現代日本の病弊を直し、日本を救う精神は、まさに「命こそ宝(ヌチドゥタカラ)」の“沖縄魂”である。糸数さんは、この“魂”を、十分に継承していると思う。
私は、この沖縄魂こそ、混迷日本を照らす“一条の光”だと思うのだ。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/WA9.HTML
第9回(2006.11.24)
「愛すべき日本」は、いずこへ?――「愛国心」の問題をめぐって
今月20日(月)、「沖縄県知事選挙」の結果が判明した。すでに、多くの方々が論じておられるが、私にとっても、まったく予想外の、非常にに残念な選挙結果だった。糸数ご夫妻、ならびに糸数候補を心から支持・支援した方々に、私は、「本当にご苦労さまでした」と申し上げたい。
開票結果後、糸数氏は、「出馬が出遅れ、有権者に政策を浸透させることができなかった。ただ、私の票は基地を造らせないという思いの結果。仲井真さんはその思いをくみ、県政に反映させてほしい」(読売新聞、11月20日付)と語った。また彼女は、「長い物には巻かれろみたいな生き方にウチナーンチュ(沖縄の人)は慣らされてしまった」(朝日新聞、同上)とも語る。肝に銘じたい言葉である。
確かにこのたびの選挙は、“後発(ひと月遅れ)の糸数氏、猛追すれど、善戦及ばず”といったところだった。しかし、異常なほどの不在者投票や不正なすり替え投票など、非常に不明朗な部分が多く残った選挙でもあった。
このたび、投票した県民の過半数の方々が、「政治(=基地問題)」よりも、むしろ「経済(=地域振興)」の方を選んだ。全国一の失業率その他、当地の深刻な経済事情もあろう。だが私は、この期(ご)に及んであえて言うが、長い目で見れば、糸数さんの主張は正しいと思う。彼女の平和を重んじ、“アメリカ軍基地を沖縄からなくそう”という思いが、もし県民の心から消滅するようなことがあれば、それこそ、先の大戦で亡くなった20万人以上の沖縄県民の御霊や、戦後、米軍基地があるために失われた尊い県民の霊魂は浮かばれないと思う。確かに、多くのものごとは、時とともに風化するであろう。だが、人として決して忘却してはいけないこともあると思うのだ。
正直言って、糸数さんの支持・支援者同様、彼女の勝利を確信し、かつ祈念した私は心底、このたびの結果が残念だった。私事だが、これほど大きく心に残る無念は、実は、生涯2度目のことである。
一度目は、ちょうど30年前、東京での選挙において体験した。1976年、それこそ、“ジバン、カンバン、カバン”の何一つない「一人の若者」が、“住みよい社会にしたい”といういう一念で、衆議院選挙に挑戦した。私たちも、心から彼を応援した。だが彼は、善戦したものの当選には至らなかった。そのことが、精神的に支援した私も、実に無念だった。 その時、私たちは、「組織力」の持つ強さも思い知らされた。その後、彼は二回の落選を体験したが、彼もわれわれ投票者も、決して彼の当選を諦めなかった。そして、初めての落選から4年後の衆議院選挙で、彼は見事に当選した。彼もわれわれも心底、嬉しかった。その「若者」が、現在の民主党代表代行の菅直人氏である。まさに初志貫徹、何事も諦めないことが肝要である。
当時の菅氏とは無論、年齢的な違いもあろう。だが、政治的な挑戦に年齢は関係ないと思う。それに、糸数氏自身さまざまなご経験を通して、誰よりも沖縄県民を鼓舞する“パワー”をお持ちだ。彼女ほどの政治家が今回の選挙だけで埋もれることはないだろうし、またそうあってはならないと思う。沖縄を真に動かしているのは、実は女性だと思うのだ
仲井真県政はたぶん、今後、多事多難であろう。同県政に対する健全な批判精神は、決してなくしてはならないと思う。31万近い支持・支援者の思いは、沖縄のかけがえのない“宝”であり、かつ力である。
糸数ご夫妻の戦いは、決してこの選挙で終わったわけではないと思うのだ。事実、夫の隆氏は、「今後また二人で一緒に頑張っていく」と語られたようだ。お二人の今後のご健闘を期待したい。私は、「人生、七転び八起き」だと確信している。
ところで人には、十人十色、百人百様の「愛国心」があると思う。私はある日、母に「愛国心」について訊ねた。「お母さんは、愛国心について、どう思う?」と。すると、母は次のように答えた。 「戦時中の頃の私たちは、“お国のために”という思いは有ったけれど、あえて“愛国心”という言葉は使わなかったような気がするよ。でも今、政府が“愛国心”を強調するのは、何か変な気がするね。愛国心って、あくまで“心の問題”であって、上から振りかざすようなものではないと思う。それは、ごく自然で当たり前の心情だと思うよ」と。
小沢一郎氏も、自著『小沢主義』の中で、「愛国心」について、次のように書いている。 《今年(2006年)の通常国会で、自民党は教育基本法改正案を提出した。このことについて、ぜひとも一言触れておきたい。
この法案を自民党が出した主たる目的の一つは、教育基本法の中に「愛国心」という言葉を盛り込むことにあったのは、読者もご承知のとおりだ。しかし、我が国が抱えている教育問題は法律の文面を書き換えたくらいで簡単に片が付くような問題ではないし、そもそも愛国心というのは法律から生まれるものではない。また、かりに教育で愛国心を教え込んだとしても、それは本物の愛国心とは呼べない。愛国心とは、幼いころから適切な教育やしつけをしていれば、自然と生まれてくるものだ。
家族や友人を大事にできないような人間に、本当の愛国心など生まれるはずもない。自分が暮らしているコミュニティを大事に思う心がない人間に、愛国心を求めても無理というものだ。愛国心の教育などを考える前に、まず家族を大切にする心、そして友人や身の回りの人間関係を大切に思う心を育てるのが先決ではないか。
さらに言えば、こうした「精神論」を振りかざす前に政治家がなすべきことは、現行の「制度」のどこに問題があり、それをどう改革していくかを具体的に考えることにある。それこそ政治がやるべきことであり、そのための努力もせずに国民に愛国心を要求するのは筋違いもはなはだしい。…
結局のところ、いくら上から押し付け、洗脳したところで、本物の愛国心は生まれないということだ。本当の愛国心とは、やはり日常生活の中、家庭生活や社会生活の中から生まれてくるものだと思う。そして、大人がなすべきは、子どもたちが自然に誇らしく思える社会や国家を作っていくことにある。そのことを忘れた愛国心教育はすべて無意味だと言っていい。》
まさに、この小沢氏の言葉に尽きると思う。
これに対して政府ならびに文科省は、今までの(とくに「ゆとり教育」以来の)教育政策や教育行政の破綻や行き詰まりを真摯に反省せずに、今まで以上に権力を集中し、“管理”の度合いを強めようとしている。事実、彼らは、いじめによる自殺、高校の未履修問題、それに教育改革タウンミーティングでの“やらせ質問”の問題などについて、真正面から真剣に取り組む姿勢を示さず、ただ政府の「教育基本法改正案」の成立にのみ奔走している。
とりわけ、国民による質問や批判を直接的に受け付ける姿勢はほとんど見られない。その実態が、先のタウンミーティングでの“やらせ問題”で露見したと言えよう。すべての筋書きが政府(文科省)によって仕組まれ、結局、上意下達されるのが、現代日本の“現実”である。そこには、世論の喚起や、下からの“盛り上がり”など望むべくもない。まさに、政府(自民・公明党)の党利・党略によって国政(この場合、教育政策)が壟断(ろうだん)されていると言っても、決して過言ではない。
周知のごとく、教育とは「国家百年の大計」である。それに、教育基本法は、いみじくも「教育の憲法」とも言われる最重要な国法の一つである。それを改正するというのなら、そのために5年かかろうと、たとえ10年かかろうとも、その改正理由を国民に十分説明し、国民の理解を得なければならないと思う。安倍総理個人の「公約」だから、ぜひ今国会で成立させなければならないというような“軽い”議案ではないのである。
今回の場合、民主党も独自の教育案を提出している。「愛国心」に関しては、前述した小沢代表の考えが色濃く反映されている。
また、これとは別に、同党の藤村修衆議院議員(次の「民主党内閣の文科大臣」と目されている)の「大学入試をなくす」という大胆な計画案は、傾聴に値しよう。藤村氏(衆議院比例:近畿)は、「学生(広島大学工学部)時代、交通遺児の作文を読み、ボランティア活動に参加して35年。震災孤児、ガン遺児ら全国60万遺児の心の叫びが政治行動の原点だ」という。彼はまた、日本・ブラジル青年交流に多大の貢献をしている。民主党には、藤村氏のようなきわめて優れた政治家が、今日の「教育問題」の対策に積極的に関与している。 尾木直樹氏(教育評論家・法政大学教授)の指摘にもあるように、日本の教育制度はあまりにも競争主義的であるために、子どもがストレスから人格障害を起こす可能性が高い。このストレスが、いじめを誘発する原因ともなる。
無論、その解決には、家庭教育(躾を含めた)や、学校・地域間の注視や連帯感も必要であろう。
加えて、文科省は、かつて「ゆとり教育」と称して、中学・高校での授業時数を減らしておきながら、他方、「必修」や「入学定員の確保」、さらには「大学進学実績」の評価といった“シバリ”を教育現場に与えるというまったく矛盾した教育政策を、10年以上もやってきた。そのしわ寄せが今年、高校での「未履修問題」として噴き出したのである。
その第一の原因は、無論、“何より受験”重視の教育制度自体にあろう。だが、この制度をつくったのも人間である。とりわけ、文科省官僚の“教育現場知らず”と想像力の貧困さ、それに省内の「縦割り行政」が、教育政策の行き詰まりの主要な原因と言えよう。同時に、政府(自民・公明党)の文教族議員の教育現場に対する認識不足も問題である。
だが、とくに文科省の官僚は概して、学校の児童や生徒、それに学生を、一人の人間としてではなく、単なる統計上の「数字」としてしか見ていないのではないだろうか。私はそこに、戦時中の軍部首脳が、前線の兵士を人間としてではなく、むしろ馬以下の価値しかなく、「一銭五厘」(=赤紙の値段)にしか値しないと考えていたことと通底する冷ややかな思念を感じる。
真に“改正すべき”は、教育基本法の条文などではなく、何よりも文科省の官僚諸氏の“心と頭”だと思う。加えて改めるべきは、政府(自民・公明党)による復古主義的な誤った「国家至上主義」であろう。これらが改まらない限り、私は、教育基本法の改正は、まったく意味がないと思う。いや、明らかに有害だと思うのだ。どれほど糊塗しようとも、いたずらに「愛国心」を強要することは、現場の生徒や先生方を苦しめるだけである。
事実、「管理」と「命令」を重視する教育当局と、それに納得できない現場との亀裂や乖離は、今後、ますます混乱の度合いを深めよう。また、際限なき競争と軋轢は、国民間にさらなる格差と差別を生み、人びとを不幸な世界へと招き入れよう。私は、過度の「愛国心」の強調が、必ずやそのような劣悪な世界への “導き手”になると思う。むしろ、この“偏狭さ”こそ、「個」を軽んじ、つねに同化しやすいわれわれ日本人が、一番警戒すべきものだと思うのだ。
正直なところ、私の考える“愛すべき日本”は、このような独善的官僚主義や排他的な国家至上主義を超えた彼方に存する。それは、単なる理想論だと言われるかも知れない。だが私は、それができて初めて、日本に生きるわれわれが、真に「愛国心」について心から語り合えると思う。
私は、“愛すべき日本”は、そのような地平にこそあると思うのだ。
私は心底、そのような真に民主的で、平和な日本の到来を願う者の一人である。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/WA10.HTML
第10回(2006.12.1)
「富民有徳」の国づくりを目指して
今週は、自民党の「復党問題」で揺れた。この問題は、当然のごとく、自民党内に波紋を広げ、大きな火種となりつつある。これに対して、民主党・小沢代表は、「何でもありの自民党」と切り捨て、「寄らば大樹の陰か?」と問う人もおり、また、「これは自民党の終わりの始まり」と断言する人さえいる。
すべてが来年夏の参議院選挙のためと言うのなら、“では、あの「郵政(改革)選挙」とは、一体何だったのか!”という国民のいらだちや疑問の声が聞こえてくる。当事者だった小泉前総理は、まったくのダンマリを決め込んでいる。彼の“使命”は、郵政民営化法案を通すことだけであり、その後のことは、彼にとってまったくの「他人事」なのだろうか?
そのようないい加減さや無責任さを象徴する言葉が、あの“使い捨て”発言であろう。いかにサプライズ好みの小泉氏とはいえ、突然言われた面々は、開いた口が塞がらなかったことだろう。「小泉チルドレン」と言われる彼らにとって、これほど薄情な「親」もいない。自ら“使い捨て”された経験もない政治家の冷酷な言葉に、一体、どれほどの真実があると言うのだろう?
ところで、今、障害者や高齢者が苦境に立たされている。「障害者自立支援法」という悪法が、その美名のもとに、かえって障害者の“生きる権利”を奪い、彼らを窮地に陥らせている。また高齢者にとっては、介護保険料が増額となっただけでなく、国民健康保険での自己負担率も、来春から大幅に上がる見通しだ。さらに、介護給付費の削減を
目的とした『改正保険法』の施行から、すでに半年以上が経った今日、「要介護1」から「要支援」に回された人の数は、多くの自治体で高齢者の半数以上にも上っている。ガンその他でたびたび手術をして、たいへん不自由な身の上であるにもかかわらず、たまたま歩けるからということで、「要支援」に回された人も多くなった。私の母も、そんな高齢者の一人である。私事だが、母は週2回、膝のリハビリのためにタクシーで通院している。だが、無論自弁である。
そんな母が、ふと私に語ってくれた。「要介護≠ゥら要支援≠ノ回されたとはいえ、私はまだ幸せなほうだよ。タクシーで行けるのだから。なかにはタクシーに乗るのさえ辛抱して、長い道のりを杖をついて少しずつ歩いている方を見かけるよ。“一日、500円で生活しなければならない”という方もいらっしゃるよ。“今後、少子化で、高齢者を支えきれなくなる”などと、テレビで自民党の政治家が言うのを聞くたびに、私は腹が立つね。私たちは、若い頃から精一杯働き、ちゃんと年金を払ってきて、自分のお金で現在の生活(=年金生活)をしているわけでしょう。何も、他人様のお金で生きているとは思わないよ。とくに今度の改正は、何かしら足元に冷たい水がひたひたと押し寄せてくるような感じがするね。それに、私ら老人たちは今、国家にとって、何だか余計者のように扱われている感じだね。“長生きしていてゴメンナサイね”とでも言いたくなるよ」と、母は思わず苦笑した。
たしかに今の自民党政治は、社会的弱者に対してきわめて酷薄である。だがその一方で、小泉前首相退陣前の5回に及ぶ外遊(前首相の「卒業旅行」と揶揄された)で、8億1500万円もの公費を費やされたと、テレビは伝えた。あの脳天気な小泉前総理には、この種の障害者や高齢者の苦しみは分からないであろう。社会的弱者の苦しみをまったく理解できないまま、彼は5年5カ月もの長きにわたって日本国総理大臣の座に君臨(?)し続けた。だが、この責任は、彼にというよりも、むしろ彼を選んだ国民の側にある。
小沢一郎氏も、かつての小泉氏とまったく同じであろうか? 私は、決してそうは思わない。むしろ、小沢氏は、このような日本の“惨状”を座視できない仁愛なる愛国的指導者であると思う。彼は、自著『小沢主義』のなかで、「政治とは、いったい何か。政治家とはいったい何者か」と問いかけながら、仁徳天皇のエピソードを紹介している。この点について、かつて拙稿でも少し触れた。この小沢氏の文章を読まれた方も多いと思うが、それは、次のようなものである。
《ある日、仁徳天皇が皇居の高殿(たかどの)に昇って四方を眺めると、人々の家からは少しも煙が立ち上っていないことに気付いた。天皇は「これはきっと、かまどの煮炊きができないほど国民が生活に困っているからに違いない」と考えて、それから三年の間、租税を免除することにした。
税を免除したために朝廷の収入はなくなり、そのために皇居の大殿はぼろぼろになり、あちこちから雨漏りがするほどになった。しかし、その甲斐あって、三年の後には、国中の家から煮炊きの煙が上るようになった。このときに詠んだとされるのが、「高き屋に のぼりて見れば 煙り立つ 民のかまどは にぎはひにけり」という歌である。
こうして高殿の上から、あちこちの家のかまどから煙が立っているようすを確認した。天皇は皇后にこう語った。「私は豊かになった。もう心配はないよ。」
それを聞いた皇后が、「皇居がこのように朽ち果て、修理する費用もないというのに、なぜ豊かとおっしゃるのでしょうか。今お聞きしたら、あと三年、さらに無税になさるというお話ではないですか」と聞き返すと、「天皇の位は、そもそも人間のために作られたもの。だから、人々が貧しいということは、すなわち私が貧しいということであり、人々が豊かであるということは、すなわち私が豊かになったということなのだ」と、仁徳天皇は答えた。
「天皇とは、そもそも人々のために立てられたもの。」 この仁徳天皇の言葉こそ、僕は政治の本質が隠されていると思う。みんなが幸せな生活を、豊かで平穏な生活を送れるようにするために、何をすべきか。それを考えるのが政治の役割、政治家の役割であって、それ以上でも以下でもない。》
長い引用で恐縮だが、私は、この話のなかに、小沢氏の「政治」観や「政治家」観が集約されていると思う。まさに彼は、この仁徳天皇の御心を、自分の政治生活の模範としているように思える。
小沢氏が「民主主義において主権は国民にあるのです」と述べるとき、彼はこの言葉を真に人々を愛する思いから、真心を込めて語っている。それゆえ、この言葉は決して言い古された単なるキャッチフレーズとしてではなく、生活実感のこもった言霊(ことだま)として、聴く者の心を打つ。
そして彼は、「主権の最大の行使の場は選挙以外にあり得ません」と続けるのである。これが、「政権交代」を何よりの使命と考える彼の本音であり、かつ真意である。小沢氏が選挙に対してあらん限りの力を注ぐのも、そこに理由がある。われわれ国民は、この彼の誠意に応えなければならないと思う。
ところで、明治以来の「富国強兵」の語源は、横井小楠の次の言葉に求められる。小楠は言う。「堯舜孔子の道を明らかにし 西洋機械の術を尽くさば なんぞ富国に止まらん なんぞ強兵に止まらん 大義を四海に布かんのみ」と。
この言葉から察せられるように、小楠は決して「富国強兵」を目標にしたわけではなかった。識者の言にもあるように、彼は、東洋文明をもとに西洋の科学技術をとり入れて、日本が富国強兵に務め、民主的・平和的な“道義国家”となって、これを世界に広げようと訴えたのである。
だが、彼に続いた明治政府の指導者たちは、小楠のこの深い思想を十全には汲み取らなかった。そればかりか、「富国強兵」という単なる手段を、目的(=国家目標)としたのである。その誤りが、すでに61年も前に立証されたのである。しかし、現下の自民・公明党政権は、これとまったく同じ過ちを繰り返そうとしている。
横井小楠の本意は、「大義を四海(=世界)に布く(=広める)」ことにあった。この「大義」とは、具体的に言えば「富民有徳」だと思う。
私は、横井小楠の真意は、単なる「富国強兵」ではなく、むしろこの「富民有徳」にあったと思うのだ。
ごく単純に考えれば、もし世界の国々が、真に「富民有徳」、つまり国民が物質的・精神的に豊かで、高い徳性を持っているならば、それこそ戦争など起こらないはずである。
たしかに、これは理想論かもしれない。だが、戦争の原因が国民の極度の貧困、国家間の経済格差や強国による搾取や抑圧、さらには世界を動かすほどの力を持つ人々の限りない“強欲”などに求められるならば、国民の物質的・精神的な豊かさと「徳性の高さ」が、戦争の“抑止力”になることも事実である。無論、そこでは、各宗教者間での、他宗教徒に対する“真の寛容さ”も大事であろう。
非常に長い目で見れば、小沢氏は、このような「富民有徳」の日本を目指しているように思う。
そのためには、まず、国民が物質的にも精神的にも豊かでなければならない。厳密には、両者のバランスがよくとれていなければならない。より大事な点は、国家や政権担当者、それに一部の人々だけが豊かになることよりも、むしろ国民が物心両面で豊かになることが先決だ、と小沢氏は考えているように思うのだ。そうすることによって、現下の、この自己中心的な社会から、真に規律ある「自由」が尊重される社会づくりを、彼は求めているように思う。
事実、小沢氏は、かなり以前から、経済の活力を回復し、誰もが生き甲斐を持って暮らせる社会づくりを、一つの政策目標として掲げている。
これは、かつて横井小楠が説いた「富民有徳」に通じる精神であると思う。まさに、この精神による国づくりこそが、遠回りのようでいて、真に我が日本国のためになる考えだと思える。
小沢氏は、一人の政治家、そして一人の政治指導者として、それをより具体的に実現しようとしているのである。この点を、われわれ国民は、もっと深く理解し、心から彼に協力すべきだと思うのだ。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/WA11.HTML
第11回(2006.12.8)
小沢一郎氏とチャーチル――小沢氏も、「アングロサクソン」の信奉者か?
若い人々は、そうでもないかも知れないが、多くの日本人にとって、12月(師走)に入って思い出されるのは、何より「真珠湾攻撃」と「赤穂浪士の討ち入り」ではないだろうか。今日、12月8日は、真珠湾攻撃の日だ。
私事だが、ハワイに研究目的で初渡航した日(1993年8月25日)、私は機上から真珠湾を見て、思わず息を呑んだ。眼前のパールハーバー(真珠湾)は、まるで阿古屋貝のような半円形の湾で、右前方に真珠が鎮座したような、小さな陸の塊が丸い小島の形で張り出していたのだ。
1995年、ホノルルで、終戦50周年を記念する式典があった。その式典に参加した元大日本帝国海軍の軍人で、真珠湾攻撃隊員の一人だったM氏に、私は、こう質問した。「真珠湾攻撃の際は、ワクワクと胸躍るようなお気持ちでしたか、それとも極度に緊張しておられましたか?」と。すると、M氏は、私にこう答えられた。「普段となんら変わりませんでした。ただ、命令を実行するのみ、と考えていました」と。確かに、そうだったかと思う。
その後、私は、広島に原子爆弾を投下したエノラ・ゲイの乗組員が、「われわれは、ただ軍の命令に従っただけだ」と答えていたのを思い出した。軽々には論じられないが、戦争には、そのような冷徹な側面があると思う。それだけに、一国の政治指導者(具体的には、総理大臣)の資質や理性が問われよう。
「防衛庁」から「防衛省」への昇格が現実化していく今日、わが国の首相が、一体いかなる戦争観や人間観、それに世界観を持っているかが重要である。とりわけ、そこでは、日本国の“自主性や独立性”が強く維持されていなければならない。わが国が安易にアメリカの「一部」のような軍事行動をとることは、断じてあってはならないと思う。
歴史上、先述した「真珠湾攻撃」を、誰よりも喜んだ英国の政治指導者がいる。彼は、結果的に、アメリカがドイツとの世界大戦に参戦せざるをえなくなると考えたのである。当時、英国は、ドイツに対して明らかに劣勢だった。そのため、どうしてもアメリカの参戦が不可欠だった。その指導者こそ、ウィンストン・チャーチル(1874〜1965)である。
このようなチャーチルではあるが、彼は、当時の大英帝国にとって、同国を守り抜くためには、どうしても不可欠の政治指導者だったと言えよう。
ところで、小沢一郎氏に似た政治指導者を世界に求めれば、それは、一体誰だろうか? 私は、英国のチャーチルではないかと思う。彼は1900年、保守党員として初当選した。弱冠25歳だった。その後、植民地次官(31歳)、商務長官(33歳)、海相(36歳)、軍需相(42歳)、陸相(44歳)、植民相(46歳)、蔵相(49歳)などを歴任する。このまま、彼は、首相になってもおかしくなかった。
だが、1930年から、彼が首相に選出される1940年までの10年間、彼は政界の表舞台から姿を消した。理由は、大英帝国の、ドイツとインドに対する「融和主義」に断固反対したためである。この間は、後世の史家によって「政治的荒野の10年」と呼ばれた。これは、小沢氏の長い野党生活にも通じよう。
しかし、第二次世界大戦に突入したばかりの大英帝国の国民は、チャーチルの再登場を求めた。彼なしには、ナチス・ドイツを打ち破り、大英帝国を勝利へとは導けなかったからである。首相になる前に彼は、まずチェンバレン政権の海相として、政界に返り咲いた。当年、64歳――まさに、現在の小沢氏と同年である。明くる1940年、彼は英国首相となった。65歳のチャーチル政権の船出である。
私はある日、母に訊ねた。「お母さんは、チャーチルについて、一体どんな印象を持ってる?」と。母は答えた。
「チャーチルについては詳しくは知らないけれど、彼は愛嬌があって、“絵になる人”だったと思うよ。戦時中、スターリンとルーズベルトは、徹底して嫌いだったけれど、この二人ほど憎らしく感じられない人だったね。でもチャーチルは、三人の中で、一番老獪だったかも知れないね」と。
“危機の宰相”という言葉がある。戦争や、それに準じる混乱の中、国民をよい方向へと導ける政治指導者のことを言う。私は、第二次世界大戦において、あの厳しい状況にあった大英帝国を勝利へと導いたチャーチルこそ、この“危機の宰相”という言葉に相応しい指導者だったと思う。
これが、例えばイーデンやアトリー、あるいはマクミランといった戦後の英国首相が戦時中のイギリスの指導者だったとしたら、あれほどの勝利を収めることはなかったであろう。チャーチルであったればこそ、当時の大英帝国を救えたのだと思う。彼であればこそ、ヒトラーのナチス・ドイツに勝利し、アメリカのルーズベルト大統領やソ連のスターリンと互角に渡り合えたと思うのだ。その意味で、チャーチルは、まさに乱世が求めた“救国の英雄”だった。
私は、今日の小沢氏は、戦時下のイギリスを救ったチャーチルのような存在ではないかと思う。
今後、「北朝鮮問題」に端を発する東アジア地域での動乱、アメリカの対イラク政策の行き詰まりと、イラクからの米軍撤退、アメリカ型・投機資本主義の崩壊とそれに伴う混乱、加えて国内での格差の拡大による社会不安の増大など、日本内外にはきわめて厳しい状況が現出しよう。それらは、旧態依然たる自民党政権では対応しきれないと思う。
これらの諸問題に対処できるのは、以前からそれらを十分に把握している小沢氏の高い見識と指導力、それに若い民主党議員の真摯な取り組みと協力態勢であると思うのだ。
小沢氏もチャーチルも個性が強く、若き日は人のねたみを買い、かつ敵も多かった。だが、戦争その他で国内が極度の混乱状態にある時、両者のように怜悧であり、同時に強い信念と不屈の闘志を持った政治指導者が真に求められると思う。
とはいえ、小沢氏は、決して“独裁”を好む人ではない。むしろ彼は、徹底した「議論」をこそ求める人である。その意味で彼は、真に“民主主義を愛する人”だと思うのだ。
周知のごとく、近代民主制には、二つの型がある。アメリカ型の大統領制とイギリス型の議院内閣制である。安倍総理は、前者の大統領制をモデルにしている。小泉氏も中曽根氏も、かつてこのアメリカ型を求めた。
だが、この政治形態は、立法(議会)、司法(裁判所)、行政(内閣・政府)の三権のバランスがとれていればよいが、勢い大統領(=政府)による“独裁”に陥りやすい危険性がある。それも政権交代が起こらない現状ではなおさらである。
事実、同一政権の長期化は、独裁と腐敗の温床となる。それは、北朝鮮を見れば明らかである。そのため、議会の構成員である国会議員に相当な良識と批判能力が求められる。私は、小沢氏はあくまでイギリス型の「議院内閣制」に心底共感しておられるのではないかと思う。なぜなら彼は、独裁に陥りやすい“大統領制の危険性”を強く感じていると思えるからである。小沢氏自身、述べている。「僕は、イギリスが好きだ。あの国は干渉しないのがいい」と。
とりわけ、一定の知識はあっても、本来「集団主義」や「全体主義」に陥りやすい日本人は、今日の大統領制的な政体では、“独裁とそれに対する盲従”といった過ちを犯す可能性が強い、と小沢氏は観ているように思える。まさに小沢氏は、今日の自民党政府主導の“アメリカ化”は、単に経済だけでなく政治さえも、まるで「木に竹を接(つ)ぐようなものだ」と考えておられるのではないだろうか。それゆえ、どれほど時間がかかろうとも、彼は選良である議員の質を高め、国民の意識を向上させることが、何より肝要であると考えておられるように思う。
事実、小沢氏は、自著『小沢主義』の中で、イギリスの政治(あるいは政治家)について、次のように書いている。
《イギリスの場合、政権与党が所属している代議士をたくさん行政府の中に送り込んで、実際の行政を担当させるのが慣例になっている。日本では政権を取っても内閣に入れるメンバーは大臣、そして自由党の主張によって創設された副大臣と政務官で、その数も実際の権力も限られているが、イギリスでは閣内大臣のほかに、閣外担当相、政務次官、政務次官補と呼ばれるポストがあり、こうしたメンバーを含めると、政府に入って行政に携わる与党政治家の数は百数十人に達する。もちろん、彼らは単なるお飾りではない。実際にそれぞれが役割分担をして、議会での政府側答弁もするし、議論も行なう。政府内部での意思決定にも、もちろん参加する。権限を持った政治家が責任を持って行政に関わっていくことで、イギリスでは官僚が「政治家もどき」になることを防いでいるわけである。
しかし、その一方でイギリスの官僚は政治家からも、一般の民衆からもひじょうに高い評価を与えられている。彼らは政治家との接触さえも禁じられ、政治との関わりを極端なまで回避している。しかしながら、政府部内における、政策立案の能力と役割は他の国の官僚以上に大きな比重を持っているのである。
言うまでもないが、こうしたイギリス流のやり方だと、政治家は自分の担当省庁のやっていることを必死になって勉強しなければならない。けっして楽な仕事ではないし、責任も重い。政治家は国会での論戦で堂々と野党を説得できるだけの見識と信念、そして知識を持っていなければならないことになる。
だが、それが本来の政治家の役目であって、それを嫌がったりするのならば最初から政治家にならないほうがいい僕は思う。それに実際には、こうして政府に参加することで、政治家は行政の実態に接して、現在の制度や法律の問題点も知ることができるわけで、政治家としての見識がさらに磨かれていくことになるのだから、かえって政治家にとってはチャンスである。》
小沢氏自身、若き日に、日本の政治中枢に参画し、対外的にもアメリカ首脳や各官僚と直談判をし、数多くのことを学び、かつ吸収なさってこられたと思う。このような形で、イギリスの政治家は自らを磨き、そういった逸材の中から世界に通用し、世界を動かす政治指導者が生まれてくる。チャーチルは、そんな指導者の一人だった。無論、当時とは事情も国家も異なるが、真に冷静、かつ大胆だった愛国政治家・チャーチルに酷似する政治家こそ、私は、民主党代表・小沢一郎氏だと思えるのだ。
事実、小沢氏は、チャーチルを敬愛している。実は、彼は一昨年の7月14日から22日まで、民主党日英議員連盟のメンバーの一人として英仏両国を訪問した。英国では、ロンドン郊外にあるチャーチルの墓にも参拝した。彼は、「墓前で手を合わせながら、訪問団の一人ひとりが政治家としての使命や責任について、改めて考え直す貴重な時間が持てたと思う」と記す(小沢著『剛腕維新』より)。
小沢氏自身、チャーチルの墓前で、何か決意を新たにするものがあったのではなかろうか。私には、それが「政権交代」の四文字ではなかったかと思えるのである。
しかし、だからといって、私は、小沢氏も、小泉氏や安倍氏と同じく「アングロサクソンの信奉者」だとは思わない。確かに、「小沢氏もアングロサクソンの信奉者」、あるいはその「崇拝者」だと考える識者は多い。だが、彼が、どれほど英国の議会制度や政治制度を高く評価し、グランドキャニオンに柵がないことに注目して「自己責任」を力説しようとも、それ自体が、「アングロサクソンの信奉や崇拝」につながるとは思わない。
むしろ私は、彼ほど、アングロサクソンのずるさ、したたかさ、それに強さを知っている政治家は少ないと思うのだ。その点、小泉氏も安倍氏も、彼らに呑み込まれている感じだ。米・英の「アングロサクソン」と対等に渡り合えるのは、彼らの本質を知り得た小沢氏ぐらいであろう。小沢氏の「政治的本質」は、むしろ、真に独立自尊的な“日本精神”であると思う。決して「アングロサクソンの信奉や崇拝」ではないと思うのだ。
それはまた、人々の生活に立脚した、いい意味で“土臭いもの”だと思う。この真に愛国的な“庶民精神”こそ、われわれがもっと認識すべき彼の「政治的本質」ではなかろうか。
いまこそ、われわれは、彼の政治的本質を真に理解すべき時ではないかと思う。その意味で、「小沢一郎氏と、救国の政治指導者チャーチル」――それは私にとって、決して無縁ではないように思えるのである。